第203話 送り火

 ――ミストラル聖教会付設診療所。

 母の訃報を伝えた女性は、ここに勤めるナースだった。

 ナースに連れられて行ったのは診療所の敷地内にある地下室。

 階段を下りると身震いするほど寒かった。

 日の射し込まぬ冷たい部屋には、いくつかの寝台と、それに横たわる遺体が並んでいた。


「こちらです」


 ナースはある遺体の乗った寝台の前に案内した。

 母に見える。

 だがオズの想像の中にいる病床の母よりも痩せた手をしていて、確証を持てなかった。

 オズは恐る恐る、遺体の顔にかかった白い布をめくった。


「……ッ!」

「どう……でしょうか?」


 ナースに問われ、オズが微かに頷く。


「母、です」

「お悔やみ申し上げます、オズモンド様」

「あの……母は一昨日からずっとここに?」

「いいえ。今朝方ここに運び込まれました。南東の城壁そばの宿にいて、夜明け近くに三階から飛び降りたようです」

「飛び、降り……?」

「遺書が残されていたので、転落事故ではなく飛び降りかと。――こちらがその遺書です」


 ナースは母の顔のそばに置かれていた封筒を手に取り、オズに渡した。

 封は丁寧に剥がされていた。


「運び込まれたときには手の施しようがありませんでした。宿に聞いても素性がわからず……それで勝手ながら遺書を拝見させていただきました。申し訳ございません」


 そう言ってナースは、深々と頭を下げた。

 オズはただ、静かに頷いた。


「ここに椅子を置いておきます。お別れが済みましたら、私にお知らせくださいませ。上の診療所にいますので……それでは」


 ナースはオズのそばに椅子を置き、地下室から去っていった。

 オズは立ったまま、母の遺体をぼんやりと眺め、語りかけた。


「……捜したんだぜ、母さん」

「見つからないはずだ、安宿に押し込められていたなんて」

「それにしても信じられないよ。怖がりな母さんが飛び降りなんてさ」

「ひょっとして、母さんもあの二人に怒ってた?」


 オズは母の声が聞きたくなって、手に持っていた遺書に目を落とした。

 用意してもらった椅子に腰かけ、封筒から手紙を取り出す。

 宛名は『オズモンド=ミュジーニャ様』だった。

 オズは吹き出した。


「ソーサリエにいるときも、この宛名で手紙くれたっけ。王都住みだから、その気になればすぐ会えるってのにさ」


 そう言ってから、すぐに首を横に振った。


「……そうか。もう、その頃には悪くなってたんだな」


 手紙は自由にならない手で必死に書いたのであろう、酷く震えた汚い字だった。


『オズ、ごめんね。母さんは間違ってしまったみたい』

『オズを自由にしたかったのに、逆に家に繋ぎ止めてしまった』

『今のお父さんのことも、お兄さんのことも、ミュジーニャ家のことも。全部捨てて、忘れてください』

『お母さんのことも、すぐに忘れてしまってください』

『でも一つだけ。ほんとのお父様のことは忘れないでほしいの』

『きっとオズはそんなの覚えてないって言うわね。でも、それでも覚えていてほしいの』

『お父様は自由で奔放な人だった。お母さんはいつも振り回されっぱなしだったわ』

『でもお父様は正しい人だった。正しいことをやり遂げる人だった』

『オズはそんなお父様の若い頃にそっくり! 本当に瓜二つなのよ?』

『オズもお父様みたいな騎士になるのかな、なってほしいなって、お母さんずっと思ってたの』

『こんなやり方でしか、あなたを自由にしてやれないお母さんを許して』

『オズ。ごめんね』


 オズは手紙を握りしめ、絞り出すように言った。


「だから……謝るなよ……」


 オズは必死に堪えた。それでも彼の嘆きは呻き声となって、冷たい地下室に反響した。

 母の身体は、よくよく見れば擦り傷や打ち身の跡があった。

 さっき見たとき顔はきれいだったが、きっと服をめくればもっと痛々しい傷が見つかるだろう。


 母はどうやって身を投げたのだろうか?

 ベッドからわざと落ち、這いずるようにして窓へ向かったのだろうか。

 三階から下を覗いて恐ろしくはなかったのだろうか?

 決断が鈍らぬよう、目を閉じて飛んだのだろうか。

 オズが何かを間違わなければ、母はこんな最期を迎えずに済んだのだろうか?


「わからないよ、母さん……」


 オズは夜更けまで地下室にいた。

 先ほどのナースが下りてきて声をかけられ、それでやっと椅子から腰を上げた。

 ナースは今後のことを話した。

 王都ミストラルの法により、王都内の遺体は亡くなった日の翌朝に火葬する決まりなのだそうだ。

 かつて大昔に、流行り病のように広がる死霊アンデッドによって被害を受けてから、王命によって定められたらしい。

 土葬を望むならば遺体を地方へ移す必要があるがどうするかと問われ、オズはあまり考えずに火葬する書類にサインした。

 地方にツテなどないからだ。


 そして――翌、早朝。

 まだ夜が明けきらぬ中、王都北門外に設けられた火葬場で母は焼かれた。

 焼かれる遺体は母の他にもあり、その遺族たちが見届けに来ていた。

 大きな火を囲み、すすり泣く声がこだまする。

 オズは他の遺族から離れ、遠巻きに炎を眺めた。

 家族を失い、その遺体を焼く。

 その光景がどれほど陰惨なものになるかとオズは思っていたが、白々と明けゆく空に死者を焼く火の粉が舞う様は、どこか神秘的で美しかった。

 オズの心は、母を焼く数時間のうちに静かに落ち着いていった。

 凪のような心に浮かぶのは、これからのこと。


「どうすっかな……」


 職場に戻る気はなかった。

 兄テオに罪を被せたとはいえ、盗みを働いたのは自分に違いないからだ。


「禁書……そう、禁書だ」


 オズが盗み出した禁書は三冊。

 一冊はテオに罪を被せのにる使い、残り二冊は隠してある。

 そのうちの一冊は怪しい女――レディが欲しがっているものだ。

 母の遺言が頭をよぎる。


「正しいこと、か……」


 オズは心を決めた。


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来週2話で騎士編1章終わる予定です。

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