第222話 巨人の王
――ダレン物見城。オズと老伯一行、滞在五日目。
「あ~、腹減ったなぁ」
オズが城の厨房を歩き回り、戸棚を片っ端から開けていく。
「あらかた食っちまったなぁ。元々そんなに残ってなかったし……かまどや食器が揃ってても食えねぇんじゃ意味ねえよっ、と」
勢いよく戸棚の開き戸を閉め、そこにあった椅子に腰かけ、足を組む。
すると遠くから、小太りな子分の声が響いてきた。
「親分~!」
「何だよ、セーロ。干し肉でも見つけたか?」
オズはまるで期待せずに言ったのだが、セーロはオズの元へ来るなり、目を輝かせて持っていた袋を広げた。
「見て下せぇ、小麦です!」
「おおお!? どこから小麦なんて!」
「食糧庫です!」
「食糧庫は空だったじゃねーか!」
「食糧庫の隅に落ちてるのをかき集めてきたんです! 雑穀も混じってますが……なかなかの量でしょう?」
「でかした! 食わせろ!」
オズが袋に手を突っ込もうとしたので、慌ててセーロが袋を小脇に隠す。
「ちょちょっ! 生で食う気ですかい!?」
「腹ぁ、減ってんだよ!」
「あっしだってそうでさあ! ここは焦らず煮ましょう。この量でも粥にすれば腹一杯になりやすぜ!」
「……よし! 採用!」
「へえ!」
「そうと決まれば火起こしだ! 薪を持って来い!」
「へえ!」
それからセーロが薪を持ってきてかまどに突っ込み、オズは釜に水を入れてかまどに置く。
セーロが今度は枯れ松葉を手に集めて持ってきて、オズが手持ちの火打ち石で火を点す。
そして二人揃って釜の水面を覗き込んだ。
「ああ……湯が沸くのがこんなに待ち遠しいなんて!」
「ええ! ええ!」
「味付けはどうする!?」
「塩はありやすが……ここは干し肉のダシはどうでやしょう?」
「干し肉はなかっただろう?」
「吊るしてた紐を一緒に煮るんでさ。あの紐、しばらく代えてないようですから、きっと肉の旨味がたっぷりと……」
「やめろ、セーロ! 涎が止まらねぇ!」
「そういや、塩漬け魚の保存箱も空でしたが、塩は残ってやした。そっちの塩を使ってみます? 魚の風味も出て――」
「ッ! セーロッ!」
「へえ?」
「夢は広がるなぁ……!」
「へえ!」
そうして二人が釜の水を見つめながらワクワクしていると、老伯一行の斥候役――ジャズが小走りに厨房に入ってきた。
「オズ! ここにいたか!」
オズがジャズを横目で睨む。
「……ジャズ。お前の分け前はねえぞ」
セーロもしきりに頷く。
「ええ、ええ! ジャズの旦那には悪いが、何の手伝いもしてないのにおこぼれ貰えるなんて、そんな甘えこと思わないで下せえ!」
ジャズは驚いて目を瞬かせていたが、すぐにかまどに目を留めた。
かまどに近づき、その手前に掻き出されて山になっていた灰を、火に蹴り入れた。
「「あ~~っ!!」」
二人の揃った声も気にもせず、ジャズはさらに灰を蹴り入れ、薪の火を完全に消した。
オズとセーロは落胆し、声もなく項垂れた。
そんな二人にジャズが言う。
「望楼へ行くぞ! 急げ!」
「何だよ……。なんでそんなに急ぐんだよ……」
「ついに来たんだよ、巨人が!」
オズとセーロは顔を上げ、互いの顔を見合わせた。
「巨人は? どこだ!」
オズが望楼に駆け上がるなりそう言うと、そこすでにいた老伯が「シッ」と口に指を当てた。
「見よ、オズ」
オズは老伯のそばへ行き、彼が指差す方角を見た。
「うわ、酷ぇ……」
ダレン物見城は絶壁の高地ハイランドを除く、すべての方角を展望できる。
南方面は皇国の地。
西から北は荒れ地の平野が広がっている。
その荒れ地の平野の見渡す限りに、行軍による土煙が上がっている。
先陣はすでにダレンを通り過ぎ、ランガルダン要塞方面へ向かっている。
「……おっさんの言ってた通り、ダレンに興味を示してないな。完全に無視だ」
「だからといって、大声で叫んだりするでないぞ?
やっと望楼に辿り着いたセーロが、息も絶え絶えにオズの元へ来て、目下の光景を眺める。
「こんなの……こんなのおかしいですぜ! 蛮族の大軍はランガルダン要塞にいるはずなのに!」
オズが頷く。
「たしかにな。ダレンから退いた敵がもう一度攻めてきた、って感じじゃねえ。多すぎる」
すると老伯は事もなげに言った。
「これが本隊なのだろうよ。ランガルダンのは先遣隊だな」
「あれ、五十万いたって話ですぜ!? 五十万の先遣隊なんてきいたことがねえ!」
老伯がセーロに向かい、眼帯をしている方の眉毛を上げる。
「事実は英雄譚よりも奇なり、だな。セーロ?」
「~~っ!」
そのとき。
オズは二人の会話がまるで聞こえぬほど、目の前の光景に引き込まれていた。
見たことのないものがいたからだ。
「……何だ、あれ」
目下、数十万あるいは数百万の蛮族が進軍しているが、オズがたじろいでいるのは数ではない。
その軍勢の中に、異常な大きさの蛮族が何体も含まれているからだ。
「あれが……巨人?」
老伯が頷く。
「そうだ。なかなかのサイズもいるな。ダレンを攻めたのは、あれくらいの個体だろう」
老伯が指差した個体に向かってオズが目を細める。
「……十メートルくらい?」
「そこまではない。七、八メートルといったところだろう」
「何体もいるぞ……」
「本隊である証拠だ。先遣隊のほうには四メートル程度の半巨人しかいなかったようだからな」
オズが目を細める。
「おっさん、どこでそれを?」
「ジャズの調べだ」
「……そうか」
オズはそれ以上聞かなかったが、心中で吐き捨てた。
(それは嘘だぜ、おっさん)
(ジャズは優秀な斥候だが、ランガルダンまで行ってその日のうちに帰ってこれるような脚はない)
(だがジャズの姿を半日以上見なかったことはねえ。ジャズには不可能だ)
(……移動系の術を持っていたらどうだ? いや、それができるのは
(じゃあ
(おっさん、何を隠してる……?)
そうして横目で老伯を見ていると、ふいに目が合い、オズは慌てて目を逸らした。
「オズ、蛮族共をしかと見ろ。このように全貌を眺める機会など、そうはないぞ?」
「いや、考えててさ」
オズは誤魔化すために話を振った。
「おっさんの見立てはどうだ? どいつだと思う?」
「何がだ?」
「蛮族の首領だよ。これだけの軍だ、この中にいるだろう? 俺はあの髭むくじゃらの巨人だと思うんだ、ここから見てもあいつはデケえ!」
「巨人の王か。ここにはおらぬよ」
「へえ。なぜわかる?」
「オズ……お前の目は節穴か?」
オズはムッとして、言葉荒く言い返した。
「うっせぇな、ジジイ。早く見立てを言えよ」
聞き耳を立てていた老伯の配下五人がキッとオズを睨み、老伯はフッと笑う。
老伯が言う。
「巨人は軍勢から見える位置に陣取る。……が、王は巨大だからな。あの位置でよいのだろう」
「あの位置? どこだ?」
「どこを見ている。ずっと西だ」
「西……?」
「あちらだ」
老伯が指差したのは軍勢の遥か後方。
それは西域と呼ばれる、山脈がうねる西の果てだ。
西域は天候悪く、山々を覆うように暗雲が立ち込めている。
「どこだよ」
オズが言うが、老伯は西域を見つめるだけ。
そのとき、短い悲鳴が上がった。
「ヒッ!」
悲鳴の主は、あの女騎士。
慌てて口に手を当て塞いだが、周りの仲間たちは女騎士の行為にギョッとしている。
オズとセーロも同様で、彼女はふいに悲鳴を上げるような小胆な騎士ではない。
彼女は動揺した様子で西域を凝視している。
(彼女は何を見たんだ……?)
オズは全神経を西域に向けた。
山脈の周囲で風が吹き荒れ、雲は早く流れる。
それだけで何も見えない。
それでも見つめ続けると。
ある瞬間、雷が鳴って雲に閃光が走った。
「なんだ、今の?」
もう一度、稲光。
今度はオズもセーロも、女騎士以外の騎士たちも
「何だよ、あれ!?」
オズは叫び、セーロは腰を抜かした。
老伯の配下たちも声にならぬ呻きを漏らし、動揺を隠せない。
雷光に照らされて雲に映し出されたのは――大きな大きな人影だったのだ。
それは山脈の峰の高さを遥かに上回るもので、思い描いていたような巨人のサイズではなかった。
「あんなの……いるはずがない!」
オズが西域の雲を指差し、老伯にがなり立てる。
老伯にそうしたって意味などないのに、そうせざるをえなかった。
老伯はそれに答えず、西域を顎で指し示した。
オズがもう一度そちらを向くと、暗雲に赤い太陽のようなものがふたつ、浮かんでいた。
あの気の強いビンスが声を震わせて言う。
「目だ……巨大な目……」
その巨大で赤い目が大地を睥睨すると、蛮族の軍勢はそれに押されるように進軍を速めた。
オズが何度も首を横に振る。
「ありえない……ありえないだろ、こんなの……」
すると老伯が諭すように言った。
「オズ。己の目を信じろ。皆がそうに違いないと噂する話よりも、不世出の知恵者の推論よりも、自分で見たものこそがこの世で最も正しい」
オズは老伯の言葉を心中でゆっくりと噛み砕き、それから彼のほうを向いた。
「……おっさん。ダレンに留まった理由は、これを見るためか?」
老伯は静かに笑った。
「お前は本当に勘のいい男だ」
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