第240話 天秤

 ミュージアムを出ると、ハンギングツリーの街は夕焼けに包まれていた。


「なんでロザリーが……」


 オズは半ば駆け出しながら、大通りの雑踏に紛れ込んだ。


「……そうか、援軍だ。対蛮族の」


 冷静になると、すぐにロザリーがここにいる理由にも当たりがついた。

 彼女と最後に会ったのは、オズが義父と義兄との関係に苦しんでいた頃。

 王都の空き家で自分の誕生日を祝ったときだ。

 あれからいろいろあって、別れも告げずに王都から逃げて今に至る。


「俺だと気づいたら怒るだろうな。……いや、もう俺の事なんか忘れてるか」


 こうなってはもう、盗みどころではない。

 差し当たって考えるべきはハンギングツリーからの脱出だ。


「あのおばちゃんの家に行くか。最悪、ひと晩泊めてもらおう。たしか楽器屋の向かいだったな」


 そして大通りを下って、やがて件の楽器店が見えた頃。


「オズ」


 後ろから声をかけられ、オズが振り返る。

 二頭引きの馬車がカッポカッポと音を立てながらゆっくり近づいてきた。

 荷台には魔導鉱ソーサライトを積んでいて、御者台を見ると服を変えたジャズだった。


「乗れ。街から出る」


 オズは頷きもせず走る馬車に近寄り、御者台の手すりを持ってそこに飛び乗った。


「ふー。ジャズも街に入ってたんだな?」

「逃走手段は用意するに決まってるだろう」

「だな。……すまん、失敗した」

「……そうか」


 二人はそれから話さなかった。

 街を出るのは簡単だった。

 同じように鉱石を載せた馬車が閉門間際に何台も行き来していたからだ。

 二人の馬車が街を出て、少し経つと城門の落とし格子を閉める音が響いてきた。

 ジャズは深い淵まで来ると馬を逃がし、荷台を淵に沈めた。

 そこからは徒歩で、老伯たちの待つ深い森まで辿り着いた。


「盗めなかったか」


 切り株に腰かけた老伯に言われ、オズは申し訳なさそうに頷いた。


「面目ねえ」

「何があった?」

「偶然知り合いに会っちまって。それでパニくっちまった」


 直情的なビンスがオズを嘲笑う。


「おいおい。あれだけ啖呵切っておいて、結局役目を果たせないのかよ?」

「……」

「いるんだよなァ、こういう仕事できねえのに口ばっかり達者な奴!」


 オズは首を傾げてビンスを見た。


「ん? ああ、自己紹介してたのか? たしかにビンスって、この一行で何の役にも立ってないもんな?」

「……ああ?」

「まあ、気にすんなビンス。お前でも役に立てることはあるさ。お部屋のお片付けとか、お花の水やりとか、ママのお手伝いとかな?」

「ッ、オズッ!」


 ビンスが腰の剣を抜きかけたところで、老伯が一言。


「座れ、ビンス」

「……ハッ」


 老伯は右目の眼帯を指先で触りながら、オズを見上げた。


「オズ。次は盗めるか?」


 オズはしばし目を伏せて考え、それから答えた。


「無理だ」

「その知り合いにまた会うのが恐いのか?」

「俺じゃなくても――ジャズが盗みに入るとしても厳しい。危険すぎる」

「なぜだ?」

「その知り合いってのがロザリー――〝骨姫〟ロザリーだからだ。知ってるか? 王国に新しく生まれた大魔導アーチ・ソーサリアだ。大魔導が二人もいる街で盗みなんて正気の沙汰じゃねえ」


 老伯一行は一斉に顔を見合わせた。

 老伯だけはジッとオズを見つめ続けていて、さらに質問してきた。


「それは本当に〝骨姫〟ロザリーだったのだな?」


 質問の意図がわからず、オズは一瞬黙ってしまった。


「……? どういう意味だ?」

「王国に新しく生まれた大魔導アーチ・ソーサリア〝骨姫〟のことは皇国でも噂になっている。だが大魔導アーチ・ソーサリアというものは、そう簡単に姿を現さないものだ。例えば影武者を使ったりすることはザラにあるのだよ」


 話を聞いて、オズは断言した。


「間違いねえよ」

「確証があると?」

「ロザリーは俺の同級生でダチだ。顔も声もよく知ってる」

「だが姿形を似せる術もあるぞ?」

「性格もだ。あの感じはロザリーだよ、間違えるわけがねえ。一番大事なダチだからな」

「そう、か」


 老伯はそれっきり黙り込み、一行も俯いたり他所を見たりしている。


(なんだ、この雰囲気……?)

(盗めなかったことより、ロザリーが本物かどうかを気にしてる?)


 静まり返る皆の中で、オズは、ある結論に達した。


「もしかして。探してる形見って、ロザリーなのか?」


 誰もそれを肯定しなかったが、オズはそうなのだと確信した。

 一行の反応がそれを示していたからだ。

 特にビンスなどはギョッとしてオズを見てしまっていた。

 オズは頭を掻きむしった。


「ああ、そうかよ畜生。俺を選んだ理由、忘れ形見……あ~っ、ヒントはあったなあ。気づけよ、俺……」


 そしてオズは言った。


「行くぞ、セーロ」

「へえ! ……行くって、どこへ?」


 オズはズボンのポケットの底の【隠し棚】を開けて、前金として受け取ったレオニード金貨をジャラッと地面に投げ捨てた。


「ああ、もったいねえ!」

「拾うな、セーロ。この仕事は降りる」


 そうして一行の元から離れようと歩き出すと、ビンスが立ちはだかった。


「オズ。降りられると?」

「できるかどうかじゃねえ。降りると言ってるんだ」


 ビンスは剣を半ばまで抜いて、白刃をオズに見せつけた。


「死んでもか?」

「ああ、そうだ。ロザリーの足を引っ張るなんて、死んでもできねえ」


 ビンスの目に激情が宿り、対するオズも退く気はない。

 するとココララが言った。


「やめろ、ビンス」


 ビンスがオズを睨んだまま、ココララに言う。


「情が湧いたか、ココララ?」

「無駄だと言ってる。オズを脅すならこうだ」


 ココララは素早くセーロの首根っこを捕まえ、ナイフを顎の下に当てた。


「ひいっ!」


 オズがギロリとココララを睨む。


「……お前に殺れるのか? ココララ」

「殺れるよ、オズ。この人が罪もなく魔導もない、ただの一般人でも私はやれる。老伯のためならね」


 ココララの眼差しに嘘やごまかしはなく、オズはギリッと歯噛みした。

 すると、セーロがぼそりと言った。


「逃げてくだせえ、オズの旦那」

「セーロ?」

「ロザリーの姉さんはあっしにとって命の恩人。あのお人に迷惑かけられねえのは、あっしも同じなんでさ」

「そういやお前……ロザリーを知ってるようなこと言ってたな?」

「ちゃんと話したことありませんでしたね。最初はアトルシャン事件のとき。ロザリーの姉さんが見逃してくれたから、あっしは命を拾ったんでさ。その後、異国で放り出されて食い扶持を見つけられず、犯罪者に身をやつしたあっしを捕らえたのも姉さんなんです」

「そうだったのか」

「へえ。……ま、皇国人のあっしが獅子王国に一人きりで、長生きできた方でさ。あっしのことなんざ忘れて、親分は自由に生きてくだせえ。そのほうが親分らしいってもんです」

「……」


 オズはセーロを見つめ、黙り込んだ。

 彼とは一年足らずの付き合いだが、運命共同体ともいえる関係だった。

 ロザリーとセーロを天秤にかければそれはロザリーに傾くが、だからといって無慈悲に切り捨てられるほど軽くもない。


 そして、黙り込んでいるのはココララたちも一緒だった。

 セーロが皇国人であり、その身の上を語ったことが彼らに躊躇いを生んでいた。


 ――長い沈黙。

 それを破ったのはオズだった。


「殺れよ、ココララ」

「!」


 ココララがキッとオズを睨み、セーロは目を閉じて俯いた。


「舐められたものね。まだ殺れないと思っているのか?」

「勝手に解釈するな。お前がセーロを殺った瞬間、俺がお前を殺す」


 セーロが慌てて言った。


「いけません、親分! 逃げてくだせえ!」

「指図するな、セーロ。俺はそれが嫌いだ」

「親分……グスッ」


 ココララのナイフが強く当たり、セーロの首に血が滲む。

 ビンスが隙を見て飛びかかろうと身構えるが、オズはギロッと睨んでそれを制した。

 それでも重戦士オルトンは無言で退路を塞ぎ、斥候役ジャズと金髪のアルフレドが両脇からオズを挟み込む。

 一触即発だが、誰もが心に躊躇いを抱えている。

 そんな危険で不安定な状況を打ち破ったのは、切り株に座ったままの老伯だった。


「……オズ。少し二人で話そう」

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