第207話 荒野行~霊廟

 王都より東の地。

 草木の一本も生えぬ荒野が広がっている。

 風が強い。

 巻き上げられた砂塵が砂嵐となって行く手を遮る。


 ロザリーは徒歩にて荒野を渡っていた。

 歩くしかなかったのだ。

 これほど視界が悪くては、骨馬グリムでは目的地を見つけられずに通り過ぎるだけだから。

 なめし革のマントをぴっちりと前まで止めて、フードを深くして砂塵から目を守る。

 それでも足りず、持参していた薄手の布をスカーフ替わりに首に巻き、鼻の上まで上げて口元を守っている。

 一歩、一歩進むのは、これから向かう霊廟を見落とさぬため。

 しかし方角すらも見失いそうになり、ロザリーはしもべの名を呼んだ。


「ヒューゴ」

「お呼びですか、御主人様」


 彼女の影から、黒衣の男がゆらりと迫り出てくる。

 ロザリーは久しぶりにしもべにそう呼ばれた気がした。

 彼は少しの日光も嫌がるくせに、この酷い砂塵はまるで平気な様子だ。


「迷いそうなの。先導してくれる?」

「お安い御用サ。……ボクだって場所は知らないケドね?」

「わかってる」


 コクトー宮中伯から受け取った案内の地図は、かなり曖昧なものだった。

 ロザリーが

「なぜこんなに曖昧なのか」

 と尋ねたら、コクトーは

「行ったことがある者がいないからだ」

 と答えた。続いて

「王の墓なのに?」

 と尋ねたら、

「そういう場所なのだ」

 という答えが返ってきた。

 ずいぶん含みのある言い方だとロザリーは思ったが、それ以上は尋ねなかった。

 曖昧な答えしか返ってこない話題なのだと理解したからだ。


「――デ。どの辺にあると書いてあるンだい?」

「砂嵐の中にあるって。砂嵐が止んだら、通り過ぎてるって」

「……場所で教えてほしいものだが。それはつまり、この辺りはいつも砂嵐が吹き荒れているってことなのかねェ」

「たぶん、そうだと思う」


 ヒューゴは顔にぶつかる数多の砂粒を気にすることなく歩いていく。

 彼を風除けにしながら、ロザリーも後についていった。


「ム。人がいる……」


 ロザリーがヒューゴの陰から顔を出し、前方を覗く。

 確かに人影のようなものが見える。

 ロザリーのようにマントを着ていて、それが激しく靡いている。

 フードはなく頭部は坊主頭のようだ。

 身長より長い杖をついている。

 そして風に靡くマント以外、微動だにしていない。


「異教の僧侶のように見えるガ……」

「……生きてる?」

「風の中で立っているし、生きているだろう」


 二人は人影に近づいていった。

 近くまで来てやっと、それが老人だとわかった。

 頭の位置はロザリーより低いが、それは背骨が大きく曲がっているせいで、若い頃はヒューゴよりも大きそうだった。


「ご老人。少し、伺いたいのだガ……」


 ヒューゴが声をかけると、老人が振り向いた。

 日焼けした顔には皴が深く、幾重にも刻まれていた。


「……このような再会があろうとは」

「「?」」


 老人の言葉に、ロザリーとヒューゴは顔を見合わせた。


「ボクらと会ったことが?」


 老人はしばらくヒューゴを見つめ、それから首の後ろからフードを頭に深く被せた。


「……いや、気のせいだ」


 老人は二人に背中を向け、杖をついて歩き出した。

 ロザリーが慌ててその背中に言う。


「あの! 私たち、始祖レオニードの霊廟に行きたいのですが、場所をご存じではないですか?」


 老人は足を止めた。


「あんな所に何の用があるのかね?」

「私、獅子王陛下より〝墓守〟のお役目に任ぜられまして。とにかく一度、行ってみなければと」

「〝墓守〟とは難儀な役目だ。しかし……なるほどな」

「?」

「……案内しよう。ついて参れ」


 老人は二人を先導して、歩き始めた。



 二人は老人の後を一時間ほど歩いて、その場所に辿り着いた。

 目の前にはこんもりとした山があり、その斜面には緑が生い茂っている。

 その丘の麓に、ぽっかりと洞窟が口を開けていた。


「あれが王の墓だ」

「あの洞窟が?」

「洞窟は入り口にすぎぬ。この山全体が墓だ」

「これ全部! なんて巨大な……だから大墳墓……」

「長い年月手入れもされず、ただの山と洞窟になり果てた墓よ」


 ヒューゴが誰に言うでもなく、言った。


「寂しい墓だ。王の墓だというのに、誰からも忘れられている……」


 老人はまた杖をつき、洞窟のほうへと歩き始めた。

 ロザリーとヒューゴがまた顔を見合わせる。


「案外、親切なご老人だねェ。墓の中まで案内してくれるのか」

「実は管理人さんだったり?」

「それって〝墓守〟な気がするけド」

「とにかく、ついていこうよ」


 ロザリーは小走りに、老人の後を追っていった。


「あ、涼しい」


 ロザリーはそう感想を漏らし、フードを脱いだ。

 洞窟は入ってみると、それは確かに人工的に作られたものだった。

 まっすぐに伸びていて、しっかりと石を組まれている。

 老人は松明に火を点し、通路を歩いていく。

 そのあとをしばらく歩いているうちに、ヒューゴがふと首を捻った。


「どうしたの、ヒューゴ?」

「この通路、地下に伸びているヨ」

「そうね、下り階段ばっかり」

「棺を埋葬する玄室ッて、墳墓の中腹に置くものではないのかナ? そうでなくとも地表と同じ高さか。地下に作る意図がわかんないなァ」

「そう? 私はお墓だから下へ掘るイメージだけど」

「普通の墓はネ。だがこうやって墳墓として積み上げたら、普通は積み上げた中に作るヨ」

「ふ~ん。そうなんだ」


 すると老人が顔を半分こちらに向けて、言った。


「なんだ。なぜこの墓が作られたのか知らぬのか」


 ロザリーが目を瞬かせる。


「なぜって……始祖を祀るためでしょう?」


 老人は首を横に振った。


「否。祟りを恐れたからだ」

「たたり……?」

「この墓に眠るのは始祖レオニードと、その子スフィ。彼らの祟りを恐れたから、この大墳墓は築かれたのだ」

「一体、何が……」

「親殺し、兄弟殺し……獅子王家では珍しくもないことだよ」


 幾度も幾度も階段を下り、ロザリーたちは玄室に辿り着いた。

 大墳墓の巨大さからすればとても小さな部屋で、石棺が二つ並んでいた。

 その石棺の枕元の壁に、それぞれ古びた剣が掛けられている。

 石棺と剣の大きさに違いがある。


「大きいほうがレオニード。小さいほうがスフィの棺だ」


 老人が指差しながら言う。

 ロザリーは口元を押さえて言った。


「もしかして。スフィというのは子供……?」


 老人は頷きもせず、昔語りを始めた。


『始祖レオニードには二人の息子がいた』

『寡黙な兄、ネメア。そして利発な弟、スフィだ』

『年の離れた兄弟だった』

『レオニードは兄ネメアが成人すると、彼が跡継ぎであると宣言した』

『弟スフィはレオニードが老いてからできた子だった』

『レオニードはスフィを、それはそれは可愛がった』

『幾年が過ぎ、レオニードは重い病に冒され、床から離れられなくなった』

『そして事件が起きた』

『兄ネメアが弟スフィを殺したのだ』

『玉座を奪われることを恐れての蛮行だった』

『スフィはまだ九つだった』

『ちょうどこの墳墓の辺りにおびき出し、弟を生き埋めにした』

『そして王都に戻ったネメアは、二代獅子王に即位したのだ』

『しかし、事はそれで収まらなかった』

『弟を殺してから、ネメアの周囲で不審な死が相次いだのだ』

『弟殺しを唆したネメアの妻は、目も当てられないような苦悶の死を遂げた。ネメアの側近も次々に不幸に見舞われた』

『後に事件を病床で知ったレオニードは、呪いの言葉を吐きながら憤死した』

『父の死に顔をその目で見たネメアは、即刻大墳墓の建造を命令した』

『それはそれは大きな墓だった』

『だがそれに異を唱える家臣はいなかった』

『祟りを恐れたのはネメアだけではなかったからだ』

『墳墓の大きさと玄室の深さは、ネメアの恐れの大きさを表している』

『地中深くに彼らを葬り、その上に巨大な重石・・を置いて祟りを封じようとしたのだ』

『……最も、大墳墓の完成前に二代獅子王の治世は終わりを迎えたがね』


 ロザリーは棺を前にしての昔語りに、言葉が出なかった。

 老人が言う。


「今もこの玄室には怨念が渦巻いておる。……しかし死霊騎士ネクロマンサーにならば託してよいのかもしれぬ」

「なぜ私が死霊騎士ネクロマンサーだと知って……!」


 老人はそれに答えず、二つの石棺の枕元に掛けられた二振りの古びた剣に向けて両手をかざした。


「〝黒曜〟、〝白霊〟」


 名を呼ばれた二振りは、ガタガタと揺れたかと思うと壁掛けの支えが外れ、ふわりと宙に浮き上がった。

 パキリ、パキリと鞘が割れ、その見事な剣身が露となる。

 短いほうの剣は黒く輝く鋭い剣。

 松明の光が当たると虹色に輝いている。

 長いほうの剣は魔導銀ミシィル製と思しき幅広の剣。

 古代魔導リュロンド語で〝不壊〟〝不敗〟〝不死〟と繰り返し刻まれている。


 二振りはロザリーの目の前まで飛んできて、浮いたまま静止した。

 長短二振りの剣の柄は、手を伸ばすとちょうど掴める位置にある。

 まるで「使え」と主張するように。

 ヒューゴがロザリーに近寄り、耳元で囁く。


「呪物ダ」

「わかってる」

「同時に特別な魔導騎士剣でもある」

「それもわかってる」


 ロザリーが二振りに手を伸ばす。


「御主人様……」


 ロザリーの手が止まる。


「私は手にしたいの。でもヒューゴがやめろと言うならやめるわ」

「……イヤ。特別な魔導騎士剣は使い手の運命すらも左右する。だからこそ、キミにしか決められない」

「私、求められてる……大丈夫、私は二人を理解できる」


 ロザリーは二振りの柄を握った。

 その瞬間、ロザリーの身体を何かが吹き抜けた。

 それが怨念と呼ぶべきものなのか、それともただの記憶の残滓なのか、ロザリーには判然としなかった。

 ロザリーが言う。


「そっか。レオニードはスフィを跡継ぎにする気なんてなかったんだ。スフィへの愛情は、末子への可愛がりに過ぎなかった。なのに……」


 老人が言う。


「最も不憫なのはネメアかもしれぬ。何も殺すことはなかった。ただ、父に確かめてくれれば、それでよかったのだ……」

「!」


 ヒューゴがハッと老人のほうを向く。


「キミはまさか!」


 そう叫んだとき、そこに老人の姿は影も形もなかった。


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今週は閑話のみ。

来週から2章『西方争乱』へ入ります。

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