第233話 アンテュラ家の晩餐―1

「ラズレン卿~!」

「リセ様~!」

「フィンくん、こっち向いて~!」


 数日後。

 吊るし人ハングドマンがハンギングツリーに凱旋した。

 対外的には恐れられる吊るし人ハングドマンだが、筆頭たちが年若いこともあり、本拠地ハンギングツリーでは大変な人気だった。

 城門を潜った瞬間から黄色い声援が飛び、城下に入ると高層階から紙吹雪が舞う。

 一行は一糸乱れぬ隊列で首吊りの丘ハンギングヒルを上り、頂にある城を目指す。

 そのハンギングツリー城のバルコニーには、二人の大魔導アーチ・ソーサリアの姿があった。


「まるで英雄の帰還ですね」

「フン。いい気なものだ」


 ロザリーは手すりに身を乗り出して行進の様子を見つめていて、首吊り公はその後ろから腕組みして見下ろしている。


「ヴラド様。彼らを褒めて差し上げないのですか?」

「褒める? 褒めるべきところがあるか?」

「だって、吊るし人ハングドマンが蛮族の先遣隊をやっつけてくれたおかげで、私たちは労せずダレンの民を連れてこの街に入ることができました。蜂の巣城での戦も、被害を最小にとどめた完全勝利だったと聞いていますよ?」

「それだけの戦力差があったということだよ。ラズレンのやつが強請るから王命まで用意してやったのだ、失敗されては逆に驚くというものだ。むしろ、さっさと終わらせて我らを出迎えるくらいでいてほしかったのだが」

「あんまり部下に厳しくすると仕返しされますよ?」

「クーデターか? それはよいな、楽しそうだ」

「嘘ばっかり。手塩にかけて育てているのがわかります」

「……そうか?」

「はい」


 吊るし人ハングドマンの隊列が城の門に近づいてきた。

 先頭を行くラズレンがバルコニーに気づき、こぶしを胸に当てて敬礼する。

 すると続く親指一番隊騎士たち、後続の部隊の騎士たちも敬礼した。

 それを見た市民たちが、バルコニーに首吊り公がいることに気づく。


「首吊り公!」

「我らが大魔導アーチ・ソーサリア!」

「ヴラド様~!」


 首吊り公は声援に応えるように右手を挙げた。

 そしてその姿勢のまま、ロザリーに囁く。


「ときに〝骨姫〟。今夜、時間はあるか?」

「えっ? 特に用事はありませんが」

「ならば私の家に来い」

「ご自宅に、ですか?」

大魔導アーチ・ソーサリア同士が親交を深めるには二つの方法がある。ひとつは轡を並べて戦うこと。これはもうやった」

「はい。もうひとつは?」

「酒を酌み交わすことだ」


 ロザリーは眉を顰めた。


「私はまだ、あまりお酒は……」

「心配するな。私も飲まない」

「……はい?」

「下戸だ」

「じゃあ酌み交わせないじゃないですか」

「酒が駄目でも食事がある。そうだろう?」

「ええと……はい」

「遠慮せずに来い。待っているぞ?」


 そうして首吊り公は城内に消えていった。




 その夜。

 ロザリーは一軒の家屋のドアをノックした。


「はぁ~い」


 パタパタと小走りの音がして、ドアが開いた。

 三十代後半くらいの明るく優しそうな、エプロン姿のご婦人が顔を覗かせた。


「あの、本日はお招きありがとうございます。……奥方様でらっしゃいますか?」

「ええ、ヴラドの妻でございますわ。よくいらしてくださいました、ロザリー卿。迷われませんでしたか?」

「はい、人に尋ねながら来ましたが、誰に聞いてもすぐ教えてくれました」

「フフ、知らない人はいないものね」

「えっと私、こういうときの手土産ってわからなくて」


 ロザリーは行きがけに花屋で買った花束を差し出した。


「まあ、綺麗なお花! 嬉しいわ、ありがとう!」

「喜んでいただけてよかったです」


 ヴラドの妻は花束に顔を寄せて香りを楽しみ、それからロザリーに言った。


「ところでロザリー卿って、いつもこんな堅い感じの話し方なの?」

「いえ、そんなことは」

「じゃあ、お堅いのはここまで! さ、入って入って!」


 ヴラドの妻が機嫌よさげに家の中に入っていく。


(イメージと違う……)


 ロザリーが想像していたのは、もっと貴族貴族・・・・していて、礼儀に厳しい人だった。

 だからこそ生まれて初めて花屋で花束など買い求めて来たのだ。

 しかし目の前にいるご婦人は、ごく普通の一般家庭にいる女性といって差し支えない。


「あの、奥方様」


 ロザリーがそう言うと、前を歩いていた妻はくるりと振り向き、ロザリーの鼻先に指を突きつけた。


「それ、禁止ね?」

「はい?」

「私にはクローディアって立派な名前があるの。ほら、言ってみて?」

「……クローディア、さん」

「違うわ。クローディア」

「うぅ、呼び捨ては無理ですよぅ」

「フフ、まあいいわ。許してあげる」


 ロザリーはリビングに通された。

 家族四、五人で囲むのにちょうどいいサイズの長テーブルがある。


「肝心の首吊り公がまだ帰ってないの。適当に座って待っていてくれる?」

「わかりました。……クローディアさんも首吊り公って呼ぶんですか?」


 するとクローディアは悪戯っぽく笑った。


「あの人がいないところでね? 私、夫の悪名が気に入ってるの」


 そしてクローディアは「料理の支度があるから」といって、キッチンのほうへ行った。

 一人残されたロザリーは、上座だけ避けて適当な椅子に座った。

 しばらくすると水の音、火の爆ぜる音、野菜を切る音など料理の音楽が聞こえてきた。

 心地いい音に揺られながら、ロザリーは手持無沙汰になってリビングの壁を意味なく見回した。

 家の外見を見て思ったが、ごく普通の、少しだけ上流家庭のリビングだ。

 大都市の領主の住まいとはとても思えない。

 そもそも、城があるのに領主が住宅街に居を構えているのも珍しい。


「クローディアさんの感じも。そういう信条なのかな」


 そう呟きながら何てことない壁を見つめていると、二階へ続く階段からドタバタと駆け下りてくる足音が聞こえてきた。


「いた!」


 姿を現したのは活発そうな少女。ロザリーより三つか四つ、下に見える。

 少女はロザリーのほうへ駆け寄って来て、長テーブル越しに顔を寄せてきた。


「あなたがロザリー卿?」

「はい。そうですけど」


 目をパチクリしながら答えると、少女はまるで品定めでもするようにロザリーの身体を下から上までじっくりと眺めた。


「見えな~い! こんなに華奢なのに、パパと同じくらい強いの?」

「えっと、そうですね。私のほうがちょっと弱いとは思いますけど」

「ふぅ~ん」


 そのとき、キッチンからクローディアが顔を出した。


「エミリア! お客様に失礼なこと言わないの!」

「え~。言ってないけど~」

「嘘おっしゃい! この前もフィン卿にチビって言ったでしょ! すごく傷ついておられたわ!」

「言ったかなぁ」

「ご飯まで二階にいなさい!」

「はぁ~い」


 エミリアは再び階段をドタバタ音を立てながら二階へ上がっていった。

 少し経って。

 今度は階段がトタトタと鳴った。

 姿を現したのは、大人しそうな眼鏡の少女。

 エミリアより二つか三つ幼く、胸に本を抱いている。

 眼鏡の少女は階段の陰からこちらをじーっと見ていたが、意を決したように本を抱きしめてロザリーの元へ走ってきた。

 そしてロザリーの対面に座り、上目遣いにロザリーの顔を窺った。


「はじめまして、ロザリー卿。私はヴラドの娘のリタといいます」


 ロザリーはにっこり微笑んで応対した。


「はじめまして、リタさん。ロザリーです」

「あの……いくつか伺ってもいいですか?」

「どうぞ?」


 リタは本を抱いて右へ左へ身体と視線を揺らし、それからやっと質問を口にした。


「あなたはたくさんの巨人を討ったと聞きました」

「そうですね。たくさん討ったかと思います」


 するとリタはぐっとテーブルに身を乗り出した。

 眼鏡の奥の瞳が好奇心で輝いている。


「それって具体的にどのくらいの数を? 私の父とどちらが多かったですか? 巨人は騎士より強いとアンおばさんに聞いたのですが、それは間違いですか? それともロザリー卿と私の父が強すぎるだけですか?」


 その勢いにロザリーが面食らっていると、玄関のほうから男性の声が響いてきた。


「リタ。またお客様を質問攻めにしているのか?」

「はっ! はわわっ!」


 リタは慌てて逃げ出そうとして階段へ駆けていき、テーブルに本を忘れたのを思い出して、駆けて戻って来て、今度こそ階段を駆け上がっていった。

 声の主――首吊り公は階段を見つめながら、ため息をついた。


「すまぬな、〝骨姫〟」


 ロザリーは膝に手を置き、両足をブラブラさせた。


「いいえ。エミリアとリタのおかげで退屈しませんでした」


 首吊り公は上座の椅子に座り、また階段のほうを見た。


「エミリアも来たのか。あの子らは性格は正反対なのだが、好奇心を止められないたちだけは瓜二つ。困ったものだ」

「よいではないですか。いいご家庭なのだとわかります」

「フン。小娘に言われると、な」

「ふふ、エミリアちゃんもすぐにこのくらい言うようになります。もうすぐ、ソーサリエですよね?」

「来年だ。エミリアが魔導持ちだと誰に聞いた?」

「誰にも。でも魔導持ちだと思います」


 首吊り公が頷く。


「二人とも魔導持ちだ。魔導など無くてよいのにな、無ければずっとハンギングツリーにいられるものを」

「あら、親馬鹿なんですね?」

「何とでも。娘と一緒にいたくて何が悪い」

「悪くはないです。親馬鹿なだけ」

「フン。……魔導性を調べていないのだが、二人は何色だと思う?」

「エミリアはどうでしょう? リタのほうは魔女の気配たっぷりですが」

「やはりそうだな? 私もそう感じる。となると、エミリアは緑か」

「クローディアさんが緑?」

精霊騎士エレメンタリアの家系だ」

「なるほど……」


 するとキッチンからクローディアが大皿を抱えてやってきた。


「私の噂話?」


 ロザリーが笑う。


「はい、クローディア卿」

「まあ、騎士としてのそういう話なのね」

「どのような精霊と親しまれるのですか?」

火蜥蜴サラマンダーよ。大した火力はないけれど、お料理にはすっごく便利なの。火加減を間違えないからね?」

「じゃあ火蜥蜴料理なんですね!」

「ええ、そう!」


 テーブルに置かれた大皿を見て、首吊り公が感嘆の声を上げる。


「おお、野兎のクリーム煮ではないか! 〝骨姫〟、クローディアのこの料理は絶品だ、王国のどの料理人も及ばない。間違いないぞ?」

「まあ、ごちそうさまです」

「嫌だわ、ロザリー卿。まだ食べていないのに。さ、あなた。エミリアとリタを呼んで来てくださる?」

「心得た」


 首吊り公が席を立ち、階段を上がっていく。

 それを意外そうに眺めるロザリーに、クローディアがパチッとウィンクした。


「娘たちの迎えはヴラドの任務なの」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る