第201話 ついてない男
その日の禁書庫での本探しはオズにしては手こずり、三時間もかかった。
やっと見つけ出したオズは、昼食時に書庫管理室へ戻った。
扉を開くと、中にいた同僚たちの目が、一斉にオズへと集まった。
「ん? 何すか?」
オズが同僚たちを見回すが、誰もが目を逸らすだけ。
ただ一人だけ、オズを見据え、近づいてくる同僚がいた。
義兄のテオである。
「オズ。これな?」
彼がオズの前でひらひらと振って見せたのは、オズが書いた転属願いだった。
「っ!」
「残念だったなぁ?」
兄はニヤニヤと笑いながらオズの目の前まで来て、封筒をビリビリに破いた。
そしてオズの肩を叩き、
「俺は帰るから。お前のデスクに置いた仕事、全部終わらせてから帰ってこい。待ってるぜ?」
そう耳元で囁いて、兄は部屋を出ていった。
「オズ君」
兄が出て言った後、オズに声をかけたのは室長だった。
オズは思わず、強い口調で言った。
「室長! なんで転属願いを兄貴に見せたんですか! 俺はもう終わりだ!」
「オズっ!」
咎めたのはいつもの先輩職員だった。
「室長は緊急の会議があって先ほど帰られたんだ。ちょうど、お前の兄貴が封筒開けて読んでるときにな」
「……っ」
室長が苦渋に満ちた顔でオズに語りかける。
「キミの家の事情は、ある程度は理解している。だがね。君が書庫管理室に配属になった理由はわかっているかい? お父上が――君にとっての継父殿がそれを望んだからだ」
「……はい」
「騎士社会、貴族社会において家のことは当主が決める。君が思っている以上に、当主の意向は強いんだ」
「家のことで頼られても困る、ってことですか」
「……いいや。こっそりと、慎重に頼ってほしかった。こうなると、君のお父上が先んじて『転属させるな』と言ってくるだろう。そうなると私の権限では厳しい」
続いて先輩職員が言う。
「俺が封筒の中身が転属願いだと気づけばよかった。見ていたのにな……すまない、オズ」
「……いえ」
オズの頭の中で後悔の念がぐるぐると回る。
(置きっぱなしにするんじゃなかった。何で置きっぱなしにした!)
(バカなのか、俺は!)
(ロザリーと会って気が大きくなってたからか……?)
(……違う。ロザリーのせいでも、室長のせいでも、先輩のせいでもない)
(たまたま室長が遅くなる日で。それがたまたま兄貴が昼前に職場に来る日で)
(たまたま禁書庫で手こずって。そんな日にたまたま俺はやる気出しちゃって)
(熱くなって、今日やるんだって思い込んじゃって)
(……だから無防備に封筒を置いた)
(俺はついてねえんだよ、知ってたじゃないか)
(だからこそ慎重じゃなきゃいけなかったんだ……)
その日の兄に押し付けられた仕事量はかなりのもので、オズが家に帰ったのは日を跨ぐ直前だった。
「……ん?」
玄関に入って、オズは異常に気づいた。
静かだ。なのに居間に明かりが点いている。
「飲んでないのに起きてる?」
オズはすぐに結論に至った。
自分を待っているのだ。
オズはこれから受けるであろう激しい折檻を想像し、覚悟を決めて居間へと向かった。
「ただいま帰りまし、た……」
継父も兄も居間にいた。
しかし様子がおかしい。
兄などオズの姿を見た瞬間に殴りかかってきそうなものなのに、二人ともソファに深く腰かけている。
それどころか、うっすらと笑みまで浮かべている。
「お帰り、オズ。疲れたろう?」
兄の言葉に、オズの目がすうっと細くなる。
「……いったい何をした?」
「何って、仕事帰りの弟を労っただけじゃないか」
そう言って兄は笑い、継父も笑う。
オズはハッと気づき、駆け出した。
廊下へ出て、二階へ。
扉を蹴破る勢いで、母の部屋へと転がり込む。
「母、さん……」
そこにあるのはベッドだけ。
母の姿は影も形もなかった。
すぐさま踵を返し、居間へと駆け下りる。
兄が気味悪い笑みで待っていたので、彼の胸ぐらを掴み上げる。
「母さんをどこへやったッ!」
「落ち着けよ~、オズ~」
「ふざけるなッ!」
オズはこぶしを振り上げ、そのまま固まった。
「どうした? 殴らないのか?」
兄が醜悪な顔で挑発する。
「殴れないよなぁ? そんなことしたら大事な母さんの居場所、わかんなくなっちゃうもんなぁ?」
「~~ッ!」
継父が紫煙をふーっと吐いて、それから言った。
「母さんは病状が悪化してな。療養のために場所を移したんだよ」
「どこへ!」
継父がギロッと睨んだ。
「末子の貴様に言う必要はない! ……知らずともよい。安心して働け。ミュジーニャ家のためにな」
「……クソッ!」
オズは家を飛び出した。
母を捜すためだ。
知ってる医院や療養所を片っ端から当たり、深夜の閉ざされた扉を叩いて回る。
継父が本当に療養に適した場所に移したとは思わない。
だが、他にあてなどない。
夜の王都を駆けずり回っても、オズは母を見つけられなかった。
そして、東の空がわずかに明るくなった頃。
オズは〝金の小枝通り〟の端のほうの石畳で膝を抱え、その膝の中に顔を埋めていた。
どれくらいそうしていただろうか。
「オズモンド=ミュジーニャね?」
女の声で名を呼ばれ、顔を上げた。
そこには黒のドレスを着た女が立っていた。
トーク帽からチュールが垂れていて、顔は口元しか見えない。
「あなたにピッタリの仕事がある」
「……ほっといてくれ」
再び顔を埋める。
「逃げたいんでしょう? 母親と一緒に」
オズの肩がピクンと跳ねる。
「……なぜ知ってる?」
「情報が私の稼ぐ手段だから」
「お前は誰だ」
「私はレディ。そう呼ばれているわ」
「レディ。知らないな」
「知らなくていい。大事なのは、私があなたの欲しいものを提供できるということ」
「へぇ。俺に何をしてくれるんだ?」
「母親と暮らせる安全な家を用意するわ。働かずとも十年暮らせるお金もね」
オズはじぃっと女を見上げていたが、ふと、顔を背けた。
「情報通が聞いて呆れる」
「素っ気ないのね。十年じゃ足りなかったかしら?」
「母さんは今、どこにいるかわからない。さっきまで捜しまわっていたとこだよ」
「あら。そうなの?」
女は少し考えて、再びオズに提案した。
「なら報酬を追加するわ。あなたの母親の居場所。これでどう?」
「……できるのか。王都にいるのかすらわからないぞ?」
「できるわ。まぁ、ほぼ間違いなく王都にいると思うけど」
オズも継父や兄の性格を考えれば、母は王都にいると考えていた。
オズは何度か小さく頷き、女に問うた。
「……仕事の内容は?」
「あなたに一冊の本を盗んできてほしいの。禁書庫からね」
「!」
「あなたが禁書庫に頻繁に出入りしていることは把握している。これは才能よ? こんな人が現れるのを私は待っていたの」
「……禁書庫からの盗みは大罪だ。死罪は確定として、盗んだ本人だけでなく家族にまで及ぶ可能性がある。とても釣り合わない」
「そう? お母様、あまり時間がないのではなくて?」
「ッ、そんなことはない!」
「では爵位と領地を付ける。これでどう?」
「爵位だと? お前……いったい何者だ?」
「あまり期待はしないでね? 準男爵か、せいぜい男爵ってとこ。領地もこじんまりとしたものになるわ」
「……」
「でも、あなたが家を出て爵位を得れば、あなたがミュジーニャの主家で、継父は分家となる。自分の領地に住めば、継父や義兄が手出しすることはできない。母と静かに暮らせるわね?」
オズは黙して自問した。
(乗りたい。だが乗っていいのか?)
(領地を与えるなんてできるのは、デカい領地を持つ高位以上の貴族だけだ)
(こいつが誰かは領地をもらったときにわかる。自分の領地から分け与えるはずだからな)
(問題は
(だが、それでも……!)
オズは膝に手をつき、ゆっくりと立ち上がった。
そして喪服の女――レディに近づくと、右手を差し出す。
レディは綺麗な唇を横に伸ばして笑い、オズと握手した。
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