第202話 大罪

※ちょい長めです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 レディと接触した、その日。

 オズは一睡もせずに職場である書庫管理室に来ていた。

 身体は酷く疲れているが、頭は妙に冴え渡っている。


「室長」


 オズが室長のデスクへ向かうと、彼は心配そうにオズを見上げた。


「大丈夫かね、オズ君」

「ええ。禁書庫の仕事って今日はありますか?」

「今日はないね。というか、しばらくないだろう。最近、禁書を貸し出していた部署の研究がひと段落したようだから」

「そうですか」

「ま、丁度いいからゆっくりしなさい。君に振る仕事は少なくしておくから。どうせ君に回るであろう、テオ君の仕事もね」

「ありがとうございます。じゃあ、ちょっと魔導書図書館グリモワールに行ってきます」


 すると先輩職員が冗談めかして言った。


「オズ、お前、魔導書図書館グリモワールで昼寝する気だな?」

「あ、バレました? ちょっと寝不足で」

「いい、いい。行ってこい」

「すんませんっす」


 オズはおどけて頭を掻きながら、書庫管理室を出ていった。



 廊下に出ると、オズの顔が険しいものに変わる。


「禁書庫の仕事があればついでに盗めたのに。ほんとついてねぇな、俺は」


 早足で歩きながら、考えを巡らせ、一人呟く。


「次の仕事を待つのはナシだ。室長の言うことが確かなら、いつになるかわからない」

「時間がない。一刻も早く母さんを見つけて、療養させないと」

「……符丁を偽造するか」


 魔導書図書館グリモワールに着いたオズは、いつも人気の少ないジャンルの区画に向かった。

 思った通り人影はなく、その区画でも最も目立たない、壁際のテーブルに陣取った。


「ま、やってみるか」


 オズがテーブルの上に取り出したのは、これまで禁書庫仕事で使った符丁の羊皮紙。

 並べた羊皮紙は全部で五枚。

 それらをじっくりと眺める。


「すべて同じ大きさ。書かれてるのは複数のサインのみ。俺のサインもあるが、俺が書いたものではない。たぶん室長だ。ってことは本人のサインでなくとも有効ってことだ」


 オズは一枚を手に取った。


「問題は仕掛けだ。何かある。これがわからないと門まで辿り着けない」


 羊皮紙は特別上等なものではない。

 が、オズは羊皮紙に違和感を持った。

 横にしたり、匂いを嗅いだりして調べる。


「これは……」


 立ち上がり、飲食コーナーへと早足で向かう。

 そこでコーヒーカップを手に取ると、お湯だけを入れて、こっそりテーブルへ持ち帰った。

 そして、一枚をコーヒーカップに沈める。


「ッ! やっぱりな!」


 羊皮紙の表面が透けて、サインの下に文字列が見えてきた。

 オズは羊皮紙を拾い上げ、爪を立てて表面を剥いでいく。


「幻術祓いの呪文か。ネタが割れれば単純だ」


 文字列の一部はソーサリエの魔女学の授業で見たことのあるものだった。


「サインと呪文の組み合わせで回廊に入れるかどうか判定してるのか? サイン部分は偽造するとして、呪文部分は繰り返し使えそうだが……」


 オズは別の一枚を手に取り、濡らさず慎重に表面の紙を剥ぎ取った。

 表面の紙はボロボロになって使い物にならなくなったが、下の羊皮紙はきれいに残せた。


「表面の紙は……特別な紙には見えなかった、普段使いのやつでいけるだろ」


 オズは勤務で使う紙を取り出し、まだ何も手をつけていない三枚目の羊皮紙に重ねた。

 一番上のサインは魔導院院長シャハルミドのもの。

 透けて見えるサインを、震えないように注意しながらなぞっていく。

 次は誰かは知らない、おそらく研究者のサイン。

 そして室長のサインを書き、自分のサインを書く番になって、はたと手を止める。

 そして再びペンが動き出して、書かれたサインは〝テオ=ミュジーニャ〟だった。

 サインを書き終えた紙を、表面を剥いだ二枚目の羊皮紙に糊付けする。

 そして丁寧に端を切り取っていく。


「……よし。できた」


 オズは手早くテーブルを片付け、最後に偽造の符丁をポケットに入れて席を立った。

 いつもの一角にくると、さすがに緊張した。

 ぎゅっと唇を噛んで歩を進める。

 すると壁の直前で視界がぐわんと揺れた。

 暗闇に浮かぶ回廊を目の前にして、オズが呟く。


「入れた……やるな、俺」


 そして回廊の奥に見える大門へ歩いていく。


「でもさぁ。呪文部分が繰り返し使えるなら毎回回収しなきゃいけないんじゃねぇの? 室長って雑だよなあ……」


 次の難関は見張り番の男だ。

 いつものように宙に浮いて胡坐をかき、長得物を膝に乗せている。


「よう!」


 オズが明るい調子で手を挙げて挨拶する。

 見張り番の男は小さく首を傾げた。

 オズは焦った。


「えっとな、今日は来る日じゃなかったんだが、急に言われて来たんだ。ほら、符丁!」


 ポケットから符丁を取り出し、見張り番の男に見せる。

 オズは笑顔を浮かべているが、内心ではカァッと熱くなっていた。


(今の怪しすぎるよな!? 聞かれてもないのに言い訳しちまった!)


 見張り番は符丁をじっくりと見、それからオズの顔を見つめた。


(ダメか!? クソッ、土壇場に弱い俺ッ!)


 オズはギュッと目を瞑り、見張り番の次の動きを待った。

 すると、聞き慣れたガァン、ガァンと扉を叩く音が聞こえてきた。

 オズが恐る恐る目を開くと、大きな門が開いていくところだった。

 ちらりと見張り番を見るが、彼はもうこちらを向いていなかった。


 禁書庫に侵入したオズが、レディの言葉を思い出す。


『あなたに盗んできてもらうのは〝堕天文書〟。中身は知らなくていい。知ってもいいことはないから』


 いつものように本の名前を頭の中で復唱し、居場所を探る。

 強く求めているせいか、いつも以上にはっきりと直感が働いた。

 居場所である書架はここから見えないのに、もう何段目の右から何冊目かまでわかる。

 オズは一直線にそこへ向かい、目当ての本を手に取った。


「よし、これだ。……もう一冊、必要になるな」


 オズはそう呟き、隣にあった禁書を懐に入れた。

 そして大門へ帰ろうとして歩いていて、ふと足を止める。


「どうせなら、もう一冊盗っても同じか」


 そうして向かったのは幅一メートルの壁だけが立つ場所。

 カーテンを開き、その奥の観音扉を開き、祭壇に置かれた黒い本――〝ユーギヴの鍵〟を手にする。

 手にした瞬間、オズは悟った。


「……そうか。俺を導いていたのはお前だったんだな」



 オズが禁書庫から出てきた。

 見張り番の男はいつものように黙して動かない。

 オズは男の横を通り過ぎて回廊に入ろうとする手前で、踵を返して男に言った。


「……何で俺を通した?」


 男は魔女帽子の奥で目を細めた。

 オズが続ける。


「気づいてたよな? 符丁が偽物だって。なんで見張り番のあんたがそれをわざと見逃す?」


 直後、オズは男の声を初めて聞いた。

 意外に高い声だった。


「……人は俺を見張り番だと言うが、俺は守り番だ」

「何が違う?」

「まるで違う。俺は禁書庫に仕えている。禁書庫が気に入った人間がいたならば、その人間に都合してやる。前のお気に入りはもう来なくなってしまったからな」

「室長のことか?」

「さあ。お前らの役職はころころ変わるから知らん」

「俺ももう、来ないぞ」

「どうかな?」

「今日が最後だ」

「今日来たのはテオ=ミュジーニャだ。お前ではない」


 男の言葉に、オズは目を見開いた。


「案外、ちゃんと見てるんだな」

「禁書盗みは大罪だ」

「……わかってる」


 見張り番の男は、手のひらを上にしてオズに手を向けた。

 するとオズのポケットから符丁がひとりでに飛び出して、男の手の上まで飛んで止まった。

 男は符丁を摘み上げてオズに向け、一番下のサインを指でなぞった。

 すると文字が青く燃え上がり、〝テオ〟のサインが〝オズ〟へと変わった。


「今日、俺が見たサインは〝オズ〟だったが、来たのはオズに扮した〝テオ〟だった。このほうが疑われまい?」

「……そうかもしれないが。なぜそこまで俺の味方をする?」

「お前ではない。俺は禁書庫の味方だ。だが――本当にいいんだな?」


 オズは身体を硬直させた。

 何を問われたか、一瞬で理解したからだ。

 禁書盗みは大罪である。

 そんなことはオズもわかっている。

 彼が問うているのは、その罪をテオになすりつけることだ。

 テオが犯人となれば、極刑は免れないだろう。

 つまりオズは、義兄殺しの分岐点にいるのだ。

 本当にわかっているか。

 その覚悟はあるのか。

 そう問われているのだ。

 男がもう一度、繰り返す。


「――いいんだな?」


 オズは意志によって身体の自由を取り戻し、深く頷いた。


「ああ。構わない」




 禁書を盗み出したオズは、その日は早めに家に帰った。

 禁書は二冊は隠し、一冊だけ手元に置いた。

 レディとの連絡方法は【手紙鳥】を使うよう言われている。

 が、その日は連絡しなかった。

 明日、起きることのために、今夜は動かないほうがいいと考えたからだ。

 オズは母の部屋で眠ることにした。

 母がいない部屋で、母を案じて、じっと明日を待つ。

 オズにとって辛く長い夜だった。


 そして――翌日。

 早朝から動きがあった。

 家の周囲がにわかに騒がしくなり、続いて玄関の扉が激しく叩かれる。


「何だ……?」


 起きて居間にいた継父が、玄関へ恐る恐る近づく。

 オズも母の部屋を出て、階段の途中から玄関を覗く。

 継父がオズをチラリと見てから、玄関の扉を開けた。

 扉の向こうには、白い制服姿の男が立っていた。

 若く美しい顔立ちをしているが、目つきが鋭く威圧感がある。


「捜索開始!」


 制服姿の男がそう言うと、彼の両脇を通って同じ制服の者たちが家へと雪崩れ込んできた。

 継父が叫ぶ。


「おい! 勝手に入るな! 儂の家だぞ!」

「父上!」


 オズが階段を下り、継父へ駆け寄る。

 そして継父に耳打ちした。


(この制服は王宮審問官リブラです! 逆らってはなりません!)


「なっ! ……王宮審問官リブラだと?」


 そう言いながら継父が目の前の男を見ると、男は後ろに手を組んで、居丈高に言った。


王宮審問官リブラ第二分隊隊長のオスカル=ウォチドーである。テオ=ミュジーニャに重大犯罪の容疑がかけられている。家族は捜査に協力するように」

「テオに!? そんな馬鹿な!」

「父上! 堪えてください!」

「黙れ、オズ! お前が口を出すな!」


 そうしてオズと継父が揉み合っていると、家の奥から兄のテオが審問官二人に両腕を掴まれて、連行されてきた。


「何だよ、これ? 何の騒ぎ?」


 テオは寝起きの様子で、ぼんやりしたままオズたちの元まで連れてこられた。

 オスカルが言う。


「テオ=ミュジーニャだな?」

「あい。そうですけど?」


 テオがあくび混じりに認めると、今度はオスカルがオズと継父に向かって尋ねた。


「彼がテオで間違いないか?」


 オズと継父は顔を見合わせ、それから頷いた。

 その直後。家の奥から大声が響いてきた。


「発見! 禁書発見!」


 オスカルは少し興奮した様子で叫び返した。


「持って来い!」


 しばらくして、古めかしい本を抱えた審問官が走ってきた。

 息を整え、オスカルに手渡す。


「……〝古魔女ヴィヴィアンの予言書〟。間違いない」


 本の中を見たオスカルはそう呟き、次にテオを見て言った。


「テオ=ミュジーニャ。禁書庫侵入及び禁書窃盗の容疑で捕縛する」

「へ? きんしょ……何?」


 テオは首を捻るが、オスカルは冷たく言った。


「拘束しろ」

「「ハッ!!」」


 両脇の二名が瞬く間にテオを組み伏せ、別の審問官が魔導鉱ソーサライトの手枷をはめる。


「ウッ!? ウグゥゥ!」


 続いて足枷、猿轡まではめられた。

 継父が頭を抱える。


「おぉ、テオっ! ……何もここまでせずともっ!」

「御父君。何か勘違いされてはいまいか?」

「……は?」

「禁書窃盗は大罪。確定すれば死罪だよ」

「な……ッ!!」


 継父はそれっきり絶句した。

 オズと継父の目の前で、枷に繋がれたテオが連行されていく。

 継父は目を逸らして身体を震わせていたが、ある時ギッとオズを睨んで、彼に掴みかかった。


「貴様だな!? 貴様がテオをハメた! そうだろ、言え!」


 オズはされるがままにしていたが、オスカルが振り向き、配下を二人だけ連れて戻ってきた。

 配下に目配せすると、二人は継父を引き離し、居間のほうへと連れて行った。

 オスカルがオズに言う。


「君も関係しているのか?」


 オズは目を泳がせた。

 そして、ぽつり、ぽつりと話し出した。


「あの……信じたくないですけど……最近、兄によく聞かれて……」

「何をだ?」

「僕は職場で、禁書庫に出入りすることが多くて……どうやって入るのかとか、中はどうなってるんだとか、聞かれました……」

「ほう。怪しまなかったのかね?」

「同じ書庫管理室に勤めているので……自分がその仕事をやるときのためだとばかり……」

「ふむ。それで、質問に答えたのか?」


 オズはギュッと目を瞑り、絞り出すように答えた。


「……はい。あまり仲が良くなかった兄に話しかけられるのが嬉しくて……いや、でもまさか……今でも信じられません」

「なるほど……テオは君のサインが入った符丁で侵入したとの証言がある」

「ッ!」

「利用されたのだよ、君は。万が一、事が露見しても君に罪をなすりつけられると考えたのだろう。それも見張り番に顔を見られては台無しだがね」

「そんな……!」

「あまり気を落とすな。君にも聴取することになるかもしれないが……」

「……はい。もちろん協力します」

「それでいい」


 オスカルが口笛を吹くと、二人の審問官が居間から出てきた。

 オスカルは配下を連れ立って帰っていった。


 オズが居間へ行くと、継父はソファに深く沈み、膝の上で組んだ手を見つめていた。


「……父上。あまりお気を落とさずに」


 オズはそう言ってから、それは先ほどオスカル言われた台詞だったと気づき、思わず笑った。

 その様子に気づいた継父は、怯えた様子で言った。


「やはり、貴様がっ」


 オズが笑顔のままで言う。


「何がです? 弟のオズが禁書庫に入れるのを知り、自分にもできるのでは、盗めるのではと企んだ。それがあなたの息子の犯した罪です」

「本当は、お前が、やったんだろう!」


 するとオズが、継父を殺気立った目で見下した。


「……だったら何だ?」


 オズは大股で勢いよく継父のいるソファまで歩いていき、継父の座るすぐそばに靴裏を落とした。


「ヒッ!?」


 怯え切った継父は頭を抱え、身体を丸めた。

 オズはそんな彼の耳元に口を寄せ、低く言った。


「やり返されないと本気で思っていたのか? 機会さえあればやるさ。いつでもな」

「悪かった……悪かった……」


 オズは継父の胸ぐらを掴み、彼の上半身を引き起こした。


「さあ、話せ! 母さんをどこへやった!」


 と、そのとき。

 玄関の扉がノックされた。

 オズは一度は無視したが、二度目は激しくノックされた。


「……チッ」


 継父をソファへ放り投げ、彼に冷たく言った。


「逃げるなよ?」


 継父が震えて動けないのを見て、オズは玄関へ向かった。


「審問官め、用事は一度に済ませろよ……」


 そうぼやきながら歩き、玄関の扉を開ける。


「――はい。何の御用でしょう?」


 扉の向こうに立っていたのは審問官ではなかった。

 若い女性で、白い大きなエプロンを付けている。

 おそらくは診療所かどこかの女性看護師ナースだ。

 彼女は言った。


「オズモンド=ミュジーニャ様は御在宅でしょうか?」

「あ、自分です」


 するとナースはホッとした表情を浮かべたが、すぐに表情を引き締め、少し言いにくそうにしながら言った。


「お母様が亡くなられました」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る