第32話 ひとときの安堵

衝撃を受けて、なんとか辛うじて出した言葉は、単なる一文字だけだった。

一文字といえど、その衝撃的な内容に対する、疑問を抱いたのには変わりはない。

疑問を抱いたのならば、次に聞くべきことが、出てくるのは当然である。


「それってどういうことなんで───」


部屋の内部を全て埋め尽くすほど、耳障りで大きな声を響き渡らせた。

その耳障りな大声を医師は、風よりも早く感知したのである。

感知した医師は今まで見た人々の中でも、トップクラスの反応速度で俺の声を抑えたのである。


「寝ている人がいるだろ、学校の保健室で大声を出しちゃいけないと、習わなかったのか?」


「…………っ!!」


その瞬間、全くと言っていいほど、突如として喉から声が出なくなった。

それはまるで声帯が全て、コンクリートで固められたとしか表現できなかった。

その不思議すぎる現象を、俺は全く理解できなかった。

それを理解しようとしたのか、舐めるように空間を見渡した。

それは部屋を駆け巡る、一匹のネズミを見つけるような仕草だった。


オドオドと周囲を見渡していると、医師から声をかけられたのである。

それは俺のこの不思議すぎる現象を、終わらしてくれる言葉としか聞こえなかった。


「ソレ、俺が解くまで声出せないからな、話が終わるまでそのままでいてもらうぞ、まぁ呼吸はできるからそこらへんは大丈夫だ、神崎七星」


「ンーー!!」


その時、俺は名前をフルネームで呼ばれ、咄嗟になぜ知っているのか聞こうとした。

だが変わらず口は塞がれ、思っているようには声が出ない。

そのためまるで拘束された人質のように、ただ言葉にならない声を口から漏らすだけであった。


「自分の名前を呼ばれて、驚愕してるようだな、安心しろ今から理由はきっちり話す、全て包み隠さずな」


その時、医師は部屋の隅にある木の机、そしてその前にある木の椅子に座った。

すると木の机に医師を待っていたかのように、机の中心に置かれていた、真っ白以外何もないA4コピー用紙に、同じくコピー用紙に横にあった羽ペンで何かを書き始めた。

カツカツなどの音もならさず、つらつらと文字を書き続けている。


書き始めた瞬間から、この部屋で誰も声を出すことがなく、まるで嵐の前のような静けさの少し奇怪な静寂が訪れた。


そしてなぜか外からは地下であるのに関わらず、あるはずのない青と白銀が混ざった、夜を照らす月明かりがカーテンの隙間から入ってきた。

その光景は……彼女と初めて話して恋をした、ラディアンス・シティで見た、あの夜空の月と全く同じであった。

俺はソレに対し、一旦の細やかな疑問を持ち、何かを書いている医師に、直接聞いてみる───なんていうことは、全くできない。


となると……医師に直接触れて説明を聞くしかない。

そう考えて医師の肩を叩き、コンタクトを取ろうと試みたのである。

そしてソレを実行しようとした瞬間、医師が声を出したのである。

相変わらずめんどくさそうで、無機質で冷水のような声を。


「なんだ? 地下であるはずのに、なぜ外にはあるはずのない月が出ているかっと、お前は俺に聞こうとしたな?」


俺はその言葉で図星を突かれ、一歩後方に下がってしまった。

その時にコツっという音がなり、ソレはまるで医師の言葉に“正解”という回答を与えているように鳴り、医師はそれを無視することはなくしっかりと気付いたのである。


「図星みたいだな」


「んん……」


そして呻き声のような、食い下がる三下のような声を漏らす。

そして俺は医師の心理術に驚き、力無く崩れ去るように床に腰を落とした。

積み木のように崩れ落ちた俺を、その曇りしかない極夜のような碧眼で俺を見下ろす。


その間も窓からは綺麗な月の明かりが、カーテンの間から少しの灯りを差し込んでくる。

そして月明かりがかろうじて、この医師の全体像を見せているのである。


すると医師は床を歩きカーテンで外の光景が、閉じられた窓へと足を進めた。

俺の視点も窓の方向へと、釘付けになったのである。

そして医師は躊躇なくそのカーテンを、バサっという音を鳴らし力一杯開いたのである。

開いた瞬間から月明かりは、医師を視認できるほど照らした。


次の時、こう言い始めたのである。


「ここは地下じゃない、紛れもなく地上だ」


「……ん?」


あり得ない話をされる。

言わなくてもわかると思うが、俺は先ほどまで地下世界にいた。

そして地下世界の城に入り、そして得体の知れない黒ローブの何かと話した。

そこまではいい、理屈に適っている。

だが、地下世界にいたのに、地下ではないというのは明らかにおかしい。


あの巨大な黒鉄の扉が開き、そこから屋敷の通路のような場所に入った。

その瞬間、視界が暗転し……そして先ほど、この場所で無防備すぎる状態で目覚めた。

その間にどうやって地上に出たんだ? 明らかに人間にはできない。

ならば誰が起こしたのか、そして何を利用したらこんな不思議で、幻想的な現象が起きるのか。


ソレならもう結論は出ている。

いや……経験しすぎて、逆に馴染んでしまいそうなほどに。

そして俺はその原因となるモノの、答えは口から出すことはできない。

だが、医師は俺の答えを言霊として出してくれた。


「まぁ混乱は流石に治ってるだろうから、答えを言おう率直に言えばお前は、魔術によって地下から地上に飛ばされた、簡単にいえばテレポートだ」


大当たりの答えが出て、体に入っていた力が一気に抜けていった。


「んん」


声が口から出すことができず、ただ二言かどうかもわからないモノを、返答として用いた。

そして正解ソレをより明確にするために、首を縦に振った、つまり頷いた。


「よし、なら次だ……なんで俺が、お前の名前を知っているかについてだ」


「んぅ……」


なぜだろう、ここで思うことではないのだが、声が出ないということが、ここまで不便だとは思わなかった。

少し不快というか、思うようにならないという拘束感があり、少し生意気に唇を尖らせた。

と、こんな唐突に現れた考えは、独断で判断し迷うことなくすぐに消し去った。


「さて……俺がなぜお前の名前を知ってるか言うぞ、まぁもう率直に結論を言えば……さっきお前の彼女が起きたから……だ」


河川で水が流れるかのように、非常に淡々と言われたが、俺には絶対に聞き逃してはいけない衝撃的な一言が俺の耳を横切った。

その一言というのは“彼女が起きたから”という、もしも本の中であれば、何気のない一つの無機質な文章で、終わらせるだろう。

だが俺ならその言葉を、何度も読み返してしまうほどには、魅せられたのである。


そして俺はその言葉に過剰に、まるで暴れる魔物のように出ない声を出そうと、声にならない声をあげたのである。


「んんーー!! んぅーーー!!」


俺はただ言葉にならない声を、意味なくあげ続ける、部屋中にも響くはずなどなく周りから見れば、ただわけの分からないことをしている人間にしか見えない。

だが医師は俺のこの声の出ない状況と原因を、理解しているのですぐに対応したのである。


「ま、俺の話は一通り終わったから……約束通り解いてやるが、絶対にうるさい声は出すなよ?」


「んーンーーー!!」


俺は何度も必死に頷き、医師の提言を確実に破らないと言うことを誓った。

すると医師は視線を少し下に向け、すぐに俺の方へとその冷たい目を向けた。

そして俺に向けて人差し指を差し、クイっと第二関節を下に向けた。


その時、喉で何かが通り抜けたかのような、もしくは何かが喉の下に流れたような、表現し難い感覚が俺を包んだ。


「あ、いう?」


解放され、咄嗟に五十音の、最初の一行を読み上げる。

その感覚は一瞬で終わり、すぐに何事もなかったかのように……声が出た。

俺はこの瞬間、行動には移せないほどの、巨大な喜びに浸った。

失くしたものが戻ってきたとかじゃなく、ただ単に嬉しかった。

ただの喜び、それには何も別の感情は介入することはできず、全く混じっていない。


「ほら戻ったろ?」


「え? あ、はい」


「いや……もう少しくらい感動は覚えろよ、こっちが何か虚しくなるだろ……まぁ、主犯の俺が言えることじゃないけどさ」


右下を覗きながら、まるでボソッと呟くように言う。

医者はその言葉の、ボケとツッコミを全て一人でやり抜いた。

確かにもう少しは喜んだほうがいい、だが……いかんせん状況が俺の理解能力の範疇に、収まっていないので思うように喜べないのである。

内心喜んでいるのは、紛れもない真実であり事実なのだがね。


すると医者は誘われるかのように、窓の方へと向かっていったのである。

その行手に阻むものはおらず、外から差す月明かりすらも歓迎しているようであった。

歩いているとユラユラと白衣の、ふくらはぎまで伸びたマントのような部分が揺れる。


そうして力無く落ちる布ように、フワフワと窓の縁へと歩いていった。

そして縁をその細々しい指が五本付いた指で、力を入れずに抑えたのである。


「おいちょとこれを見てみろよ、お前が地上にいるっていう決定的な証拠があるぞ」


医師は俺の顔を見て、半分喜びに満ちた顔で俺を読んだのである。

その喜びを表した仕草なのだろうか、こちらに急かすかのように手招きをしてきたのである。

その光景は最初見た時の、絶対零度の冷静さからは想像できないものがあった。


それに応えるかのように、俺は医師が超新星爆発スーパーノヴァの瞬間を観測する天文学者のように、魅了されるかのように見る外を見に行ったのである。

震える足を動かしながら、窓の方へとゆっくりとゆっくりと、着実に進ませていく。

その歩く速度は、滴り落ちる水のようとしか、表現できない代物だった。


数十秒間、足を止めずに歩き続け、やっとの思いで窓から一メートルの距離まで縮めた。

そうしてもう着くと確信した瞬間とき、瞳孔を開くような出来事が起きたのである。


「手を貸してやる」


その言葉の終わりと共に、医師から手を差し伸べられたのである。

白衣の下に隠れていた手は、予想通りに雲海のように白かった、何年も外部に触れさせていないという、印象を決定付けさせてくる。

何故だろう、その手に触れたら、その手が雪のように解けてしまいそうだ。


だが……俺はその言葉に甘え、少しの躊躇もありながらも触れたのである。

当然、手であることにに代わりはなく、雪のように解けることなどあるはずがないのである。

手は雲のように白くとも、しっかりとした温度を持っていたのである。


「そら、立てるか? 別に、怪我をしてるわけじゃ無いだろ」


突如、自身の手が引っ張られる。

力は強くはなく、かと言って弱いとも言えない。


「え、あ? はい」


その衝撃的な出来事に、意識がうなだれ混乱に陥れられた。

だが、引っ張られた途端に混乱していた意識は、海淵から引き上げられるかのように、すぐに覚めたのである。

覚めた瞬間に見たのは、医師の冷酷混じりの顔だったのである。


「はぁ、何でこんな……ま、そんなことよりも、外を見てみろ」


「はぁ……」


言われるがままに、夜の黒い空が広がる世界を見た。

すると外には見慣れすぎたものが、視界全てに広がったのである。


「アレだろう? お前たちが人生を謳歌している、最先端科学の大都市ていえんって言うのは」


そこには白い光を主軸とした、巨大なビル群が建てられていたのである。

月明かりの光を余裕で越しており、まるでもう一つの月が地上に落ちているようであった。

その光は珍しいものではなく、別に魅了されるものなどなかった……だが。

だが科学の発展というのは、ここまでも世界に爪痕を残すと言うのを、もう一度再認識されたのである。


「お前たちからしたら、アレが普通なのか?」


「いや……まぁ、普通と言えば普通ですけど……正直、日常に浸透しすぎていたので、よくわかりません」


「そうか……変なこと聞いて、少し困惑させてしまったな」


そうやって得にもならないような事を、茶菓子をつまむかのように話した。

目線の先にある、白夜を再現したかのような巨大な都市を見て、時間を使い潰した。

その間は両者とも口を割ることはなく、窓の先にある世界を見続けた、これ以外に何かあるかといえば吐息を立てて寝ている彼女だけである。

あとは……夏にしては冷たい、この部屋の空気だけだろうか。


すると次の瞬間、医師はこのような事を、言い始めたのである。

その発言内容は常識的であり、普通すぎることだったのである。


「とりあえず、もう寝た方がいいんじゃないか? 明日は忙しいんだろ?」


現実的な事を言われ、ハッと幻想的な世界を見ていた意識は、瞬時に引き戻されたのである。

そうして現実に引き戻された時、俺も常識的になったのである。


「あ、はい……でも、部屋がわからないんですけど……」


「なら問題ない、こうすればいいだろう?」


「はい?」


その時、医師がその雲のような手を、俺の顔の前まで持ってきた。

その手はまるで催眠術をかけるかのように、俺を惑わしているかのようであった。

その手をじっと見ていると、医師はフィンガースナップ……つまり、指パッチンの手へと変形させた。


すると数十秒の時間をかけ、パチっと言う音を鳴らしたのである。

その音は水滴が落下するかのように、非常に心地よい音であった。

その音に意識が流されていると、経験していなければ衝撃的すぎることが起こったのである。

その事とは自身が医務室ではない場所に、飛ばされていたと言う事である。


「テレポート?」


だが経験していたものであるがゆえに、目の前の状況をすぐに飲み込むことができた。

本来の俺なら戸惑って、混乱しているところだった。


飛ばされた部屋の印象は、一言で表すのならば貧相であった。

まずその部屋には、壁にガラスの窓がつけられていて、次には木製の机と椅子、そしてその机の上に置かれた、蝋燭の入っていない埃がついたランタンであった。


「貧相だなぁ長い間、使っていなかったのかな?」


そうして冷静に部屋を見渡していると、ある音が聞こえてきたのである。

それは吐息だった。

そしてその吐息には聞き覚えがあり、同時に落ち着くものだったのである。

その吐息は、自身の真横から聞こえてきた。

その心地よい音に耳が癒されながら、横を見ると案の定の回答があった。


「カエデさん?」


そこには先ほどまで寝ていた彼女が、俺が飛ばされた部屋で寝ていたのである。

最低限の布が使われた木製のベッド、今にでも軋んで壊れそうと思わせるほどであった。

だが軋むような音は、一切として鳴ることはなかったのである。


「仕方ない、なんかこの部屋に白い布みたいなものがあれば……」


頭をかきながら、部屋の床を見渡した。

だが都合よく白い布なんてあるわけ無く、意味のない行為だと少しは理解していた。


「なら……こうしよう」


自身の前に腕を伸ばし、ある言葉を口ずさんだのである。

それは……可能性の具現化とも言える、言葉だった。

そして彼女から頂いた、幻想の具現化でもあった。


異界幻像アナザー・ファントム起動──」


その時、真っ白な布だけが、何もない虚空から音も出さず落ちてきたのである。

落ちてきた布は、少しの汚れもなく、寝具には適していた。

その布を丁寧に木の床に敷き、睡眠の準備を整えた。

そうして布の上に横になり、真っ黒な空間に対してこう言葉を発したのである。


「寝るか……」


そうして……目を瞑った。



第32話 終


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