第230話 蜂の巣城

 ランガルダン要塞より後方に、山岳にこびりつくように建つ防衛拠点がある。

 その名も〝蜂の巣城〟。

 その見た目からついたあだ名が、いつしか正式名称になった城である。

 獅子王国中央の平野部に侵入するには西方都市ハンギングツリーを抜く必要がある。

 だが、奇策としてならばらこの地の山越えもひとつの方法となる。

 いくら蛮族ガーガリアンは山岳民族といえど、軍勢を率いて越えるには険しい山岳だ。 

 それでも万が一に備え、山越えを封じるために築かれたのがこの要害であり、当然ながら築かれてより攻略されたことはない。


 そして現在。

 難攻不落のこの城は、ふもとを五十万の蛮族に囲まれていた。


 ――蜂の巣城、会議の間。


「打って出る? 血迷われたか、司祭長殿?」


 蜂の巣城の城主ダグラスがギロリと聞き返した。

 齢七十五、この城に詰めて三十年になる古兵ふるつわものである。

 老いてなお衰えぬ眼光に射抜かれては、口が達者な司祭長も萎縮するしかなかった。

 しかし、対西域騎士団連合の騎士団長たちが次々に異を唱える。


「何を恐れることがある!」

「蛮族がどれほどのものぞ!」

「無駄だ、ダグラス卿は老いたのだ!」


 城主ダグラスは大きくため息をついた。

 やはり、ボーゴン総帥が「軍議に参加したい」と言い出したときに断っておくべきだった。

 まさか図々しくも、二十余名の騎士団長たち全員を参加させるとは思いもよらなかった。


(いや。こやつらが大挙して蜂の巣城へ逃げてきたとき、城に入れるべきではなかったのだ)


 ボーゴン総帥が王室と血縁があると知らなければ、それもできた。

 まあ、西方に暮らしていて、それを知らぬ貴族はいないのだが。

 何はともあれ、後の祭りである。


「大丈夫だ、ダグラス卿」


 ボーゴン総帥が優しげな表情を浮かべて口を開いた。


「卿はここにいてくれればいい。私があなたを勝たせて差し上げよう」


 この発言には城主ダグラスも驚いた。


(どういう風の吹き回しだ?)

(今まで、自分たちで戦う素振りは一切見せなかったではないか)

(先日も、周辺地域の騎士を集め対西域騎士団連合を再編するなどという馬鹿馬鹿しい妄想を語るばかりだったのに……)


 城主ダグラスは微かに首を傾げ、それから言った。


「誰かに貰う勝利など欲しくもないが」


 ボーゴンがわざとらしく拍手する。


「さすがは古兵。であればこそ、この蜂の巣にひたすらに籠っているのでは武名が泣くのではないか?」

「どの口で――」


 そこまで言って、城主ダグラスは感心してしまった。


(戦わずして要塞を失い、挙句の果てに撤退戦で損害まで出した)

(なのに臆面もなく他者に「臆病者」と言えるこの厚かましさよ)

(逆に貴い血筋でなければ、将軍として大成したかもしれんわ)


「ダグラス卿。どうか?」


 ボーゴン総帥の再度の問いに、城主ダグラスは言った。


「なるほど……やっと気づいたのだな?」

「ん? 何がだ?」

「巨人のいない蛮族など数がいても大したことない、ということにだよ」


 司祭長はボーゴン総帥の顔を見、騎士団長たちは互いに顔を見合わせる。

 事実、対西域騎士団連合首脳の中でそれが共通認識となったのは昨日のことだった。

 彼らは蜂の巣城に逃げ込んで以来、防衛戦は城の兵に任せて自分たちの兵は温存してきた。

 彼らの中で「どうにも様子がおかしい」という話になったのは、それから数日経ってからだ。

 いくら蜂の巣城が難攻不落とはいえ、なぜ五十万もの大軍がなぜ攻めあぐねるのか。

 それをようやく不審に思い、配下を送って防衛戦の経過を調べさせた。

 城主ダグラスは地の利を巧みに活かし、城の兵とわずかな騎士のみで、迫り来る大軍を見事に跳ね返していた。

 そしてこれが可能なのは、平均的な蛮族の戦闘能力は魔導騎士と比べて数段劣るからに他ならない。


 城主ダグラスは考える。


(こやつらの目的は名誉の挽回。撤退が失敗だったと認めたくないのだ)

(騎士団連合の再編構想も、撤退にも意義があったことにしたいからであろう)

(目の前の蛮族が思っていたより弱いのなら、遠回りな方法に頼らずともよい、と考えたか)


「それは認めよう、ダグラス卿」


 ボーゴン総帥が言った。


「だが卿にとっても悪い話ではあるまい? 日々の防衛戦で少しずつ被害が増えていることは把握している。我らが打って出て蛮族共を殲滅すれば、それはなくなるのだ」


 しかし城主ダグラスは首を横に振った。


「許可できぬ」


 これにはボーゴン総帥はじめ一同は目を丸くし、それから一斉に不満を口にした。


「なぜだ!」

「そもそも動かすのは我らの兵と騎士! 許可など求めておらぬわ!」

「そうだ! ダグラス卿に拒否されるいわれはない!」


 ボーゴン総帥が静かに言った。


「みなの言う通り。筋を通すために話したまでのことだ。我らは打って出る、それでよろしいな?」


 この念押しに対しても、城主ダグラスは頑として首を横に振った。


「どうせ策もなく、部下を突撃させる腹だろう? ダメだ、許さぬ」

「ダグラス卿!」


 ボーゴン総帥が長テーブルを叩いて立ち上がり、騎士団長たちも続いて立ち上がる。

 城主ダグラスはそれらを上目で見回しながら、冷たく言った。


「卿らが殲滅すると息巻いておる相手は、先日撤退戦で多くの被害を出したのと同一の敵。わかるか? 同じ、相手だ」

「あれは、撤退の最中に背を討たれたから――」

「――そう。背を討たれているのに、そのまま撤退を継続したからだ。反転して応戦するだけでもあれほどの被害は出さなかった。つまりは統率者のせいだ」


 騎士団長たちは責任から逃れるようにボーゴン総帥を見た。

 当のボーゴン総帥は悪びれる様子もない。


「ダグラス卿。たしかに連合は撤退戦において騎士二百の損害を出してしまった。痛ましいことだ。だが、卿は知らぬ。死んだ二百は命令違反の末の戦死なのだよ」


 城主ダグラスが薄く笑う。


「聞いているよ、ボーゴン総帥。彼らは最後尾に置いていかれた兵卒や要塞勤めの民を守るため、個人個人で反転応戦した者たちだ。その一方、卿ら連合首脳は軍を置き去りに一目散に逃げていたのだよな?」


 ボーゴン総帥の眉がピクリと跳ねる。


「……騎士に損害が出ぬよう、先に騎士を逃しただけのこと。騎士と兵卒の混成部隊において優先すべきは騎士である。常識ではないかね?」

「それは戦力として価値が高いからだよ。戦わずに逃げるばかりの騎士など、生かす価値もない」

「後の大戦のための戦力保持だ! 撤退戦は騎士の使いどころではない!」

「ならばなぜハンギングツリーではなく蜂の巣城へ参られた? ランガルダン要塞が落ちれば、次に大戦となるのは西方最大の都市だ。こんな山城ではない!」

「~~ッ!」

「代わりに答えて差し上げようか、ボーゴン総帥。あなたは蛮族以上に首吊り公を恐れたのだ。無様な撤退戦の果てにハンギングツリーに入れば、騎士団連合の指揮権を奪われてお山の大将ではいられなくなるやもしれぬからな? ランガルダンでは〝骨姫〟を恐れ、〝首吊り公〟を恐れたからハンギングツリーへ向かわず我が城へ来た。だが残念でしたな? 私は大魔導アーチ・ソーサリアではないが、あなたに指揮を委ねはせぬ!」


 ボーゴン総帥が青筋を立てて怒鳴る。


「私のだ! 騎士団連合は私のもの! 貴様ごときにどうこう言われる覚えはないッ!」

「それもこの城に入るまでのこと。無能な統率者のためにこれ以上の被害は出させぬ。どうしても打って出たいならば、ここにいる皆様方だけで行かれるがよろしかろう」


 ボーゴン総帥は歯噛みして、城主ダグラスを睨んでいた。

 しかしふっと表情が緩んで、居並ぶ騎士団長たちに目配せした。

 騎士団長たちが互いを見やる。


「本当にやるのか?」

「やるしかないだろう」

「しかし……」


 ぶつぶつと言葉を交わす騎士団長たちに、ボーゴン総帥が怒声をもって命令した。


「つべこべ言わず、やれいッ!!」


 騎士団長たちは怒鳴られた瞬間、スイッチが入った。

 それぞれが剣を抜き、会議室の壁と部屋の入口に立っていた兵卒を次々に刺し殺すか、斬り伏せていく。


「貴様らッ!」


 堪らず城主ダグラスが立ち上がると、その首に近くの席の騎士団長から剣が突きつけられた。

 一人、剣を持たぬ司祭長が薄く笑って言った。


「クフッ、助けは来ませぬぞ? 卿の騎士は防衛戦に出払っていると確認済みでございます故……」

「……ッ、正気か、ボーゴン!」

「無論、正気だとも。ダグラス卿は蛮族との戦で不運にも命を落とされた。これより不肖、ボーゴンが城主代理として指揮を執る。……殺せ」


 剣を突きつけていた騎士団長が、その剣先を城主ダグラスの首筋に当てる。


「ご覚悟を」

「……貴様がな」

「ッ!?」


 城主ダグラスは剣を首に当てられたまま騎士団長に掴みかかり、相手の肩口をがっしと左手で握って引き寄せた。

 同時に右手でショートソードを抜き、相手の胸元へ刺し込む。


「がっ、は……」

「敵を討ち取るときに『ご覚悟』もクソもない。黙って殺さんか」


 騎士団長がずるりと床に落ち、血に濡れた剣を見た城主ダグラスの瞳に戦の熱が宿る。

 首にできた傷から垂れた一筋の血を指ですくい、ペロッと舐める。


「さあ来い、腐れ騎士共。このダグラスの道連れにしてやろうぞ」


 歴戦の老騎士の殺気に、騎士団長たちが後ずさる。


「恐れるな! こちらは二十人の騎士がいるのだぞ? 相手は年寄り! 負けようがないであろうが!」


 そうボーゴンが叫んでも、怯んだ彼らは足を踏み出せない。


「チ、使えぬわ。……司祭長! 下の階から配下の騎士を呼んで来い!」

「は……いかほど?」

「全員だ!」

「は? いや、ははは……この部屋に千人も入りませんよ」


 ボーゴンが司祭長を睨みつける。


「とにかく連れてこいと言っておるのだ!」

「お鎮まりを、総帥閣下。それでは騎士たちの口から城主殺しが露見してしまいます。……代わりに、こんな手段はいかがでしょう?」

「なんだ?」

「入ってきなさい、マーガレット」


 司祭長が呼び込むと、控えの間から幼い修道女が入ってきた。

 年は十には満たない程度で、殺気立った会議室の様子に怯え切っている。


「おお、おお。可愛そうに。こちらにおいで、大丈夫だから」


 司祭長は修道女を呼び寄せ、たるんだ腹に顔を抱いた。


「……司祭長。少女趣味を見せつけるのも時と場合を選びたまえ」

「ああ、総帥閣下。そのような恐ろしい目で睨まないでください。ほら、ダグラス卿は別の感想をお持ちのようですよ?」

「む?」


 ボーゴンと騎士団長たちの目が城主ダグラスへ向かう。

 彼は先ほどまでの戦意はどこへやら、恐怖に駆られた老人の顔になっていた。

 司祭長が言う。


「このマーガレットという娘。実はダグラス卿の孫娘なのです」

「ッ! 身内がいたのか? 天涯孤独の身と聞いておったが」

「たった一人の身内であったご子息を亡くされましたからな。しかし、そのご子息には私生子がいたのです。ダグラス卿がそれを知り、その子が教会に預けられていることを突き止めたのは二年ほど前のこと。そうですな、ダグラス卿?」


 城主ダグラスは顔を青ざめさせて俯くだけ。

 司祭長が続ける。


「引き取らなかったのは賢明です。蜂の巣城のような古い戦城は、幼い子供を育てる環境とは言い難いですから。……しかし月に一度、教会へ孫娘の顔を見に行ったりすれば、私には筒抜けでございます。なにせ、西の教会はすべて私の管轄下にあるのですから」


 マーガレット自身は城主ダグラスを祖父だとは認識していない。

 よく教会に現れる老人が、なぜか教会の偉い人たちと言い争っている、という程度の認識だ。

 城主ダグラスはそんな孫娘をいとおしそうに見つめ、それから言った。


「司祭長!」

「おっ!? ……なんですか、立場がおわかりでない?」

「マギーを奥へ頼む。見せずとも・・・・・よかろう」

「なるほど。畏まりました」


 司祭長がマーガレットを連れて会議室を出ていく。

 完全に姿が見えなくなると、城主ダグラスは剣を捨てた。

 ボーゴンはその様を見、軽蔑の目を向けて言った。


「フン。信念より身内が大事か。古兵もたかが知れた」


 城主ダグラスが笑う。


それ・・で息子を失ったからな。……しかし貴殿はほんに、『お前が言うか』という

 台詞を吐く男だな? 恐れ入ったわ」

「……何の話だ?」

「自覚もなし、か」


 城主ダグラスは床に膝つき、襟元を緩めて首周りを剥き出しにした。


「さあ、殺れ」

「言われずとも」


 ボーゴンは冷たい目で親指を下へ向けた。

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