一樹が死ぬ一週間前

一樹が死ぬ一ヶ月後から一日づつ巻き戻っていく。寝れば昨日になって、また寝れば一昨日になってまた寝ればし一昨日になって。

一樹が自殺して、一週間前になった。

放課後、学校の樹の机を漁っていた。一樹の物がまだ回収されていない今のなら、何か一樹の手がかりを見つけられるかもしれない。

「晶君?」

突然聞こえてきた男の声にビクついて振り返ると、担任がたっていた。黒縁眼鏡に黒髪。四十代ぐらいの担任の先生がたっていた。

「先生...どうも」

「晶が一樹君の席にいるなんて珍しいですね」

「...別に。何かしら持って帰れるものがあるなら持って帰りたいだけですよ」

「そうですか...君は、変わりませんね」

「...」

「嗚呼、攻めている訳ではありませんよ」

先生はあくまで穏やかな口調で言う。

「別に、責められているとは思っていませんよ」

「そうですか...ならいいのですが。いやね、私には君が、どうも一樹が居なくなって慣れている様に思うんですよ」

(慣れてる...)

「別に、慣れてませんよ」

「そうですか?」

「はい...あの、先生は、どうして一樹が自殺したと思いますか?どうしたら、救えたと思いますか?」

「...君にしては、随分直球な質問だね」

「すみません...不快でしたね」

「いえ、そんな事は。ですが、どうでしょうね。一樹君はお仕事の都合上休みがちな子でしたから...」

「そうですよね...」

「でも、何処か覚悟はしていましたよ」

「覚悟?」

「一樹君は、相談しませんから。笑って誤魔化していましたが、相当辛かったでしょうね」

「...ッ凄いですね。先生。あんまり来ない生徒でもちゃんとそういうの見てるの。俺はちゃんとあってたのに...」

先生は俺の頭にペンだこだらけの手を乗せて

「それでいいんですよ。君は子供で一樹君の兄弟なんですから。察し合わなければならない訳ではありません」

「でも、俺はそれをしなくちゃならなかった。やらなかったから一樹は死んだんですよ」

「察し合う。と言うのは、きっと違いますよ。晶君のご家庭もそうでしょ?私は分かっていても行動ができません。情けない限りです」

頭から手を下ろして先生は後ろに手を組む。

「...もし、俺が先生に助けて欲しいとったら、先生は助けてくれますか?」

「...いいえ。無理です。助けられません。助ける方法を一緒に考えることは出来ますが、それ以外は何も出来ないと言えるでしょう」

「...」

「教師は、教えることしかできませんからね」

先生は頭を俺に深々と下げて、

「晶君、家族のやるべき事は話し合いですよ」

広げたノートの中から、水色のノートを一番上にして、教室を出ていった。

「...」

教室で一人になって、水色のノートを開く。

ノートとは日記のような、愚痴ノートのようなもので、最初の方は初めてのライブが楽しかったとか、ファンの子達が可愛いとか。そんなことが書いてあった。でも、だんだん、靴が無くなったり、自分だけ飲み物が配られないとか、私物が無くなることが当たり前になって、少ししてから男のプロデューサーからやたらに体を触られる事が増えたらしい。肩を組んだとかから、腰に腕を回したり、足の付け根を触ったりする事が日常になり始めたことが怖いと。

「なんだよコレ...」

見てるだけで鳥肌が立つ内容が事細かに書いてある。

「なんだよ。お前、全然楽しそうじゃないじゃん」

自分から見た一樹がどんなんだったか、頭の中で思い出す。

春とは思えないくらい暑い日。一樹が死ぬ二週間前。

『晶〜!あづーい!』

『暑いならくっつくな。暑い』

ソファーに座ってたら一樹が後ろから抱きついてきた。

『いーだろ?男同士の兄弟なんだし〜』

『気持ち悪いわ。男同士だろうが、兄弟だろうが気持ち悪いわ。殴るぞ』

俺が睨みつけると、一樹はカップアイスを食べながら

『うん...だよな。普通にキモイよな!』

『あ?当たり前だろ』

『だよな...あはは!やっぱ俺晶と話してるの好きだわ!感覚戻る!』

『意味わかんね。あときしょい』

...

はぁ、言ってんじゃねぇか。俺は相変わらず無視してんな。笑う。

その時、また教室のドアが開く。

「うわ!晶!一樹くんの机で何してんの!」

「彩...なんでもいいだろ」

いつもと違うポニテ姿の彩を横目に俺はノートをバッグにしまった。

「なんでもよく無いでしょ。晶」

「どうでもいいよ。お前に関係ない。」

バッグを持って彩の横を通って教室を出る。

「ちょ、ちょっと!晶!待って!」

「引っ付いくんな気持ち悪い」

「何よ心配してんのに!」

「してくれなんて言ってない」

「はぁーー!顔だけツンツンツンツンクール野郎!」

「何言ってんだ?」

「もぉーちょっとは足遅めなさいよ!長コンパス!」

俺は止まって振り返る。彩は俺にぶつかって「いで!」と変な声をあげて一歩下がる。

「はぁ、なんの用だよ」

「なんの用じゃなくて心配してんの!わかんないの!」

「知らねぇよ...お節...はぁ。心配って何するつもりだったんだよ」

「え?そんなこと聞いてくる?どうした?熱でもあるの?晶」

「やっぱ無し」

「待って待って待って!やっぱなしは悲しい!」

「うるせぇ」

下駄箱について、靴を履き替える。

「ねぇー晶。この後、空いてる?」

「あ?」

「絶対もうちょい右だって!」

「うるせ。ド下手は黙ってろよ」

クレーンゲームのうさぎのぬいぐるみにアームを突き刺して落とす。

「あ〜!凄っ!3000円かけても取れなかったのに!1発で取ったー!」

彩はうるうるとした目で俺を見る。

「お前が下手なだけ」

「そんな事ないし!晶が上手すぎるだけでしょ!」

「はぁ、お前は何がしたいんだよ」

うさぎのぬいぐるみを取って彩を見る。

「何って?」

「こんな所に連れてきて。元気付けか?」

「うん!そんなとこ!まぁ、アンタに寄り添いたいなーって」

「・・・、お前と俺ってそんなに仲良かったか?」

「はぁ!ヒッドーイ!と、言いたいけど。晶からしたらそうでしょうね」

「...」

「私、晶の事好きなのよ」

「...え?」

「だから、好きなんだって」

「え?一樹の事が好きなんじゃねぇの?」

「それは!ファンとしてだよ。恋愛とは違う!晶にはわかんないでしょうけど!!」

「あ、えぇ?」

「好きな人が悲しそうにしてんの。元気付けの行動ぐらいさせなさいよ」

彩は頬を赤くしてはにかみながら俺の頬をつついて、上目遣いをする。

「あ、ありがとう?」

「お礼なんだ。断るのかと思った」

「いや、ウーン、実感がわかないって言うか、なんて言うか」

「あ、そんなに深く考えなくていいから。私が言いたかっただけ。健気でしょ?」

「う、うん」

彩のあっさりとした態度に物凄くむず痒いような、どう処理していいのか分からない感じがする。

「ねぇ、晶」

「な、何?」

「そのぬいぐるみ頂戴?」

「嗚呼。別にいいけど」

彩は俺からうさぎのぬいぐるみを渡すと、嬉しそうに抱きしめて、

「ありがとう!大切にする」

「...おう。ありがとう」

と、俺は彩の頭を撫でた。どうせ、俺に明日は来ない。今、彩から受けとった記憶は昨日の彩には無い。

「一樹にも、同じ事してたの?」

「いや、俺が一樹に撫でられてた」

「そっか。本当に仲良かったんだね」

彩はそう言ってぬいぐるみを強く抱き締めて自分の唇を小さく舐めた。

「昔は、こうされるのが当たり前だった。でも、最後は俺、振り払ってた」

ちっちゃい頃、あちっちこっち回る一樹について行くのが精一杯だった。

『一樹〜!待ってよ!置いてかないでよ!』

『晶。置いてってないよ』

『嘘だぁ!置いてったぁ!うぇーん!』

『置いてってないってば!もぅ。泣くなよ』

一樹は俺が泣くと頭を撫でて慰めてくれた。その後いつも手を繋いで歩いた。それがいつも嬉しかった。

「ねぇ、晶」

「ん?」

彩は制服の袖を摘んで、上目遣いで

「晶は、一樹君がどうして自殺したのか知ってるの?」

「...嗚呼。知ってる」

「知って、どう思った?」

(どうしていきなりそんなこと聞くんだ?)

「どうって、すごく腹が立った。なんでこんなヤツらに一樹を取られなくちゃならない。一樹は、一樹は

ただ頑張ってただけだ。ファンやチームの為に。なのに...」

どうしてここまで追い込まれなきゃならなかった。この言葉が喉の奥で止まった。追い込んだのは他でも、トドメを刺して背中を押したのは俺だ。

一樹の努力を俺や知ってたのに。

「そっか。晶、私が晶の事好きって言うまで気づいた?」

「全く」

「でしょうね。私が、言ったから気づいた」

「...?」

「こうやって、言わないと何も伝わらないのよ。気持ちって」

「それ、今の俺には遅いんじゃねぇの?」

「さぁ。でも、一樹くんの事で、なんかする気なんでしょ?」

「...よく分かったな」

「女の勘」

ゲームセンターを出て、冷房の空気から、暑いか分からない空気が体を這う。

(あと六日間のお前は俺が何かをしようとしている事を見抜くんだろうな)

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