第210話 逃亡者

 獅子王国の西方地域には魔導鉱ソーサライト鉱山が点在する。

 良い鉱山には多くの鉱夫が集い、鉱夫の稼ぎを目当てに商人や商売女が集い、やがて村となり町となる。

 こういった鉱山町の住人はよそ者が多く、互いに詮索しないのが暗黙のルール。

 犯罪者を始めとする、素性を隠したい者が暮らすにはうってつけの場所だった。


 ――そんな西方の鉱山町、セブンス。

 頭頂部の薄くなった小太りな男が、険しい顔で酒場の扉を開いた。

 酒場の奥隅のテーブルで、賭けカードに興じている男たちがいる。

 小太りな男はそのテーブルに向かって歩いていき、無精髭を生やした若い男に声をかけた。


「オズの親分」

「よう、セーロ。仕事は取ってきたか?」


 若い男――オズは、ちらりともセーロを見ずにそう言った。

 薄笑いを浮かべ、カードの相手の表情を窺っている。


「それより。もっと東の町へ移りましょうぜ」

「蛮族か」

「ええ、そうです!」

「ここまでは来ないだろう? ランガルダン要塞で止まるさ」

「それが――」


 セーロはオズに顔を寄せ、耳打ちした。


「もうオラヴ川の対岸まで来てるそうですぜ」

「マジか。ランガルダンの目と鼻の先じゃねぇか)

「何でも対岸を埋め尽くす数だとか」

「数万はいるな。なぜ攻めない?」

「後続を待ってるんでやしょう」

「数万もただの先遣隊ってわけか。……おっと悪いな! また俺の勝ちだ!」


 オズがテーブルに手札を投げ、勝ち誇った顔で掛け金を集める。

 すると対面に座っていた人相の悪い男が立ち上がった。


「てめぇ! イカサマだろう!」


 テーブルに乗り出し、オズの胸ぐらを掴み上げる。

 しかしオズはヘラッと笑うだけ。

 男は青筋を立て、腰からナイフを抜いた。

 他の賭けカードの面子は、我関せずと立ち上がり、テーブルを離れていく。


「金を! 返せ!」


 男が血走った目でオズの顎の下をナイフで撫でる。

 オズはナイフに右手の指先で触れ、呟いた。


「……すり替えたぜ?」


 その瞬間、男の手元からナイフが煙のように消えた。

 男が呆気に取られてテーブルや床を目で探していると、オズが左手に持ったナイフを男に突きつけた。


「大負けしたからって騒ぐんじゃねぇよ。失せろ!」



 酒場を出た二人は、鉱山入り口のほうへ向かった。

 この町は鉱山に近づくにつれ、活気が増していく。

 オズは先ほどの酒場のようなほどほどに静かな場所を好んだが、食事に関してはこの辺りのほうが質も種類も圧倒的に上回っていた。

 祭りのような人混みをかき分け、耳を塞ぎたくなるほどうるさい馴染みの店に入っていく。

 ジョッキを両手にいくつも持った若い女性の店員が、顎で空きテーブルを指し示した。

 オズは手を軽く上げてそれに応え、テーブルに向かい歩きながら言う。


「彼女、良い女だよな?」


 するとセーロが言った。


「五人の子持ちですぜ」

「マジで!? たくましいな、ますます良い女だ」


 テーブルに着いてしばらくすると、さっきの女性店員が注文を取りに来た。


「また串焼きにしやす?」

「煮込みでいいよ、早いから。あと、エール二つ。俺の分は気持ち多めで」


 女性店員は鼻で笑い、厨房へと帰っていった。


「これでほんとに多めに来たら、彼女は俺に気があるな?」

「相変わらず楽観主義者ですねぇ。うらやましい限りで」

「どういう意味だよ」

「生きてるのが楽しそうだってことでさ」

「そりゃそうさ。拾った命だ、存分に楽しむさ」


 煮込みがすぐに届き、続いてエールがテーブルにドン! ドン! と置かれた。

 オズはエールのジョッキ二つを近づけ、量を比べて首を捻った。


「……持ってくるときにこぼしたのかな?」


 セーロはツッコミもせず、話題を変えた。


「さっきの。イカサマでやしょう? どんなイカサマを?」


 オズはエールを飲みながら、左手でジョッキを持つ右手の袖をめくった。

 数枚のカードがパラパラと落ちてきた。


「なぁるほど。ナイフのすり替えも手品ですかい?」

「まあな」


 セーロはオズをジトッと見た。


「嘘だ。ありゃあ魔女術ウィッチクラフトでやしょう?」

「ケッ。わかってんなら聞くなよ」


 オズは煮込み肉を突き刺したフォークを右手に持って、「すり替え完了」と唱えた。

 するとフォークが瞬時に左手に移動した。

 煮込み肉も刺さったままだ。


「【すり替えスイッチ】ってまじないだ。最近覚えて、試したくてな」

「あの例の本で?」

「ああ」


 セーロは憂鬱そうに首を横に振った。


「何だ?」

「あっしは嫌です」

「何が嫌なんだよ」

「あの本を見てるときの親分、何だかおっかねぇ」

「んなこたぁねぇ」

「いいや。あれは手放すべきだ。まともな人間が触れていいものじゃありやせん」

「フン。俺をまともなんて言うのはお前くらいだよ」

「かもしれやせんね」

「で? 仕事は?」


 煮込みを食べていたセーロは、不服そうに顔を上げた。


「そんなことより東へ逃げようって話したじゃありやせんか!」

「でも、仕事もあったんだろ?」


 セーロは言葉に詰まり、また煮込みを食べ始めた。

 そんなセーロにオズが言う。


「俺は早くこの国を出たいんだ。だが陸路はどこも危ねぇ。海路なら、外国船の船長に金を握らせれば何とかなる。船賃と袖の下、両方安くはねぇだろう。ケチな賭け事で稼いでも焼け石に水だ。デカい仕事が欲しいんだよ。お前だって、早く故郷に帰りたいだろう?」


 セーロが俯いたまま、呟くように言う。


「……危険な仕事でも、ですかい?」

「もちろんだ。俺らみたいなのがリスク無しの仕事で稼げると思うか?」


 セーロは観念したようにフォークを置き、両手の指で『二』と『十』を作った。

 オズが声を潜めて問い質す。


「お前が言い渋るってことは銀貨じゃねぇな。金貨二十枚?」


 するとセーロは首を横に振った。


「レオニード金貨二十枚」


 オズは仰け反って、口笛を吹いた。


「マジか。船賃と袖の下払ってもお釣りがくるじゃねぇか」


 そしてオズは仰け反った身体を起こし、テーブルに乗り出した。


「でも。いかにも怪しいな? ほんとに払う気があるのかねぇ?」

「受けるなら半分を前金として渡すと」

「フン、ますます怪しい」

「あっしもそう思いやす。何より怪しいのは、向こうから接触してきたことです」


 オズが眉を顰める。


「どういうことだ? こっちの素性を知ってるのか?」

「その様子でした」

「どんな奴だ」

「見た目は剣を提げてるだけの普通の中年の男でやしたが……おそらく騎士です」

「いつ会った?」

「今日の午後。酒場で親分に合流する少し前です。通り雨が降ったでやしょう?」

「ああ、雷鳴ってたな」

「あの時です。宿場の軒下を借りて雨宿りしていたら、いつの間にか隣にいて」

「ふーん……」

「で、仕事の話を。あっしや親分の名前は出しませんでしたが、こっちの事情を知ってる様子でやした」

「……なるほど。お前が東に逃げたいってのは、それもあるんだな?」


 セーロは再び言葉に詰まり、今度は静かに頷いた。


「この町に長居し過ぎたんです、早く逃げやしょう!」

「その男と連絡はつくのか?」


 セーロはぽかんと口を開け、次の瞬間、テーブルを叩いて立ち上がった。


「親分!!」

「落ち着け、セーロ」


 オズは周囲のテーブルに愛想笑いを振りまきながら、セーロを宥めた。

 セーロは口を尖らせながらも、椅子に座った。


「……本気で受けるつもりなんですかい?」

「お前だって、ちょっとは受けるつもりあるんだろう? じゃなかったら俺に話さないはずだ」

「……場所は決めてやす。受けるならそこへ来い、と」

「どこだ?」

「サーティスの町。覚えてやすか? ここと同じような鉱山町だった・・・場所です」

「ああ、覚えてる。西方に来たとき、できるだけ王都から遠いほうがいいって言って、初めに向かったんだよな。行ってみたら閉山してて町もなくて。……って、おいおい、ありゃあかなり西のほうだ。ランガルダン要塞より西だろ!」


 セーロがこくりと頷く。


「騎士が言うには、ここから北へ大回りして行けば、蛮族とはぶつからないと」

「ほんとかよ。嘘くせえ」

「やめときますか?」

「無理だ、リスクが報酬を上回ってる」


 セーロはホッとした表情で頷いた。


「わかりました。やめましょう」


 すると、そのとき。

 誰かがジョッキをテーブルに置き、空いていた椅子に勝手に座った。

 オズがその男を睨む。


「おい。相席はお断りだ。痛い目見ないうちにうせろ」


 その瞬間、セーロが叫んだ。


「ああっ! あんたは!」

「どうした、セーロ」

「この男です! 仕事を持ってきたのは……」


 男はジョッキを一気に煽り、それからオズに告げた。


「俺がサーティスまで送ってやろう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る