第239話 怪盗オズモンド

 時はわずかに遡り――ハンギングツリー近郊、森の奥。


「潜入!? 俺が!? マジで言ってんのか、おっさん!」


 オズは声を荒らげた。

 老伯はオズの言い様に愉快そうに口元を緩ませ、それから言った。


「マジだ。オズよ、お前は潜入が得意だと言っておったではないか」

「それは平時の、ランガルダン要塞の話だろうが。戦時の、首吊り公がいるハンギングツリーとなれば話がまるで違う!」


 老伯配下の直情的なビンスが口悪く言った。


「うるさい奴だ。つべこべ言わず、さっさと行け」

「……で、捕まれと?」

「捕まっても、必ず老伯がお救いくださる」

「はああ? 素性も知らねぇクソジジイのことを誰が信じるよ?」

「ッ! 貴様ッ!」

「やめろ、ビンス」


 ビンスが剣を抜きかけて、それを紅一点の女騎士が止める。

 老伯は俯いているが笑っているようだ。

 女騎士がオズに向かい、諭すように言う。


「なあ、オズ。お前は役目を果たしたいと言っていたじゃないか。代金ぶんの仕事をさせてくれと。今がその時ではないのか?」


 女騎士の言葉は道理が通っていた。

 しかしオズは、その道理を心底不快に感じた。


「……お前もだよ」

「ん?」


 オズは目を見開き、食って掛かる。


「お前も信用ならねえんだよ!」

「!」

「どうせ俺の本名だけじゃなく、出自や暮らしぶりまで下調べしてあるんだろう? 俺のことは何もかも知ってるくせに、自分は名前すら明かさねえ! 見下してんだよ、俺の事を! 特にお前と老伯はな!」


 女騎士が首を振る。


「違う、それは違うぞ、オズ……」

「見下されるのは構わねえ。慣れてるからな! お前らが思ってる通り、俺はクソさ。ろくなもんじゃねえ。……だが見下しながら偉そうに説教するんじゃねえよ! 何様のつもりだ、反吐が出るぜ!」


 そこまで言って、オズは言い過ぎたかもしれない、と後悔した。

 それは女騎士が肩を落とし、明らかに傷ついているように見えたからだ。

 自分の主張を通すのに怒るのは有効な手段だが、やり過ぎればただ反感を買う。

 老伯や配下たちは、オズの主張よりも女騎士を貶めた事実のほうを重く見るはずだ。


 少し冷静になったオズが、老伯とその配下たちの顔色を窺う。

 老伯は笑ってこそいないが、怒りの色は見えない。

 順にそれとなく見ていくと、意外にもオズを睨む者はいなかった。

 それぞれが別のほうを向いて、何か思い悩んでいるような、そんな表情をしている。

 最後に怯えた顔のセーロと目が合った。

 彼もこの状況を不安に思っているようだ。


「――ラだ」

「あん? 何だって?」


 女騎士が何かボソッと言って、オズが聞き返した。

 女騎士が張り詰めた顔でもう一度言う。


「ココララ。それが私の名だ」


 まさか名を明かすとは考えもしなかったオズは目を丸くした。

 それからココララに言う。


「……ずいぶんかわいい名前だな?」

「言うな。それが名乗らぬ一番の理由だ」

「……わかったよ」



 ココララが名を明かしたことで、オズは潜入することを承諾した。

 別に名を明かすことと交換条件にした覚えはないが、彼女がリスクを負ったことでこちらも冒険してやってもいい気分になったのだ。


(それにしてもこいつら……名乗ってるの、たぶん本名なんだよな)

(敵国に潜入してんだから偽名使えばよかったのに)

(ココララだって、名を隠すより偽名を名乗るほうが簡単なはずなのに……)


「オズ。よいか?」


 オズが一人になって考えているところへ、老伯がやってきた。

 そのあとにもう一人、斥候役のジャズだ。

 ジャズが言う。


「潜入だが、今日の午後に行う」

「……は? 午後って、今が午後だけど?」

「今から潜入するということだ」

「はああ? 準備は? なんでそんな急ぐんだよ!?」

「ハンギングツリーに協力者がいるんだ」


 ジャズが懐から手紙を取り出した。

 折り目がついているところから見て、【手紙鳥】だ。


「今日の午後なら実行可能だと連絡が来てな。次のチャンスがいつになるかわからない。それで唐突だが潜入を頼んだ、というわけだ」

「ちょっと待ってくれ。協力者がいるならそいつに頼めばよくないか? 何をさせられるのか知らねえけどよ」

「協力者はわずかな魔導しか持っておらず、だからこそ発覚せずに協力者でいられるんだ」

「ふ~ん。協力者の能力じゃ無理なミッションってわけか。で、俺は何をやらされるんだ?」


 すると老伯が口を開いた。


「盗みだ」

「盗み?」

「得意だろう?」


 挑発的な笑みをもって言われ、オズも笑って首を傾げる。


「得意だが物によるかな?」


 老伯とジャズが顔を見合わせ、それからジャズが言った。


「〝ユーギヴの腕〟だ」

「……ユーギヴ?」

「知っているのか?」

「〝はじまりの魔女〟くらい知ってるさ。これでも魔女騎士ウィッチの端くれだからな」

「なら話が早い。〝ユーギヴの腕〟はユーギヴシリーズと言われる古代魔導遺物レリックの一つだ。ハンギングツリーのミュージアムに展示されてる」


 オズがぼそりと呟く。


「シリーズだったのか……」

「聞き取れなかった。何と言った?」

「いや、何も。それで、その〝ユーギヴの腕〟をミュージアムから盗めと?」

「そうだ」

「まるで怪盗だな。なぜ盗む?」

「それが我らの目的だからだ」


 オズはジャズの瞳をジッと見つめ、それから老伯に視線を移した。


「〝ユーギヴの腕〟が戦友の形見なのか?」


 老伯はしばし目を伏せ、それからオズを見て言った。


「そうだ」




 それからすぐに、オズはハンギングツリーへと移動を開始した。

 街に入るまではジャズが先行してくれるという。

 オズは少し離れてジャズの背を追いながら、ハンギングツリーへ向かった。

 顔を隠すために都合がいいからと老伯一行のフード付きの上着を借り受けたが、日中に被ると逆に怪しまれそうな気がしてフードは被っていない。

 先行するジャズも被っていないので、おそらくは正しい。

 目立たぬように移動しながら、オズが呟く。


「形見がミュージアムに展示されてる? ……ハハッ、嘘くさっ!」


 オズはこれから盗むものが、老伯が求める形見だとはとても思えなかった。


(皇国騎士の遺品が王国にあるってんなら、たぶん獅子侵攻絡みだろ?)

(十六年前の戦争で、戦利品として持ち帰られたってわけだ)

(でもあの戦争、王国は負けたんだよ。それも大敗だ)

(結構な賠償金を払って休戦協定を結んだって聞いたことがある)

(おっさんはまず間違いなく、かなり立場が上の皇国騎士だ)

(戦後におっさんが求めていれば、遺品はすぐに返ってきたんじゃねーの?)

(おっさんが当時、皇国騎士じゃなかった線は一応あるが……)


 そのとき、先行するジャズが足を止めたので、オズは木陰に身を隠した。

 しばらくして、騎士の一団が遠くの平原を馬で駆けていくのが見えた。

 姿が見えなくなってから、ジャズがまた動き始める。


「よく気づくな、ジャズ。俺には蹄の音も聞こえない距離なのに」


 ジャズの動きは大胆で、迷いがない。

 深い茂みを腰を屈めて慎重に抜けたかと思えば、街道を堂々と横切ったりする。

 そしてハンギングツリーの城壁を見上げる距離まで来た頃だった。


「っ、おい、マジか!」


 道の向こうから巡回の騎士が三名、やって来る。

 なのにジャズは、身を隠さずに自分から騎士のほうへ向かっていく。

 オズは慌てて近くの納屋の陰に飛び込んだ。

 そして干し草の束の影から、ジャズの様子を覗く。


「声かけられたらどうする気だよ……」


 ハラハラしながら見ていると、騎士たちに異変があった。

 民が大声で騎士を呼びとめたようで、騎士たちはそちらを指差し、三人ともがそちらへ走っていった。

 騎士がいなくなった道の上で、ジャズがオズに向けて小さく手招きした。

 オズは再び歩き出したジャズを追いながら、首を捻った。


(何だ今の? まるで初めから騎士がどこかへ行くのがわかっていたような……)

(協力者とやらが何かやったのか? それとも老伯たちか?)

(……ちょくちょく意味わからねえ動きをするんだよな、こいつら)

(最初に西方を堂々巡りしてたのもそうだし)

(ハンギングツリーへ移動してくるときも、ずいぶんウロウロさせられたし)


 そこでオズがハッと口を押さえる。


(……俺たち、蛮族と一度も出くわしてないぞ?)

(恐ろしい数がいるはずなのに。西の外れから一度も、だ)

(偶然か? たまたま運良く……いやいや、そんなのあり得るのか?)

(……占い系の能力とか? 敵に会わない道が予知できる、みたいな)

(ルートを決めていたのは老伯だ。老伯が占い魔女タイプなのか?)

(いやあ、それはなんか似合わねえな)


 そんな答えの出ない問いを頭の中でグルグルさせているうちに、ハンギングツリーの城門に辿り着いた。

 昨日まで戦をやっていたというのに――あるいはやっていたからか、馬車や人通りが多い。


(検問はやってないが騎士が複数人……大丈夫か?)


 ジャズは道の脇に避けて、オズに目で合図をした。

 その視線の先には、こちらをそれとなく見ている青い服の中年女性がいた。

 日常着であるところから見て、この街の住人だろう。

 人のよさそうな顔をしているが、オズにはそれが逆に胡散臭く見えた。


(こいつが協力者……いや、他にもいるかもな)


 オズはジャズを追い越して、その中年女性の元へ向かっていった。

 中年女性はまるで昔からの知り合いと再会したかのように笑顔で手を振り、オズを招いた。

 すぐ近くまで来ると中年女性は顔を綻ばせ、オズを抱き寄せた。

 そして耳元で囁く。


「あんたは私の甥だ」

「わかった」

「ニコニコ笑ってりゃいい。口を開くんじゃないよ?」

「……それだけ? 偽名とか、身分証とかないのか?」

「んなもん持ってたら逆に怪しまれるよ。あんたは一般市民で私の孫。それだけでいい」

「孫? 甥じゃないのか?」

「バカっぽいけど頭は動いてるようだ。あんた王国人なんだよね?」

「そうだ」

「なら孫でも甥でもバレやしない。何か聞かれたら、困った顔で私を見ればいい。私が何とかする」

「そりゃ心強いね」


 オズは中年女性に連れられて城門を潜った。

 城門の内側には想像より多くの騎士がいて、その騎士らの視線に晒されたときにはさすがに冷や汗をかいた。

 しかし中年女性が愛想を振りまきながら「王都から来た甥だ」と紹介すると、騎士の誰も疑わなかった。

 ハンギングツリーに入り、大通りを通って、楽器屋の向かいにある中年女性の家に入った。


「フーッ。緊張したぜ」

「お疲れさん」

「しっかしあれだな? 昨日まで戦争やってたってのに、こんなザル警戒でいいのかねえ?」

「この街の騎士を甘く見るんじゃない。あんたが素通りできたのは、騎士連中の警戒対象が蛮族だからだ。蛮族も無い知恵絞って変装して入り込もうとするからね?」

「あ~、なるほどな。俺は蛮族みたいな顔や身体つきじゃないから止められなかったわけね」

「そういうこと。ほら、これ」


 オズが中年女性が差し出したものを見る。


「ん? チケット?」

「ミュージアムのさ。さっきの大通りをまっすぐ行けばわかるから」

「おいおい、入り口から盗みに入れと? てっきり夜に忍び込むとばかり」

「むしろ夜こそ不可能さ。周囲を吊るし人ハングドマンが夜警してるからね。日中なら少なくとも、行きの安全は担保されてる。そのチケットでね」

「簡単に言ってくれる。帰りは明るい中を突破しなきゃいけないじゃないか」

「そこがあんたの腕の見せ所だろう? とにかく、私にできるのはここまでだ。早いとこ出ていっておくれ」

「酷え言い草!」

「何とでも。ほら、お行き!」

「へえへえ!」


 オズは追い出されるように彼女の家を出た。

 大通りをえっちらおっちら歩いていくと、大きな建物が並ぶエリアに出た。


「公共施設のエリアか。いい街じゃねえか、ハンギングツリー」


 ミュージアムはすぐにわかった。

 大きな看板に『ミュージアム↑』と書かれていたからだ。

 入り口でチケットを渡し、半券を受け取って中に入る。


「ほえ~。すげえ!」


 ミュージアムは想像よりもずっと大きく立派だ。

 今いるのが大ホールで、そこから博物館と美術館、植物園に分かれるようだ。


「まあ、博物館だよな」


 オズは大ホールをまっすぐ突っ切って、博物館エリアに入った。

 オズは博物館というものが生まれて初めてで、一つ一つが非常に興味深かった。


「ハッ! いかんいかん。仕事で来てたんだった……」


 急に負った責任を思い出し、オズは早歩きで通路を通り抜けていく。

 しばらくすると、狙いの展示物ゾーンを見つけた。


「魔導具……ここだな」


 オズは盗みに備え、フードを目深に被った。

 人気の展示らしく、この辺りは人が多かった。


(人が多いのは歓迎だが……さて、担いで逃げられる形状の物なのかな?)


 盗む対象の重さや大きさすら聞いてなかったことに気づき、オズは自嘲気味に笑った。


「これ、か」


 一対の義手が宝物同然の警備の中で展示されている。

 オズは説明書きに目を落とした。


古代魔導遺物レリック。はじまりの騎士ユーギヴの物とされる――へえ、ユーギヴって両腕が義手だったのか?」


 と、そのとき。

 横から他の客に身体をぶつけられた。


「あっ」「おっと」


 その女性の客が、オズに頭を下げる。


「ごめんなさい、ぼーっとしてて……」

「いや全然、全然。大丈夫だいじょうぶぶううぅぅううッッ!?!?」


 オズは奇声を上げ、顔を背けた。


(ロザリーじゃん!! なんでここに!? わけわかんねッ!!)


 狼狽えるオズに、ロザリーが心配そうに尋ねてきた。


「……ほんとに大丈夫、ですか?」

「大丈夫っ、ちょっ、ビックリしただけ」

「ん? どこかでお会いしたことがありました?」


(やべっ!)


 オズは激しく咳をして、無理やり声を潰した。


「ありませんな。じゃ拙者はこれにて!」

「拙者……?」

「御免!」


 オズは恐ろしく速い早歩きで、出口のほうへ向かった。


(聞いてねえ! こんなん聞いてねえ!)


 そして、もう彼女の姿が見えなくなったところで、一度だけ振り返った。


「ロザリー……」


 未練を噛み殺すように口を真一文字に結び、オズは逃げていった。

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