第216話 撤退

 女の巨人の首が地面に転がり落ちたとき、ダレンは異様な静寂に包まれた。

 そして次の瞬間、ダレンを守る騎士や兵たちから大歓声が巻き起こった。

 少し遅れて、歓声と同じくらいの音量でどよめいたのは、ダレンを攻めていた蛮族たちである。

 女の巨人は軍勢を束ねるために、あえてその雄姿を目立つところに晒していた。

 結果、巨人の首が落ちる様を大半の蛮族が目にしたのだ。


 動揺は一気に広がった。

 士気の下がりようは一目瞭然で、誰もが立ち竦み、転げ落ちた大きな首を愕然と眺めていた。

 やがて一人、二人と戦場から逃げ始め、それはいつの間にか雪崩を打っての大撤退となっていった。

 武器すら捨て、山を駆け下りる蛮族たちの逃げ足の速さは、ロザリーも感心してしまうほどだった。

 そのさまを眺め、ダレンの者たちから勝鬨が上がる。


「「ダレン! ダレン! ダレン!」」

「「〝骨姫〟! 〝骨姫〟! 〝骨姫〟!」」


 ロザリーは〝白霊〟を掲げ、ダレンの者たちに応えた。

 するとそのとき、すぐ後ろから声がした。


「お見事でした、御主人様」


 ロザリーが振り向きもせずに尋ねる。


「麓の蛮族をもう片付けたの?」

「マサカ。女の巨人は麓からもよく見えていたからね?」

「そっか、麓の蛮族も逃げたのね?」

「西へ一目散サ。いくらかは討ったが、蛮族の下僕部隊を作るにはまったく足りないな。……そうだ、巨人の遺体を影に沈めても?」

「後でね、領主様がいらっしゃったわ」


 ヒューゴは黙って頷き、影に姿を消した。

 ダレン城から騎士たちの一団が来る。

 先頭は中年の貴族で、傍らにはダレンの旗がある。

 騎士の中にはクリスタの姿もある。

 ロザリーは〝古塔〟の壊れた部分からひらりと地上へ飛び降り、中年貴族が来るのを待った。


「あの方がダレンの領主様、つまりは父ハンスと見てよさそうね。でも、どこかで見たような……?」


 やがてロザリーの目の前まで来た小太りな中年貴族は、手もみしながら早口でまくし立てた。


「ご無沙汰しております、ロザリー卿! ダレンをお救いくださり感謝のしようもございません! あの飛竜殺しのェツグォシを、こうもあっさりと……さすがは金獅子、さすがは〝骨姫〟様! 私、感服しております……!」


 ロザリーが遠慮がちに尋ねる。


「あの、やはりどこかでお会いしたことが……?」

「おや、お忘れですか? 叙任式の後の夜会でご挨拶させていただきました!」

「夜会……ああ! 父ハンスって、舞踏会でお会いしたハンス卿!」

「むむ? 父ハンス?」

「あ、ごめんなさい! ご息女がそう呼ぶもので、つい……そっか、あのときダレン領の領主様だと仰っていましたね!」


 ハンスは嬉しそうに何度も頷いた。


「ええ、ええ! そのハンス卿でございます! まさか〝骨姫〟様がお救いくださるとは……これも何かのご縁! あのとき話した次男のケヴィンがあれでございます。おい、ケヴィン!」

「ちょっ、ちょっと待ってくださいハンス卿。今はそんな話をしている暇は」


 隣にいた長男ゲオルグが父を窘める。


「そうですよ、父上。ダレンの救世主に対し、それはあまりに非礼です」

「確かにそうだ、私としたことが。こういうことは順を追って、ですな?」


 ロザリーは困り眉でため息をついた。


「……ハンス卿。今は身の振り方を決めましょう。私としては、今のうちに民を連れてランガルダン要塞まで下がりたいのですが」


 ロザリーは反論されるかもしれないと思っていたが、予想に反してハンスは一瞬も躊躇わずに頷いた。


「それがようございます。すぐに撤退の支度にかかりましょう」


 するとクリスタが騎士の列を割って来て、声を上げた。


「撤退!? ダレンを捨てるのですか、父ハンス! 先祖伝来の地であるダレンを!?」


 するとすぐさま長男ゲオルグが、クリスタの頭に重い拳骨を食らわせた。


「あぎゃっ!?」


 続いて次男ケヴィンが、膝の後ろを蹴って転ばせる。


「ひぐぅぅ……何するんすか、兄たち~!」


 クリスタが涙目で兄二人を見上げると、彼らは目を細めて彼女を見下ろしていた。

 そして代わる代わるにクリスタを責める。


「クリスタ! 一番悔しいのが誰だかわからないのか!」

「お前にご先祖様を敬えって教えたのは誰だっつーの!」

「蛮族が再び攻めてきたらどうする? また籠城するのか!?」

「お前はよくてもダレンの民はどうなるんだよ! 何のために今まで戦ってきたか、わからないのか!」


 クリスタは返す言葉もなく項垂れた。

 ロザリーはこの光景を見て納得していた。


(なるほど。クリスタはこうやってお兄様方に教育されてきたのね……)


 こうしてダレン篭城戦は王国側の勝利に終わったが、その日のうちにロザリーはダレンの民と共に撤退を始めた。

 そして――。


 その三日後、ランガルダン要塞。


「撤退!?」

「シーッ!」


 つい大きな声を上げてしまったレーンが、慌てて自分の口を塞ぐ。

 話の相手は同じ年頃のバファルという男。

 連合騎士団長の中で唯一、レーンに同情的な人物だ。

 レーンが声を潜めて話を続ける。


「騎士団連合がランガルダンから撤退するというのですか?」

「そうだ。昨晩、決まった」

「なぜ兵たちが忙しく動いているのか、それで合点がいきましたが……しかし、一戦も交えずに逃げ出すというのですか?」

「逃げるのではなく〝転進〟なのだそうだ。蛮族に対しランガルダン要塞だけが突出しているから、後ろに下がり防衛ラインを揃える、というのがボーゴン総帥の言い分だ」

「突出しているのは初めからでしょう? 対西域の大盾がランガルダン要塞なのですから!」


 バファルは困り顔で笑った。


「その通りだが私に言わんでくれ。すでに根回しが終わっていてな、意見はしたが無駄だった」

「臆病者のボーゴンめ。戦わずして要塞を捨てるなぞ、そんなに蛮族が恐ろしいか!」

「シッ!」


 バファルは口に指を立てて辺りを見回し、それから続けた。


「口を慎め。どこにボーゴンの犬が潜んでいるかわからんぞ」

「……はっ」

「それに。ボーゴンが恐れているのは蛮族ではなかろうよ」

「はっ? では、いったい何を恐れて」

「〝骨姫〟だよ。総帥はロザリー卿が帰る前にランガルダンを出たいのだと思う」

「なぜです?」

「ダレンを見捨てた張本人だからさ。ハンス卿を連れて帰ってくれば彼に糾弾される。ハンス卿に万が一のことがあれば、ロザリー卿自身に糾弾される。相手が我々程度の騎士ならば総帥も恐れはしないだろうが……」

「相手は大魔導アーチ・ソーサリア。いくら高い地位にいても安心できないでしょうな」

「最も恐れているのは〝骨姫〟に指揮権を奪われることだ」

「糾弾の結果、ロザリー卿が指揮を執るようなことになったら……指揮官失格の烙印を押されたボーゴン総帥に、もはや中央復帰の目はありませんな」

「うむ。……私としては、めいなく重要拠点を放棄することのほうが恐ろしいがな」

「確かに。それこそ重罪に問われるのでは?」

「総帥はここ数日、頻繁に馬車を東に出している。おそらく西部の王家代理人に貢ぎ物を届けているのだろう」

「抜かりなし、というわけですか」

「これに関しては抜かりがあっては私も困る。要塞放棄の罪で連座させられたくないからな?」

「たしかに」


 話を聞いて、レーンは深々と頭を下げた。


「バファル卿、危険を冒してまで知らせていただき、ありがとうございます」

「礼はいらんさ。それより卿はどうする?」

「無論、ランガルダンに残ります。ロザリー卿とハンス卿をお迎えせねば」


 バファルが眉を顰める。


「一人で残っても要塞を守れはせぬぞ。撤退を知れば、蛮族共は一気に攻め寄せてこよう」


 するとレーンはバファルの耳に口を寄せ、囁いた。


「……実は、ロザリー卿から使い魔を借り受けております」

「ほう! さぞ強力な使い魔なのだろうな?」

「ええ」


 レーンはそれほど強力な使い魔とは思っていないが、バファルを心配させないためにそう言った。

 しかしバファルは気の回る男で、レーンの自信のなさに気づき、唇に指を当てて考え始めた。


「……そうだな。レーン卿の元配下に、君が残ることをそれとなく伝えておこう。あと、私の手勢もいくらか残しておく」

「いやいや! それこそボーゴンに知れたらただでは済みますまい! お気遣いだけ受け取ります、どうかそのようなことはなさいませんよう……」

「知れないようにやるさ。私は殿しんがりを仰せつかったからな」

「殿、ですか……」

「私が出発するときには総帥は遥か先。出る直前に残せばバレはすまい」

「しかし……撤退戦の殿となれば、バファル卿こそ戦力が必要になります」

「まず狙われるのは空になった要塞だ。追撃はないだろう」

「歴戦のバファル卿にこういうことを言うのは気が引けますが……どうか、備えておいてください」


 レーンは彼が機嫌を損ねないかとヒヤヒヤしながら口にしたのだが、バファルは満面の笑みで頷いた。


「助言痛み入る。ありがたく思うから、あえてそのまま返そう。……レーン卿、戦は何があるかわからない。備えておけよ?」

「ハッ!」


 最上礼で応えたレーンに、バファルは笑いながら手を振って去っていった。

 レーンはバファルという人物に出会えたことに感謝しながら、彼の背中を見送った。


 バファルが遠ざかり、彼の姿が忙しく動く兵卒たちで見えなくなる。

 彼らに目をやると、誰もが重そうな荷物を抱えて右へ左へ運んでいる。

 レーンはぼんやりと彼らを眺めていて、そしてある瞬間、ハッと顔を強張らせた。


「……マズい!」


 ――それから二時間後。

 ボーゴン総帥の側近である司祭長が、食料の備蓄倉庫までやってきた。

 備蓄倉庫の入り口は土嚢や瓦礫が詰まれ、封鎖されている。

 そのバリケードの前にレーンが地面に座り込んでいて、たくさんの兵たちが彼を遠巻きに見つめてる。

 兵の人混みをかき分け、司祭長が怒鳴る。


「どういうことですかな、レーン卿!」


 レーンは座ったまま、顔を伏せた。

 司祭長がさらに怒鳴る。


「撤退が気に喰わないからと言って備蓄倉庫を占領するとは! これは騎士団連合に対する謀反ですぞ!」


 謀反という言葉を聞いて、レーンは慌てて弁明した。


「まさかまさか! 私にそのような大それたことができましょうか!」

「ではすぐに、そこを退きなさい!」


 するとレーンは苦渋に満ちた表情を浮かべ、再び顔を伏せた。


「~~っ、らちが明かない! お前たち! レーン卿を倉庫前から排除せよ!」


 司祭長が命令したのは、最近になって彼の配下となった騎士たち。

 つまりはレーンの元配下たちである。

 彼らは互いに顔を見合わせ、それからレーンを囲むように展開した。

 そして歩調を合わせ、ゆっくりと距離を詰めていく。


「待て。待ってくれ……頼む……」


 レーンが嘆いてみせるが、元配下たちは足を止めない。

 やがてすぐ目の前まで包囲が狭まって、レーン騎士団で副長だった女騎士が言った。


「……レーン様。抜かせないでくださいませ」


 彼女が剣に手をかけたのを見て、レーンは諦めたように肩を落として立ち上がった。

 しかし立ち上がるや否や、レーンはすぐさま剣を抜いた。


「レーン様!」


 元副長も剣を抜き、元配下たちもそれに続く。

 レーンはそれに構わず大きく剣を振りかぶり、後ろに積み上がっていた土嚢に一撃を加えた。

 バリケードの一部が音を立てて崩れる。


「何を……?」


 戸惑う元副長に対し、レーンが言う。


「中を見てくれ」


 元副長がレーンの横を慎重に通り過ぎ、バリケードの隙間から倉庫内を覗くと。


「……何、これ」


 備蓄倉庫には穀物類やそれを粉にしたものが袋に入って山積みされているのだが、それらに乗り上がり、上で飛び跳ねて遊んでいる奴らがいる。

 スケルトンだ。

 奴らは無数にいて、酒樽を転がして互いに当てっこしたり、長い腸詰肉にぶら下がって遊んだりもしている。

 元副長が隙間からスケルトンらを食い入るように見つめていると。


「オイィ……」

「ひっ!」


 隙間のすぐあちら側に骸骨が現れて、元副長は驚いて仰け反った。


「ネーチャン。盗ミ見ハヨクネェナァ」

「は、はい……」


 元副長はゆっくり後ずさり、レーンの真横に来たところで、隙間を指差した。


「何でアンデッドが食糧庫に……それにあのスケルトン、喋りましたよ!?」


 レーンは苦渋に満ちた顔で言った。


「ロザリー卿の使い魔だ。彼らは特別製で強く、俺でも太刀打ちできない」

「〝骨姫〟様の? なぜこのようなことを」

「ロザリー卿はダレンの民を救出し、ランガルダン要塞まで連れ帰るおつもりだ。同時にボーゴン総帥が要塞を捨てて撤退するかもしれないと予見されたのだ。さすがは金獅子よ、すべてお見通しだ」


 レーンは神妙な顔でダレンの方角へ敬礼した。

 元副長が言う。


「なるほど、ダレンの民の食料を確保するため、ですか。ではなぜ、レーン様はここで座り込みをなさっていたのです」

「言うまでもない。スケルトンとランガルダンの兵や騎士を衝突させないためだ。それは対西域騎士団連合と金獅子〝骨姫〟の対立を意味する。絶対に避けねばならん」

「なるほど……」


 元副長は判断に迷い、司祭長を振り返った。

 司祭長は事情を知ってなお、その顔から怒りは消えていない。

 しかし、次の言葉も吐けずにいる。

 するとレーンが一歩前へ出て、司祭長に言った。


「お聞きになった通りです、司祭長殿」

「しかしだな、レーン卿――」

「――承知しております。食料が必要なのは撤退する皆様も同じ。しかし、皆様は行く先に食料はございましょう。」

「……食料なしに撤退しろと?」

「ほんの二日、三日ではありませぬか。ここへ逃げてきたダレンの民はそうはいきません。皆様が撤退した後ですから、二度とランガルダンから出られないかもしれません」

「やはりそれが本音か! 撤退は決定事項だ、今さらこんなことをやっても覆りはせぬ!」

「わかっております、司祭長殿。私もこの期に及んで決定をひっくり返せるとは思っておりませぬ。ただ、この衝突だけは回避させてくださいませ。どちらのためにもなりませぬ!」


 司祭長はしばらくレーンを睨んでいたが、やがて「フン!」と鼻を鳴らし、司祭服を翻して足早に去っていった。

 元副長は去り際にペコッと頭を下げてから、司祭長を追いかけていった。

 元配下の者たちも去り、遠巻きに見ていた兵たちも他の仕事へ移っていった。

 誰もいなくなった備蓄倉庫の前で、レーンが一人、安堵の言葉を漏らす。


「よかった……これで避難してきたダレンの民を飢えさせずにすむ……」

「ズリィヨナァ」


 振り返ると、バリケードの隙間から一号が頭蓋骨だけ出していた。


「オレ様ダケ悪者ニシテヨォ」

「すまない、一号殿。私が倉庫占拠の主犯だと、ボーゴンは必ず強硬手段に出るだろう。仕方なかったのだ」

「マァ、イイケドヨ。……オ前、人ガ良サソウナ顔シテ、結構ワルダヨナァ?」


 レーンは驚いた顔をして、それから嬉しそうに笑った。


「ありがとう。誉め言葉として受け取っておくよ」

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