第二章 西方争乱〝猛禽の宴〟

第208話 巨人の影

 獅子王国は天然の要害に守られた国である。

 南と東を取り囲むのは、不壊の城壁である絶壁の高地ハイランド。

 北面は海に面しているが、魔導皇国からは大陸を大きく回り込む必要があり、加えて海岸線の岩礁の多さもあって、これも要害の役割を果たしている。


 では、西はどうか。

 南の国境線であるハイランドは、ある地点から標高が極端に低くなる。

 そこから西へ向かうにつれ更に低くなっていき、最終的には地表に沈み込むように消えていく。

 魔導皇国の新米軍師ならば、地図を眺めて


「西から獅子王国に攻め入ればよい」


 などと言うであろう場所が、このハイランドの終わりの地点である。

 しかし、その案が実現されたことは過去に一度もない。

 西攻めには西攻めの問題があるからだ。


 一つは王国の中心は領土の東側であり、王都ミストラルは最も東の位置にあること。

 これでは西から侵入しても、相手が待ち構えている方面を攻めることになる。

 そしてもう一つは蛮族の存在である。

 この地点から更に西は蛮族の領域であり、西域ガーガリアと呼ばれている。

 山岳の多い荒んだ地であるが、数百万もの蛮族がそこに暮らしているという。

 もし西から攻めて後背を蛮族に攻められたら。

 そうなれば挟み撃ちだ。


 彼らは古き民であり、一説には王国は元より皇国の成立より前からそこにいると言われている。

 彼らは未開かつ粗暴でおよそ文明と呼べるものからほど遠い民族だが、祖先からの教えは脈々と受け継がれている。

 その教えとは〝不屈〟である。

 いずれにも与せず、戦い抜くことを誉れとする。

 ゆえに彼らは他民族への隷属はもちろん、同盟も受け入れない。

 彼らは蛮族、あるいはガーガリアンと呼ばれるが、もう一つ呼び名が存在する。


〝巨人〟である。




 王国最西の城――ダレン物見城付近。

 一台の荷馬車が荒野を走っている。

 荷台には石ころが山と積まれ、御者台には中年の騎士と幼い息子が座っている。

 馬車を引く二頭の馬は派手に土煙を上げているが、石の重さのせいか速度はさほどでもない。


「おっとう!」

「なんだ息子よ」

「後ろの石ころ、魔導鉱ソーサライトでしょ?」

「そうだ。よく知ってるな?」

「知ってるよ~、そのくらい!」

「そうかそうか」


 騎士は、最近になって生意気な口を利き始めた息子がかわいくて仕方なかった。


「これ町で売るの?」

「売らないよ、領主のハンス様にお届けするんだ」

「え~、なんで! もったいないよ!」

「そんな事はない。これがお役目なんだよ」

「ハンス様ばっかり得じゃん!」

「違う、違う。ハンス様も売らないんだ」

「なんで?」

魔導鉱ソーサライトには質があるんだ。この辺りには鉱山がたくさんあるが、西の端なんで人が足りない。全部は掘れないんだ。だからハンス様が質を見定めて、どの鉱山を開発するか決めるんだよ」

「ふ~ん」

「わかったか?」

「わからん! ムズい!」

「ハッハッハ。そうか、ムズいか」

「めっちゃムズい!」

「家では難しいと言うんだぞ? おっかあが怒るからな」

「それはわかった」

「あと、できたら父上、母上と呼んでおくれ」

「それはムリ! みんなおっとうおっかあって呼ぶもん!」

「そうかあ。無理かあ」


 騎士が諦めのため息をついていたら、ふいに息子が御者台から身を乗り出した。


「おいっ!」


 騎士が慌てて右腕を伸ばし、息子の腰を掴む。


「危ないだろう!」


 騎士が叱るが、息子の目はこちらを向かない。


「おっとう! あっち! 何かいる!」

「なんだ、狼か?」

「わかんない! いっぱい動いてる! あんなの見たことがない!」

「見たことがない?」


 騎士は興味を持ち、馬車を止めた。

 そして息子の見ている方角――西方を眺めた。


「……何にも見えないが」

「目が悪いからだよ!」

「そんなに悪くもないが。どこだ、指差してくれ」

「だからいっぱいだよ! こっちからあっちまで、ず~っといる!」

「ず~っと……?」

「遠くのほう!」

「遠く……」


 騎士はやっと、息子の言う何か・・に気がついた。

 西の地平線が、なぜかうぞうぞ・・・・と動いているように見える。


「何だ? 陽炎か……?」

「違うよ、かげろうは見たことあるもん!」

「だがなあ。あの数は獣ではないし……」

「あっ! 人だ!」

「人?」

「あそこ! なんだ、人かぁ。びっくりしたよ」


 息子が指差す場所――地平線の、ある一か所に、確かに人影があった。

 遥か遠くにあって、人の形などわかるはずがないのに。

 地平線に立つ人影を見て、騎士は顔面蒼白となった。


「大変だ……!」


 騎士は御者台から飛び降り、荷台に回った。

 そして積まれた魔導鉱ソーサライトを、バラバラと乱暴に地面へ落としていく。

 息子が馬車から降りて、心配そうに父親を見やる。


「おっとう、なにしてんの?」

「逃げるんだ! 逃げるために軽くしてるんだよ!」

「なにから逃げるの?」


 騎士は血走った目で息子に言った。


「あれは巨人だ。逃げなきゃ殺される」

「……おっとうは魔導騎士だから勝てるでしょ?」

「巨人にも魔導がある。蛮族は魔導を持つと巨人になるんだ。……でも、あんなデカい奴は聞いたことがない!」


 息子も父親の様子を見て、事態の深刻さを悟った。


「乗れ! 逃げるぞ!」

「う、うん!」


 騎士親子は軽くなった馬車を全速力で走らせ始めた。

 馬車は激しく揺れながら、ダレン物見城へと駆けていった。

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