第229話 覗き魔一行の晩餐
――ダレン物見城、望楼の屋根の上。
「いかん、いかん。儂もまだ青いわ」
老伯は笑みを浮かべつつ、眼帯を付け直した。
そこへ、斥候役のジャズがやってきた。
「老伯。何かありましたか?」
「ハンギングツリーから首吊り公が出てきて、ガーガリアンの軍勢とぶつかったようだ」
「ッ! ……結果は?」
「蛮族共は散々に打ちのめされたよ。途中で首吊り公が退いたので、軍勢は残ったが……それでも再編するのに数日は要するだろう」
「なぜ、首吊り公は退いたのでしょう?」
老伯はぼそりと言った。
「半分は儂のせいだ」
「はっ? 申し訳ありません、よく聞こえず……」
すると老伯は西の空を指差した。
「例の魔眼を目にしたからよ」
「なるほど。あれを見てはさすがの金獅子もうろたえるでしょうな」
「オズはどうしている?」
「いつもの通り、台所でセーロと何やらコソコソやってます。またどこからか、怪しい食材を見つけてきたのでしょう」
「ここ数日、奴の口からは『腹減った』しか聞いていないな」
「私もです」
老伯は少し考え、それから命を下した。
「
「ッ! いよいよ動くのですね……!」
老伯は髭の奥でニヤリと笑った。
――三十分後。
ダレン物見城の台所の長テーブルに、パンと葡萄酒、焼いた塩漬け肉が並んだ。
八人が十分に腹を満たせる量があり、老伯一行は久々のちゃんとした食事に、大いに盛り上がっている。
一方のオズとセーロは、真顔で、目線だけで会話していた。
(どこから出てきたってんだよ、この食料!)
(ええ、ええ!)
(塩漬け肉!? 葡萄酒の瓶!? そんな嵩張るもの、どこにも持ってなかった!)
(間違いねえです!)
(買ってきたとでも? 周りに村も町もないのに!)
(人っ子一人、いやしません!)
(誰かに運ばせたってのか? あの雷の男か?)
(西域には雲が出てやすが、こっちはずっと晴れ! 雷雲なんて出ていやせん!)
(じゃあ何か? 老伯は食べ物を生み出す術でも使えるってのか!?)
(そんな術、ありやせん!)
(……いや、ある)
(あるんですかい!)
セーロがずっこけた。
その拍子に手前にあった木皿が下に落ちたので、その音で歓談していた老伯一行の視線が一斉にオズたちのほうを向いた。
上座に座る老伯が言う。
「オズ。食べぬのか?」
オズとセーロはまだ一口も手をつけていない。
「お前のために用意したのだがな?」
「……食うよっ!」
オズは焼いた肉を手で掴み、むしゃりと食いちぎった。
「……うまっ」
「親分ズリぃ! あっしも!」
それからオズとセーロは夢中でパンと肉を食べ、葡萄酒を流し込んだ。
老伯は満足げに頷き、一行はまた歓談し始めた。
葡萄酒の杯を傾けながら、オズが一行の顔を順に窺う。
(食べ物を生み出す術なんて知らねえ)
(だが、【隠し棚】がある)
オズはこっそりとズボンのポケットに手を突っ込んだ。
そしてポケットの奥底にある小さな
オズは貴重品を隠すのに【隠し棚】使っていて、例えば今、指で触っているのは老伯から受け取った前金の金貨だ。
(きっとこの中に
(どいつかな~。アルフレドは
(オルトンもイメージが違う……ジャズかな? あいつが怪しい……いや、でもな~)
そんなふうに騎士たちを観察しては予想して、首を捻っていると、また老伯から声がかかった。
「どうした、オズ。何か疑念があるのか?」
「んっ? ああいや、これからどうするのかと思ってさ。ずっとダレンで暮らすわけでもないだろう?」
「うむ。そうだな、話しておくか」
「えっ?」
老伯が杯を置くと、騎士たちは彼に身体を向けた。
老伯が語り出す。
「つい先ほど。ランガルダン要塞とオラヴ河周辺で蛮族軍本隊と王国軍がぶつかった」
ジャズ以外の者たちが、ざわっとして顔を見合わせる。
「おっさん。あんたどうやってそれを」
「まあ、待てオズ。……王国軍は要塞に立てこもり、巨人が出てきたところで金獅子〝首吊り公〟が迎え討った」
さらに騎士たちがざわめく。
「それで、どうなったのですか?」
女騎士が尋ねると、老伯は自分の首に手を巻いて、おどけてみせた。
女騎士が言う。
「巨人を縛り首に……さすがは
「首吊り公はそのまま敵陣に攻め込み、巨人ばかりを散々に討った。巨人以外の軍勢はかなり残っているが、巨人は七割近く討たれたのではないか?」
女騎士は目を丸くした。
「なんと、首吊り公とはそこまで……」
「ランガルダンには、ここダレンにいた民草が匿われている。首吊り公がハンギングツリーから出てきたのは、この民草を後方へ逃がすためだろう」
「ということは、今から民草を連れてランガルダンから撤退する……?」
「その通り。蛮族共も軍を整え次第、追うだろう。だがあのやられようでは数日はかかる。……それらを踏まえた上で、我々の行動予定を伝える」
一同が頷き、黙して老伯の次の言葉を待つ。
「これより、ハンギングツリーへ向かう」
「「ハッ!」」
騎士たちは反射のように返事をしたのだが、オズは立ちあがって異議を唱えた。
「待て待て、おっさん!」
「オズ。何か問題があるか?」
「蛮族軍は健在なんだろう? ハンギングツリーに入る前に、蛮族軍とぶつかるぞ!」
「ハンギングツリーに入るとは言っておらん。周辺に潜伏する予定だ」
「余計悪いだろ! 蛮族軍が再編完了したら、もぬけの殻のランガルダンをほっといてハンギングツリーへ向かうはずだ! 周辺に潜伏なんてしたら、囲まれて動けなくなっちまうぞ!」
「そうはならんから安心しろ」
「何の根拠があって、そんなこと――」
「――オズ。儂を信じろ」
有無を言わさぬ老伯にオズは言葉を失い、周りの騎士たちを見た。
オズがこれほど危険である理由を並べたのに、彼らの表情には一片の不安も見られない。
(……老伯を信じてる、ってか?)
(何なんだよ、こいつら)
(何なんだよ、このおっさん!)
――その頃、ランガルダン要塞。
城壁の上にハンスと首吊り公の姿があった。
「いやはや! 我らは
ハンスが手揉みしながらそう言うと、首吊り公は意外そうに彼を見た。
「その歳で初めて? ……そうか、ダレン卿は獅子侵攻に従軍しなかったのだな?」
ハンスは嫌なことを思い出すかのように、目を細めた。
「ええ。万が一に備え、ダレン物見城に留まれと密命が。当時はそれを知らない貴族からなじられたものです。勝ち戦に従軍しない臆病者め、などと……」
「……まさか、あれほどの大敗が待っていようとはな」
「はい。引き上げてくる王国軍を見て、震え上がったものです。皇国軍の追撃が来たら、私は身を挺して食い止めねばなりませんから」
「あのとき追撃されなかったのは今でも不思議だ」
「ええ。そのおかげでこの歳まで生き延びましたが」
「今回、また生き延びてしまったな?」
「はい。ダレンを失ってしまいましたが……金獅子のお二方のおかげです」
「〝骨姫〟一人で十分だった気がするがな」
するとそこへちょうど、ロザリーがやってきた。
「ご冗談を、ヴラド様。少なくとも〝髑髏じゃらじゃら男〟と〝髭むくじゃらハンマー〟は苦戦したはずです」
「おお、〝骨姫〟。特に大型の三体、だったな?」
「はい。残念ながら一体、討ち漏らしてしまいましたが……なんでしたっけ? 紫男?」
するとハンスが古びた手帳をめくりながら答えた。
「クリスタの言った三体は、〝髭むくじゃらハンマー〟が城崩しのニョルグフ。〝じゃらじゃら男〟が首集めのクルシュガだと思われます。となると、残る〝全身紫男〟は、黥面アスモデかと。巨大な身体じゅうを刺青で飾った巨人です」
首吊り公はふんふんと頷いた。
「それは目立ってよいな。見つけたら殺そう。な、〝骨姫〟?」
「物騒な同意を求めないでください。それより、本当に今すぐ撤退するのですか?」
「何を言う。すでに撤退準備も終盤ではないか」
三人が城壁から要塞内部へ目を落とす。
城壁の中では兵や民が忙しく動き、撤退の準備に追われていた。
首吊り公は用意周到で、徒歩での長距離移動が困難な民や負傷者のために、数百台の荷馬車をランガルダンに連れてきていた。
これらは鉱石商人が買い付けに使う馬車を徴発したもので、それゆえに大きく頑丈で、年寄りから妊婦や幼子、負傷兵らを十分に運ぶ運搬能力があった。
「私が心配しているのは、蛮族の先遣隊です」
ロザリーは不安そうにそう言った。
蛮族の先遣隊とは、ランガルダン要塞から逃げたボーゴン総帥らを追っていった軍勢のことである。
先遣隊とは名ばかりで、その兵数は実に五十万とされる。
「もし、先遣隊と再編した本隊とに挟まれたら……民を守ることは困難です」
「本隊は十分に叩いた。短期間では再編できん」
「でも、先遣隊は野放しなのでしょう?」
「その軍勢は後方の蜂の巣城に殺到している。我が
ハンスが興奮気味に手を打つ。
「おお! 精鋭と名高き
「元々の対西域連合騎士団もいる。魔導騎士がそれだけおって、巨人のおらぬ大軍など物の数ではないだろう」
しかし、ロザリーはまだ不安の色を隠そうともしない。
「でも……それを指揮するのはボーゴン総帥になのでしょう?」
すると首吊り公はニヤッと笑った。
「抜かりないよ、〝骨姫〟。
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