第34話 動く現状
少し錆びついたドアノブを、回して普通にドアを開けた。
木の扉は身で感じるほどの重さなど無く、豆腐を切るように簡単に開いたのである。
そしてガチャっという効果音が鳴ることは無く、ただの無音を纏ったままだった。
古びた木材が奏でる、城門が開くような重々しい音も同時に、耳に響いてくることなどなかった。
木の扉を開けた先には何も変哲もない、木の廊下が横に直線上に広がっていた。
彼女が先ほど、出発の瞬間の決め台詞のようなものを、口から言い放ったところで外の先には、晴天が広がる青空があるわけでもない。
ソレが眼前にあったところで別に意味などなく、ただ不思議に思いながら歩くだけである。
正直こんなことを言っているが、本当に見たら驚愕に包まれると思う。
と、なんともつまらない思考を巡らせ、クライマックスにツッコミを入れて終わらせた。
そうして霞を晴らすように、一つの考えを跡形もなく消していく。
俺は準備するように頭を一度横に数度振り、部屋とはまた違う素材が使われた廊下へと、ゆっくりその足を一歩踏み出した。
当たり前のことだが廊下に出たところで、特段としたことが起こるわけでもない。
天才学者や有名人などと、すれ違うことなども一切あるわけない。
……ただそこには、その代わりにもならないものが、一つそこにあった。
ソレは周囲の音も全て殺し尽くした、普遍的な冷たくもなく、温かくもない空気があった。
その空気は木の廊下へと踏み出した俺を、まるで迎えるかのように纏わりついてきた。
纏わりついてきた空気には当然、感じるものなど何もない。
「ね、早く行こうよ」
彼女が少し力強く、俺の手を引っ張ってくる。
痛いか痛くないかの感覚が、手の全体に波及するように伝わった。
その感覚は波及した後から、ずっと残り続けていたのである。
一方、その引かれてる当事者である俺は、力任せの彼女について行く瞬間であった。
「はい……」
彼女の耳に聞こえていたかもわかない声が、自身の意思と連動して喉から漏れ出した。
細々しく尚且つ途中で途切れても、おかしくない声であった。
だが彼女は俺の考えを見透かしたかのように、俺の手を引きながら木の廊下を突き進んでいった。
その後ろ姿はまるで無邪気な子供のようで、触れることすら贅沢なことだと感じてしまった。
床を踏む音が心地よい間隔を取りながら、それと一緒に心地よい音色を耳に響かせてくる。
コツなどという音は一切鳴らず、まだ新しさを感じさせるコンコンという木材の音が、この場に響く音色の中で先駆をなしていたのである。
それの裏にはやはり、ギシギシなどの音が不協和音を無理やり作るように、耳の内部に割り込んでくる。
何にも邪魔されることなく、目的地へと彼女と共に向かう。
ズカズカとまるで嵐のように、お構いなしに廊下を通過していく。
白い石の壁で隔てられた外からも何も聞こえない、ただ中の音だけが不変に鳴り響くだけ。
コレがずっと続くなんていう考えを、頭の隅に浮かばせながら歩き続ける。
嵐の前の静けさなんかという話でも無く、ただ意味のない空白のような無音。
この無音も変わらないものだと、同じように考え続けていた。
別に考えたところで意味などなく、ただの目的地に着くまでのヒマつぶしに他ならない。
とは言えこのヒマつぶしが、いつまで続くかなどはまだこの時は考えもしなかったのである。
「あ、ちょっと待って」
途端に彼女の動きが止まる、まるで何かに掴まれたかのように一瞬でだ。
当然のことなのだろうが俺の足の動きも、彼女に合わせて瞬時に停止を迎えたのである。
それでも彼女の一瞬の停止には遠く及ばない、超鈍足の反応速度による反射的な停止なのだが。
把握済みだろうが木の床を踏む音は、奏者の判断によってこの世界から消え失せた。
酷いくらいに一瞬で音色が終わり、美しいほどに最後の最後まで音色を奏でていた。
「ねぇ七星クン、君ってさっき起きたばっかだよね?」
「まぁはいカエデさんが見ていた通り、さっき起きたばっかりですけど……」
「それなら良かった、なら皆のとこに行く前に、歯磨きとかした方がいいよ!!」
彼女に指示のようなものを言われる。
確かに言っていることは非常に正しい、そう結論づけ彼女の言葉に素直に従うことにした。
そうして彼女に返事を返そうとすると、いつものように数歩先を彼女は読んでいたみたいだ。
「じゃあ、こっち来てよ!! 洗面所に連れてってあげる!」
「あ、はい!」
咄嗟に彼女に催促されるように、短く返答の言葉を返した。
その上、判断力が非常に鈍い咄嗟な割に、なかなかの大きな声を喉の奥から出した。
この一つの
そうして彼女にほぼ無理やりのような状態で、右手を引っ張られる。
それは腕の細さに似合わないほどの、ありえないほどの万力だったのである。
その力に俺は一切とも言っていいほど、着いていけるわけがなく、まるでクレーンに吊り上げられる鉄骨のようになっていた。
相変わらず、無邪気な子供みたいだった。
「ちゃんと、着いてきてね♪」
走り出す直前、彼女の美声が耳に響いた。
と、数秒たりとも使われずに、彼女は木を敷き詰められた床を走り始める。
まるで自身を風だと言わんばかりに、俺の想像の先を越す速度で走る。
俺の足がついていけないほどの速度で、縦横無尽に駆け抜ける。
「ちょ、速い、速いですって! もう少し、あぶっぶ、ちょ!!」
「ちゃんと着いてきてね〜……こけたら……怪我しちゃうからね」
先ほどよりも低いトーンの、彼女の声が俺の耳に触れる。
彼女は風の中に混じる声で俺に忠告をする、風の中に聞こえる声はノイズのようにブレるような、聞き取るのが非常に難しいものだった。
走る速度は止まることを知らず、ただ一直線に廊下を走り抜けていくだけだった。
そうして何分間経っただろうか。
俺は目的地に着いた途端、その場に倒れ伏したのである。
ぐったりと、仰向けと言っていい状態に、完全に完璧に変貌していたのである。
足はオーバーヒート状態になり、動くことを忘れたかのように、全く動かなくなったのである。
力を入れようとも微動だにせず、ただ足に力が入ったという感覚のみが走り巡る。
息も荒くなり、息を吐き出し必要な酸素を秒単位で、大気から無理やり吸い上げる。
この時、彼女と初めて会ったあの日のことを、断片的に思い出していた。
「大丈夫?」
自身の手に温かく優しく、そして柔らかい感触が伝わってきた。
それは先ほどの疲れすら、全て跡形もなく吹き飛ばしてきそうなものであった。
その手は引っ張ってくるなどせず、ただ俺の手を握りしめてくれるだけであった。
いつか消えてしまいそうなほどに繊細な、感覚をずっと感じ取っていた。
「だ、大丈夫ですよ……ありがとうございます、カエデさん」
言葉を一瞬つまらせるが、振り払うようにその詰まりを打ち消した。
体全身に力を入れ足を使い、その場に直立になるように立ち上がった。
だがなぜだろうか……その立つ時にも、余分な力を使ってしまった。
そして立った瞬間に、目に映ったものは普通すぎる洗面所だった。
少し期待してしまった自分が、少し憎たらしくなるほどに、変哲のない洗面所であった。
少し変哲があるというのならば、ビジネスホテルのように歯ブラシやら歯磨き粉やら、クシと髭剃りなどもあった。
それは全て律儀に、半透明の袋に入れられていた。
「じゃあ俺は準備するので、そこで待っていていいですよ」
「わかった〜よ〜」
彼女の力の抜けた声を聞き流しながら、洗面所の蛇口を数度回す。
キュッというハンドルのグリス切れの音が、耳を打ってくるが意識を割くことはない。
蛇口をひねると当然のように、水が滝のように流れてくる。
激しい勢いでもなく、普通の勢いで流れ落ちる。
「これぐらいかな?」
ちょうどいい勢いに調整する。
そして手前にあった、全く使われていない歯ブラシの入ったビニールを、ビリビリと躊躇なく破り裂く。
破った袋から出した歯ブラシの、ブラシの部分に水をかける。
「そして、歯磨き粉を付けてっと……」
独り言を言いながら、水をつけたブラシの部分に、真っ白な歯磨き粉を上面に全体的に付ける。
そしていつものように、歯に歯磨き粉を満遍なく付けた部分で磨き始める。
何もなく特別なことはせず、何も気にせずただ歯をブラシで擦り続ける。
擦る音が演奏のように止まることなく、ずっと耳に鳴り響き続ける。
「ふふふぅ〜〜〜やっぱり、可愛いなぁ“昔を思い出すよ”…………」
彼女が俺の背後で独白のように、俺の聞こえない声量で言い続けているが俺は耳を傾けない。
つまり、何も反応することはない……いや、できないと言ったところが現実か。
そもそも、別に気にすることでもないか。
そうやって……自虐のような、そんなモノを思ってみたり。
その間も空間に流れるBGMのように、歯を磨く音が流れ続けていた。
流れ続ける音は止まらず、ただ音奏を蛇口から捻った時の水のように流れ続けていた。
いい音でも騒音でも何でもない、ただの一つの流れる音に全く変わりなかった。
その音を流す奏者はそう思いながら、何も“変哲”させようとすることはんかった。
「みょうしょろしょろいいかな?」
※翻訳・もうそろそろいいかな?
歯磨きをしたことにより埋め尽くすほどに、泡立った歯磨き粉を含みながら喋る。
当然マトモに喋る音ができるはずもなく、何を言っているのかわからないほどの台詞になった。
正直、喋るか何も言わずに次の工程に行くか、どちらかにしてほしい。
「んんむう」
洗面台の蛇口を軽々しく捻る。
最初と同じようにキュッと言う音が、洗面台の周辺に細々しく響く。
滝のような水が、普通の勢いで流れ落ちる。
だが一つだけ違ったのは、流れている時にゴオオっと呻くような音が鳴っていた。
それでも俺はポーカーフェイスで、反応の花弁すら全く覗かせなかった。
そして両手を使いまるでコップのような、もしくは少し大きな盃のような形にする。
その形にした手に蛇口から無限のように、湧き出る水を限界まで注いだ。
限界まで注いだ水はその底面である、指の隙間から少しずつ漏れ始めた。
いち早く漏れている水を口の中に、少しも残らず全て流し込んだ。
口の中をモゴモゴと動かし、水と口の中を埋め尽くす泡を混ぜ合わせる。
モゴモゴと動かしている時に、混ぜ合っている音が口の動きに連動して聞こえてくる。
それを数十秒続けた後に、勢いよく口から混ぜ合ったモノを出した。
「さてさて、次はっと」
歯磨きの因縁など引きづらずに、次の工程へと移行した。
まあそもそもいつもやっていることで、何か特別な工程を踏む必要などない。
もう一度、手でコップのようなモノを作り、その中に水を限界まで注ぐ。
当然のことではあるがこの水を、口の中に入れるようなことは決してない。
俺は水を入れた両手を水を落とさぬように、顔の近くまで持っていく。
そしてその両手に入った水を、勢いよく顔全体にかけたのである。
それと共に顔全体に伝わる、なんともいえないが非常に気持ち良い爽快感。
顔全体がすっきりとした感覚が、顔全体を埋め尽くしたのである。
最後に心地よいほどに冷やされた、冷水がその爽快感を加速させていたのである。
「気持ちーなー!! 二日ぶりに顔を洗ったけど、感覚は忘れられない!!」
その爽快感のあまりか、不意に口から大きな声が漏れ出した。
その間にも水によって作られた、爽快感は未だに続くのである。
俺はその未だに続く爽快感に、どっぷりと勢いよく海中に落ちるかのように、浸っていたのである。
その爽快感に浸り、我を半分忘れかけていた頃に、誰かから叩かれることに気づいた。
それは、優しくて全く痛くもない。
それでも……それでも、しっかりと俺のことを呼んでいるというのは理解していた。
その感覚で我を取り戻し、その呼ぶ者に対して顔を向けたのである。
「すっかり元気になったね、七星クン?」
彼女が覗き込むかのように、至近距離で俺の顔に顔を近づけてくる。
これだけでも非常に可愛いのであるが、その後の行動で俺の心は完全に、彼女の掌握に全て掴まれることとなる。
彼女は顔を至近距離まで縮めていたが、それ以上に俺との距離を縮めてくる。
俺は後ずさろうとするも、後ろには洗面台があるので下がることもできない。
銭湯ならば絶体絶命のところまで、近寄られたその時……。
彼女の顔が俺の耳の横まで接近し、俺に対しこう言ったのである。
「それじゃ、行こっか」
単なる美少女の短い言葉なのだが、その中でもとびきりの美少女に言われているので、もっと加速させられるのである。
そしてその上に“恋人”ということも重ねがけられ、俺の意思は蒸発寸前になりかけていた。
体全身が焔のように熱くなり、耳も顔も真っ赤に染め上げられていく。
彼女は俺の顔を見て、勘づいてはいたものの一瞬の笑みを浮かべただけである。
「い、いきましょうか……」
俺の台詞が終わった時、彼女は俺の手をギュッと掴んだ。
そして少し力強く手を引いて、木の廊下を歩み始めたのである。
足は動くもののなぜか体全身の力が、全て抜けている気がする。
歩けているのに歩けていないような……足音もはっきりと聞こえない。
足で床を踏んでいるという感覚も、同時に感じ取れなくなっていった。
でも、それでも彼女の手に触れているという感覚は……しっかりと伝わってきた。
目の前にある木でできた廊下の骨組みも、そして窓の硝子も……真っ白な石でできた壁も、目の前に見える全てが霞んでいるように見えた。
体全身がゆらゆらと左右に動き、まるで季節風で煽られる旗になったような気分だった。
その揺られる旗のようになった俺は、彼女にただ着いていくしか他なかった。
それは……ブラックホールに身を取られる、一つの惑星のようであった。
「よし……着いたよ! それじゃあ、入ろっか!!」
感覚が飛んでいた隙に、彼女はある場所へと到着していた。
「ほら、時間だよ!」
彼女に肩を叩かれる。
ポンポンと優しく……そして、しっかりと伝わる感覚で。
俺はそれに気がつき数度、顔を左右に振り彼女の顔を目で確認した。
彼女の顔を確認しその後ろある少し巨大な、木の扉に俺の目は寄ったのである。
すると彼女はその木の扉に、真っ先に近づき……その扉を開放したのである。
俺はなにっが何だか理解できず、その場にボーッ突っ立ていた。
開放した瞬間、俺は彼女に手を引っ張られ、その部屋へと入室することになった。
「……少し遅かったが、まぁいいだろう」
聞き覚えのある声が聞こえた。
それは俺と一戦交えた魔術師、ジウスヴァルドであった。
そして俺は目を開き、部屋中を全てくまなく見渡した。
部屋には中心に、巨大な木製のテーブルがあった。
だがこの部屋にはこの木のテーブル以外なく、もし会議室ならば物足りないと感じた。
そしてこの空間には、昨日ずっと行動していた者達しかいなかった。
赤髪の少女、火の魔術師、黒髪の男性、異国の魔術師。
それぞれ見慣れた顔が、俺と彼女をその目で目視していた。
すると次の瞬間、黒髪の男性が声を上げたのである。
「それじゃ行こうか……」
そしてもう一段大きく、声を出したのである。
「────私の姉を倒しにね!!」
第34話 終
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