第238話 再会

 ハンギングツリー市街。

 ロザリーは露店の女主人に声をかけた。

 冷たい甘味を売っている店だ。


「冷やしベリー、二つください」

「はいよ! もう秋だってのに暑いねえ」

「ええ、ほんとに」


 甘酸っぱいベリーをミルクと砂糖で割って凍らせた甘味を小さな器に盛りながら、女主人がふとロザリーを見た。


「おんや? 見ない顔だね?」

「えと、蛮族が攻めてくる数日前にこの街に来まして」

「おやまあ、それは災難だったね。はい、冷やしベリー二つ!」

「どうも。銀貨でいいですか?」

「構わないよ。それで、これから里に帰るのかい?」

「いえ、もうしばらくいようかと」

「そうかい。戦の最中でもない限り、ここはいい街だよ? 少し掟は厳しいけど、そのおかげで乱暴者が悪さをしない。女子供にはそれが一番さ」

「ですね、そう思います」

「はい,お釣り。街を楽しんでおくれ!」

「はい!」


 冷やしベリーの器を片手に二つ持ち、もう片方の手に持ったスプーンで一口食べる。


「冷たっ」


 ロザリーはそこから少し歩き、大きな噴水の縁に腰かけた。

 市街は人通りが多く、みな笑い声と共に通り過ぎていく。


「……戦が終わったってことなのかな?」


 まだ実感はないし、〝覗き魔〟や〝巨人の王〟のことなど解決していない事柄もあるのだが、街の人々はそんなこと知る由もない。

 きっとそれでいいのだし、知る必要もないのだろう。

 そんなふうに思いながら、ロザリーは街を眺めては冷たい甘味を口に運んでいた。

 すると。


「終わってはいない。気を抜いてはいけないヨ?」


 ふいにすぐ隣から声がして、ロザリーはそちらを見る前から眉間にしわを寄せた。


「〝覗き魔〟についてはボクも気になってる。そう遠くない未来、おそらくあちらから――」

「――やめて、ヒューゴ」


 冷たくそう言われ、ヒューゴは大袈裟に目を見開いた。


「……何を怒っているンだい?」


 ロザリーは彼のほうを見向きもせずに言った。


「今さら出てきて何? 肝心なときに出てこなかったくせに!」

「肝心なとき?」

「ランガルダンよ! 首吊り公と敵陣に突っ込むことになったとき、なぜ助けてくれなかったの?」


 あの戦場はロザリーにとって生涯で最も大きなものだった。

 なのにヒューゴが出てこなかったことは、ロザリーにとって裏切りに近い感覚だった。

 だがヒューゴは。


「なンだ、そんなことか」


 それを聞くや否や、ロザリーはヒューゴをキッと睨み、彼に指を突きつけた。


「ヒューゴっ! あなたねぇ!」

「そりゃ出ていくわけない。他の大魔導アーチ・ソーサリアがいるンだから」

「……えっ?」


 ヒューゴはロザリーの指を掴み、ゆっくりと下げた。


「ボクは主人であるキミと、ほぼ同格の力を持った下僕だ。コレって実はもの凄く強力なカードなンだよ? 恐ろしい敵に追い詰められたとき、ボクはキミにとっての切り札になる。……ただし、それは知られていない場合のみだ。知れば十分に対策を打てるからネ」

「……ヴラド様は敵ではないわ」

「今は、ネ」

「敵になるっていうの?」

大魔導アーチ・ソーサリアであることが重要なンだ。大魔導アーチ・ソーサリアの敵は大魔導アーチ・ソーサリアのみ。もちろん稀に例外はあるが、基本的に大魔導アーチ・ソーサリアを殺せるのは大魔導アーチ・ソーサリアだけだ。そんな相手に切り札をタダで見せるなンてあり得ない話サ」

「……じゃあなぜ今、出てきたの?」

「……うン。まあそうなるよネ」

「だって、ここはヴラド様の街よ? どこで誰が見ているかわからないよ?」

「戦闘中でもなければボクの力は見抜かれないだろうし。まァ、何より……気に喰わないからだ」


 ロザリーは首を捻った。


「何が?」

「風向き? 流れ? まあそンなものサ」

「曖昧ね……」

「とにかく。ボクが次に出てくるときは、キミにとって重大な脅威が目の前にあるときだ。それを忘れないで。じゃあね、お邪魔になるからボクは消える」

「あ、ちょっと!」


 ロザリーが止める前に、ヒューゴは姿を消した。

 そして――。


「お待たせしました、ロザリー卿!」


 やってきたのは首吊り公の娘、眼鏡をかけた妹のリタだった。


「ごめんなさい、こっちのお店、混んでて」

「ううん、待ってないよ、リタ」

「そうですか、よかった」


 リタはロザリーの隣にちょこんと座り、棒状の細長いお菓子を渡してきた。

 ロザリーはそれを受け取り、冷やしベリーを渡す。


「ごめん、少し溶けちゃったかも」

「ううん、大丈夫です! それよりお菓子、試してみてください」

「じゃあ……んぐ、美味しい!」

「ハンギングツリー名物なんです。粉砂糖の味だけで素朴だけど、私、大好きで」

「うん、私も好き!」

「よかった!」


 二人は噴水の縁に腰かけて、たわいのない話に花を咲かせた。

 首吊り公の日常の話など、リタの語り方の巧妙さもあってロザリーは楽しんだ。


「今日は誘ってくれてありがと、リタ」

「勇気を出してお誘いしてよかったです。退屈なさってるだろうなって思って」

「本当にそう。リタが来なかったら退屈死に・・・・してた」

「ふふっ。大魔導アーチ・ソーサリアなのに退屈なんかで死ぬんですね」

「死ぬよ、退屈は敵だもの」

「私も、本がないと退屈で死んじゃいます」


 リタは噴水の縁からぴょんと飛び降りた。


「ロザリー卿。今日の締めくくりにミュージアムに行きませんか?」

「ミュージアム?」

「私が生まれたとき、記念にパパが作ったんです! 博物館とか植物園とか一緒になってて、とっても楽しいところなんですよ?」

「へえ!」


 そう語ったリタが誇らしげに見えたので、ロザリーは誘いに乗ってみることにした。


「行きたい。行こう!」

「はいっ!」




 ミュージアムは図書館などの公共施設が並ぶ一角にあった。

 王都ですらあまり見ないほどの立派な建物で、ガラス張りの部分が植物園だろうか。

 その大きさに、ロザリーは高揚感を覚えた。


「あ、そか。チケットいるのね」


 ミュージアムの入り口には短い人の列があって、先頭がチケットを渡して入っているのが見えた。

 ロザリーが懐から財布を取り出そうとすると。


「あ、大丈夫です」


 リタがピラッとチケットを二枚、取り出した。


「リタ、準備がいい!」

「えへへ。実は、知り合いのアンおばさんに貰ったんです。二枚あるから誰か誘って行きな。どうせなら、噂の〝骨姫〟様を誘ってみたらどうだい? って」

「そうだったのね! じゃあ今日リタとデートできたのは、アンおばさんのおかげなんだ?」

「そういうことです!」


 二人は列に並び、少し待ってからミュージアムに入った。

 エントランスを抜けるとまるで宮殿のような大ホールがあって、そこから展示物ごとに分かれたエリアを選んで行けるようだ。


「右が美術館、左が植物園。真ん中が博物館です。どれから行きます?」

「そうだねぇ……リタが好きなのは?」

「断然、博物館です!」

「じゃあ博物館に行こう!」

「はい!」


 二人は大ホールをまっすぐ抜けて、博物館エリアに入った。

 生き生きとしたポーズで飾られた珍しい獣の剥製たちに出迎えられ、奥の壁には大きな翼を広げた飛竜の骨格標本が堂々と鎮座している。


「若い頃、パパが飛竜回廊で獲ってきたものらしいです。ほんとかどうかわかりませんけど」


 リタは冗談めかしてそう言いつつも、展示物から目を離さない。

 眼鏡の奥の瞳が光り輝いていて、本当に博物館が好きなんだな、とロザリーは思った。

 段々とリタが没頭し始めたので、ロザリーは一人離れて奥へと向かった。

 保存薬や消毒燻煙の匂いにも慣れてくる頃、展示物が変わった。

 大昔の装飾品や武具、書籍。

 ガラスケースに入った歴史ある品々がいくつも並んでいる。

 ロザリーはその一つ一つを軽く流し見しながら、通路を進んでいく。


「あ、魔導具」


 途中から魔導具ばかりが並ぶエリアに入った。

 魔導具のガラスケースは通路から話されていて、魔導具自体もしっかりと土台に固定されている。

 先ほど見た装飾品の中にあった、黄金製の豪華な首飾りよりも保管が厳重だ。


「ものによっては国が買えるってヒューゴ言ってたしね」


 ここは流し見ではなく丁寧に見ていって、そして魔導具エリアの目玉の展示物に突き当たった。


「ユーギヴの、腕……」


 それは一対の金属製の義手だった。

 肩の高さくらいの展示台の上に銀製のスタンドホルダーがあって、その上に二つの義手が飾られている。

 ガラスケースはなく、義手から鎖が四本ずつ伸びていて、床から生えた金属の輪に固く繋がれている。

 展示の四隅には警備が四人立っていて、四人ともが魔導騎士だ。


(まるで黄金城パレスで記念日にやる獅子王陛下の王冠の展示みたいに厳重ね……)


 ロザリーは説明書きがあるのを見つけ、もっと近くで見ようと動いた。


「あっ」「おっと」


 展示物を見ながら動いたので、同じく見ていた他の客と肩をぶつけた。


「ごめんなさい、ぼーっとしてて……」

「いや全然、全然。大丈夫だいじょうぶぶううぅぅううッッ!?!?」


 ぶつかった若い男性客が突然奇声を発し、ロザリーは驚いて固まった。


「……ほんとに大丈夫、ですか?」


 顔色を窺うが、フードを目深に被ってよく見えない。


「大丈夫っ、ちょっ、ビックリしただけ」

「ん? どこかでお会いしたことがありました?」


 すると男性客は突然ゲホゲホと咳をして、それから低い声を作って言った。


「ありませんな。じゃ拙者はこれにて!」

「拙者……?」

「御免!」


 男性客はもはや走るのと変わらぬスピードの早歩きで、出口のほうへ向かっていった。

 ロザリーは首を捻った。


「あの声、どこかで……ううん?」


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