第221話 予言者とヴラド
――西方都市ハンギングツリー、監獄塔。
警備の極めて厳重なこの監獄塔の中に、四方から鎖で繋がれ宙に浮いた牢獄がある。
鉄格子には抗呪詛の呪文が幾重にも刻まれ、常に十人の騎士がこの牢獄の住人を見張っている。
首吊り公が、この宙に浮く牢獄が正面に見える場所までやってきた。
側近のラズレンが手を挙げる。
すると係りの者が滑車を動かし、吊り橋が下りてきた。
ズシン、と音を立てて牢獄と繋がった橋を、首吊り公とラズレンが渡っていく。
「ラズレン。お前はそこで待て」
するとラズレンはげんなりとした顔で首吊り公を見た。
「公。いい加減、私を見習い騎士扱いするのはおやめください。盲の魔女に操られたりはいたしませぬ」
「フ。好きにせよ」
首吊り公が牢獄の扉を【鍵開け】する。
これを【鍵掛け】したのもやはり彼であり、それはこのハンギングツリーにおいて首吊り公以外にこの牢獄の扉を潜れないことを意味する。
「……にゃむ。来たかァ、
「坊はよしてくれ、オババ様」
牢獄の主は齢百を越えた老婆であった。
盲目で、酷く腰が曲がっているせいでとても小さく見える。
彼女は小さな敷き布の上に座っており、彼女の前のお盆には骨片がいくつも転がっている。
――盲の魔女。
邪教を興し、かつて獅子王国を大混乱させた大罪人である。
邪神を崇拝し、何千人もの若き命を生贄として捧げた大量殺人者でもある。
王都を根城として信徒を増やしていたが、やり過ぎて教団殲滅の王命が下され、西へ逃れたところをヴラドの父である先代の西方伯によって捕らえられた。
本来は死罪が相当である。
しかしヴラドの父は、盲の魔女に禁錮七百年の判決を下した。
王宮は引き渡しを求めたが、ヴラドの父は地方都市の自治を理由に拒否した。
禁錮刑とした表向きの理由は、彼女を殺せば生き残った信徒が殉教者として覚悟を固め、報復に出るから、というもの。
そして本当の理由は、彼女の能力を欲したからだった。
盲の魔女の能力は二つ。
凶悪な洗脳能力と、精度の高い予知能力。
ヴラドの父が欲したのはこの予知能力であった。
だから彼は盲の魔女を生かし、この厳重な牢獄に
盲の魔女が気味悪い声で怒鳴る。
「坊に違いあるまァァい! 坊が乳飲み子の頃から知っておるのじゃぞ?」
「それはそうだが。私も西方伯となって二十年経つでな?」
「たかが二十年! ワシが『
「たしかに。遅かれ早かれ、父に粛清されていただろう」
盲の魔女がニチャリと笑う。
「坊はほんに残酷で容赦のない子じゃったでなァ……冷たい牢獄で坊のしでかしたことを聞くたび、なんと心が躍ったことよ……」
「それでオババ様。今日は予知していただきたいのだが」
盲の魔女は腹這いになるほど腰を曲げ、下から首吊り公の顔を伺うように見上げた。
「蛮族か」
「牢獄にいるくせに耳が早いな?」
盲の魔女があちらこちらを指差す。
「牢番共が浮足立って噂しておる。不安に苛まれては、口に戸は立てられぬわ!」
「そうか」
首吊り公が外の牢番たちをジロリと睨むと、彼らは一様に顔を強張らせ、下を向いた。
首吊り公は盲の魔女に目を戻し、言った。
「オババ様。予知を頼む」
「にゃむ。よかろう……」
盲の魔女は、目の前のお盆の骨片を骨張った指でかき集め、両手に握りしめた。
次にカッ! と目を見開き、お盆に骨片を投げつけた。
そして白濁した目を開いたまま、骨片の位置を指で確かめていく。
首吊り公の後ろに立つラズレンは、老婆のこの異様な様が気味悪くて顔を顰めた。
盲の魔女はブツブツと何事か呟き、見えるはずのないその
そしてある瞬間、彼女の表情が激変した。
「王が生まれたァァ!!」
「王?」
首吊り公が聞き返すと、盲の魔女は幾度となく骨張った腕を床に振り下ろし、叫んだ。
「強大なる王! 山々を睥睨し! 大河を飲み干し! 大地を砕ァく!」
「巨人の王、か」
「然り然り、しかァァり!!」
「私は勝てるか?」
すると首吊り公に手が届くところまで這ってきて、彼の服を掴み、盲の魔女は目を剥いて彼の瞳を覗いた。
「勝てヌゥゥ!! 挑めばたちまち骨を砕かれ、頭蓋を引き抜かれ、胴を貪り食われるであろウゥゥ!!」
首吊り公はこの瞬間、盲の魔女の白濁した瞳の奥が、わずかに赤く発光したのを見逃さなかった。
盲の魔女の筋張った細首をガッ! と掴み、ギリギリと締め上げる。
「今。私を操ろうとしたな?」
「ギ、ギ、グゥ……」
「ここまで老いてもなお衰えぬ悪心、もはや敬服するぞ?」
首吊り公は、盲の魔女をそのまま牢獄の奥へと投げ捨てた。
占い道具や布束や細々とした道具が置かれた一角に落ち、散乱した道具の上で横倒しになった盲の魔女は、よろよろと上体を起こした。
「ッ、坊ンン~~、よくぞ見抜いたァ~~」
首吊り公は衣服の乱れを整え、落ち着いた声で言った。
「……オババ様。隙あらば狙えばよいが、隙も無いのに狙われるのは腹が立ちますぞ?」
「老い先短いでなァ、焦りが出たわィ」
「私が子供の頃から、そうやって死ぬ死ぬと言っている気がするが」
「覚えておらぬゥ」
「まあよい。邪魔をした」
そう言って首吊り公が踵を返すと、盲の魔女が呼び止めた。
「待てェい、坊」
「何だ、オババ様」
盲の魔女はもう一度、骨片を確かめ、それから首吊り公に言った。
「予知は真なり。坊は勝てぬゥ」
「ほう。私は負けるか」
「ん~~にゃ、負けもせぬゥ」
「……どういうことだ?」
「巨人は古き民。生まれた王も過ぎ行く年月のひとつに相違あるまィ。いと古きは来る月日には抗えぬ~~ゥ」
「……わからん。もう少しないか、オババ様」
「この地を現在とせよ! さすれば過去に未来は訪れぬ! にゅむぅ……ン!」
盲の魔女は骨片の一つをバチッと指で弾いた。
骨片は他の二つの骨片に当たり、一番大きな骨片を三つが取り囲む形になった。
「……鷹狩りじゃア! 猛禽を二羽、用意するのじゃッ!」
「猛禽……」
「
それから盲の魔女は狂ったように笑い続けた。
首吊り公は予言を咀嚼しながら、ゆっくりと牢獄を出た。
牢獄を出てからずっと、首吊り公は考え込んでいる様子だった。
しばらくして、首吊り公がふと空を見上げて時間を気にしたので、そのタイミングでラズレンが尋ねた。
「公。盲の魔女をお信じになるのですか?」
首吊り公はフ、と笑った。
「あの妖婆のことは一寸も信じておらぬがな。困ったことに予言はよく当たるのだよ」
「しかし……鷹狩りですか? 意味が分かりません」
「梟とは〝骨姫〟のことだろう。ちょうど西方に来ておるしな」
「〝骨姫〟? ……そうか、
「鷹というのがわからぬが……どちらにせよ、〝骨姫〟を呼び寄せておくのは悪くない。たしか彼女から【手紙鳥】が来ていたな?」
「はい。ダレンの民を抱えての撤退が厳しいと助けを求めております。同様の書状がダレンのハンス卿、騎士団連合のレーン卿からも来ております」
「……ダレンの民をどうにかせねば〝骨姫〟はランガルダンから動かぬな?」
「あり得ますね。ダレン物見城へ〝骨姫〟が単身乗り込んで救出してきたようですから」
首吊り公はふうっ、とため息をついた。
「動く準備だけしておくか……」
「気が乗らないのですか?」
「妻や娘たちの元から離れたくないのだよ」
「左様でしたか。どのように動かれるので?」
「わからぬよ、陛下へお伺いを立てねばならぬことがあるからな。お前は騎士団をいつでも動かせるように整えておけ」
「ハッ! では親指と中指を待機させておきます」
首吊り公の騎士団〝
下軍はすべて見習い騎士扱いで、訓練と巡視以外の任務は許されていない。
戦闘任務等を行う上軍はさらに各百名ずつ五つの部隊に分かれていて、ラズレンをはじめとする五人の筆頭騎士がそれらを率いている。
そして、それぞれの部隊は指の名を冠していた。
首吊り公はしばらく自分の手を眺めていたが、自分の親指と中指を曲げて、わずかに首を捻った。
「……いや。五本すべてだ」
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