第219話 孤立

 船着き場には王国製の小舟に加え、蛮族が作ったであろう丸太船もあって合わせてニ十艘ほどのボートがあった。


「ゲオルグ! ケヴィン!」

「「ハッ!」」


 ハンスに呼ばれ、二人の息子が進み出る。


「お前たちで民を向こう岸に渡すのだ。まず向こう岸までロープを張れ。船上で掴める高さにな。不安定な丸太船は横に繋いで使え。泳ぎの達者な騎士を下流に配置し、民が水に落ちたらすぐに救出できるようにせよ」


 ハンスは早口でまくし立てたのだが、二人の息子はすぐに頷いた。


「私はロザリー卿とランガルダン要塞の様子を見てくる。任せたぞ!」

「「ハッ!」」


 直後、ロザリーとハンスは小舟に乗ってオラヴ川を渡り始めた。

 ハンスが小太りな身体で汗をかきかき櫂を漕ぐ。


「あの、ハンス卿……私が漕ぎます」

「いやいやいや! それはさせられませぬ! それよりも……いかがでしたか?」

「んっ? 何がです?」

「ケヴィンの奴ですよ! 我が息子ながらなかなかいい男だと思うのです! 目端も利きますし、きっといい夫婦になるのではないかと思うのですが?」

「またそれですか、ハンス卿……」


 二人は川を渡り終え、ランガルダン要塞の西門へと向かった。

 ロザリーは墓鴉ハカガラスによって上空から確認済みであったが、実際に来てみるとその静けさは異様であった。

 ダレン物見城のように城壁が傷ついていないにも拘わらず、である。

 巨大な西門の真下まで来て、ハンスが叫ぶ。


「ダレン城主ハンスである! ダレンの民を連れて撤退してきた! 民と騎士の保護を願う! 城門を開きたまえ!」


 しかし、城門は静かなまま。

 ハンスは数十秒待ってから、さらに大きな声で叫んだ。


「開門!!」


 やはり反応はない。

 なんとなくロザリーも叫んでみた。


「開門!」


 すると。


「ア、ろざりー♪」


 西門上部の櫓の上から、頭蓋骨がひょっこっと顔を出した。

 ハンスがビクッと身体を震わせる。


「ヒッ!」

「あ、一号。門を開けてほしいんだけど?」


 一号の頭蓋骨はすぐに引っ込んだ。

 そしてしばらくして、閂が上がる音が響き、そのあと城門が開き始めた。

 開いた隙間から一号がまた顔を出す。


「ろざりー、オカー」

「ただいま、一号。いい子にしてた?」

「シテタ、シテタ。ゴ褒美クレ!」

「はい、御褒美」


 ロザリーが彼の頭蓋骨を大事そうに撫でると、一号は恍惚として骨の身体を左右に揺らした。

 ロザリーが一号の頭を撫でながら、周囲を見回す。

 城門の内側にも、まるで人の気配を感じない。

 これは異常だ。

 これほど巨大な要塞が無人など、通常はあり得ぬこと。

 ロザリーとハンスが不安に苛まれながら、その場に立ち尽くしていると。


「一号殿! 城門が開いたようだが……」


 慌てた様子で要塞から駆けてきたのはレーンだった。


「レーン卿、御無事でしたか! ただいま戻りました!」

「おお、ロザリー卿! もうお着きとは! ……ああ、ハンス卿!?」

「レーン卿!」


 ハンスとレーンは駆け寄って手を取り合った。


「お元気な姿をもう一度拝見できたこと、レーンは嬉しく思います!」

「私もだよ、レーン卿! まさかもう一度会えるとは。数日前には露ほども思っていなかった!」


 レーンは目じりを指で拭い、それからロザリーのほうを向いた。


「ありがとうございます、ロザリー卿! 本当にダレンをお救いくださるとは……感謝してもしきれません!」

「いえいえ。……それよりも。このランガルダンの様子は、いったいどういうことなのです? レーン卿と一号たち以外、人っ子一人いないようですが」


 レーンは眉を寄せて、頷いた。


「ご覧の通りです。ランガルダン要塞に駐留していた騎士団連合は、兵卒も含め後方へ撤退しました」

「撤退!?」「なんと!」


 驚くロザリーとハンスに、レーンが説明を続ける。


「撤退したのは三日前です。残るのは私と一号殿たちスケルトン、それと私を不憫に思った十名ほどの騎士のみ。蛮族の大軍がその夜に夜襲をかけてくるだろうと思い、城壁にかがり火を焚けるだけ焚いて寝ずの番をしていたのですが……対岸の蛮族共はやはりオラヴ川を渡ってきました。しかし要塞には目もくれず、撤退したランガルダン軍を追ったのです」


「要塞を放って、ですか……?」


 ロザリーは首を捻るが、ハンスはしきりに頷いた。


「蛮族の習性からして、あり得る話です。奴らは奪うために戦う。そして奪うものは人の元にあると知っている」


 そこまで話し、ハンスはハッと目を見開いた。


「食料は!? ランガルダンに食料はいかほど残されているのですか!?」


 慌てるハンスを宥めつつ、レーンが言った。


「ご安心を。ランガルダン要塞の五日分は確保してあります」

「おお……感謝しますぞ、レーン卿。我らはダレンからの逃避行でほとんどの糧秣を使い果たしていた。ランガルダンの五日分ならば、節約すれば三千人を十日は食べさせられるでしょう」


「水を差すようですが」


 ロザリーがぽつりと言った。


「十日の後は? 要塞軍を追って蛮族が大挙して東へ向かったのならば、ランガルダンと後方を繋ぐルートは蛮族の手に落ちているのでは……?」


 レーンが渋い表情を浮かべる。


「……ロザリー卿のご懸念の通りです。要塞の守備を一号殿らに任せ、私と騎士たちは情報収集に専念してきました。元配下たちには要塞東側の斥候に出てもらい、私はボーゴン総帥宛に届く報告を精査したり……今、お二人の到着に気づかず出迎えが遅れたのも、ハンギングツリーからの連絡に返事を書いていたためです」


 ハンスが恐る恐る、尋ねる。


「それで、情報収集の結果は……?」


 レーンはため息をつき、冷たい声で言った。


「ハンギングツリーからの情報では、後方は山間の小さな村まで焼かれているそうです。ランガルダンとハンギングツリー間の砦はおろか、町や村まで残らず蛮族の手に落ちています。この要塞は完全に孤立しました」


 三人の間に暗い空気が流れる。


「幸い、要塞を攻めてきそうな蛮族は今のところいませんが……」


 レーンが言うが、ロザリーが首を横に振る。


「ハンス卿の仰った蛮族の習性からすれば、それもどうなるかわかりませんね。ダレンの民三千人がここに留まるわけですから」

「私は後続の蛮族軍が押し寄せてきた場合が心配です。これではダレンを包囲されていたときと何も変わらぬ……」


 レーンの顔色が変わる。


「後続……? ハンス卿は後続がいると?」

「いるとも。ダレンはその後続に攻められていたのですからな。それも、後続の一部だと私は見ております」

「なんという事だ、弱りましたな……ロザリー卿。何か手はありませんか?」


 ロザリーは腕組みして視線を伏せていたが、目を上げて答えた。


「私は籠城戦には自信があります。数万体の使い魔を呼べますので、彼らで防御を固め、巨人が出たら私が討ち取りましょう」


「おお!」「それは心強い!」


「――しかし。三千人の食料は用意できませんし、皆さんを連れてさらに東へ移動するのは、なかなか厳しい結果になる気がします」

「確かに。撤退は要塞に立てこもるのとはわけが違いますからな。数万の使い魔で民草を囲んで移動したとしても、蛮族のほうが数が多いわけで……」


 レーンがそう言うと、ハンスも頷いた。


「そもそも我がダレンの民は、五日間の逃避行で疲れ切っております。十日後にさらに辛い撤退を強いて、どれほど動けるものか……」


 ロザリーは西門の外を振り返った。

 いち早くオラヴ川を渡った民衆が、こちらへ向かってくるのが見える。


「……私は籠城戦に備えつつ、ミストラルのコクトー宮中伯へ手紙を送ります。お二人も力になってくれそうな方へ救援を頼んでみていただけますか?」


 ハンスが頷く。


「やりましょう! 私からも王宮にいる知人と、ハンギングツリーの首吊り公へ手紙を出します!」


 レーンも続く。


「私は西方領との境にある領地の貴族にいくらか知り合いがおります。救援を出すことはできぬでしょうが、こちらの状況を訴えれば王宮に働きかけてくれると思います。西方が落ちれば、次は彼らの番ですから」


 西門からダレンの民が入ってきた。

 荷車を引く中年男性。

 赤子を抱えた母親。

 老婆を背負う少年。

 みな疲れ切っているが、到着を喜んでいる。

 民の様子を眺めた三人は、顔を見合わせ大きく頷き合った。

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