第235話 ハンギングツリー防衛戦

 数日後。

 蛮族軍数百万が西方都市ハンギングツリーに至った。

 恐ろしい数の蛮族が、蟻の大群のように大地を埋め尽くしてゆく。

 その軍勢を目の当たりにした城壁の兵卒たちは震え上がった。

 望楼の上でも、兵卒二人が声を震わせながら話している。


「完全に包囲されたな……」

「ああ……」

「おい、見ろよ……東の森まで埋め尽くされてる」

「何て数だ……」

「西なんて切れ目が見えねえ。最後方はまだランガルダンにいるとか言わねえよな?」

「っ、やっぱ逃げときゃよかった!」

「どこへ逃げるんだよ。王都までか?」

「だって! このままじゃ奴らに殺されちまう!」

「この街が抜かれたら王都まで行っちまうぞ。遅いか早いかだ」

「そんな、うぅ……」

「泣くなよ、おい。……お~い、下の階の誰か~。こいつを励ましてやってくんね~?」

「……あ。飯の臭いがする」

「何だよ、飯で立ち直るのかよ。つーか飯の時間には早いぞ?」

「煙の臭いだよ。ほら、蛮族共が飯炊きの準備してる」

「おー。たしかに火を起こしてるな、そこら中で――いや、何で最前線で飯炊きしてるんだ?」


 蛮族の軍勢は城壁から距離を置いて包囲している。

 その一番前に石を並べて火を起し、食事の準備をしている。

 それが一つではなく、同じように一番前に石のかまどがいくつも作られている。


「あ、こっちでも。あっちでも! 蛮族って最前線で調理する決まりなのか?」

「ねーだろ、そんなん。どういう決まりだよ」

「じゃあ何でなんだよ。おかしいだろ」

「ん~……あれだ。俺たちが腹空かしてるって思ってるんじゃないか? うまそうな臭いで俺らの戦意を削ごうって作戦なんだよ」

「なるほどな! 蛮族って頭いいな!」

「お前よりはな。でも残念でした、ハンギングツリーはしっかり蓄えてありますよっと」

「でも、何日持つんだ?」

吊るし人ハングドマンの騎士様は一年は持つって言ってたな」

「一年!? めっちゃ貯めこんでるじゃん!」

「たりめえだろ。ここは首吊り公が治めるハンギングツリー。ランガルダン要塞とは違うんだ」

「すげえな! 俺、この街にいてよかったよ!」

「さっきまで街を捨てようとしてたくせに、よく言うぜ」

「あ、蛮族共が肉を焼き出した! いいな~」


 蛮族の作った石のかまどから、肉を焼く臭いが漂ってきた。

 かまどは無数にあって、城壁全体がその臭いに包まれる。


「腹が減ってきたな。でも……妙な臭いだ。何の肉だ?」

「そりゃ、鹿か何かの……っっっッ!!」

「ん? どうし……う、あ」


 二人が見た〝肉〟は、想像していたものではなかった。

 部位ごとに切り分けられているが、間違いない。


「何でっ、あいつらっ、こんなことっ!」

「共食いだ……お前らもこうしてやるって言ってるんだ」

「俺たちっ、なんて奴らと戦おうとしてるんだ……」



 その夜。

 ハンギングツリー城、軍議の間。

 上座に座る首吊り公が忌々しそうに言う。


「やかましいな。城壁の外に獣の大群でもいるのか?」


 軍議の間は城の中心部にある密室なのだが、城の外から発せられる唸り声が壁を抜けてここまで聞こえてくる。

 親指筆頭ラズレンが言う。


「蛮族共です。一斉に獣のように吠えて威嚇しているのです」


 すると首吊り公がうんざりした顔で言い返した。


「わかっておるわ。説明するやつがあるか」

「……申し訳ありません」


 しゅんと俯いたラズレンに、人差し指筆頭のリセがニヤついて言う。


「真面目か!」


 ムッと顔を顰めたラズレンだったが、すぐさま首吊り公がリセを一喝した。


「黙れ、リセ」

「はい、公」


 リセが黙り、首吊り公が言う。


「……少々蛮族共を見くびっていたようだ。奴ら思いの外、しっかりとやってくるわ」


 小指筆頭のフィンが言う。


「領民もさることながら、兵卒の恐れようが計算外です。とりあえず各城門だけは吊るし人ハングドマンから騎士をやって乱れがないよう図っていますが」

「それでいい。王都からの援軍の動きは?」


 これに答えるのは薬指筆頭のロンド。

 背の高い中性的な魅力を持つ男性騎士で、吊るし人ハングドマン全体の潤滑油的な役割を担っている。


「公の推測通り、東側の川向こうに陣を張りました。ハンギングツリーに入れないことを相当怒っていましたね」

「それはそうだろう、私でも同じことをされたら怒るからな」

「はい。援軍はこのまま?」

「このままだ。――〝骨姫〟。例のやつ・・・・を近々にやりたいのだが」


 上座の右に座るロザリーが頷く。


「前倒しは構いませんが、そうなると一度、蛮族と戦っておく必要があります」

「わかっている。……早いほうがいいな。明日、打って出よう」

「打って出る!?」


 そう叫んで立ち上がったのはラズレンだった。


「反対です! 蛮族には兵站の意識がない。そうでしたね、ハンス卿?」


 末席に座るハンスが、ややオドオドした態度で答える。


「は。確かにその通りでございます」

「で、あれば! 固く守れば必ず勝てましょう? じきに冬も来る! 確実な勝利が見えているのに、なぜ打って出るのです!?」

「お言葉ですが――」


 ハンスが遠慮がちに口を開いた。


「――蛮族ガーガリアンは山岳民であり、寒さにめっぽう強うございます。そして今日見せつけてきたように共食いもする。必ず勝てる、は言い過ぎではないかと……」

「ではハンス卿も打って出るべきだと?」


 ラズレンの口調が鋭くなり、ハンスは額の汗をふきふき答える。


「いや、私はそこまでのことは言っておらず――」

「ではどうせよと仰っておられるのか――」

「あまりハンス卿をいじめるな、ラズレン」


 首吊り公が低く言い、ラズレンは押し黙った。

 やがて静かに座り、ハンスに向けて頭を下げる。


「失礼しました、ハンス卿。熱くなってしまいました。お恥ずかしい」

「いえいえ! 私のほうこそ、どっちつかずな意見をしてしまい……」


 二人の様子を見てから、首吊り公が言った。


「ラズレンとハンス卿。この軍議の場において、最も慎重なのがこの二人であろう。戦において慎重さは美徳だ。的確に敵を屠るには慎重でなければならない。だから私は二人の意見を尊重する」


 首吊り公はひとつ間を置き、それから続けた。


「その上で重ねて言う。明日、打って出る」


 これにはロザリーを除いた一同が、みな驚いた表情を浮かべた。

 ラズレンはもう声を荒らげることはないが、それでも首吊り公の顔を覗き込み、眉を顰めて尋ねる。


「なぜです?」

「押し引きだよ、ラズレン。打って出て、それで勝とうなどとは思っていない」

「……先ほど、〝骨姫〟様と仰っていた例のやつ・・・・という? 何か策が?」

「今は明かさんが……リスクは少なく、効果は期待できる一手だ。ちょうど蛮族共の共食いや吠え声に近い。ハンス卿にも相談してお墨付きをいただいておるのだが、そのためには一度、打って出る必要があるのだ」

「――そういうことならば。皆はどうだ?」


 吊るし人ハングドマンの筆頭五人、ハンスも反論しなかった。

 ただ一人、ハンスの隣に座るバファルが手を挙げた。


「別件なのですが、この場でお聞きしたきことが――」

「どうぞ、バファル卿」


 首吊り公が手のひらを向けると、バファルは頭を下げて立ち上がった。


「私が口を挟むのはどうかとも思うのですが――対西域連合首脳部の処分はいつ頃になるのでしょうか?」

「ふむ。バファル卿は彼らを早く処刑してほしいのか? それとも助命の嘆願を?」

「ああいや。すでに捕縛された以上、私はどちらでもよいのですが。実は私が預かった連合騎士の中には、まだかつての主人に情を抱く者もおりまして」


 首吊り公の顔に険が浮かぶ。


「そ奴らが助命の嘆願を?」

「――する者もおりますが、私はそれを公に上げませぬ。ただ、できれば早くけりをつけて頂きたい。かつての主人を思う騎士の気持ちというものは、まるで未練たらしい男がいつまでも昔の女を想うようなものです」

「フ。かもしれないな」

「平時ならば好きにしろと言いますが、今の状況で、それを主張するために寄り集まって城前で抗議活動などやられたら、私はその者らを処分せねばならなくなります。そんなことになる前に、できるだけ早く処分を確定して宣言していただけたら、と」

「相わかった。明日の出陣前にボーゴンと、それに近い五名ほどを処分する。その他の騎士団長は戦後まで監獄塔に勾留、それをもって刑とする。――ラズレン、バファル卿やレーン卿に話を聞いて、その五名を見繕っておけ」

「ハッ。どのような刑を?」

「縛り首だ。のち、遺骸を城壁に吊るす」

「承知しました」

「……助けてやれ、とは言わぬのか?」

「私の意見で王命まで頂戴しておいて、これ以上のわがままは言いません。それに……今の都市の状況、見せしめが必要でございます」

「フ、わかっておるではないか」


 翌朝。

 蛮族がとりわけ多く布陣する西側の城門前広場に騎士たちが列を組んで集まっていた。

 吊るし人ハングドマン五百とその筆頭、対西域連合から選抜された三百。

 魔導騎士だけ、それも精鋭のみで、この一戦に臨むのだ。

 出陣する騎士たちを見るために多くの民が駆けつけていて、広場の周囲や建物の階上からそれを眺めている。

 騎士たちの中央には空間があって、そこに五人の囚人が座らせられている。


「我らはランガルダンを捨てるなぞ、反対だった!」

「撤退すると決めたのはボーゴンだ!」

「不当だ、私は悪くないィィッ!」


 処刑が決まった騎士団長たちである。

 当のボーゴンは黙してその様を眺めている。

 ふいに観衆から声が上がった。

 城のほうから戦装束の首吊り公とロザリーが歩いてきたからだ。

 市民にとって希望である二人の大魔導アーチ・ソーサリアには大きな歓声が飛び交い、彼らの前に自ずと道ができる。

 ロザリーはボーゴンらの近くまで来ると足を止めた。

 首吊り公は歩みを止めず、彼らのほうへ歩いていく。

 一番手前に座る騎士団長が声を上げる。


「公! 首吊り公よ! 以前、一緒に酒を酌み交わしたことがあったではないか! 助けてくれたら一生涯、恩に着よう! また共に酒飲もうぞ!」


 首吊り公はそれに一瞥もくれず、彼の脇を通り抜ける。

 そして、その通り抜けた瞬間。


「あ、ぎっ?」


 首吊り公の背後で、騎士団長は赤いロープによって天高く吊られた。

 続く騎士団長も。その次も。

 首吊り公が脇を通り抜けるたびに、ヒュッと空へ吊られていく。


「嫌だァ、やめてくれぇ!」


 四人目、五人目は騎士団長らしい口調すら忘れて命乞いしたが、首吊り公はやはり一瞥もくれず、歩みも止めなかった。

 そして、ボーゴンの手前に来て初めて足を止めた。


「総帥閣下は命乞いせぬのか?」

「せぬ」

「縛り首にされた側近たちに情はないのか?」

「自分で決断できぬくせに、人が間違うと指を差して非難する。およそ上に立つ人間ではないわ」

「……フ。初めて卿の言うことに感心したぞ?」

「ぬかせ。早く吊るすがいい、ヴラド」

「よかろう」


 最後にボーゴン総帥が吊られ、広場の空に六体の首吊り死体が飾られた。

 ラズレンが首吊り公の前に歩み出る。


「精鋭騎士八百! いつでも出陣できます!」

「よし」


 首吊り公に駿馬が寄せられ、彼がそれに跨る。

 首吊り公が振り向くと、ロザリーがグリムを呼び出し、それに跨るところだった。

 黒い骨馬が青白き炎が宿る蹄で宙を掻くと、観衆からどよめきが起こった。


「私より目立ってくれるわ、小娘が」


 首吊り公はロザリーを眺めてニヤリと笑い、それから前に向き直り、剣を抜いてそれを掲げた。


「出陣!!」

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