第237話 巨人が去り、鷹が来る
ハンギングツリーの城壁にある、望楼の上。
ラズレンとハンスが事の推移を見守っている。
「蛮族軍が瓦解していく――」
ラズレンは唖然とした表情で目下の光景を眺めている。
ハンギングツリー周辺を埋め尽くしていた蛮族軍が、潮が引くように下がっていく。
前線に発生した恐慌状態は波のように伝播し、軍勢全体にまで混乱が及んでいる。
ハンスが言う。
「公の案は『蛮族の死体を彼らの目の前で不死者と化し、彼らを攻めさせたらどうか』というものでした」
ラズレンが問う。
「目の前で、というのが肝心なのですか?」
「公は仮説を立てたのです。迷信深い蛮族が〝骨姫〟様が呼び出すスケルトンのことを恐れないのは変だ。もしや、そもそもそういった形の魔物だと考えているのではないか? そう考えれば生前の面影を残すダレンの巨人や戦場のゴーストのことは恐れたこととも辻褄が合う、と」
「なるほど……。私もスケルトンは恐れませんが、知人の不死者に出くわしたら恐れ戦く自信があります」
「公から相談を受けた私は、別の側面からもその策は有効であるとお答えしました」
「別の側面?」
「蛮族には戦士の生き様を中心に据えた価値観があります。曰く、勇敢なる戦士が戦で死ぬと、その魂は
「ほう……まるで宗教ですな」
「まさしく。これが巨人に対して忠実である理由であり、彼らが死を恐れぬ理由でもあります。仲間の死体をぞんざいに扱うのも、魂はすでに神の領域に至っており、そこにあるのは抜け殻に過ぎないと考えるから。――だが、
「死者が帰ってきた。……
「そう考えるでしょう。今まで信じていたことは実は違うのではないか? そもそも
「共食いの罪悪感が今になって襲って来るやもしれませんな。
「そうなるともう、戦えないでしょうね。……そういえばラズレン卿、昨夜の〝骨姫〟様の徹夜仕事にご一緒されたそうですな?」
「私は横で〝骨姫〟様の仕事を見ていただけなのですが……思っていたより俗っぽいやり方で驚いてしまいました」
「俗っぽい……? いったいどんな仕事だったのです?」
「まず〝骨姫〟様は、死体の死霊化をあまりやったことがないとのことで」
「ほう! そうなのですか」
「で、今回やってみるのはいいが、いっぺんにやると全部スケルトンになってしまう気がする、と」
「ああ、〝骨姫〟様ですからね」
「そういう理由なのかはわかりませんが……なので蛮族の目の前で死霊化するのではなく、前もって死霊化しておいて、朝まで寝かせておくことになりました」
「なるほど、それで徹夜仕事……」
「昨晩は〝骨姫〟様と一緒に戦場を歩き回り、蛮族の死体一体一体にお願いして回りました」
「お、お願い?」
「俗っぽいでしょう? 格式張らないというか。何でもいつものやり方は違うそうなのですが、それだとやはりスケルトンになる気がすると仰って。お願いするとなぜそうならないのか、私にはよくわかりませんでしたが」
「はああ。ネクロマンサーにも独特の術理がおありなんですなあ」
――二日後。ハンギングツリー城、軍議の間。
最後に首吊り公がやってきて軍議のメンバーが揃うと、
まずは親指筆頭ラズレンが立ち上がる。
「数百万の蛮族軍は散り散りになって西へ敗走中です。ランガルダン要塞に潜伏中の物見からの報告によれば、早くもオラヴ河を渡った一団もあるとのこと」
軍議の間に喜びを含んだざわめきが起きる。
続いて人差し指筆頭のリセ。
「散り散りになった中には、未だハンギングツリー周辺をうろついている集団もいくつかあります。それらは蛮族軍全体からみれば小規模ですが、数百、あるいは数千の集団です。引き続き警戒する必要があります」
最後に中指筆頭のヴァイル。
「懸念していた巨人の動向ですが、ハンギングツリーからランガルダン要塞間で目撃されました! 全部で七体ほどですが、やはり西へ向かっているとのこと!」
報告が終わり、首吊り公がぽつりと言った。
「もう、無理だな」
対西域連合総帥代理のバファルが聞き返す。
「公。無理とは?」
首吊り公はバファルに目をやり、静かに言った。
「蛮族軍は再編不可能。この戦は我らの勝ちだ」
軍議の間が静まり返るが、それも一瞬のこと。
軍議に参加する騎士たちから、大きな歓声が上がった。
「この街が囲まれたときには何年こもることになるかと……!」
「呆気なかったな!」
「それもこれも、〝骨姫〟様のおかげでございます!」
水を向けられたロザリーは両手を振って謙遜した。
「そんなこと! 賞賛は発案者のヴラド様に。私はこんな効果があるなんて思いもよらず……」
それにハンスが頷く。
「〝骨姫〟様のお力を最大限活用し、蛮族の思想・風習を逆手に取った、まこと良策でございました」
首吊り公がハンスに手を向ける。
「ハンス卿にこそ感謝を。私は西方に城を構えながら、蛮族について知らぬことばかりであった。学ばせていただいたよ、師ハンス」
「そんな、おやめください……」
「ハハハ……」
ひとしきり笑ってから、首吊り公が面々を見回した。
「すぐにでも残党狩りへ移行したいところだが、その前に片付けておかなければならないことがある。覗き魔の件だ」
すると小指筆頭のフィンが立ち上がった。
「公のご命令でハンギングツリー周辺に皇国騎士の集団がいないか調査を進めてきましたが、今のところ発見には至っていません」
「フィン……見落としているのではないか?」
そう首吊り公が問うと、フィンは少しムッとした様子で返答した。
「つぶさに見て来た、とは言い難いかもしれません。蛮族の集団がいくつかと王都からの援軍の陣も調査できていませんので。しかしそれでも、異物でしかない皇国騎士の集団を見落としはしないと自負しております」
「ふむ。集団ではなく個人かもしれんぞ?」
「それでもです」
「そうか。わかった」
そこでバファルが言った。
「そういえば、援軍はどうなされるおつもりで?」
首吊り公が首を捻る。
「どう、と言われてもな。どうする、〝骨姫〟?」
ロザリーは眉を顰めて聞き返した。
「なぜ私に聞くのですか?」
「街に入れるなと言い出したのは卿ではないか」
「っ!! ……ヴラド様って本当にズルいですよね?」
「ハッハ、それほどでもない」
「褒めていません!」
「あの、よろしいですか?」
おずおずと手を挙げたのは薬指筆頭のロンド。
「王都救援部隊の指揮官ミスタ卿から再三、ハンギングツリー入城と公への面会を求められています。……私、もうお断りするの無理です~!」
しかし首吊り公は容赦がない。
「ならん。入れるな」
「そんなぁ~。せめて、公がお会いして下されば……」
「いいや、会わん」
「なぜですかぁ!」
「怒っている高位貴族に好んで会う奴などおるか、馬鹿めが」
「酷いっ!」
「お前の役割だ、諦めろロンド。で、覗き魔に話を戻すが――」
フィンが言う。
「周辺に見当たらず、破壊工作なども確認されていません。……本当にいるのですか? いたとしても、蛮族の撤退を受けて皇国に戻ったのでは?」
しかし首吊り公が首を横に振る。
「いいや、まだいる。それも近くにな」
「公……なぜそのようにお考えに?」
「勘違いするな、フィン。あれは偵察部隊などではなく、覗き魔なのだよ。動機として何か強い欲があって、それを満たすために覗いている。領土侵犯などという多大な危険を冒してまで、な」
「欲とはなんですか?」
「わからん。わからんが……あのとき、覗き魔は興味が高まり過ぎて気配が漏れた。覗きの対象は巨人の王か、私と〝骨姫〟。だが見たかったのは巨人の王ではない。奴は西域にいて、それを覗くなら王国領に入る理由がない」
「つまり……興味の対象は公と〝骨姫〟?」
「うむ。おそらくは――」
首吊り公がロザリーに目をやり、彼女は自分の顔を指差した。
「私、ですか?」
「推測だ。だが当たっている気がする」
「私、命を狙われているのでしょうか……?」
「どうかな、
「でも私はあの時以来、気配すら感じません」
「私もだ。……所在不明の覗き魔に対してこちらが先手を打つひとつの方法は、今すぐに〝骨姫〟が王都へ帰ることだ。覗き魔は領土侵犯をしている以上、王国内部へ入るほどにリスクが跳ね上がるからな。王都に近づくほどに〝骨姫〟は安全になると言える。……しかし、私はこの方法をあまり勧めたくない」
「なぜです?」
「その帰り際こそ、覗き魔の狙いやもしれぬからだ。私はハンギングツリーを離れられん。お前を送ってはやれない」
ロザリーは目をパチクリとさせて、それから紫眸を悪戯っぽく輝かせた。
「……ヴラド様って、時おりそうやって優しさを見せますよね」
「私はいつでも優しいぞ?」
「そのやり口でクローディアさんを落としたのですか?」
「ッ!」
首吊り公は目を大きく見開いてロザリーを見、ロザリーは勝ち誇った顔で笑っている。
他の者は
首吊り公はフーッと息を吐き、それから言った。
「……先ほどの仕返しのつもりか」
「いいえ。いつもの仕返しです。ヴラド様は人を揶揄いすぎです」
首吊り公は不愉快そうに言った。
「笑うな、ラズレン」
「わっ! 私はまだ笑っておりません!」
「
「~~っ、申し訳ありませんっ!」
土下座する勢いのラズレンを見て、ついに吹き出すリセたち。
「とにかく!」
首吊り公はテーブルを叩いてそう強く言い、それからロザリーを見て続けた。
「何か妙なことがあったらすぐに報せよ。自分一人で解決しようとするな。覗き魔は蛮族すべてよりも厄介な敵かもしれん。お前は
首吊り公が心から助言してくれていることが伝わったので、ロザリーは背筋を伸ばして頷いた。
「わかりました。お言葉、肝に銘じます」
そして、軍議を終えたその日の午後。
ロザリーは非常に退屈していた。
気をつけろと言われた手前、城の自室にこもっていたのだが、ここまでしなくてもいい気がしていた。
と、そんなとき。
部屋の扉がトントン、と小さく鳴った。
「はい?」
返事をすると扉が少し開いて、隙間から見覚えのある少女が顔を覗かせた。
「ロザリー卿。街に遊びに行きませんか?」
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