第209話 王妃とロザリー

 オズが王都ミストラルより逃亡して半年後。


 獅子王国中部、サーバリー耕地。

 ランスローに次ぐ穀倉地帯であるこの地は昨年、大規模な干ばつに襲われていた。

 これによって流民の発生や麦の高騰など多くの問題が発生していたが、特に問題となったのは口減らしであった。


 そんなサーバリーの、ある村。

 村教会の庭で炊き出しが行われている。

 集まった多くは子供や、何らかの病を持つ者であった。

 口減らしに遭った者は、食べること自体に罪悪感を持ったり、食べるさまを見られることを恐れる者もいる。

 しかしこの炊き出しでは、彼らはそんな心配もなく施しを受けていた。

 村教会の四方の外壁に、王家の旗が掲げられているからだ。


「王妃殿下」


 側仕えの女騎士が、天幕の下で器にスープを注ぐ中年女性をそう呼んだ。

 中年女性は手を止めて、女騎士に言う。


「あら、ミーネ。ちょうどいいところへ来たわ。スープがね、これでは薄すぎると思うの。ほら見て? まるで白湯みたい!」

「白湯はいささか誇張が過ぎるかと」

「そうかしら? 私が今朝飲んだスープと比べたら白湯同然だけど?」

「王妃殿下。王家のお方が飲むスープとは違って当然――」


 そこまで言って、ミーネは気づく。

 この王妃は、そんなこと承知の上で言っているに決まっている。


「――承知しました。改善へ向けて努力します」

「お願いね? 先王弟叔父上は頼めばもう少し都合してくれると思うわ」

「はい。ところで、帰都の日取りなのですが……」

「まだ帰らないわ」

「グラディス王妃!」

「名前で呼んでもダ~メ!」


 第一王妃グラディスは、獅子王エイリスの妻で、ウィニィの生母である。

 病がちで王宮催事を欠席することも多いが、彼女を悪く言う者はいない。

 賢く、善良であるからだ。

 今回のような天災があったときは、病を押してでも真っ先に現地へ赴くのがこの王妃であった。


「しかし、ここに王妃殿下がおられることは知れ渡っております。身代金を狙う賊らしき連中の動きも報告されておりますし。私共、供回りの数では対処しきれるかどうか……」

「大丈夫よぉ。あなたがそう言うから彼女・・を呼んだのでしょう?」


 そのとき、教会の庭の外に立つ衛士が叫んだ。


「ロザリー卿、戻られました!」


 王妃が微笑む。


「ほうら、噂をすれば」


 衛士の敬礼に出迎えられ、ロザリーが教会の庭に入ってきた。


「お帰り、ロザリー!」

「ただいま戻りました、王妃殿下」


 ロザリーは王妃の前まで進み出て、報告した。


「誘拐を企てた一味をすべて捕らえ、先王弟殿下の居城へ送りました」


 王妃は満面の笑みでミーネを見た。


「ほうら、ね!」

「一味をすべて、だと……?」


 訝しげに見るミーネに、ロザリーが説明する。


「上空から使い魔で索敵しました。賊は潜伏していましたが大所帯だったので、見つけるのに苦労はしませんでした」

「いや、発見したことを疑っているのではなく、一人ですべて捕らえたというのが――」

「――ミーネ。ロザリーは金獅子よ? 疑う方が愚かだわ」

「ハ……ッ」


 王妃が数回、頷く。


「ご苦労さま。さすがは〝骨姫〟ね」

「いえ」

「それにしても困ったものよねぇ。私なんか攫ったところで陛下は銅貨の一枚もお出しにならないというのに」

「そんなことは……」

「ロザリーはどう思う? 私って、そんなに攫いやすそうに見えるのかしら?」

「それは……こんな小勢で地方に赴いて慈善活動を行えば、不届き者が出るのも致し方ないかと」


 これにはミーネも激しく頷く。

 王妃は不服そうにロザリーに言った。


「まあ。ロザリーまで私が悪いって言うの?」

「悪いだなんて! ……でも、せめて近衛騎士団キングズガードの一部隊でも随伴させた方がよいかと」

近衛騎士団キングズガードなんて連れてたら、民は怯えて近づかないわ」

「そうかもしれません。でも……恐ろしくはないのですか?」


 すると王妃は、ロザリーに顔を近づけて言った。


「〝骨姫〟ロザリーが守ってくれるのに、何が恐ろしいというの?」


 これにはロザリーを含めた一同は、誰も反論できなかった。

 王妃は満足げに微笑みながら、ロザリーに手招きした。

 ロザリーが近くへ行くと、ロザリーの肩に手を添えて、天幕の奥へと連れていった。

 そして誰も見ていない場所で、王妃はロザリーに言った。


「頼まれてた、例の捜し人の件だけど」

「っ! 何かわかりましたか!?」

「ごめんね、あなたが知っている程度のことしかわからなかった」

「そう、ですか……」

「念のため、私が受けた報告をそのまま伝えるわね?」

「はい、お願いします」


 それから王妃は、袖口から出した数枚の紙に目を落としながら語り出した。


「オズモンド=ミュジーニャは半年前にレディを殺害して以降、王宮も行方を掴めていないわ」


 それを聞いたロザリーは、激しく落胆した。

 ロザリーは大墳墓から帰ってから、オズに起こった出来事を知った。

 当事者となったグレンやピートに話を聞き、情報通のロロにも相談し、オズを捜索した。

 自分なら見つけられる、見つければ彼を助けられる。

 そう思っていたのに、半年経った今この時までオズの足取りはまるで掴めていない。

 大した逃げ足だと半ば感心しつつも、彼のことをとても心配していた。

 彼が王都を出ることになった状況を考えれば、自暴自棄になっているかもしれない。

 ――あのとき助けていれば。

 その罪悪感もあって、ロザリーは必死だった。


「事件の顛末も話しておくわね。禁書窃盗の主犯はレディに確定した。王都守護騎士団ミストラルオーダーの中にいたから、かの騎士団では綱紀粛正の嵐が吹き荒れている様子。なのでオズは騎士殺しの罪には問われない。けれど……」

「禁書窃盗の罪には問われる?」


「状況からみて実行犯である可能性が高いからね。ただ、どうもオズの捜査は後回しになっている様子……おそらくオズが王宮審問官リブラと繋がりがあったことが関係してる。王宮審問官リブラとしてはうやむやにしたいのね。禁書庫の門番の目撃証言と食い違うという話もあるらしいし……現時点では禁書窃盗の罪に問われるかもしれない・・・・・・ってところね」


「そうですか……オズの継父は見つかりましたか?」

「ああ、そっちは見つけたわ」

「本当ですか!? オズは継父を恨んでいるはず! 復讐に来るかもしれない、今どこに!」

「ん~、あそこ」


 ロザリーが眉を顰める。


「あそこ?」

「ほら、あそこ。薄いスープを美味しそうに飲んでる」


 王妃が指差したのは、教会の庭の隅だった。

 汚れた衣服の小太りな中年男性が、地べたに座り込んで器を両手で抱えて口に傾けている。

 ロザリーがその男を指差して言う。


「あれが?」

「間違いなく、オズの継父よ。彼の実家がちょうどこのサーバリーでね。あなたに頼まれてすぐ、その実家に使者を送ったの。そうしたら……」

「そうしたら?」

「来たが追い返したと。どうも家中でも鼻つまみ者だった様子でね? 干ばつで四苦八苦してるところを頼られても困るって。それで、まだこの辺りにいるかもと探していたら、向こうから食べに来たってわけ」


 ロザリーはオズの継父を見つめた。

 彼は飲み終わった器を一生懸命舐めている。


「……とても貴族には見えません」

「貴族だって窮すればあんなものよ。あの様子だと、しばらくここに居座るでしょう。でも……オズモンドは復讐に来ないと思うわ。落ちるところまで落ちているし、今の彼を見て継父だと気づくかすら怪しい」

「そうかもしれませんね……義兄のほうは?」

「王宮の地下牢よ。実行犯の疑いがまだ晴れていないから。もっとも、永遠に晴れないかもしれないけれど」


 そこまで言って、王妃は明るい調子でロザリーの背中を叩いた。


「そんなにしょげないの! 見つからないってことは、逃げおおせているってことよ!」

「……でも、万が一ってことも」

「バカね、そんなこと考えても意味がないわ。生きているに決まってる! そう思わなきゃ!」

「……そうですね。でも、いったいどこに逃げたんだろう?」

「深手を負って船で逃げたのよね? だったら海までそのまま出るでしょう。あとは港から海を渡るか……あるいは西ね」


 と、そのとき。

 ロザリーは背後から何かが飛来してくるのを感じ、見もせずにそれをパシッと掴み取った。

 掴んだものを見て、ロザリーが言う。


「あ、【手紙鳥】」


 王妃は目を丸めて言った。


「【手紙鳥】を素手で捕獲する人、この目で初めて見たわ!」

「王妃殿下を狙った矢かと思ってしまって。これ、殿下への【手紙鳥】ですかね?」


 ロザリーが手を離すと、勢いを失った【手紙鳥】はゆらり、ゆらりと舞いながら、王妃の手の上に落ちた。


「陛下からだわ。何かしら……」


 王妃が【手紙鳥】を開くと、中に別の封筒が折り込まれていた。

 封筒の封蝋印は、獅子王の印だった。


「それって、王命の……!」


 王妃はちらりとロザリーを見た。

 ロザリーは王妃の表情から察し、一礼して天幕から出た。


「王妃殿下は?」


 側仕えの騎士ミーネが近づいてきて、そう聞いてくる。

 ロザリーは天幕の奥に目をやってから、「王命が届いたみたい」と答えた。


「王命? どういうことだ?」

「知りませんよ。すぐ帰れとか、そういうのじゃないですか?」

「そんなのわざわざ王命で伝えるわけないだろう!」

「そんなこと私に言われても」


 ロザリーとミーネが意味のない口論をしていると、天幕の奥から王妃が歩いてきた。

 その顔つきは先ほどまでと違い、緊張感に満ちていた。


「殿下……」


 ミーネが聞けずにいると、王妃のほうから話し出した。


「すぐに帰ることになったわ。戦時体制に移行するからと」

「ほら、私の言った通り……んっ? 戦時体制?」


 王妃は王命が書かれた紙をロザリーたちにピラリと向けた。

 そして威厳に満ちた声で言う。


「ロザリー=スノウオウル! 王命である、跪き、畏まって聞け!」

「ハッ!」


 ロザリーはすぐさま反応して跪き、隣のミーネが遅れてそれに続く。

 周囲の騎士たちも、その様子を見て慌てて跪き、使用人や民は見よう見まねでそれに倣った。


「告! 西域ガーガリアの蛮族共が王国領土を大規模侵攻中である! 墓守公〝骨姫〟ロザリーは即刻前線に赴き、西方伯〝首吊り公〟ヴラド、及び対西域騎士団連合と協力し、蛮族を撃退せよ!」

「……拝命いたします」


 ロザリーが頭を垂れたまま両手を差し出すと、王妃がその上に王命を置いた。

 そして王妃はその上に手を添え、少し屈んでロザリーに囁いた。


「ごめんね、ロザリー。あなただけを向かわせることになる。陛下もきっと兵を整え次第、西へ向けると思うから。それまで持ちこたえて……!」


 ロザリーが顔を上げる。


「大規模侵攻とありました。蛮族とはそれほど数が?」

「ええ。陛下が〝首吊り公〟お一人では心許ないとお考えになるほどにね」

「なるほど。気を引き締めて向かいます」

「そうすべきね。それと、私からも一つ助言をしても?」

「はい、もちろんです、殿下」


 王妃はロザリーの手を両手で包み、語りかけた。


「陛下と宮中伯があなたを墓守公としたのには理由がある。墓守公という爵位は領地もなければ栄職でもないけれど、その爵位の上には陛下しかいないの。つまり、あなたに命令できる存在は獅子王その人しかいない」

「!」

「王命を受け、戦地へ赴くあなたに命令できる貴族は存在しない。西方の貴族に命令されても、従う必要はない。一切、無視しなさい」


 驚いて目を見開くロザリーに、王妃は微笑んだ。


「ロザリー卿。思うままに」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【手紙鳥による王命】

緊急時や遠方への王命伝達には手紙鳥が使用される。

虚報を防ぐため、王命の真贋を確かめることができる『代理人』を介して伝えられる。

『代理人』は王家に連なる人間の中でも忠誠心に篤い者のみに資格が与えられ、王国各地に派遣されている。

『代理人』は騎士団等の戦力を持つことを許されず、常に交友関係を厳しくチェックされる。

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