第234話 アンテュラ家の晩餐―2

 首吊り公の自宅に招かれたロザリーは、彼の家族と賑やかな食卓を囲んでいた。


「んっ! このスープも美味しいです!」

「ほんと? よかったわ、お口に合って」


 彼の妻クローディアの手料理はどれも絶品で、首吊り公が客を招きたくなる気持ちもわかる気がした。

 首吊り公も娘たちも、本当によく食べる。

 この味ならば当然だろう。

 食事の最後には大人の味がする黒いチェリーパイが出てきて、これがまた格別の美味しさだった。

 そうして食事も終わり、クローディアが皆にお茶を入れていると。


「〝骨姫〟」

「はい」

「じきに蛮族共がハンギングツリーへ来る。数日のうちに籠城戦になるだろう」


 それまで穏やかに話していた首吊り公が唐突に戦の話題を振ったので、ロザリーも彼の家族も、揃って目を瞬かせた。


「――あなた。娘たちがおりますけど」


 クローディアがそう言うと、首吊り公はその反応を予測していたのか、即座に答えた。


「今回は聞かせようと思う」

「なぜですの?」

「籠城戦で恐ろしいのは内側からの崩壊だ。それは得てして流言から始まる。くだらぬ妄想。根も葉もない噂。そういうものを娘たちすら信じるようになったら、私はもう戦う気が失せる」


 そう言って、首吊り公はお茶をごくりと飲み込んだ。


「だから包み隠さずお話になると? 本当に娘たちに言えないような状況になったら、どうなさるのです?」

「それでも今回はすべて話す。娘達にも、クローディア、君にもだ」

「……わかりましたわ」


 そうして首吊り公は眼鏡をかけたほうの娘に顔を向けた。


「だから……リタ。今回は、アンおばさんよりもパパのことを信じてくれ」


 リタは驚いた顔で父を見ていたが、やがてこくりと頷いた。

 間を見て、ロザリーが口を開く。


「数日後、というのは確かなのですか?」


 首吊り公がティーカップを片手に頷く。


「確かだ。ランガルダン要塞に手練れの斥候を残してきたのだが……夕刻、その者から【手紙鳥】が届いた」

「あ、ご帰宅が遅れたのはそれで?」


 首吊り公は頷き、話を続けた。


「オラヴ河対岸で再編していた蛮族軍が渡河を始めたと。数が数なので全軍が渡り切るには明日の朝までかかるだろうが、渡ってしまえばハンギングツリーまで何の障害もない。ボーゴンを追った先遣隊に村も砦も焼かれてしまったからな」

「しかし――」


 ロザリーが首を捻る。


「――彼らは食料をどうするつもりなのでしょう? 奪う予定の村々も焼かれているわけですよね? 狩りでもしながらゆっくり来るかも」

「いや、飢えたまま来るだろうよ。餓死者が出れば、その肉を食らってな」


 活発なほうの娘エミリアが、べーっと舌を出す。


「うえぇ。マジ?」

「マジだ、エミリア。蛮族は兵站の意識なく、無理を承知で攻めてくる。それが彼らの伝統だからだ」


 エミリアは顔を背け、リタは興味深そうにふんふんと聞いている。


「ランガルダン要塞からハンギングツリー、蜂の巣城。その他の小規模なものも含めたこの要害群は、彼らの伝統を粉砕するために築かれたものだ。無理をして押し入ってくる蛮族共によって一つ潰されても、他の要害ですり潰してゆく。偶然や幸運で突破されないように設計されている」


 そこでロザリーがぽつりと呟いた。


「でも今回、ランガルダンがその役目を果たさなかった」


 首吊り公がロザリーを指差す。


「その通り。撤退するなとは言わんが、戦わず捨てるのは役割からいってもあり得ない選択だったのだよ。彼らが放棄した責任を、他の要害が負担せねばならないのだからな」


 エミリアが言う。


この街ハンギングツリーでランガルダンの分もすり潰さなきゃいけないってわけ?」


 すると首吊り公ではなくクローディアが言った。


「いいえ、エミリア。この街にはダレンやランガルダンと比較にならない数の民がいるわ。予定の数をすり潰したから『はい、撤退』とはいかないの」

「ああ、ね……そっか、だからなおさらランガルダンはすり潰してから『はい、撤退』をやらなきゃいけなかったんだ?」

「そういうことね」


 そしてエミリアとクローディアは黙ったのだが、首吊り公もなぜか黙ったまま。

 ロザリーは訝しげに彼の名を呼んだ。


「ヴラド様?」

「ん? ああ、いや。……クローディアはともかく、エミリアがこういう話ができるとは思っていなかったのでな」


 クローディアが片眉を上げて言う。


「子の成長は本当に早いものですわね、あなた?」

「やめてくれ、クローディア。〝骨姫〟がいるのだぞ?」

「そうですわ。ここには二人の大魔導アーチ・ソーサリアがいる」

「んっ?」


 首を傾げる首吊り公。

 クローディアは二人を眺め、感慨深そうに言った。


「並の人生なら、一生のうちにお目にかかれるかどうか。それが大魔導アーチ・ソーサリア。なのに私は幸運にも大魔導アーチ・ソーサリアの妻となり、その食卓にもう一人大魔導アーチ・ソーサリアを招いている。……ロザリー卿、私ね? 夫からあなたを招くと言われて、飛び上がって喜んだの。ねぇ、あなた?」


 話を振られた首吊り公は、俯き加減に頷いた。


「二人の大魔導アーチ・ソーサリアが手を携えてこの街を守るなら、守れないはずがありませんもの! そうでしょう、お二人とも?」


 ロザリーと首吊り公は顔を見合わせ、すぐに二人して首を捻った。


「あまり信用されても、な」

「はい……」


 その様子を見てエミリアが笑った。


「プッ、変なの! 二人ともほんとに大魔導アーチ・ソーサリア?」

「そうは言うがな、エミリア。我らも戦の途中で信じられないものを見て、撤退してきたところなのだよ。なあ、〝骨姫〟?」

「はい。巨大な赤い瞳。天を貫くかのような背丈の巨人でした」


 するとリタがバンッ! とテーブルを叩いて立ち上がった。


「天を貫く!? まるで神話の巨人みたい! そんなの本当に見たの!?」


 ロザリーと首吊り公は再び顔を見合わせ、同時に頷く。


「今でもわからん。あれは何だったのだろうな?」

「え、あれが巨人の王ではないのですか?」

「ふむ……」

「違うのですか? 私、てっきりあれがそうかと」

「いや、まあ私もそう思うぞ? しかしだな……あんな体躯の生物が存在するものか? まるで〝埒外〟ではないか」


〝埒外〟とは人類の文明以前から存在すると謳われる巨大生物のこと。

 何柱かは実在が確認されていて、そのうちの一、二柱はその縄張りまで出向けば現在でも目にすることができる。

 ロザリーが言う。


「むしろ私は〝埒外〟の存在があるから、あんな巨人もあり得るのかな、って思いました」

「まあ、そうとも言えるか。……赤い目の巨人のことはここまでにしよう。いくら話しても推測の域を出んからな」


 クローディアが意外そうに言う。


「よいのですか? そんなに大きな巨人がいたら、この街も踏み潰されて終わりな気がしますけど」

「近づかれれば、な。あれだけの体躯だ、動けばすぐにわかる。足止めするにせよ、逃げるにせよ、策を講じる時間くらいはあるだろう」

「なるほど、そうですわね」


 ロザリーも同調する。


「そもそも、まだ西域にいましたからね。あのまま出てこない気かも」

「だな。とにかく、赤い目の巨人の話はこれで終わり。話しておくべきは覗き魔のほうだ」

「はい」


 ロザリーだけが頷き、クローディアと娘二人は眉を顰める。


「「覗き魔??」」

「私と〝骨姫〟の戦闘を覗いていた輩のことだ。……あれから数日経つ。〝骨姫〟は奴のことをどう考えている?」


 ロザリーは少し宙を見て、それから考えを述べた。


「十中八九、異国の騎士です。おそらくは皇国の騎士。王国の騎士だった場合は高い確率で裏切り者であるかと」

「同感だ。あれが単なる偵察であればよいのだが……」

「何かしてくるでしょうか?」

「蛮族との戦の足を引っ張る工作くらいはしてくると考えておくべきだ。面倒なのは、蛮族とやり合っている、まさにその時にちょっかいをかけてくるだろうということ」

「籠城中に扇動とかされたら厄介でね」

「うむ。見回りは厳にするつもりだが……あの覗き魔は腕が立つからな、私と〝骨姫〟のどちらかがいつでも対応できるようにしておきたいな?」

「わかりました、そのつもりでおります」

「あのさ~」


 ロザリーと首吊り公が熱心に話している中、ふいにエミリアが手を挙げた。


「二人とも蛮族軍のことすっかり無視しちゃってるけどさ。何百万っているんでしょ? ほんとに勝てるの? 私、そっちのほうがめっちゃ恐いんだけど。学校でもみんなビビってたしさ」


 ロザリーと首吊り公は三度、顔を見合わせた。


「でも、私たちが恐いのは覗き魔のほうなの」

「ああ。雑兵はどうとでもなる」


 二人はそう反論したのだが、家族三人はまったく納得した様子がない。

 首吊り公は渋々と言った様子で対蛮族軍の話を始めた。


「……ハンギングツリーの近くには森がある。木を切り出して攻城兵器を大量に作られるような事態は避けたいな」


 ロザリーも応じる。


「ランガルダンでは高梯子と破城槌は見ました。脅威ではありますが、ハンギングツリーの構造と戦力なら十分に対応できるかと」

「巨人はどうだ? 我らでかなり数を間引いたが」

「いくらかは残っているかと。ただ、数が減った分、軍勢の中でその背丈が目立つと思います」

「先んじて対応できるな」

「はい。ところでヴラド様、援軍って来ないのですか?」

「援軍? ……おう、そうだった。近日中に王都から騎士八百からなる部隊が届く。何でも王都守護騎士団ミストラルオーダーなどから選抜した混成部隊だそうだ」

「すごい! それは心強い……心強い?」


 首を捻ったロザリーを見て、首吊り公が笑った。


「フ、そうなのだ。私も不安のほうが勝るんだよ、〝骨姫〟。だから当てにせず、記憶から消しておったわ」

「ボーゴン様みたいな方が含まれていたらすっごく面倒ですよね」

「それよ。名門騎士団の混成部隊……聞くだけで恐ろしいわ。陛下はそんなことなさるまい、と思いたいが……玉座にあられるお方だからこそ、顔を立ててやらねばならない貴族も多いのよ」

「いっそ、間に合わないほうがいいかもしれませんね……」

「……そうするか?」

「えっ?」

「援軍が来ても城門を開けずにおくのだ」

「ああ。『非常時だから確認が取れるまで待て』とか言って……」

「そうそう。そのうちに蛮族軍がやって来て……」

「援軍は仕方なく、ハンギングツリーから離れますよね。でも王命受けて来てるから帰るわけにもいかず……」

「少し離れた場所に陣を張るだろうな」


 ロザリーがパン! と手を打った。


「それってすごくいいです! 包囲されながらも友軍が外から挟み撃ちにする形になってます!」

「よし、それでいくか。……そうだ、〝骨姫〟。あれもやってみたいのだが」

「あれ、とは?」

「蛮族は不死者を恐れる、というやつだ。こういうのはどうだ?」


 そう言って、首吊り公は何やらゴニョニョとロザリーに耳打ちした。

 それを聞いて、ロザリーが首を捻る。


「それは……どうでしょう」

「難しいか?」

「実はあまりやったことがなくて。元々そうなのをスカウトすることが多いのです。だからヴラド様が想像なさっているような形ではできないかも……」

「そう、か。妙案だと思ったのだがな」

「……あっ。じゃあ、代わりにこういうのはどうでしょう?」


 今度はロザリーが首吊り公にゴニョニョと耳打ちする。


「ふむ、それならば私の思っている通りのことができるな」

「はい。しかも一番いいタイミングで演出できるかと」

「なるほど、確かに。そうなればこちらの思いのまま……」

「ええ。ウフフ……」

「ククク……」


 大魔導アーチ・ソーサリアが二人して、悪そうな笑みを浮かべて笑い合っている。

 すっかり蚊帳の外となった家族三人が、悪人にしか見えない二人を眺めて感想を漏らす。


「姉さん。私、不安じゃなくなってきたかも」

「奇遇ね、私もよ」

「ママは初めから不安なんてないけどね♪」

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