第50話 交差圏

言葉に突き刺さされた身体は、不完全ながらも立ち上がった。

殺人犯のナイフのように荒々しい加減ではなく、まるで霊へ告ぐような繊細に繊細が何重にも重なった加減であった。


「……そうですね、まだ約束が守れてませんね……また二度と、約束を破るのは御免です」


彼女の手を借り、床から身体を起こす病人のように、ゆっくりと立ち上がる。

身体を動かすと同時に、血が涙のように滴り落ちる。

暫しその身体が引き起こす現象は、火が傷口に染みるように痛かった。


血が地面をグロテスクに染め上げた、夕焼け空みたいに優しい色ではなかった。

秋の硯のみたく暗い夜に見た、血のように赤い紅葉のようであった。

まるでこれから巻き起こる災禍を、著しているかのようであった。


「大丈夫だよ、私も心血が尽きるまで、君を守るからさ。

私が死のうとも、君には生きてほしいよ……」


都会の喧騒にまみれても聞こえてきそうな、この世の何よりも優しい声であった。

今なら彼女以外はいらないと、本気で言えてしまうほどだ。


「まだアレは生きてるから、根幹を早く潰さないとね。

さっきので“私”が足取られて、君は血だらけにしっちゃったしね」


暗く澱んだ声を彼女があげる、先ほどとは百八十度変わった声色であった。

まるで自身の心を狂気に陥らせないために、無理やり縛っているような声であった。

”苦しみ“だけが全身に伝わった、純粋な自傷行為だ。


そんなことを思っていると、彼女は白い髪を揺らし、どこかへ過ぎ去ろうとしていた。


「あ、待って……ください」


彼女の背に向けて、喉を細めたような小さい声を放った。

しかしその言葉に彼女が、耳を傾けることはなかった。

まるで有象無象の一つとしか見做していないように、取るに足らないものだと言っているような気がした、芥に浸った感触だった。


「あの、カエデさん……本当に待ってください」


追い討ちをかけるかのように、彼女に言葉をかけ続ける。

まるで背中に銃口を突きつけて、連射しているかのような感覚だ。


しかし彼女はポーカーフェイスを突き通すかのように、背を向け山岳地帯のような凸凹瓦礫の偏野を歩きつづける。

彼女は躓きもせず一方通行に、瓦礫を上り下り繰り返し、目的地不明の場所に歩き続ける。

足音と呼吸だけが、灰色降り頻る荒野に響き続ける。


「ああ、やっと見つけた。敵ながらに綺麗だね」


足を止めた、まるでエンジンを切った自動車かのように、機械的に足を止めた。

彼女の身より、先にあったものを見渡した。

そこには隕石が落ちたかのような、大きなクレーターが露天掘りのように開かれていた。


「よしよし……その綺麗な体を───」


まるで小動物を嘲るかのような、魔が強い声をあげた。

すると彼女は、何もない空の間から黒い剣を取り出し、右手で潰すかのように柄を握った。

目に見えずとも、彼女の情がその右手に溢れかえっていた。


その悪辣を許さずとでも言うかのような、声色は空間の大気を噛み殺していた。

嘲る時のようなものではなく、体の内を天から底までを切り落とすような勢いであった。


「心臓はいつでも貫ける、だけどひとつ聞きたいことがある……────し──」


彼女の言葉が冷淡に響く、大気を泳ぐ空気達が自由気ままに動くのをやめ、一列に並び固まったかのような気がした。

ただ聞くだけで恐ろしい。


「うぐぁっ……あ」


喉を革靴の踵で押しつぶされたかのような声が出た。


突如として目の前が眩む、脳内血管が断裂したかのように、視界が何重にも重なりその全てが霞んで見える。

どこからともなく眠気が湧く、血管と細胞が脈でも打ってるみたいだ。


毒ガスでもばら撒かれ、体内に注入されたかのような症状が、藪から棒に幾物も出始めた。


「おっえぇっ……」


喉の奥から一臓物に溜められたものが滝登りし、口から蛇口の水みたく飛び降りた。

水を地面に打ち付けるような音を出し、またもや催しそうな悪臭を放った。


「げっおうぇぇ……げぇお……え」




耐え難い睡魔の訪れは、零秒も許さない瞬く間であった。

口から追い出された吐瀉物をしたじきとし、有る筈の不快が睡魔に負け十数年間愛用しているかのように心地よく深く深く眠った。

今数秒前の記憶は雫みたく零れ落ちた、視界が群青となり気づけば黒に染まっていた。


何度も同じような経験をした気がする。




寂れた微風は鼠色の灰を空気に泳がせてた。

人肌のように生暖かく、されど寒空がマシになるほど冷たかった。


「いやぁ……ほんとうに見つからないもんよ、ここまで見つけられないって、かくれんぼでもしてるんじゃないかな?」


「流石にそんなことはないだろう、そもそもアイツらがそんなふざけるような連中じゃないのは、お前が一番理解していることだろう?」


それに対すは


「そりゃそうさ……でも、生きてる保証を願いたから……こう言いたくなった」


「なるほど、ジョークがわからない俺にとっては、狂言にしか聞こえなかったよ」


どこか冬のような寂しげのある会話が、一枚の空のもとにて響いた。

三人の男性で構成された集団であった。

仲間と逸れたことを憂いているのか、特に目の内に入れていないのか、よく理解ができない会話内容であった。


「屋内やなけなし程度の大きさの地下施設、ビルとビルの間の路地、ガソリン車の下。

弾道ミサイル発射機、なぜか道路にめり込んでるイージス艦の艦橋の中。

目に映る有象無象を調べ尽くしたけど、本当に見つからないねぇ、どっか別世界に行ったんじゃない?」


なんとも苦労が滲み出ている台詞を、長々と語る黒髪の男性。

漏れる声の色彩は、まるで壊れた心のようであった。


「まぁ魔術なんていう、概念具現化トンチキ現象が存在している時点で、その可能性は否定できないがな」


するとその言葉に割り込むかのように、二人に同行していた、金色髪で長身の青年が声を放った。


「だよねぇ……そうなってくると、大規模な魔術が必要になってくるね、当然別世界移動とかには数百から数千、はたまた数万人の人材資源が必要だよ」


呂律を回す声はますます黒々しく成る。

泥水の方が透き通って見えるほど、情緒は下方を指した。


「無理なわけか」


世闇の底に打ち付けられ、全て叶わないと断したような声を出す。

落胆に絶望を折衷した、ドブ沼のような気分に陥った。

これ以上手をつけられることが、何一つを持ってない。


折箱という四方を囲む檻に、入れられ逃げられなくなった。


「…………諦めるか、雛鳥みたいに嘆こうか」


黒髪の青年が閉ざされたこの場に、最も型合う言葉を嘆いた。

その言葉は無気力下にて発言されたものなのは、火や水の流れを見るよりも明らかであった。


「諦めたくはないが、打つ手がないのならば、ここに止まるしかないな。

しかし……別世界か、別世界など“誰かの心の中”であるものなのかもな。

そうであっては欲しくはないな」


そうやって世界に一線一筋の言葉が放たれた。

柱のように長くも小刀のように、短い言葉であった。




目頭が熱い、白湯に顔でも突っ込んだかのように熱い。

瞼を持ち上げると蒼い空が、こちらを睨むかのように浮いていた。

目の前の冷徹な青に時間を配る暇なく、頭の中に記憶を呼び起こした。

折った紙を広げるかのように、脳内に目覚め前の記憶が流れ込んできた。


探し求めた必要なものは、雫が溢れるよりも何ノットも早く見つけた。


「カエデさん……カエデさん、どこにいるんですか!」


強迫観念に駆られるかのように、もしくは逃げ出した愛玩動物を呼ぶかのように、恋人の名を叫ぶ。

少しばかりの涙が白い眼をあやすように、皮膚を被った側頭筋の上をなぞる様に伝う。

動物の糞を踏んだシューズで、心の臓腑を潰し踏みつけられるような、狂気染めの罪悪感に駆られた。


「カエデさん……カエデぇ……」


締め付けられた空気に乗せられた声は、瞬く間に絹糸のように細く、声先を下向きに落とした。

まさにナタで羽を折られた鳥のようである。


口内に哀しみから生まれた唾液が、追い討ちをかけるかの如く溢れる。

溢れ返るは少しの唾液であるのに、まるで溺死するかのように苦しい。

はがいなさと無気力から、地面を怨嗟を持って殴る、反動の痛みすらも良い香辛料としか思えなかった。


「隠れてるつもりでもいいから出てきてくれ、傷つけられて痛くて苦しいなら、少しの声でもあげてくれ」


青い空が一段と、また一段と煙を吹いたかのように、薄く霞みだした。

それを拒み目から溢れる涙を、両手で懸命に一雫も残さず拭いた。

しかし一度溢れ出した涙は、この先々すら止まることを知らないかのように、一向に緩む気配を殺している。



「そんな泣くことはないよ、私はここにいるからさ」


その中で一つ振り下ろすかのように、短い言葉が轟いた。

声を聞いた途端、身体が打ちつけられたように、大きく震え靡いた。

今まで力が入らなかった体は、自然と呼応するように起き上がった。

手にも無気力から解放された力が宿り、指の関節が自由に曲がった。

体から奪われた能力ものが、瞬く間にして舞い戻ったのである。


すると、目前に白髪の少女が現れたのである。

それを見るや否や涙の脆さは限界に達し、目の前の少女の体に縋りついた。


「本当になんで何処かに行ってたんですか? 俺は、貴女を助けないといけないのに……」


彼女の心身を縛るような言葉を吐く。

まさに今、彼女の体に縋り付いていることが、それの証明になっている。


「あぁゴメンね……あの子の体に杭を打ち込んできた、ここでは殺せないからね。

こうやって話してても大丈夫だよ、もう動けないからね。

マフユが致命打を与え掛けたからかな」


忍び慰めるような声で、彼女は優しく語った。

耳の細胞を燻らせるような、生温かい息吹を吹き掛けできたのである。

あと一寸ほど近づけば、耳朶を舐めてしまうような勢いであった。


「君を私の私情に巻き込んでおいて……本当に」


か細い声で語る彼女が、次の言葉を積もうとした途端。


「大丈夫です、俺も貴女カエデに依存しきって泣いてしまって」


互いの傷を舐め合うように、揃って言葉を返し続ける。

両者の言葉は暁の下の空みたく温かい。


「さ、こんなところで呆けてちゃダメだ、私たちも行動しないとね」


率先垂範するかのように、彼女は俺の手を握りしめて、引き摺り出すように大地を踏ませた。

懐かしくもない無機質でただ硬い感触が、足をつたって脳まで届いた。

だが妙にもそれが気持ちよかった。


「あっちでマフユが待ってるから、行こ」


過ぎ去る風のような声で彼女が語った。

華奢で空気と程違いがない彼女に引かれる手は、同調するかの如く空気のように軽かった。何か、骨肉が泡になった気がした。


「いやいやそう労力かける必要はないよ、こっちがそっちに行くから」


合間に刃先を突き刺すかのように、一つの声が介入してきた。

その声は誰かでも斬り殺したかのように、物騒で禍々しかった。


「力任せに棒切れを振るう輩一人、どうにでもなるもの」


右手には光煌めかせる、白銀の刃を持つ刀が握られていた。

しかしそれを掻き消すほどの、動脈と静脈双方の血液が染み込んでいた。


左手には明らかに、目を当てられないものが掴まれていた。

それは見るも無惨に破壊された、白い羽衣を纏っていた少女であった。

羽衣は切り付けられ乱雑に破られ、そしてくまなく血液が付着していた。

その下に目を映すと、それを軽くいなすほどの、ショッキングなものが映し出された。

そして最後に一瞬だけ映った顔面部は、両目が完全に抉り潰されているのみであった。


右脚は完全に切り崩されていた、それもショッキングではあるものの、その断面には黒い青と粉を撒いたかのように、光る白い粒が点々としていた。


「なに、これ……」


思いに反し息が詰まった。

その詰まり方はまるで、これ以上じゃ何も喋るなと、口止めされているかのようであった。

それを信じてしまったのか、それ以上何も喋ることはしなかった。


「そうなるのも無理ないか……ちょっとこっちが触れようとした途端、キレながら攻撃してきたから……まぁ、こうした」


「…………」


その美貌にあるまじき言葉を放つ少女、それを俯きながら大人しく聞くもう一人の少女。


「でも、これで決した。あとは彼らの仕事だよ」



第50話 終





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