第206話 自由なる者―3
今週は1話更新です。
文量的には2話分ありますが、切りどころが難しく……
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副長は急がず、緩みなく、剣をオズの心臓に向けて構えた。
オズにはもう、己の命を守る術はなかった。
(ここまで、か……)
(……もっぺん、ロザリーに会いたかったな)
(
「さらばだ、オズモンド」
副長が剣を引き絞り、オズの心臓へ突き下ろす。
(正しいこと……俺には難しかったよ、母さん……)
命を絶つ一撃が服を突き抜け、まさにオズの皮膚に触れた瞬間だった。
カッ!!!
強烈な発光が起こり、分厚い光の波が副長を吹き飛ばした。
副長は五メートルほど飛んで橋に落ち、ゴロゴロと転がってから、むくりと身体を起こした。
「副長!」
駆け寄ろうとする
「何が起きた……?」
その現象の原因と目されるものは、倒れるオズの胸の上に浮かんでいた。
オズがそれをぼんやりと見上げる。
「何だ、これ……」
強烈な発光は収まったが、その浮かぶ本自体は未だほのかに輝いている。
「〝ユーギヴの鍵〟……?」
本は返事をするようにブゥゥ……ンと震え、ページがパラパラとめくれた。
「置いてきたのに……何で……?」
オズは禁書に引き起こされるように、ふわりと立ち上がった。
「俺を助けてくれるのか……?」
それを
「オスカル様、我々も川に向かいましょう! 〝堕天文書〟を回収せねば!」
しかしオスカルは一瞥もくれずに怒鳴った。
「黙れ!」
「オスカル様……?」
「今、オズモンドは何と言った?」
「は? 聞き取れませんでしたが……」
「〝鍵〟だ。たしかにオズモンドは〝鍵〟と言った」
「鍵、ですか」
「見てわからないか? あの光る本――超常的な力を有するあの本もまた、禁書に違いない! そして禁書で〝鍵〟といえば――〝ユーギヴの鍵〟だ!」
「
「建国より伝わる禁書リストに名が有りながら、何百年も見つからなかった禁書中の禁書! すでに禁書庫にはないというのが研究者たちの通説だったが」
「オズモンドはどこでそれを?」
「禁書庫だろうよ! あの場所はまさに迷宮、特殊な運を持つ人間にしか探し物は見つからない!」
「……どうされますか?」
「無論、手に入れる!」
そしてオスカルは振り返り、部下たちに命令した。
「オズモンドを拘束する! ゆくぞ!」
「「ハッ!」」
「待ってくれ、おいっ!」「待って、待って!」
近くにいたグレンとピートが止めようとするが、一斉に動き出した
その動きを対岸側で見た副長の顔色が変わる。
「チッ、白服共が! 今さら欲を出しおって!」
残った部下は自分を除いて十五名。
オスカルが引き連れる
「伏兵がいれば同数かそれ以上……だが、やらせるわけにはいかん!」
副長が剣を突き立て、立ち上がる。
「白服の横取りを許すな! 行けっ、オズモンドを殺せッ!」
「「おうッ!」」
橋の中央にいるオズへ向かい、片方から
その反対側から
渦中のオズは、どこか
ページは凄まじい速さでめくれていくが、本が終わる様子はない。
「すげぇ……わかる、わかるよ……」
オズの頭に、情報の奔流がとめどなく流れ込んでいく。
「俺は
そこへ、先んじて
「オズモンド! 降伏せよ!」
オズはその者らをぼんやり見て、呟く。
「もっと自由なんだ。例えば――」
オズは三名の腰の辺りに向けて、指を宙で遊ばせた。
降伏する様子のないオズを見て、三名が剣を抜こうとするが。
「ッ!? 何だ、剣が抜けない!?」
「【鍵掛け】完了。開け閉めできると見立てれば、別に扉じゃなくてもいいんだ。あとは――」
次に三名の首の辺りに向けて、指をリボンを結ぶように動かす。
「がっ!」「か、ひゅっ……」「うぐ……っ」
それが首に食い込んで、爪を立てても解けない。
「【蛇縄術】。これも縄である必要はない」
三名はもがきながら膝をつき、泡を吹いて石畳に倒れていった。
「総員! スカーフを捨てろ!」
オスカルの命令に、残る
オスカルは刮目してオズを見ていた。
(【鍵掛け】に【蛇縄術】だと?)
(どちらもソーサリエで初めに習うような初等
(戦闘で用いるような、騎士を殺せるような術では断じてない!)
(……これが〝ユーギヴの鍵〟の力か?)
歩を止めた
「死ねい、オズモンド!」
そう叫んで最初に斬りかかってきた
「そこ、滑るぞ?」
「ッ!?」
オズの仕掛けた【油沼】に足を滑らせる
オズはバランスを崩した彼の背後を取り、脇から左腕を差して彼の喉笛に爪を立てた。
「う、ぐっ……」
苦しげに顔を歪める
仲間を人質に取られた格好の他の
オズは彼らと
「少し多いな……そうだ、呪詛を試そう」
軽い口調でそう呟くと、人質に取った男の耳に右手を伸ばし、彼の耳をひと息に引きちぎった。
「あっ! ぐぅぅっ……」
男は痛みに悶えたが、オズが喉笛を持つ左手に力を込めると再び大人しくなった。
オズは右手に持った彼の耳を自分の口元に寄せて、呪言を連ねて囁く。
「……隙間から何かがお前を見ているよ」
「カーテンは閉めたか? 扉に鍵は?」
「お前は部屋を間違えた」
「今、誰かとすれ違った?」
「見覚えのある奴だ」
「足音が聞こえないのは、止まってこちらを見ているからだ」
「振り返るな。見れば終いだ」
呪いの言葉を囁かれた耳が、オズの手の上で黒い灰となって、サラサラと風に消えていく。
その最後の灰が消えた瞬間だった。
「ウッ!」「ひっ!」「うあっ!」
オズを囲む
彼らは耳を押さえたまま首を激しく振ったり、奇声を発したり、その場に座り込んだりし始めた。
「オスカル様!?」
「シッ! ……下がるぞ」
最後尾にいたオスカルと側近は難を逃れていた。
振り返るとグレンとピートは呆気にとられるだけで混乱している様子はない。
呪詛の影響はオズの周囲に限定されると判断し、そっと後ろへ下がる。
対岸側を見ると、その場に残っていた副長もオズの呪詛から逃れていた。
オスカルが目を細めて言う。
「これは……
「
「そうだ。だが目の前の者たちはみんな
「それは……たしかにそう見えますが……」
ある者は膝をついて懺悔し。
ある者は何かに怯えて腕を振り回し。
またある者は自分の騎士章を菓子のように持って
またある者はひたすらに落胆していた。
(ちぎった耳を生け贄にして集団に
(まるで古代の野蛮な呪詛のやり口ではないか!)
オスカルたちが手出しできず見ているうちに、妄想に取り憑かれた集団は互いに争い始めた。
それは全く対話になっていない口論に始まり、やがて取っ組み合いの喧嘩となり。
剣を抜いての殺し合いとなるのに、さして時間はかからなかった。
乱闘を眺めるオスカルが怯えた声で言う。
「これでは……致死性の集団幻覚ではないか……」
オズは混乱を極める橋の中央付近を、まるで無人の野を歩くかのように進んだ。
向かう先は
「オズモンド……ッ!」
副長はあばら押さえて立ち上がった。
彼も離れたままだったので
あばらは吹き飛んだときに痛めたらしく、立っているだけで辛そうにしている。
オズが悩ましそうに言った。
「次は何を試そう……そうだ、これは?」
オズが副長に向けて指を遊ばせる。
しかし何も変化は起きず、副長は恐々と自分の身体を目で確認している。
「なんだ、目や口は【鍵掛け】できないのか。それとも俺ができると信じていないからか? ……ああ、そういやロザリーは別の術でやってたっけ」
オズが再び指を遊ばせてから、「縫い付け完了」と呟いた。
すると副長は「アッ!」と声を上げて、目元を押さえて後ずさった。
「やってみりゃできるもんだな。いや、
そう言ってオズが〝ユーギヴの鍵〟を見つめた、そのときだった。
「あ、う゛っ!?」
オズは驚いた顔で自分の腹を見下ろした。
服を突き破り、腹部から剣先が三十センチほど飛び出している。
震えながら振り向くと、ずぶ濡れのレディが立っていた。
「遊びは終わりよ、オズモンド」
レディは剣に腸を絡ませるように、捻じりながら剣を動かした。
「ギャアッ! あ……が……」
最後に力任せに剣を引き抜くと、オズは大量の血を吐いて倒れた。
視界を奪われたままの副長は、ナイフで無理やりに瞼をこじ開けた。
目の縁から血を流しながら、レディに問う。
「禁書は回収できたので?」
「ええ。かなり破損したけどね」
「これからどうしますか?」
「……どうもこうもあるかッ! 小僧が調子に乗りやがって!」
レディは忌々しそうに倒れたオズを蹴り上げた。
オズは反動で動いただけで、もう動かなかった。
それからレディはふーっと息を吐き、わずかばかりの冷静さを取り戻した。
「……とにかく〝堕天文書〟は手に入れた。
「新入り二人を呼びます。
レディは返事代わりに頷いた。
副長がピィーッと指笛を吹くと、グレンとピートがこちらに気づいた。
二人は顔を見合わせ、それから乱闘を避けながらこちらへ向かって歩いてくる。
懸念していた
副長が言う。
「
レディがククッと笑った。
「できないことを言うな、副長。あちらは二人、こちらは私と負傷したお前。新入りは役に立たないだろうしな?」
そう言ってゆっくりこちらへ歩いてくるグレンらの様子を眺める。
「……では、どうします?」
「オズモンドの禁書を渡して黙らせるというのは?」
「なるほど、いいかもしれません。
「では決まりだ。オズモンドの禁書はどこ?」
「それはオズモンドが――」
そう言いながら、副長がオズの遺体に目をやった。
しかしそこには、あるはずのオズの遺体が影も形もなかった。
「――ッ!? オズの遺体がありませんッ!」
「バカな! たしかに殺ったはず……」
「レディ! 後ろッ!!」
ザグッ。
レディの腹から剣が突き出てきた。
副長が先ほどオズで見た光景が、レディの身体で再現されていた。
「な、んで……ぇ? たしかに殺った……の、に……うああうぅぅ!!」
剣が上下左右に動かされ、レディは膝から崩れそうになった。
しかし背後に立つオズがレディの髪を掴み支え、その耳元で囁いた。
「
そしてオズは髪を掴んだまま、剣をさらに激しく動かした。
「うギッ! あ゛あ゛ぁ゛!! あ゛っ、あ゛っ、あ゛っ、いゃ……ぁぅ」
レディの声が次第に
オズは剣を引き抜き、レディの髪から手を離した。
レディの身体がガクンと落ち、彼女の膝が着いたところで、オズは形見の剣でレディの首をスパン! と刎ねた。
転げ落ちた首を見て、副長が激昂の叫びを上げる。
「オズモンドォォォオ!!」
しかし彼がオズに斬りかかってくることはなかった。
叫んだ直後に副長の身体が大きく揺れ、驚いた顔で顧みながら倒れる。
その背後にいたのは、剣を振り抜いたグレンだった。
「……いいのか?」
オズが問うと、グレンは剣を納めながら答えた。
「隊長を『レディ』と呼んだ」
「……ああ、たしかに」
グレンが〝堕天文書〟を拾い上げた。
「
問われたオズは首を横に振った。
グレンは禁書を懐に収め、オズに再度問うた。
「これからどうする気だ」
「逃げるさ。
「オズ」
「何だ?」
「俺に任せてくれないか」
オズはギョッとしてグレンを見つめ、しばらくしてから吹き出した。
「ククッ……その話、まだ続いてたのか?」
「仕切り直しだ。さっきは
「十分やってくれたさ。俺の盾になってくれた。あれ、結構嬉しかったんだぜ? ピートも、な」
ピートは肩を竦めて笑った。
「だから、もういいんだ。俺は逃げる。見逃してくれ」
そう言ってオズが立ち去ろうとすると、グレンがその先に回り込んだ。
「おい……頼むよ、グレン」
しかしグレンは、オズを真っ直ぐに見て言った。
「正しい者が逃げることはない」
オズの眉がピクンと跳ねる。
「……俺は、正しかったか?」
「レディの通り名は
そしてグレンはオズの肩をガッ、と掴んだ。
「お前は正しいことをしたんだ! だから俺は全力でお前を守る。
オズは困り眉になって首を横に振った。
「なぜだ? 俺を信用できないか?」
「お前のことは信用してるさ。ピートも、ロザリーも、同級生たちも。たぶんお前の言う上官も信頼できる人なんだろう」
「だったら!」
「俺はそれ以外のすべての騎士を信用しない。王都には正しい者の顔をした悪人が蔓延ってる。レディがいい例だろう?」
「信用できない奴の話じゃない! 俺を信用してくれと言ってるんだ!」
「ったく……相変わらず言い出したら聞かねぇな、お前」
オズは腕を交差させ、両手のひらで顔を覆った。
「オズ?」
それを不思議そうに見るグレン。
オズは指の隙間からグレンを睨みつけ、低く唱える。
「訪れる必然。不可避なもの。紡ぎ、計り、断ち切る。お前は見てはならぬものを見るだろう」
「……呪詛か? やめろ、オズっ!」
止めるグレンの声も届かず、オズの呪詛がグレンを捉えた。
「……【
「ウッ! お? ああ、あアァ……」
呪詛にかかったグレンは、口元を両手で覆って、目を見開いた。
地面に膝をつき、焦点の定まらぬまま、座り込む。
オズは傍らのピートに目をやった。
「お前にも必要か?」
ピートは何を問われたか理解した瞬間、すごい勢いで首を横に振った。
「これは自分の死に顔を見せる呪詛だ。まやかしじゃなくて実際死ぬときの顔という、怖え呪詛なんだが……まあ、それだけだから実害はない。そのうち正気に戻るから」
「わかった。……橋の下にうちの隊のボートがあるよ」
「すまない。使わせてもらう」
グレンはいつの間にか地面に横たわり、「熱い……苦しい……」と呻きながらもがいていた。
オズはそんなグレンを見下ろし、それからピートに言った。
「グレンを頼む」
オスカルは相変わらず橋の向こう側にいた。
【手紙鳥】を王都へ飛ばしたのが見えたので、増援がくるまで動く気はないとオズは判断した。
オズが橋の下に下りると、ピートの言う通りボートがあった。
これは首尾よく逃亡できそうだと思った矢先、ボートに先客がいることに気づいた。
「……お前は誰だ? 見たとこ
先客は頭頂部が薄くなった、小太りな男だった。
「へえ! セーロと申しやす、親分!」
「俺がいつ、お前の親分になったよ?」
「では兄貴!」
「……はあ。もう、どうでもいいや」
オズがのっそりとボートに乗り込み、
「あっしも連れてってくだせえ! 雑事は得意ですから!」
「何でだよ……」
「あっしはレディに殺されるとこだったんです! だからレディを倒してくれた兄貴は命の恩人なんでさあ! どうせ王都にいてもあっしはお尋ね者。……兄貴もそうでしょう?」
オズはふと、周囲を見回した。
常に近くに浮いていた〝ユーギヴの鍵〟がいつの間にか消えていた。
酷い疲労感に襲われているのは、そのせいな気がした。
「兄貴! お願いですから!」
オズはボートに身を横たえ、セーロに言った。
「いいから……行けっ」
そう言ったきり、オズは目を閉じて喋らなくなった。
セーロは
ボートはゆっくり岸から離れ、下流へと流れていった。
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