第214話 ダレン物見城

 ロザリーとクリスタを乗せた天馬ペガサスが、ランガルダン要塞の上空高く舞い上がる。

 大河オラヴ川と、その対岸に布陣する蛮族ガーガリアンの軍勢が一望できた。


「何て数! こんなのが王国に入り込んだら麦の一粒も残らないわ!」


 目下の景色を見て、ロザリーがそう漏らすのも無理はなかった。

 蛮族の軍勢は川岸を広範囲に埋め尽くしているが、それも全体の一部に過ぎない。

 その後ろには野営地が広がり、獣の革製であろう天幕が数多あって、炊煙がいくつも上がっている。

 おそらくは数十万。

 今すぐにでもランガルダン要塞を攻め滅ぼせるであろう、圧倒的な数だった。

 手綱を取るクリスタの細腰に腕を回したロザリーが、クリスタの耳元で言う。


「西域って山岳地帯よね? こんなに蛮族がいたの?」

「父ハンスは、増えすぎたから攻めてきたのだろう、と言ってたっす」


 ロザリーが小首を傾げる。


「増えすぎた?」

「はい。ガーガリアンって何百も氏族があって、年がら年中いがみ合ってるそうなんす。でも何らかの理由で争いが止み、結果、数が激増したのではないかと」

「争いで死者が出なくなったから?」

「それもなんすけど、ガーガリアンって氏族内でしか交配しないものらしいっす。だから通常は近親交配が多く、人口が制限されていると」

「争いが止み、他氏族との交流が進んで人口が激増した?」

「というのが父ハンスの見立てっす。そして増えた人口を食わせるために、王国へ侵攻したと」


 ロザリーが数度、頷く。



「お父様の見立ては確かかも。そうでもないと、この馬鹿げた数に説明がつかないもの。……でも、なぜ争いが止んだんだろう?」

「それについても、父ハンスは予想してたっす」

「どんな予想?」

「王が生まれたのだろう、と。他氏族でも従わざるを得ない、強大な王が」

「なるほど。……クリスタさん、ちょっと気になったんだけど」

「なんすか?」

「なぜ、お父様を『父ハンス』って呼ぶの?」

「え? 普通っすよ? 普通っすよね?」

「いや、変」

「ええ!? 普通は何て呼ぶんすか!?」

「貴族だったら、お父様とか、父上とか?」

「えええ!? だって私、兄のことも兄ゲオルグとか兄ケヴィンとか呼んでますよ?」

「ああ、お兄様を言い分けるとこからきてるのね……」

「そうっす! 変じゃないっすよね!?」

「う~ん。それでもゲオルグ兄さん、でいいような……」

「ええええ!? ……あっ、私のことはクリスタでいいっす。家族もそう呼ぶんで」

「家族呼びが大事なのね。わかった、そうする」

「では……行くっすよ~!」

「お願い、クリスタ!」


 天馬はランガルダンの上空を一度旋回し、それから猛烈な速さでダレンへと飛んで行った。




 ダレン物見城はハイランドの終わり付近――標高六百メートルほどのハイランドの名残り・・・の上に建つ山城である。

 始まりはハイランドを迂回しての王国攻めを見張るために建てられた、小さな物見に過ぎなかった。

 周辺地域に魔導鉱ソーサライト鉱脈が複数発見されたことで人口が増え、今では物見と千人弱が暮らす城下町となっていた。


「見えてきたっす!」

「うん!」


 天空を駆けるペガサスの移動速度はロザリーも驚くほどで、ほんの一時間足らずで最前線であるダレン物見城が見えてきた。

 山のすそ野を取り囲むように何万の蛮族が幾重にも布陣し、城壁を数千の蛮族が攻めている。

 すそ野の大軍と城壁の攻め手を繋ぐように、山の斜面を登る列が蟻の行列のごとく連なっている。


「ああっ!?」


 クリスタが突然、悲痛な叫びを上げた。


「どうしたの?」

「〝古塔〟が落ちてる!」

「それって……ダレンが落ちたということ?」

「いえ、城はまだ健在っす! でも、城下町はもう時間の問題かもっす……」

「……急いだほうが良さそうね。クリスタはこのままダレンへ向かって!」

「はいっす! ……んっ? 〝骨姫〟様は!?」

「私はここで降りる」

「は? 下にはガーガリアンがわんさかいるっすけど」

「そうそう。ちょうど真下に敵軍の最後列がいるから。きっと指揮官もこの辺にいるでしょう?」

「無理っす~! ここに着陸したら、なぶり殺しにされちゃうっす~!」

「大丈夫よ、私だけ降りるから」

「へっ? いやいや、〝骨姫〟様、飛べませんよね? この高さから落ちたらいくら何でも――」

「――じゃ、父ハンスによろしくね? また後で!」


 ロザリーはそう言い残し、天馬の上から躊躇なく飛び降りた。


「ええええ~!?!?」




〝古塔〟は物見であった時代のダレンの本丸であった。

 今では城下町を取り囲む城壁の壁塔のひとつとなっているが、それでも城に次ぐ高さと堅牢さを持つ建物で、ダレンの象徴であった。


 ――ダレン物見城、望楼。


「ああっ! 〝古塔〟が!」

「先祖代々守り続けてきた物見塔が……なんてことだ」


〝古塔〟が陥落する様をまざまざと見せつけられた望楼にいた者たちは、一様に意気消沈していた。


「父上、もはや一刻の猶予もありません。父上だけでもお逃げください!」


 長子ゲオルグにそう言われ、領主ハンス卿は鼻で笑った。


「たわけたことを言うでない、ゲオルグ」


 ゲオルグは別にたわけたことなど言ったつもりはなかったが、父の表情はこの状況にあって普段よりむしろ輝いて見えた。

 いつもは小太りで愛想笑いを浮かべてばかりの父だが、土壇場に極めて強い人物であることをゲオルグは経験で知っていた。

 現に、圧倒的不利な状況の今でもダレンがあるのは、ひとえにハンスの冷静かつ的確な指揮の賜物であった。


「それより見よ。出るぞ」

「出る……?」


 父に言われ、ゲオルグが〝古塔〟に目を戻す。

〝古塔〟の割れた屋根の隙間から、にゅっと手が突き出てきた。

 大きな、大きな手だ。

 その手は屋根を掴んだかと思うと、力任せに残った屋根を突き崩し、続いて最上部の壁を壊していく。

 そして、手の主が姿を現した。

 ゲオルグが叫ぶ。


「巨人かッ!」


 ハンスの配下の動揺も大きい。


「デカい……あんなの見たことない!」「女?」

「ああ、女の巨人だ」

「それにしても大きい。十メートル近くあるぞ」


 現れた女の巨人は〝古塔〟の最上階にやっと収まるほどの大きさだった。

 獣の皮をいくつも継ぎ合わせた服を着ていて、その上から骨やら金属片やらをジャラジャラと繋げた帷子かたびらを身に着けている。

 顔は何か強大な生物の頭蓋骨を兜として被っていて見えないが、長い髪がそこからはみ出ていた。

 女の巨人は〝古塔〟の上から城下を睥睨している。

 腕組みしながらハンスが言った。


「ケヴィン。狙えるか?」


 窓のそばで弓に矢をつがえた次子のケヴィンが、短く答えた。


「いつでも」

「射て」


 ケヴィンは返答の代わりに射撃態勢に入った。

 彼は飛び道具の扱いに長けた刻印騎士ルーンナイトだった。

 瞳に【鷹のルーン】を宿して巨人の急所に狙いを定め、利き手の甲に【剣のルーン】を宿し弓が耐えうるギリギリの力で引き絞る。


「……シッ!」


 矢が放たれた。

 空気を切り裂き、凄まじい勢いで一直線に巨人の顔へと飛ぶ。

 女の巨人は殺気に気づいたのか、その大きな手のひらで顔を庇った。

 矢は巨人の中指に深く突き刺さり、止まった。

 女の巨人は手を下ろし、突き刺さった矢を――彼女からすれば爪楊枝サイズの矢をしげしげと眺めた。

 そして棘でも抜くように指で摘まんで矢を抜き、ピン、と弾いてそこらへ捨てた。


「無理っすね」


 ケヴィンはそう言い、父に折れた弓を見せた。

 先ほどの一矢が、彼の最高の一撃だった照明である。

 ハンスは「仕方ない」というふうに手を振り、それからどこから取り出したのか、古めかしい手帳をしきりにめくり始めた。

 そしてブツブツと呟く。


「女の巨人は少ない……これか? 飛竜殺しのェツグォシ。あの兜は飛龍の頭蓋だと考えれば……ああ、おそらくコイツだ」


 ゲオルグが父に叫んだ。


「父上! そんなものを見ている前に、早く脱出の準備を!」


 ハンスが眉をひそめて言い返す。


「そんなものとはなんだ、初代様から続く巨人の個体データ帳だぞ? それに、逃げぬと言った!」


 ゲオルグが〝古塔〟を指差し、さらに言い返す。


女の巨人あんなものと、どう戦うというのです!? 不意を突いたケヴィンの矢を子ども扱いするのですよ? もはや勝ち目はありません!」

「ゲオルグ! 士気が下げる発言を軽々にするでないわ!」

「しかし!」

「心配せんでも奴はここまで来ない」

「何を悠長な、今、この瞬間にも城壁を渡って城まで飛び込んでくるかも――」

「よく見ろ。〝古塔〟の上に胡坐をかいているではないか。ほれ、手下の蛮族共が彼女の横に肉やら酒やら運んでいるぞ? 奴はこれから酒盛りよ、いい気なものだ」


「はっ?」


 ハンスに言われ、ゲオルグがまた〝古塔〟に目を戻す。

 確かに父の言う通り、巨人の横を普通サイズの蛮族が忙しく食べ物を運び込んでいる。

 巨人サイズの大きな水飲みに入っているのは、おそらく父の言う通り酒であろう。

 戦をつまみに一杯やるつもりのようだ。


「なぜ戦の最中にあのような……父上もそれがわかっているようでしたが」

「わかるとも。我が一族は遥か昔から巨人を見ているのだから」


 ハンスは古めかしい手帳を閉じ、大事そうに表紙を撫でながら言った。


「蛮族は強者にしか従わない。強い個体がいる軍勢ほど大軍勢となる。その強い個体の代表が巨人だ。では巨人は、どのように軍勢を統率するのか?」


 ハンスが〝古塔〟の上で胡坐をかいた女の巨人を指差す。


「あれよ。個体の強さを誇示して統率する。あとは蛮族共が必死に戦うのを後ろから眺めるだけ。臆病なのではないぞ? 万が一にも自分が死ねば軍勢が瓦解すると知っているのだ」

「なるほど。しかしそれはつまり、巨人は攻めてこないが、巨人を倒さねば戦は終わらぬということでは……」

「……たしかにそうなるな」


 ハンスとゲオルグの間に沈黙が流れる。

 と、その沈黙を破るようにケヴィンが叫んだ。


「クリスタだ!」


 望楼にいた者全員が、上空を見上げる。

 見つけて指差し、一同に笑顔が戻る。

 この籠城戦の行く末はクリスタの救援要請の是非にあると、皆がわかっているからだ。

 クリスタはダレン城上空から勢いよく急降下して、望楼のテラスに強引に着陸した。

 天馬から飛び降り、クリスタが片膝をつく。


「父上! クリスタ、ただいま戻りました!」

「よくぞ無事、戻った! 救援は?」


 クリスタはグッと親指を立てて見せた。

 望楼の者たちが沸き立つ。

 ハンスも笑顔を浮かべ、再度クリスタに尋ねた。


「救援はどのくらいの軍勢が、いつ来てくれるのだ?」

「軍勢というか、お一人っす」


 その瞬間、一同のざわめきがピタッと収まる。


「ひ、一人!?」

「はいっす!」


 ハンスは大きく口を開けたまま固まり、ゲオルグは目元を押さえて首を横に振った。

 ケヴィンが頭を掻きながらクリスタに言う。


「なあ、クリスタ。お前が頑張ってくれたことはわかってる。だから責めるわけじゃないんだ。ないんだが……さすがに救援が一人はおかしいと思わなかったのか?」

「ん? 何でっすか?」

「いやだって、一人ぽっちじゃ焼け石に水。戦況変わらないだろ?」

「変わると思うっす。父ハンスもそう言ってたっすから」


 ハンスが眉を顰めてクリスタを見る。


「私が? そんな間抜けなことを言った覚えはないが」

「ええ~? 言ってたっすよぅ。たった一人で戦の趨勢を変えるのが大魔導アーチ・ソーサリアだと。確かに言ってたっす」

「ああ、大魔導アーチ・ソーサリアの話か。それはたしかにその通りだ。だが今、話しておるのは救援の話――あん? ちょっ、ちょっと待て! クリスタ! 救援に来てくださったお方の名は!?」


 クリスタは立ち上がり、自分のことのように胸を張って答えた。


「金獅子! 〝骨姫〟ロザリー卿っす!」

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