第20話 翌日の黎明
足枷を付けられたように重い瞼が少しずつ開く、開く間際に瞼の黒い弧を描く、シルエットが垣間見えた。
目が開くとまず最初に、文明の象徴とも言える蛍光灯が見えた、その次にガラス窓から太陽のギラギラとした、オレンジのような白のような光が俺を照らす。
すごく眩しかったが再度、瞼を閉じるようなことはしなかった。
すると自身の腕に何かの、感覚があることが理解できた。
重くもなく、軽くもない。
でもそこには何かがいる、その状況を直感で察した俺は本能的にその何かを見た。
そこには相も変わらない、状況がくっきりと俺の目に入ってきた。
言うまでもなく、俺の恋人。
有宮 カエデだった。
彼女は「すぴー」という、俺の理性を破壊するような……いやほとんどの人が、目を丸めウトウトするような、すごく可愛い寝息を出していた。
俺は寝ている彼女の頭を、感覚というか日課のような感じに優しく撫でた。
「寝てるのか、というかここどこだよ、血を流して意識が朦朧としたのは覚えてるけど」
自然に任せたかのように、俺は口を普段の声調で開いた。
そして自身の置かれていた状況を、反動的に察したのである。
それと同時に痛くもない、自身の後頭部を少し撫でた。
「ここ病院か? 壁も白っぽいし、この薄水色みたいな服」
そして非常に遅い反応速度で、自身が寝ている場所がどこかやっと理解できた。
首を少し動かして、視線を落とした。
そこには俺の上半身と下半身を完全に覆う、真っ白でもう少し薄めたら半透明になりそうな、汚れも皺ひとつない布が見えた。
それは明らかに布団だった。
なぜか俺は布団で眠っていたという事実に、安堵の感情が心から溢れ出た。
その証拠かそれが形になって出てきたのか、ため息を口から漏らした。
「さて、ちょっと日にちを見てみるか……」
大半が白という無着色で構成された、部屋を首を動かして見渡した。
数秒間をかけて見渡す、そして壁に取り取り付けられたカレンダーを見つけた。
そのカレンダーには、中心から見て左に7月と右端に英語でJulyという、文字が書かれているのが唯一理解できたことだった。
「7月のえーっと、昨日が20だったから今日は21日か」
曜日を考えて、正確な日時を間違いなく当てることができた。
外からは相変わらず、直視したら網膜が焼けると思わせるんじゃないかと、言わせるほどの朝の光が差していた。
「カエデさん……起きないなぁ、起こしたらちょっと迷惑になるだろうし、というか寝てるってことは俺の部屋にずっといたってことか?」
目覚めたばかりの、水揚げされた魚のような乾いた脳を全力で働かせる。
その全力の成果が、今この瞬間口から言霊として放たれたのである。
これ以上、思考という膨大な回路が動かせるわけでもない。
また俺は目覚めた時のような、寝ぼけた状態に秒単位で戻った。
「とりあえず、ここがどこかわからないと、俺はできるだけ動きたくないんだけど……病院なのは確定なんだよな」
独り言を長文にして口ずさんだ。
もちろん俺は彼女を起こさないくらい、言葉にならないくらいすごく小さな声で言った。
「誰か来るまで待つか、ここが本当に病院なら定期的に看護師さんの、一人や二人は来てくれるだろ」
そう気楽な機嫌に、固い扉をこじ開けるように、無理やり乗り換えた。
不安な気持ちはない、だが病院というなかなかこないところにいる上に、入院というものをしているので、なんとも言えない違和感がないわけではない。
だがそれ以外の大小様々な雑音だけは、相変わらず絶え間なく聞こえる。
「とりあえず、来るまでベッドの上で外でも見とくか」
また彼女の頭をゆっくり撫でる、髪の艶は触った瞬間に右手へと伝わっていった。
それと同時に、俺が使っているシャンプーの香りが鼻を突く。
だが自身の頭を洗うときに使用している、その匂いは彼女が使うとなると、なぜか特別なものに俺は感じた。
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それから数十分程度が経っただろか、未だ誰も来る気配が無い。
というか誰かが来る可能性すら、ゼロなのではないのか?
少し不安を掻き立たせる想像が、脳内を走り巡り続ける。
脳内を巡る不安を抑えようと試みた。
とは言えその行動は、異常なほど不安を掻き立たせる以外なかった。
「意味ない……か」
諦める、だがそれは抑えることだけ。
抑えるのが無理なのであれば、それを他の何かで上書きすればいい話。
俺はその想像をこれで塗り替えた。
”まあ、気楽に待てばいいだろう“と。
そうやって、またベッドに横になる。
睡魔はない、だがこうしておけば何か落ち着くものがあるのではないかと、単純な思いからである。
天井を見る、シミのない白くて綺麗な塗装を隙間なく施されていた。
まるで、何もない世界みたいだ。
俺は数十秒間、その光景に意識を最大限に集中させて向ける。
頭は空っぽになったかのように、何も考えることを俺は止めようとしていた。
いや……これは、反射的に止めようとしていたかのように思える。
明らかに人間離れした動きをしたせいで、疲れが出ているのだろうか。
まぁ、疲れが出ているだけで、思考を止めるのか……。
その時どこの方向かわからない所から、コンコンと硬いものを叩くような音が、俺がぶっ倒れていた部屋の中に響いた。
その音は非常に乾いたような音をしており、何も感情がこもっていないように聞こえた。
もちろん、ただの物質が音を発しただけなので、感情なんかこもるはずもない。
「すみません、神崎く……神崎さんですか?」
その声はどこか聞き覚えがある。
声から人物を確実に正確に当てようと考える、その声の人物は完全にあの人。
白月 マフユであった。
「あちょ」
変な声が喉から溢れる、正直その声を出した途端、俺は物凄く自分がダサいと感じたのだった。
今溢した声の後に“入っていいですよ”と、言おうとしたが人と話すのが苦手すぎて、意味不明な声を出すという結果で終了した。
「入っていいですよ」
そう言って俺は言葉を濁す。
先ほどの失態を、完全に無かったことにしようとしたのだろう。
そもそも
「失礼します」
声が壁かドア越しに、スムーズに耳に入ってくる。
ドアがガーっと無駄に、耳にうるさく響く音を室内に奏でる。
それが往復して、二度も響いた。
そしてコツコツとドアとは真反対の、全くうるさくない音が室内に発生する。
でもその音には寂しさを感じるものが、付きもののように俺は感じた。
「あの、神崎君? 急に来てごめんね?」
靴の音が響かなくなった途端、赤毛の髪を背中ぐらいまで伸びた凛とした女性が、俺のベッドの前に立つ。
琥珀の色をした目は、しっかりとこちらに向けられていた。
その顔はすごく整っていた、整っているとはいってもモデルとは違い、ただただ純粋に美しいとしか感じられない。
とは言ってもこんないい顔をしているのに、服装は白のシャツとちょっと暗い水色をしたスカートを履いている。
俺はこの時もう少し、いい服はなかったのかと思った。
服装も皺一つなく、まるでアイロン掛けたてほやほやの服と同じだった。
「ちょっと謝りたいことがあるんだ……聞いてもらっていいかな?」
水のように透き通った声を、口を歪ませて俺に放った。
それには、やっぱり悲しみ、というか後悔に近いものが俺には伝わってくる。
「ほんとうに、昨日のことはごめんさい」
唐突に彼女は頭を、俺に向けて下げる。
赤色の髪はヒラッと空中をフワフワと舞う、髪の先端は何もない空中をペンのようになぞる。
目は完全に瞑っている。
俺には理解することができなかった、その理解できないの第一号が、なぜ謝っているのか、ということであった。
「ど、どういうことですか? というか、なんで謝っているんですか?」
咄嗟に口から言葉が出てくる、その咄嗟というのは無意識から出ていたものだ。
無意識から出た言葉に彼女は反応しない、ただただ自身の頭を下げているだけである。
それを見て、俺はシーツを思いっきり握った。
少しだけ冷たい、ちょうどいい温度だ。
「あ、あの……できればなんで謝っているのか、聞かせてほしいんですけど」
もう一度、無意識からではなく、自分の意志で彼女に声をかける。
喉からはっきり声が出る、それは雑音に邪魔されず、しっかりと彼女の耳に響いたと俺は思った。
「え?」
俺の予想がしっかりと届いたようだった。
それを示すかのように、彼女が透き通るような声を漏らしたのである。
すると彼女は顔を上げる、目は開いており髪も少しだけフワッとした。
顔には疑問を表したような表情が、露わになっていたのである。
「え、いやなんで、謝ってるんですか? というか、マフユさんって何も……」
そう言うと、彼女は顔をハッとさせた。
焦っていたためか、重要なことを忘れていたようにも見えた。
そして、少し混乱しているというか、取り乱しているようにも見える。
物凄く単純に言うと、”あわあわ“していると表せる。
「えっと、じゃあ言い直すね取り乱してごめんね、まぁ単直に言うと“昨日、君とカエデを郊外に行かせてしまって、怪我をさせたことを……謝罪したいと思って」
魅了されそうなほど綺麗な声を放つ、だがその声は透き通るような声ではなかった。
なんだろう、唇を震わせているし、声も少し大人しくないというか……いつものような、雰囲気とはかけ離れているような気がした。
なんというか。
”何かに怯えているよう“に、俺は認識することができた。
「大丈夫ですか?」
流石に声も震えている上に、少しだけ挙動もおかしいので声をかけてみた。
その中には彼女を落ち着かせようという、感情がこもっていた。
「大丈夫だから、本当に気にしなくていいから」
手を俺に突き出して、自身に近づけないようにしている。
その時、同時に顔を俺から逸らした。
何かを隠しているように、俺は彼女を見て感じた。
「じゃあ、ちょっと理由を聞いてもいいですか? ゆっくりでもいいので、なんで謝っているのかを教えてくれませんか?」
「わかった」
そう言って彼女は、もう一度俺に顔を向ける。
やっぱり相変わらず、すごく綺麗だと感じてしまった。
彼女は深呼吸を始める、これは彼女なりの心を落ち着かせる方法なのだろう。
「君たちは多分……いや、確実に何か君たちを致命傷に負わせる者に出会ったよね?」
「……っ!?」
俺は目を丸くした。
また脳内にある、膨大な回路を自身の意思で動かした。
そこから彼女が提唱した答えを、意識を集中させてその中から探し出した。
「まあその様子だったら、多分わかっているよね? そう、白露 国幡に」
あの時の様子が脳裏をよぎる、あの出来事、カエデと戦ったあの青年。
俺とカエデがいいように遇らわれて、致命傷をおわされ一度死と生の狭間に追い込んだ者。
毛穴が開く、汗が出てきて手が滲む。
それは今話している通り、焦りからの汗である、決して暑さからきてないのは明らかである、もし暑さからきてるのなら、こんな不安と恐怖なんか全くもって皆無なはずだ。
「あの、その人ってまさか」
「うん、銀色の髪をした青年だよ、背中からよくわからない白いヤツで攻撃してくる人ね」
俺が今言おうとしたことを彼女が全て、心を読まれているかのように口で言われた。
それは見透かされているように、その声と同じくらい透かされている。
というか、なんでここまで詳しいんだ?
ここまで普通に話を聞いてきたけど、ここまで詳しいのはおかしくないか?
特徴も合致、攻撃方法も合致。
これは……彼女が、対策局の関係者と思わせるかのような雰囲気ではないか?
今目の前にいる人物を疑ってしまう想像が、脳裏をよぎる。
シーツを一段と強く握る、皺一つないほど綺麗な布が破れてしまうほどに。
「マフユさん……聞きたいことがあるんですけど、ダメですか?」
「いいけど、何か他に疑問があるの?」
「いや、本当に聞きますけど———マフユさんって、対策局の人じゃないんですか?」
本当に刃物を突きつけるような質問をした、物凄く失礼で触れてはいけないものに触れてしまったような、氷の刃のように冷たい感覚。
絶対零度が一瞬にして、部屋中に広がったような感覚。
一方、それを聞いた彼女は、全く口を開くような素振りを俺に示さない。
黙ったまま、その美しい顔を下に下げる。
俺はこの時、なんてことを質問してしまったのだろうと、非常に後悔した。
自身が放った愚問に、物凄いほどの後悔の気持ちが上乗せされる。
「……今の質問、誰から聞いたの? 流石に、これには答えてもらうよ神崎君」
絶対零度が広がった室内に、彼女が一手を投じる。
その声は水のように透き通った声ではなく、氷のように俺自体……いや、この部屋全てを凍らせるほど冷たい。
だがここで俺は取り乱すことはしない、今までの戦闘経験で鍛えた冷静さをこの場で発揮した。
それでも、完全に冷静になることはない。
その理由は、今この目の前いる人物の方が、圧倒的なほどの技量を持っていると思ったからだ。
「えっと……自分で勝手に想像した、言わばただの推測です」
「本当にそれだけ?」
冷たい氷のような美声が、俺の体を氷の刃で刺したような感覚に陥らせる。
冷静さは少しずつ欠けていく、冷たい感覚なのに熱風が吹く砂漠に立たされているくらいの、暑さが俺を支配する。
「本当にそれだけです、信じてもらえないかもしれませんが」
最後の今期を振り絞って、彼女に向けて声を放つ。
それでもこの絶対零度の空気が、少しも上昇することは決してない。
もう少しで指先から、完全に氷で体を包み込まれるような気がした。
「ふーん、それならいいか……そして、私が対策局の人かってことに対して、回答を出してあげる」
「一言で結論を言うなら、私は対策局の人でその中でも処理員、つまり国幡と同じ類の人だ」
さらっと、国家の機密情報レベルの情報を、口に出してその上、敵対している者たちに教えているのである。
「あのーそれって、言っていいことなんですか?」
「ん? もちろん、言ったらいけないに決まってる、というか処理員がこうやって敵対者と話す時点で結構危ないラインだよ」
「はぁぁ」
俺はここまで行っていいのかと、少し呆れてしまった。
俺は呆れると同時にハッとした、いつの間にか室内中を覆い尽くしていた絶対零度の空気が、完全に消滅していたのである。
「ま、私の話は終わったから、もう一つ君に聞きたいことがある」
「聞きたいこと?」
俺の真上に“?”のマークが、浮かんだように感じた。
何を言いたいのか俺は少しだけ、妙な期待を自身の中で作り出した。
「んーー、君、もう一度あの
第20話 終
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