第49話 明け時

何が起きたのか分からなかった。


両足が浮いたと思った途端、身体も同調するように浮いてしまっていた。

まるで転げ落ちるように、背中から水に落ちたような体勢になった。


視界には削り取られた灰色の塊が、自身と同じように転げ落ちていた。

それを傍観するかのように、澄んだ雲一つない青色の空が描かれていた。

だがそれを見ても、綺麗だと一切思えなかった。

雪片の限りもだ。


「終わった……」


何度口走ったのかも分からない、似たような口調も何度も。

瞳孔が銭のように丸く小さく縮んだ。


身体は投げられた石のように、自由落下をし続ける。

口内に唾液がたてしまよこしまに飛び散った。


「そう易々と、厄言を口から出さないでって……ここで死なれたらこれ以上、私が生きる価値がないじゃん」


頭全体に響くような、綺麗で無垢な声が空間に灯った。

まるで海の中を遊覧する、クラゲのような小さい光であった。


「おはよう、待たせたね」


視界を覆うは銀糸の如き白色の髪。

ピアノ線のように、毛の全てが降り注ぐ光を、鏡面に近い要領で反射していた。

そしてそれに次ぐほどの白さを持つ、まさに雪そのものと言っても難くないほどの白い肌。


まさに、“彼女カエデ”その者であった。


「じゃあ、ちょっと生きてもらうからねっ!」


途端、言葉を言い聞かせる彼女に体も一点を、握るかのように掴まれた。

とは言え、肌を掴まれたわけではなく、肌を覆う服を掴まれたのだった。


「私が着地の道具モノになるから、君はちゃんと生き残ってね」


その言葉が過ぎると、彼女は自身の身体を、俺の身体の下敷きになるかのように、真正面に身体を動かした。

目の中心に彼女が映り込んだ。

絵のように美しい貌の、華奢で小柄な少女の姿が。


「眠っててごめんね、そして君を守れなくて、本当にごめんね」


彼女が、慈しむほど綺麗な捨て言を吐く。

それに返す言葉は出ず、ただ彼女に付き従うことしかできなかった。

守る側であるはずなのに、彼女の裾に捕まることしかできなかった。


そう考えを巡らせて、自身の奥にある黒い海に溺れさせるように、心を沈めさせた。


「でも大丈夫、君は異聞を無力だと思い込んでるだろうけど。

ここまで傷一つ刻ませずに私を連れた時点で、君は決して弱くはないよ。

守るもののために、君は体を賭けたからね」


彼女の言葉によって、引き上げられるかのように、水底に溺れかけた自分が戻ってきた。

その時、落ちぶれてる時間はないと、刹那を持って悟ったのだった。


「だから、私と君は今。

同じ場所に立ってるんだよ、君は私の剣とかの道具じゃなくて、わたしの恋人なんだよ。

だから……悩まなくていい」


涙腺が古傷のように開き、涙が溢れ始める。


ーーー。


「じゃあ、決まり」


彼女は言葉をセリフを読むかのように云うと、その白に拭かれた右手で、フィンガースナップを靡かせた。


脳が一秒を食べ飲み込んだ瞬間……。

彼女と俺が身体を打ち付けるであろう落下地点に、水色に光る正方形の何かが空間をハサミで卸したかのように現れた。


それの性質を考える隙もなく、そのままソレに彼女と共に落ちた。

それは意味不明な液状のものだった。

されど冷たくはなく、温かくもない、周りに浮かぶ空気となんら変わりはない。


「ぷぁっ!」


その液状のものは時を経たずして、風船が割れるように消え去った。

目の前に広がったのは、建物の壊れた破片だらけだった。

散々とした石の欠片、枝のように倒壊物から伸びる鉄骨。


何度も見てきた似た光景。

時は進んでるはずなのに、何故だかまるで過去を繰り返しているかのように。


「はぁはぁ……」


刃で筋を刈られたような、荒れた息が口から漏れる。

瞬きのように短い時間であったものの、まるで数十分間の有酸素運動を、行ったような感覚に浸った。


「よかった……目でわかるほどの怪我はないみたいだね」


目の前に彼女が現れた。

変わらず、白羽のような髪を風に乗せて、かすかに揺らしていた。

彼女は腰を傾け身を下ろし屈み、まるで小動物の顔を覗くように、俺の顔を見つめてきた。


「あ、カエデさん……ありがとうございます」


不意に。

喉に滞ることなく、感謝の言の葉が息の如く漏れた。

今、彼女に伝えられる、最大の感謝の言葉であった。


「私からしたことだから、感謝しなくてもいいけど……ありがと」


雅が抜けない声で返答をされ、いつもの可憐な笑顔を返してきた。


彼女は俺のことを観察したのち、そっと屈んだ体を上げた。

横顔が視界に映り込んだ。


その瞬間、彼女の横顔から、渦のように籠っていた優しさが、まるで摺り落ちるように抜けた。


「……そして、初めまして。死に体のクセに生き続けてる、星の巫女。

これも貴女が作ったんでしょ?」


懐から取り出した白刃ナイフのように、鋭い言葉が走った。

俺に向いていないはずの刃先が、喉元に突きつけられたかのようだった。

彼女は全方向に刃物を向けているかのような、悍ましい気迫を発していた。


敵ではないと理解しながらも、肺に入る酸素が全て切り落とされているかのように、身体の呼吸を殺されていると感じた。


「まさか、あの建物崩壊で死んだワケじゃなよね。

自分で放った魔術モノで、死ぬほどバカじゃないよね」


続け様に彼女が言葉を語る。

息継ぎをしたといえども、そのおどろは一文一句に生えていた。


「アレ、まだ……生きてるんですか……?」


ふと彼女に質問した。

意外だからとかではなく、彼女がそう言ったから聞いただけ。


「生きてるはずだよ、なんたって表面の皮を切り崩しただけで、中に巣食う“核”を破壊できてないからね」


小難しくもない言葉を彼女は綴る。

此れを一括りに小さく纏めると、あの少女は“決して死んでいない“、ということであった。


「不意打ちを狙ってるか、気が飛んだかもしれない。

まぁいいよ、核をぶち壊せばいいだけ」


その言葉と同時刻に、彼女の手の内に柄を添え、その柄を根とするかのように、黒い刀身が伸びていた。

刀身は光を食し、光の筋すらも見えない。


「寝起きから殺しだね、血生臭い寝起きだけど」


淀み混じり気の彼女の声が耳に響いた。

声調は湿地の泥沼や胃の吐瀉のように、酷々と汚れていた。


「どこからでも来なよ、結局殺し合いになるのならどこから来ても、傷つけ合うのは必然なんだからさ」


壊れた建造物の瓦礫が地面に拡がるだけで、何も変わることはなかった。

恐喝に近い彼女のセリフも、相手に響いてはないのではと想像し始めた。


呼吸の音だけが永延と流れ続ける。

口から大気が水の流れのように、分子が泳ぎ出ていく。

未だ、肌を撫で切るような、風切音ひとつも響かない。



気が緩もう。

その時であった。


彼女は突如、黒を空間に魅せた剣を、空中に大きく振り切った。

その時に肌を摩った風切りは、まさに磊剛を吹き飛ばす暴風の如くであった。


「うあっ!」


その一瞬にして描かれた、光景に腰が抜け驚聲が出てしまった。

目を細め、体が現実を閉ざそうとする。

然し、その妨げを強引に打ち崩し無理やりに目を開き、目前の現実に目を向ける。


その空間には一人の少女が、上方から堕ちる白白に煌く何かを、これまた反転した黒い剣で防ぐという、背水の状態であった。


地面に伏した身体を上げた。


その唇で歯を噛み潰酢ような状況に耐えきれず、足で腰を蹴られるかのように身体がいつの間にか動き始めていた。

手に微細な土粒一つ持たない、正真正銘の丸腰。


「カエデさん!!」


霞れていない、真摯の叫び声。

喉を引きちぎるほどの声、地震喉から出ているのかと本当に疑ってしまうほどの声。


彼女に向かって一直線に駆ける。

瞬きもせず、視線もずらさず、彼女の立つ方へ体を壊す覚悟で。

地を踏み仕切る感覚がなくなるほどの速度で、彼女の元へと向かう。


「七星クン……来ちゃだ……め、だ」


近づくにつれ強くなる、白煇く光で視界が壊れそうになった瞬間……。

彼女の細切れそうな声が、耳元にて打たれた。


その台詞は、救い手を拒むものであった。

いつもなら機械かのように、足を止まらせ彼女の言いなりになるだろう。

彼女という、たましいから大切だと言える存在の頼み。

拝み願われた契りを、切り落とすことは決して出来ない。


「助……ける!」


然し、契りはここにて切り落とした。

彼女から真摯一心に受け取った願いを、地の底に叩き落とすような愚行。

この世界の万物全てが、首を縦に振る最低行為。


だが意思は、彼女の心からの言葉を無視し、彼女の小さな体を支えた。

彼女の体は軽かった、しかし……彼女にのしかかるものは重かった。


岩のような重さが手にのしかかる。

今の自分には到底耐えられないほどの、力を持った何か。

押しつぶされそうなほどの、絶望的な何か。


それでも倒れたり、逃げたりはしない。

彼女を助け護るために、彼女の元に駆け寄った。

足がすくむような力も、体が押し潰されそうな恐怖も絶望も。

全て埃同然の、有象無象に過ぎなくなった。


「私……一人で十分なのに、君は……なんで助けるの……」


首を絞められたかのようなか細い声で、彼女が耳打った。

その言葉に考える間もなく、意思より産んだ言葉を送り返した。


「護るためです、命に代えてまでも護れると想った貴女を!」


彼女の霊に語り掛けるかような、荒々しくも清澄な声の調べで。


「その言葉、伝わった……君の私に対する、反逆が!」


余裕が雀の涙ほどもない声であった。

それでも普段の彼女の声が、しっかりと心の隅々に伝わった。


「だから私は護るべき君に、助けを乞うよ……。

私を……守って」


身体全てに彼女の言葉が轟いた。

まるで金属楽器のように、心の核を貫く言葉であった。


その言葉をかけられた途端、おのが身の指針は一点に定まった。


「柄、借りますよ」


柄の空いた部分を、両手で掴んだ。

盤石を支え体が潰されそうな彼女に、救いの手を差し伸べた。

一度触れてしまったら、決して離すことができ手を。


その手を掴んだ時。


「つ……」


先ほどとは比べ物にならないほどの、異様な重力が体全身にのしかかった。

人間がモロに背負ったら、思考を巡らせる暇すらない。


「私も君も……ここで手を合わせて、この小さな地獄を切り抜けようよ……!!」


彼女の言葉に奮起され、両手に全ての力を賭けた。

ここで全てを捨てるかの如く、己の人生の全てを奉る。


“だけど……ここで斃れる気は毛頭ない、彼女とのの新しく結んだ、”チギリ“を破らせない!”


顔が一瞬にして加熱される。

体は人が持つべき体裁を、過去の出来事かのように忘れた。

歯茎に鉄の感触が走る、鼻の奥に金属が香る、瞳孔は真っ赤に染まった。

体は陶器のように崩れていく、痛覚など示すものは一切ない。


「いっけええぇぁぁぁぁぁ……!!」


「うっあああああぁぁぁぁ!!」


彼女と共に、ソレの破壊に全てを注ぎ込む。

地殻をぶち割るかのような勢いで、無機質な地面を踏み潰す。

彗星のような白煌めきの何かを、本領スベテを持って叩き壊す。


Das weiße Glitzern eines Lichts


白に煌めくものは、役目を終わらせたかのように、その場から粒となって消え去った。


終わりを告げた途端、体から血吹きが飛ぶ。

命が自身の意思により、握りつぶすように破壊されていく。

いや……これは破壊というよりも、命を引き延ばしている。

パン生地が如く横や縦伸ばしに、無理やりに引き伸ばされる。

”限界“という手により、両方に引き伸ばされる。


「あ……はぁはぁ……」


体が前のめりに倒れ始める。

体からは感覚という概念が消滅しており、このまま倒れようとも痛みなど感じない。

だがソレを許さないものが、一人いたのだった。


「ダメ」


ありきたりなセリフが、体を突き刺した。

突き刺さった時、体がその声の主に持ち上げられた。


「約束はまだ終わってないよ、君が潰れたら私を守る人は誰もいない……だから、私は君を助ける。

君が助け続けてくれる限り、私も君を助け続ける、君が嫌だなんて言っても私は君の話を聞かない。

だって……”助ける“っていう、結んだ約束が切れてないんだから…………」



第49話 終

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