第31話 白城の黒王
その黒色の布を被る、老人の声を出す虚空。
肌の色も、手足も、そして髪すらも……全く見えなかったのである。
そして見えないのであれば、包むものがあるのは必然。
その虚空の身を包んでいたものは、架空と同じように真っ黒なボロ布であり、乱雑に破かれていた。
だがその後に、一つだけ見えたものがあったのである。
それは虚空の傍にある、一本の剣だった。
剣は黒曜石なんか、比にならないほど黒く、そしてその剣が纏うモノは、この世ならざる異物だったのである。
異常に形などない、まっさらな透明だ。
それでもそれは普通ではないと、身が疼いていたのだ。
体の疼きを無理やり抑え、その決意として固唾を飲んだ、決意をしても水を流すように、一瞬で無くなるモノではない。
……やはり、これは異常としか言えない。
なんだろう別の視点から見れば、世界にある
結論を言おう、不明だ、この人物は何もかもわからない。
「おう、そろそろ何か言ったほうがいいんじゃないか、普通なら“ここはどこなんだ!”とか聞くであろう?」
虚空はまるで肌にまとわりつく空気のように、背筋をゾワっとさせる声で話す。
体全身が一瞬にして冷たくなり、一秒足らずで鳥肌になった。
「すー、ふぅぅ」
それを和らげるつもりで、肺を膨らませ呼吸をする。
それでもこの冷気のような異様な空気が、舞台から降りることはない。
つまりこちらが離れなければ、この異様がなくなることはない。
その事実を理解すると、全身から汗がジワリと漏れ出てきた。
唇から血が出てくると思わせるほど、非常に強く噛み締めた。
すると痛覚が先に反応し、唇が当然と言うかのように、ジリジリという滲むような痛みが走る。
それでも、骨が軋む、吐き気がし猛烈な悪寒が走る。
灰色の大理石の地面に膝をつけて、体を震わせながら過呼吸になり、汗を地面に滝のように流すという、リアルすぎる想像が再生される。
それは現実に起きてほしくないという、細やかな願いの具現でもあった。
「おい、そこの貴様」
虚空が二度目の声を出した。
誰かを呼んでいるようだが、俺には見当もつかない。
俺はてっきり、関係ないと考えた。
だが
「おい、そこの貴様だ……黒髪の帝国の民」
ソレを言われた途端、まるで重力に押し潰されるような正体不明の重みが、全身にくまなく襲いかかった。
息ができなくなる、
経験したことのない重圧感、それだけで俺は膝から崩れ落ちそうになる。
「なん、ダ?」
老人の声を出す、真っ黒なローブを羽織る、虚空に声を放つ。
なぜか自身が放った声に、一瞬でも気づくほどの、電子音が息をしたかのようなブチっという、耳に響くノイズが走った。
それも瞬く間に、一瞬の時を持って消失した。
だが本命の異様なほどの重圧感は、全くなくなることはなかった。
「まあこのような場所に居れば、そうなることは普通だ。慣れるのは、かなりの困難を極めるがな、だが魔術師でなければ目が合った瞬間に意識が消えていたぞ……」
賞賛と自身の立場を自覚させられる、表裏一体とも取れる言葉を、自身の胸の内に深々と刻み込まれた。
「でだ、お前に一つ問いたいことがある。本物の
その一つの言葉だけだった、ものすごく短い台詞なのにその言葉は、俺の口を強引に動かすには十分すぎるほどだった。
そして俺は強引に動かされた口で、虚空に対し言ったのである。
「あるに……決まってる」
ソレが衝動的に出た言葉ではない、自身の中にある本心から出したのである。
周りはソレをいう俺を、引き止めようとはしなかった。
赤毛の少女も、背の高い青年も、異国の魔術師も、黒髪の男性も……誰も俺に対し、口止めなど行動に移さなかったのである。
すると虚空の奥が一瞬、変哲を起こし揺らめいたのであった。
ソレは笑ったかのようにも見えるし、本当は布が揺れただけかもしれない。
だが布の中の何かは、確実に反応を示したのは、嘘では無いのは本当だと確信した。
「ならばもう一度歓迎しよう、ようこそ帝国の魔術師よ」
虚空は少しククッと微笑み声を混じりに、俺に返答を返したのである。
笑い声だとしても、嘲笑うというモノではないのは、直感で確信できた。
それを言われている間も険しい目で、虚空の中を覗き続ける。
言葉が終わりを迎えると息継ぎせず、次の言葉を発したのである。
「なら案内してやれ、アスーガルド」
誰かの名前を口ずさんだ。
すると虚空を外界から遮断している、黒色の布が動く。
その動き方は、人間が腕を動かす動作そのものであった。
そして虚空の中の何かは、その布の下に隠されていた、真っ黒な影のようなシルエットだけの手を出した。
そして人差し指で、ある人物に指示をしたのである。
「えーー? 私がぁ〜?」
すると先行して、黒髪の男性が声を出したのである、先ほどと変わらず危機感を持たないフワフワとした声だった。
すると虚空はこのようなことを、正反対の冷たい冷気のような声で言ったのである。
「お前は宮廷魔術師だろう、案内するのもお前の業務だ、できないのであればこの城の警備に────」
その冷たい声が言葉を綴っていると、横から割り込むように声を張り上げたのである。
それはやっと危機感を持ち、焦燥感をこれでもかと溢れさせている声だった。
「はいはーーい! 私やりまーす!」
空間に動物の鳴き声のように、大きな声が響いた。
その上、空間自体が巨大で反響するように作られているので、最初の声の上に重ねるように反響した声が一段と過剰に響く。
反響が空気に押しつぶされたかのように、響かなくなると虚空はこう言った。
「ならば全うしろ、今の言葉に撤回はという選択肢はないぞ」
「はーい、じゃあ行くよついてきて」
すると黒髪の男性は、虚空に背を向け後方にある、まるで崖のように巨大な装飾が施された真っ黒な金属の扉があった。
ドアはこの空間に浸透しており、鉛のように分厚い灰色の雲が浮かぶ、月明かりがない夜のようだった。
「ほいほいっと……開くかなぁ?」
簡単すぎる言葉を放つと、微々たるモノだが空間が揺れた。
グラグラと地鳴りのような……もしくは、空間自体が揺れているのかもしれない。
一瞬、足元がグラつき倒れそうになるが、なんとか重心を、地面に槍を突き立てるようにして立て直す。
今までに聞いたことのない、重々しい音を響かせながら、黒色の金属の扉が開いていく。
数十秒間その音は響き続け、同時に扉は止まることなく開けられ続ける。
そして、その扉が完全に解放された瞬間……目の前には何もない空間があった。
「え? これは……?」
咄嗟に目の前の空間に対する、疑問の声を漏らす。
だがその疑問はコンマ一秒後にある現象によって、それは灰のように消滅するのであった。
「いや、その疑問は持つ必要はない、思考の無駄を経験したくなければな」
そう言われ行動として表には出さなかったものの、少しだけふてくされた気分になる。
されど反論の余地も作る時間は、たっぷりとまではいかないが、確実に存在していた。
だが……これは、本当に正しいことだったと気付かされた。
その瞬間、目の前に広がっていたブラックホールの内部のような空間が、水をかけられた炎のように消滅した。
黒い空間は、一瞬の白い光を放った。
そして白い逆光も消え去ると目の前には、木材を基盤に作られた通路が現れた。
「これ……まさか魔術?」
「そのまさかだよ、まぁ空間自体を支配するタイプの魔術は、並みの魔術師だと魔力量とか制御とかの関係で、失敗することがほとんどだけどね……まぁ、行使しているのがあの爺さんだからね」
アスーガルドがこの目の前で起きた、現象の正体を淡々と語った。
空間を改変する魔術らしい、まだ魔術に疎い俺にはよく分からないモノだったが、並々ならぬものだというのは深浅関係なく伝わった。
目の前の不思議すぎるものを見て、体がまさに石のように硬直した。
それは自身の意思で解けるようなものではなく、誰かが何かリアクションを起こさなければ、治らないものであった。
だが求めていたものは案外早く起き、すぐに俺を動かしたのである。
「さて時間を無駄に賭けるわけにはいかない、早く行くぞ」
すると魔術師が誰よりも先に、先導して動き始めた。
俺はその動きを見て焦りというか、様子に少しの違和感を覚えたのだ。
何というかいつも纏っている、ほぼ自然的ともいっていい冷静さが微かに欠けていた。
そんなものはただの気のせいだと考え、特に気に留めるようなものではなかった。
俺はその全く意味のない考えを、すぐに記憶のどこかへと捨てたのである。
そしていつものように、誰かの指示に従うがままに、再度自身が作った鎖に繋がれた、意思を持って動き始めたのである。
「じゃあ私はお先に、君たちも早く来たほうがいい」
「じゃあ、私も〜〜」
「では、俺も」
赤髪の少女につられ俺を除いた三人が、木造の奥の通路に足を向けたのである。
地面をコツコツと不協和音を響かせながら歩くのは、相変わらず個性が出ていると無性に感じた。
「じゃあ俺も──」
そうやって続けるように、足を進めようとすると、唐突に体が固まったのである。
先ほどの石のような感覚とは、比べ物にならないほどの固さ。
体の水分が全て汗に変換されたかのように、全身から汗が際限なく溢れ出してくる。
そうやって行手を何かに拒まれると、唐突に知っている声が耳元に、冷たい手で触れるかのように響いたのである。
「最後に一つ、貴様は反逆が───」
その言葉は俺の目的に対する、支えだったのかもしれない
この言葉に明らかな信用という価値はないものの、何か心に響くものは確実にあった。
それがいくら無意味だとしても、この言葉は忘却に捨てることは決してできない。
「さあ、行け」
その瞬間、体が何かの重りに解放され、他人に背中を押されたかのように、目の前にある通路へと押し出されたのである。
「え? あれ?」
だが……目の前には通路など、全く存在していなかったのである。
目の前にあるのは真っ白で、殺風景で無機質な空間が俺の視界を埋め尽くしていた。
それをまじまじで見ると、自身の後頭部に柔らかいものがあることに気がついた。
咄嗟にその柔らかいものの正体を掴むために、その柔らかいものを力強く掴んだ。
それはまるで大切な人の腕を掴むほどの、強さだったと頭の片隅で考えた。
そしてそれを考え終わると、その柔らかいものを自身の眼前へと持ち出したのである。
だがそれの正体は、意外と呆気ないものであったのである。
「ま、くら?」
そう、それは寝る時に必須なアイテムである、真っ白な枕だったのである。
汚れひとつもなく、まるで新品かと言わせるほどに、真っ白な枕。
それはコピー用紙と差し違えるほど、無機質な色を色をしていたのである。
「ん? ああ、なんだ……案外早く目が覚めるもんなんだな」
その時、俺の耳に聞いたことのない、新たな声が響いたのである。
平凡な声ではなく、少しイラつきを混ぜ、そしてそれに怠惰をトッピングしたような……。
俺は瞬時に目の前にある枕を下ろし、その人物の顔を拝もうとしたのである。
興味があるわけでもなく、ただ必要性のない行為だということは理解している。
だが半分無意識下で意思はあるが、それは完全に自身が決めたものではなかった。
「あの、あなたは……?」
そこには群青色の髪をし、生気があるかどうかすらわからない青が多く混じった水色の目。
だがそれには、全体的に微量の薄い黒色が、混ぜられていたのであった。
そして最後には有り余るほどの、冷たすぎるまるで捨てられた空き缶を見るような目つきだった。
「ん? 俺か? 俺は医者だよ、まぁ魔術王国の派遣だがな、残念だがここから元にいるやつではないぞ?」
俺はそんなことどうでも良かった、それよりも重要で聞くことが一つあった。
それは……。
「あの、すみません白髪の女の子は……いませんでしたか?」
そう、それは俺の恋人であり叛逆を誓った、有宮カエデの行方であった。
すると医師は躊躇することなく、時間を要さずに言葉を俺にかけてきたのである。
それは非常に冷静であり、どことなく無関心を感じたのであった。
「一応、そこのベッドに寝ているぞ、治癒魔術と再生魔術を掛けておいた、まぁ明日の朝になったら、走り回れるくらいには回復する」
「はぁ、ありがとうございます」
感謝の言葉を述べ、ペコリとお辞儀をした。
すると医師は、呆れたかのような声で、こう言ったのである。
それは少し、冷たすぎるくらい冷静だった。
「当然のことをしただけだ、それよりもひとつアイツらから言葉をもらってる」
「言葉……?」
「ああ、何やら───明日、郊外を……いや、確か国をブチ壊せるくらいの化け物を、殺しに行くそうだぞ」
医師からはあまりにも非現実的な、聞くことのない言葉が飛び出してきた。
国を一つ壊せるくらいの化け物を、殺しに行く。
その言葉が頭の中でループされ続け、汗がジワっと頬に垂れてきた。
今までに経験することがあったのかわからないほどの、汗が頭から一瞬で漏れ出してきた。
それは止まることなく、垂れ続ける。
脈拍も激しくなり、目の前の景色がクラクラするかのように、空間が歪み揺れ続ける。
そして、情報過多を叩き込まれた時に出た言葉が、この一つの言葉だったのである。
「は?」
第31話 終
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