第204話 自由なる者―1
夜。ミュジーニャ邸。
二階の母の部屋にオズの姿があった。
明かりも点けずにベッド脇の椅子に座り、そこに今も母が寝ているかのようにベッドを見つめている。
今、家にいるのはオズだけだ。
オズが今朝方帰ったときには継父の姿はなかった。
彼の部屋を覗いてみると、急いで荷造りしたような形跡が残されていた。
きっと昨日のオズと看護師の玄関口での会話を聞いていたのだろう。
『帰ってきたら殺される』
そう確信して、急いで逃げ出したのではないだろうか。
オズは逃げられたことに腹が立ったが、密かに安心してもいた。
母の言う〝正しいこと〟の中に、仇討ちも含まれるのか判断がつかなかったからだ。
オズの瞳がふと、窓の外へ向かう。
日暮れから四時間は経っていて、月が高く昇っていた。
オズはベッド脇のテーブルに向かい、手紙を書き始めた。
「合図はランプ三回点滅、と……」
一通を書き終え、また別の手紙を新たに書き始める。
そうして二通の手紙を書き終えると、それぞれを鳥の形に折り紙した。
それらを持ってベッドの向こう側まで歩き、窓を開ける。
オズがそれぞれに呪文を囁くと、【手紙鳥】は夜の空へ羽ばたいていった。
「さて。お次は、と」
オズはベッドから枕を手に取った。
中のクッションを抜いて、カバーを裏返す。
すると実物と見間違うばかりの精巧な扉の絵が現れた。
オズが
オズは絵の扉を開き、中に手を突っ込んだ。
そして取り出したのは〝堕天文書〟と〝ユーギヴの鍵〟の二冊の禁書。
オズはじっと二冊を眺め、しばらくして〝ユーギヴの鍵〟を【隠し棚】に戻した。
枕カバーも元に戻し、元あったようにベッドに戻す。
次にベッドに立てかけていた剣を腰に差した。
オズの母が大事に隠していた、亡き父の形見である。
「……母さん。やってみるよ」
サイドテーブルからマッチと、油を満たしたランプを手に取り、最後にフード付きのマントを羽織って、オズは母の部屋から出ていった。
――
「副長殿! セーロを獄より出して連れてきました!」
副長と呼ばれた三十代の男性騎士が頷く。
「ご苦労! これよりゴモリー隊は児童誘拐犯セーロを飛竜監獄へと移送する!」
「「ハッ!」」
ゴモリー隊とはその名の通りゴモリー卿という騎士が隊長を務める部隊のこと。
そしてゴモリーとはレディの表の名であった。
副長以下二十四名の騎士が拘束されたセーロを囲んで隊長を待つ。
ゴモリーことレディは、予定の時間から少し遅れてやってきた。
姿を認めた副長が、大きな声で報告する。
「ゴモリー隊二十四名、セーロ移送任務準備完了しております!」
「うむ……」
レディは物憂げな顔で副長を顎で呼んだ。
副長が近づくと、折り目のついた手紙をぴらりと見せた。
「【手紙鳥】? 誰から?」
「オズモンド。禁書を渡すから今夜会いたいって。ご丁寧に場所まで指定してあるわ」
「今夜はセーロの始末があります。日を改めては?」
「……いいえ。面倒事はいっぺんに片付けるに限るわ」
「わかりました」
「……ひとつ、いい?」
「はっ」
「新入りの二名を連れていくことにするわ」
「新入りを? セーロの始末の邪魔になるでしょう。ここにいる部下たちと違い、
「オズモンドの母親が死んだ」
「ええ。聞いております」
「奴にはもう、こちらに禁書を渡す義理はない。なのに連絡してくるのはおかしいと思わないか?」
「金に替えたいのでは?」
「……そうかしら」
「罠であると? それは些かオズモンドを買いかぶりすぎでは」
「奴にはもう失うものがない。そういう人間は怖いわ。オズモンドがどう出るにせよ、彼の行動を制御したいの」
「なるほど、それで新入り……同行させます」
「ええ、お願い」
オズが指定した場所は、王都の西にかかる〝ミストラル大橋〟の上だった。
到着したレディは、全身を覆うマントで身を包み、橋の中央まで一人で歩いていく。
周囲に目を光らせながら、独り言ちる。
「嫌な場所だ、見通しが良すぎる上に王都に近すぎる……だから殺されないと高を括ってくれていたらいいけど」
レディは橋の中央に辿り着いた。
オズの姿はない。
レディは欄干に肘をつき、暗い川の水面を眺めた。
――しばらくして。
コツ。コツ。
川の流れる音に混じって靴音が響く。
レディが身体を起こしてそちらを向くと、相手も似たような恰好をしていた。
「オズモンド?」
相手がフードを脱いで顔を晒す。
たしかに待ち人のオズだった。
オズはレディと距離を空けて立ち止まり、持っていたランプを欄干に置いた。
「今日は喪服じゃないんだな?」
「ええ。雨が降りそうだから」
「……そうか?」
「本題に入りましょう。盗めたの?」
「ああ」
「本当に?」
オズはマントの下から一冊の本を取り出した。
レディの場所からは暗くてよく見えない。
それを察したのか、オズは欄干に置いたランプのそばに本を持っていった。
ランプの向こう側に本を隠すように持って、サッと持ち上げて本を見せる。
そしてすぐランプに隠す。そしてまたサッと持ち上げる。
それを合計三回、繰り返した。
「……何をやっているの?」
「あー、いや。勿体つけたほうが盛り上がるかなって。もしかして表紙、見えなかった?」
「見えたわ。でもそれだけじゃ判断できない、中身を確認しないと」
そしてレディは手招きした。
「さ、禁書をここへ」
するとオズは、本を再びマントの下に隠してしまった。
「……どういうつもり?」
「禁書は渡せない」
「ほんとは盗めていないのではないの?」
「いいや、これは本物だ。疑うなら疑えばいい、二度と手に入らないがな」
「……じゃあ渡して?」
「渡せない」
「なぜ!」
「払うべき報酬が存在しないだろう?」
レディはすぐに、オズの母親が死んだことを言っていると気づいた。
だが表情には微塵も出さず、小首を傾げて見せた。
「わからないわ。どういうこと?」
「母は死んだよ」
「まあ!? 本当なの、オズモンド? なんてこと……」
「演技してもムダだぜ? 知っていようがいまいが、もはや関係ないからな」
「……どうすれば禁書を渡してくれる? お金? 地位? 要求を言って」
「要求はない。禁書は渡せないってことだ」
「オズモンド……あまり私をなめるなよ?」
レディの瞳に殺気が満ちる。
と、そのとき。
「そこまでだ!」
オズの背後から大きな声がした。
橋を渡って来たのは白い制服姿の騎士たちだった。
レディの顔が強張る。
「――
先頭を歩く第二分隊隊長のオスカルが言う。
「レディだな? 禁書窃盗容疑で捕縛する! 武器を捨て跪け!」
オズが飛ばした二通目の【手紙鳥】の宛先はオスカルだった。
内容は、
『兄の部屋から新たな禁書とメモが出てきた』
『メモを読むと、兄は誰かに唆されて盗みをやったようだ。許せない』
『メモに相手の名前があった。今夜誘い出すから来てほしい』
『合図はランプ三回点滅』
というものだった。
オスカルが連れている配下は十名ほど。
もしかしたら周囲にも部下を潜伏させているかもしれない。
レディがオズを睨むと、オズは肩を竦めて見せた。
「……仕方ないわね」
そうレディが漏らすと、オズは意外そうに言った。
「へぇ、諦めがいいな?」
それを聞いてレディがフ、と笑う。
「諦める? まさか!」
レディは口笛をピィーッと吹いた。
高い音が夜の闇に響いて消えていく。
完全に口笛の音が消えると、代わりにレディの背後から複数の靴音が響いてきた。
副長を含む二十四名が闇の中から姿を現した。
オスカルの顔が歪む。
「……青マント?」
副長たちはレディと違い、身を隠すマントを身に着けていなかった。
そのため、王都の人間なら誰もが知る
副長が名乗りを上げる。
「我々は
オスカルは答えられず、代わりにオズをジロリと見た。
「どういうことだ、オズモンド君?」
オズは舌打ちした。
(勘が
そう思いつつも、オズは口に出せなかった。
王都の守護と治安維持を任務とする
重要犯罪に対する捕縛から罪の裁定まで取り仕切る
この二つの騎士団は犯罪者を捕らえるという点において役割が被っていて、昔から騎士団同士の衝突が起きがちであった。
ゆえに現在では争いを避け、尊重し合う姿勢を取ることが両組織の不文律となっていた。
ミストラル大橋の上で睨み合う
オズはその両者の間に一人立ち、考えを巡らせていた。
(……マズい状況だ。まさかレディが
(最終的にはどちらかが譲ることになるだろうが……オスカルが譲る可能性が高いよな?)
(レディの目的は俺だが、オスカルの目的はレディだ)
(
(……待てよ? 両者の目的は本当にそれか?)
思案するオズの意識を、レディの声が現実に引き戻した。
「私から説明しよう!」
レディが全身を覆うマントを脱ぎ捨てた。
鋼鎧に青マント姿だった。
それを認めたオスカルが短く言う。
「聞こう」
「これはおとり捜査だ!」
「……おとり捜査?」
「そうだ! オズモンドは
「……その犯罪者がレディ、だと?」
「その通り! そちらが求めるならレディの身柄を渡してもいい!」
「代わりにオズモンドを渡せ、か。ふうむ……」
オスカルは顎に手を当て、静かに考え込んだ。
レディの視線がオズへ向き、彼女が笑う。
オズは心の中で舌打ちした。
(もう勝ったつもりか。そうはさせるかよ……!)
オズは覚悟を決め、マントの下から禁書を取り出した。
「ここに〝堕天文書〟がある!」
オズが掲げた禁書に、橋の上の全員の目が集まる。
オズは続けて欄干に置いたランプを取り、その蓋を素早く開け、中に入っていた燃料の油を一気に禁書に注ぎかけた。
「「やめろッ!!」」
レディとオスカルの声が重なる。
オズは油にまみれた禁書を再び掲げ、両者に向かって叫んだ。
「お前らの目的は俺か!? レディか!? 違うだろう! この禁書だ!!」
オズはマッチを取り出し、片手で器用に火を点した。
レディが一歩踏み出し、オズに叫ぶ。
「やめろ、オズモンド!」
「来るなッ!」
禁書にマッチを近づけて見せ、レディを牽制する。
今度はオスカルが言う。
「落ち着け、オズモンド君」
「俺は落ち着いてるさ、オスカルさん。あんたも俺が盗んだと疑ってる。まあこの状況なら仕方ないかも? 俺は禁書を持ってて、俺がレディだと言う人物が
「わかった、君を彼らに渡さない。それでどうだ?」
「俺を疑ってることは否定しないんだな。じゃあダメだ。口約束なんて何の保証にもならない!だからこそ、俺は禁書を燃やすしかないんだ!」
「待て! なぜそうなる!」
「俺にとって禁書は価値がないものだと示すためだ! 盗む価値もない、売る気もないと! 燃やしてしまえばそう信じるしかないだろう!?」
オズがさらに火を近づけて見せると、オスカルの部下たちが今にも飛び出しそうになった。
「待て!」
オスカルは剣を抜き横に伸ばして部下を押し止めた。
近くにいた側近がオスカルに囁く。
(なぜお止めに? 理屈は滅茶苦茶ですが、オズモンドは本当に燃やしかねません!)
(だからこそ、だ。禁書破損の責を我らが負うことになる)
(それは……)
(今は様子見だ。全員動くな)
(ハッ)
それを見たレディは後ろを振り返り、副長に言った。
「新入りを前へ」
「ハッ」
オズはマッチが消えると、すぐに二本目に火を点した。
橋の上が緊張に包まれる中、レディの背後から新たな靴音が響いてきた。
オズは
「ッ! ……お前は!」
暗闇から現れた人物は、
その人物が少し呆れた声で言う。
「オズ。何をやってるんだ、お前は」
「……グレン!?」
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