第228話 骨姫と首吊り公

「次だ! 遅いぞ〝骨姫〟!」

「はいっ、ただいま!」


 ロザリーだってグリムで全力で駆けている。

 なのに、先を行く首吊り公にまったく追いつけない。


(今の巨人なんて、私が着く前に終わっちゃった……次こそは!)


 ロザリーが宙を高速で移動する首吊り公を見上げる。


(でも……あんなのズルい!)


 首吊り公の移動手段は赤いロープを巧みに使ったものだった。

 任意の空間から吊り下げられる特性を利用して、自分の進行方向に手をかざす。

 すると自分のかざした手と前方の空に赤いロープが張られ、それを使ってスイング移動。

 移動した先でまた手をかざしてスイング移動。

 単にこの連続なのだが、これが恐ろしく速い。

 巨人を見つけると、今度はその巨人の首と自分の手をロープで繋ぎ、ロープを一気に縮ませて急速に接近し、手のほうのロープを宙に放って、巨人を吊り上げる。

 移動と戦闘が一連の行動となっていて、これではロザリーも追いつけない。


「遅いと言っている!」

「わかっています! これでも急いで……えっ?」


 気づけば、ロザリーの腰に赤いロープがグルグルと巻かれていた。

 首吊り公がグンッ! と腕を引くと、ロザリーはグリムの上から前方へ引っ張り出された。


「きゃああぁっ!?」


 目が眩む速度で宙を滑るロザリー。

 あっという間に首吊り公を追い越して、前方にいた巨人めがけて投げられる。

 ロザリーは急速接近する巨人の醜悪な顔を見て、〝白霊〟を抜いた。

 ――ヂィィィン!!

 鋭く刃が鳴る音がして、巨人の首が刎ね落とされる。

 ロザリーは土煙を上げながら着地しつつ、後方の首吊り公に叫んだ。


「酷いです、ヴラド様ッ!」

「はは、できるではないか、〝骨姫〟!」

「もうっ」


 オラヴを越えてからというもの首吊り公はとても愉快そうで、ロザリーを置き去りにしたかと思えばこれだ。

 まるでやんちゃな少年のような振る舞いで、悪意を感じないのでロザリーも怒るに怒れない。

 追いついてきた首吊り公に、ロザリーが言った。


「久しぶりの戦、ということですか?」

「察しがいいな? 単騎で敵陣突入など何年振りか、もうわからん!」

「単騎……私もいますが」


 ロザリーが頬を膨らませると、首吊り公は眉を寄せて笑った。


「許せ、言葉のあやだ。いつもは自前の騎士団が周りにいるからな、手間のかかるうるさい奴らがいない、という意味だ」

「なるほど。自分の騎士団を持つと、戦で自由に振る舞えないのですね」

「そうだ。だから何年振りか、何十年ぶりか……騎士団など持つべきではないぞ、〝骨姫〟?」

「教訓として伺っておきますわ、ヴラド様」


 そのとき。


「「オ゛オ゛オ゛ォォッ!!」」


 二人の四方八方から野太い叫び声が響いてきた。

 二人の立つ地面が揺れる。

 蛮族共が大挙して押し寄せてきたのだ。


「なんだ、こやつら?」

「ヴラド様。私たちって今、敵陣のど真ん中で立ち止まって雑談しているわけですから。彼らが怒って攻めてくるのも仕方ないかと」

「関係あるものか。大魔導アーチ・ソーサリア同士の会話の腰を折るなど――大罪だぞ、貴様ら?」


 首吊り公の瞳が赤々と輝く。


「私はこちらを」


 ロザリーは首吊り公が向いているのと逆側を向いて、瞳に紫光を宿した。

 あらゆる方向から、何万の蛮族が迫る。


「縛り首だ!」

「〝亡者共〟!」


 鎧袖一触。

 二人を境として、二種類の地獄ができあがった。

 首吊り公側の戦場では、彼の視界に映った蛮族共が無差別に吊るされ、幾万の吊るされた男ハングドマンが荒野の空を飾る。

 ロザリー側の戦場では、彼女の影が広がって地面を真っ黒に染め上げ、そこから這い出てきた青白き〝亡者共〟によって、幾万の蛮族が地の底へと引きずり込まれていく。


 首吊り公が振り向いて言う。


「さて、話の続きだが。そうはいっても騎士団を持つことは、騎士にとって社会的に――」

「――ヴラド様。続きは戦のあとに」

「そうか? ……ではそうするか」

「はい」

「狩り再開だ! 今度こそ遅れるなよ?」

「はいっ!」



 一方その頃、ランガルダン要塞ではゲオルグ率いる魔導騎士部隊とナンバーズらによる掃討作戦が続いていた。

 ロザリーが巨人の侵入を防いだため、こちら側の蛮族軍に巨人の姿はない。

 掃討は順調に進み、もはや蛮族軍は要塞を攻めるどころか逃げ回るのが精一杯であった。

 城壁の守りを担当していたレーンや次子ケヴィン、天馬騎士クリスタらは城壁周りで最も高さのある、西門やぐらのハンスの元に集まっていた。

 オラヴ対岸で起きている戦の趨勢を見守るためだ。

 ハンスが呻くように言う。


「何という光景だ……これは現実か?」


 レーンが頷く。


「まるで、神話の世界を覗いているようです……これが大魔導アーチ・ソーサリア……」


 ケヴィンは顔を青くして呟いた。


「立った二人で巨人共を、ああも軽々と……俺たち、本当に必要だったのか?」


 三人が、味方のあまりの強さに血の気を引かせる中。

 クリスタだけは両の拳を握りしめ、顔を紅潮させて興奮していた。


「〝骨姫〟様、すごいっす……!」



 オラヴ対岸の蛮族軍は荒野に広く布陣し、そこには数多の蛮族がひしめいている。

 先を行く首吊り公はそのすべてを相手にする気はなく、巨人のみを標的としている。

 ひしめく蛮族の大軍の中で、巨人は頭一つどころではなく飛び出ているので、見つけるのは容易い。


「いたな、巨人共!」


 首吊り公の視線の先に、珍しく四体の巨人が固まっていた。

 二人の接近を見て、それぞれが得物を構える。


「〝骨姫〟! 先手を打ってみろ!」

「お任せを!」


 ロザリーが〝黒曜〟を抜き、空に掲げた。

〝黒曜〟は煌きながら妖しく泣き震え、戦場を漂う悲しき亡霊たちを呼び寄せる。


「行け! 〝揺蕩う者共〟!」


 ロザリーが〝黒曜〟で巨人を指し示すと、無数の幽体死霊アンデッドが恐ろしげな嘆きを叫びながら、四体の巨人に殺到した。

 すると――。

 首吊り公が驚きの声を上げた。


「何と! 巨人共が逃げよるぞ!」


 四体の巨人たちがゴーストの群れを見るや、背中を向けて逃げ出したのだ。


「やっぱり……! 蛮族って迷信深いとハンス卿から聞いていたんです。ダレンの巨人の不死者を使ったときも怯んでいたように見えましたし、じゃあゴーストなら? と思いまして」


「なるほどな……逃げた巨人は私がやる! 〝骨姫〟はゴーストで脅しながら、さらに敵陣奥へ斬り込め!」

「はいっ!」


 ロザリーは首吊り公と別れ、まだ蹂躙していない敵陣へと向かっていった。

 首吊り公は移動速度をさらに速め、巨人を追う。

 すぐに逃げる四体の巨人の背が大きく見えてきた。

 奴らもこちらに気づく。


「ムッ!?」


 首吊り公はまたも驚きの声を上げた。

 四体の巨人が揃って得物を捨て、両手で首を覆ったのだ。


「私の縛り首への対策のつもり、か……? 健気すぎて涙が出そうだ」


 追い着いた首吊り公に対し、四体の巨人は首を隠したまま、彼を取り囲んだ。


「その手のひらごと、括って吊るしてやってもいいのだが……こういうのはどうだ?」


 赤いロープが四体の巨人それぞれの足首にグルグルと巻かれ、その先が首吊り公の手に繋がっている。

 首吊り公がグゥン! と赤いロープを引くと、四体の巨人が同時にすっ転んだ。


「さァ! 引きずり回しの刑といこうぞ!」


 首吊り公は四体の巨人を引きずりながら、先に行ったロザリーを追って高速移動を始めた。

 巨人共は異常な速度で引きずられて立ち上がることもできず、自重の重さも相まって、地面に磨り下ろされていく。

 首吊り公はそれに構うことなく、先へと進んでいく。

 ロザリーはかなり敵陣深くまで進んでいて、首吊り公はやっとのことで彼女を見つけた。


「ほう」


 首吊り公はロザリーを見つけ、高速移動を止めて荒野に降りた。

 チラリと振り向き見て、無惨な骸となった四体を捨てる。

 彼の興味はすでにロザリーと、その相手に移っていた。


「あれはデカいな、とびきりだ」


 先に行ったロザリーは、大型の巨人と対峙していた。

 巨人はもくもくとした髭の巨人で、今までで最も大きかった。

 獣の皮をいくつも繋いだ腰巻と脚絆を身に着けていて、それ以外は裸。

 だがその肌が、鋼鉄の鎧よりも強固に見える。

 すでに何合か打ち合った後のようで、ロザリーと巨人は睨み合っている。


「〝骨姫〟」


 首吊り公が声をかけると、ロザリーは振り返らずに返事をした。


「ヴラド様」

「これは今日一番だな?」

「はい。クリスタ――天馬騎士が言っていた、一際大きい個体の一つだと思います」

「ほう。その一際大きいのは、全部で何体いるのだ?」

「三体。うち一体は、すでに討ち取っています」

「ほう。やるではないか、〝骨姫〟」

「あ、正確にはヴラド様が討ち取っています」

「む?」

「最初の、ジャラジャラとした首飾りを着けた個体です」

「おお、あれか。今思えば、たしかに他の個体より重かった・・・・気はする」

「いかがされます?」

「遠慮するな。行け、〝骨姫〟」

「ハッ!」


 ロザリーが〝白霊〟を手に飛び出す。

 速く、鋭く、仕掛けるが、こちらの剣先が届くはるか前に、髭の巨人の巨大なハンマーが暴風を巻き起こしながら振られる。

 一旦は無視しようとしたロザリーだったが、舌打ちして、受けの姿勢に変えた。


(ほんとにもう! このリーチの長さは頭にくる!)


 数回、打ち合っただけだが、ロザリーは髭の巨人の攻撃を正確に把握していた。

 城壁を一撃で粉砕するであろうこのハンマーは、威力もさることながら、狙いが緻密だ。


「く……っ!」


 ロザリーはきっちりと受けたが、小石のようにふっ飛ばされた。

 ダメージはないが、このままどこまで飛ばされるか……そう思った矢先。

 背中が何か柔らかいものにぶつかって止まった。

 驚いて確かめると、それは赤い糸で編まれた網だった。

 ロザリーは網から落下して、下にいた首吊り公に背中と膝裏に手を回して抱きかかえられた。


「あ、ありがとうございます、ヴラド様」

「礼を言うのは早いぞ、〝骨姫〟?」

「えっ?」


 抱きかかえたまま、ニタリと笑う首吊り公。

 ぽかんとして見上げるロザリーだったが、ハッと自分の腰を見た。

 赤いロープでぐるぐる巻きになっている。


「もう一度だ」


 首吊り公はロザリーを下ろし、地面に爪を立てる猛獣のようにして、姿勢低く踏ん張った。

 彼の肉体は赤いもや・・が漏れ出るほど高密度の魔導で満たされ、大地を噛む両脚と、手から伸びる赤いロープへ力が注がれる。

 ロープの先にいるロザリーは、顔を青ざめさせて首を振った。


「やだ、やだ……や――きゃああぁぁ!!」


 二度目の急加速は、一度目の倍は速かった。

 視界の端が糸を引きながら流れていく。

 もう悲鳴すら上げられない中で、ロザリーが覚悟を決める。

 髭の巨人もさすがのもので、反応してハンマーを振りかぶった。


(――でも、遅い!)


 黒い閃光と化したロザリーは軽々とハンマーを潜り抜け、そのまま髭の巨人の胸板へ〝白霊〟を突き立てた。


「硬っ! けど……!」


 剣身の半ばまで刺さった〝白霊〟を、ロザリーがズズッ……と刺し込んでいく。


「よし……って、あれ?」


〝白霊〟を根元まで刺したのに、髭の巨人の手がロザリーに向かって伸びてきた。


「ッ、大きすぎて心臓まで届かなかった!?」


 自分を掴もうとする左腕を躱し、続いてハンマーを捨てて伸びてきた腕もするりと避ける。

 ロザリーが逃れると、髭の巨人は左手で胸の傷を庇いながら、再びハンマーを拾おうとした。


「ヴラド様、しくじりました!」


 ロザリーが後方へ向かってそう叫ぶと、彼はいつの間にか、すぐそばまで来ていた。


「いいや。上出来だ」


 首吊り公は髭の巨人へ手をかざした。

 彼の手と髭の巨人の胸が、赤いロープで繋がる。

 髭の巨人はハンマーを拾うのを止め、慌てて胸を両手で押さえた。

 ロザリーが呟く。


「もしかして……私のつけた傷口から、心臓にロープを……?」


 首吊り公はニィッと笑い、叫んだ。


「くり抜き刑だ!」


 首吊り公の魔導が高まり、瞳が爛々と輝く。

 赤いロープが縮み、髭の巨人は必死にロープの根元を握って、自分の中身・・・・・が引っ張り出されないように耐える。

 しかし、彼の抵抗は首吊り公を喜ばせるだけだった。

 髭の巨人が耐えるほどに首吊り公の魔導は高まり、赤いロープは強く引かれる。

 綱引きの終わりは唐突にやってきた。

 ずちゅりと嫌な音がして、巨大な心の臓があっけなく体外に引き出される。

 臓物がぼとりと地に落ちると、傷口から大量の血が噴き出し、髭の巨人はゆっくりと、地響きを立てて倒れた。

 一部始終を見ていたロザリーが言う。


「ヴラド様って、残酷な方ですね」


 すると首吊り公は怪訝な顔で彼女を見返した。


「……お前に言われたくはないが」


 ロザリーはきょとんとして、それから自分の胸に手を当てる。


「え、私? 私のどこが残酷なんですか?」

「自覚がないのか。もうよいわ」

「ダメです。ごまかさないでください」

「わかった、わかった。私のほうが残酷だ。それでよいな?」

「逃げないでください! きちんと説明を――」

「さて、残る一体はどこかな? ここからでは見えないが――」

「ねぇ、ヴラド様!?」


 二人がそうして言い合っていた、次の瞬間だった。

 ロザリーと首吊り公はまったく同時に首を動かし、西の方角を凝視した。

 両者の瞳孔は大きく開き、魔導の色を深く、静かに湛えている。

 彼らが見つめるは遥か西。

 視線の先の西域の空に、赤く巨大な瞳が浮かんでいたのだ。

 それはずっと遠くにあるのに、息が届くほど間近で見られているような感覚に陥る。


(何、これ……)

(魔女の魔導の赤さとも違う……)

(もっと不吉で、手に負えない……)

(そう、あの赤目のような……)


「〝骨姫〟ッ!!」


 首吊り公の叫び声に、ロザリーの身体がビクンと跳ねた。


「意識を向けすぎるな。あれは、よくない・・・・

「わかっております。……あれが巨人の王、でしょうか」

「わからぬ。わからぬが――それとは別に、我らの様子を窺う気配があるのはわかるか?」

「!」

「西域よりはこちら側。ちょうどダレンがある辺りか」

「……はい、たしかに。ヴラド様に言われるまで気がつきませんでした」

「私とて察知したのは今の今だ。……おそらくこの覗き魔は、我らの様子をずっと見ていたのだ。気配を殺して静かに見ていたのに、我らと赤い眼の怪物が対峙したのを見て、思わず血が騒いでしまった」

「興奮して気配が漏れた、と」

「我らの戦いぶりを見て臆するどころか興奮するのだから、並の使い手ではないな」

「おそらく、ガーガリアンでもない」

「違うな。蛮族なら遠くからこっそり覗く必要がない」


 そして首吊り公はダレンにいる覗き魔に語りかけるように呟いた。


「なぜそんなところから覗いている? そこからで見えるのか? 何のために覗く? お前は誰だ?」


 得体の知れぬ赤い目と、第三者と思われる覗き魔の存在。


「……ヴラド様。いかがされますか?」


 首吊り公は逡巡し、決断を下した。


「……退くぞ。今すぐにだ」

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