第200話 ハッピーバースデー
夜の王都ミストラル。
仕事を終えたオズが、暗いの通りをとぼとぼと歩いている。
魔導ランプの街灯に照らされた顔には、先日の兄からの折檻の痕が生々しく残っている。
「このままじゃダメだ、このままじゃ……」
そう呪文のように呟くオズを、行き交う人は気味悪そうに距離を空けて通り過ぎていく。
オズはふと、とある商店のショーウィンドウの前で立ち止まった。
それは富裕層の子供をターゲットとした玩具店で、ガラスの向こうに精巧な人形や愛らしいぬいぐるみ、甲冑を付けた木馬などが並んでいる。
少年時代、オズはこんな風な手の届かない高価なおもちゃを眺めては、どうやって遊ぼうかと妄想に耽っていた。
手に入るはずもないのに、よくこの手の玩具店に足を運んだものだ。
あの頃の高揚感が甦り、オズの顔から険が落ちる。
「あ」
オズはショーウィンドウの端に置かれたボードを見て、目を丸くした。
そこには今日の日付と共に『誕生日プレゼントは当店で』と記されている。
「今日、俺の誕生日だ」
オズは通りから少し離れた空き家にやってきた。
前から目を付けていた場所で、ここならば家や職場と違って兄や継父の目がない。
空き家は床板がなく、天井も屋根裏が丸見えの状態だった。
「……馬小屋だったか。ま、いいや」
オズは手頃な木箱を引きずってきてテーブルに見立て、転がっていた馬の鞍をホコリを叩いて椅子代わりにした。
荷物から手巾を取り出し、テーブルクロスよろしく木箱に敷く。
続いて夜食に食べようと持って帰っていた手のひらサイズの胡桃パンを、手巾の中央に丁寧に置く。
最後に先ほど雑貨店で買ってきた太めの蝋燭を、胡桃パンの中心にドスッと突き刺した。
蝋燭にマッチで火を点ける。
暗かった空き家がぼうっと照らし出される。
「へへ。雰囲気出てきたじゃねぇか」
しばしの間、オズは小さな灯りをぼんやりと見つめていた。
それからいつの間にか、小さな声で歌い出していた。
「ハッピバースデー。オーズー……」
歌声が空き家の暗がりに染みて、消えていく。
オズは途絶えさせてなるものかと、より大きな声で歌い出した。
「ハッピバースデー、オ~ズゥ~」
空き家に響く歌声は、自分の声なのに他人の声のように聞こえた。
次第に面白くなってきて、もっと大きな声で歌い出す。
「はっぴば~すでぇぇ、でぃあ、お~れぇ~!」
何だか興が乗ってきて、ついにオズは全力で叫ぶように歌い出した。
「はぁぁっぴ、ばぁぁすでぇ、とぅ~、ゆぅうぅ~!」
歌声が空き家に反響する。
オズは満足げに目を閉じて、笑顔を浮かべていた。
最後の
そして笑顔のまま目を開けると、ふと視線を感じた気がした。
オズの背後にある窓のほうをゆっくりと振り返る。
「……オズ?」
そこには黒髪の美しい少女が、呆気にとられた顔でこちらを見ていた。
「ロッ、ロザリィィ!? なんでここに!?」
「……信じられない」
「ち、違うんだ、これは!」
「変わり者だとは思ってたけど……」
「やめて見ないで! 俺を見ないでくれ!」
「……」
「絶句しないで! 憐れまないでくれぇぇ!」
それからロザリーは空き家の中に入ってきて、二人で話をした。
ロザリーはさっきまでオズがいた通りを偶然歩いていたらしい。
すると何やら歌声が聞こえ、それも聞き覚えがある声のような気がして、空き家に辿り着いたとのことだった。
「……通りまで聞こえてたのか」
「そりゃあ、あんな大きな声で歌えばね」
ロザリーは呆れたようにそう言って、それからじっ、とオズの顔を覗き込んだ。
「オズ。何かあった?」
「いや? 何もねぇよ」
「嘘。酷く疲れてるし、怪我までしてる」
オズは自分の顔の状態に今更ながら気づき、ふいっと顔を逸らした。
「いいから話してみて?」
「……実は、家のことでちょっと、さ」
それからはもう、隠すも強がるもなかった。
病の母のこと。
継父と義兄に虐げられていること。
職場にも兄の目があること。
給金は家に入り、自分には子供の小遣い程度しか入らないこと。
家では誕生日など祝えないから、ここで自分で祝っていたこと。
そんな日々の鬱憤や憤りが堰を切ったように溢れ出て、終いには涙まで止まらなくなった。
ロザリーはただ、黙って聞いていた。
オズは自分がこんなに我慢していたことを、泣いて初めて実感した。
やっと話が途切れ、ロザリーが口を開いた。
「今夜なら手伝うけど」
「グスッ……手伝うって何をだよ」
「お母様を攫って、安全な所へ連れてく」
「!」
「お母様が人質になってるから、オズは反抗できないんでしょ?」
オズは驚愕した。
たしかにロザリーならそれができる。
だがそれ以前に、自分がなぜそうしようとしなかったのか。
こんな簡単な解決策を思いつきもしなかった自分に驚いたのだ。
そもそもロザリーが言った「母が人質になっている」というのも、言われて初めて気がついた。
「明日から王家の墓? とかいうのに行くから、今夜のうちがいいんだけど……どうする?」
「……王家の墓って、王族のアンデッド作る気か?」
「違うよ、仕事! 一度行くのがお役目なんだって」
「よくわかんねぇな」
「私だってわかんないよ」
オズはふうっ、と大きく息をついた。
「話、聞いてくれてありがとな、ロザリー」
「ううん。で、どうするの?」
「……いや。自分でやるよ」
ロザリーは心配そうにオズの顔を覗いた。
「やれそう?」
「俺を誰だと思ってんだよ。オズ様だぞ?」
「フフッ。意味わかんない」
翌日、早朝。
オズは一番乗りで書庫管理室に来た。
自分の席に座り、室長のデスクをじっと見つめる。
オズの手には封筒が握られていた。
オズはロザリーと別れてから寝ずに考えたことを確認するように、一人話し始めた。
「親父や兄貴は、母さんを家から出すことを許さない」
「当然だ、奴らの狙いはミュジーニャの家名。うだつの上がらない自由騎士だったあいつらが普通に暮らせているのはそのおかげだ」
「兄貴は家名変えてすぐ魔導院に就職できたし、親父には年金が入ってくる」
「そう、年金が厄介だ。父さんの遺族年金だから、名目上は母さんに入ってる。絶対に手放さないな」
「親父は実行力だけはある奴だ。遺族年金だって俺が子供の頃はもらってなかった。親父が母さん連れて
「だからこそ、親父は自分がもらうのが正当だと思ってる」
「母さんを連れ出したら、親父に年金は入らなくなる」
そこまで話し、部屋の扉を見つめる。
いつもなら一番早い室長が、今日に限ってまだ来ない。
「無理やり連れ出すならいつでもできるが、問題は金だ」
「兄貴が来る職場には顔を出せなくなる。年金だけに頼るのも怖い。親父がどんな手を使うかわからないからな」
「魔導院には
「何より。親父や兄貴に行き先がバレないように、室長に相談して秘密にしてもらわないといけない」
オズが封筒に目を落とす。
中身は転属願いと、今語った諸事情がつらつらとしたためられている。
室長はきっとこれを読むだけでもわかってくれるが、できれば面と向かって頼みたい。
と、そのとき。
部屋の扉が開いた。
「よ~っす。早いな、オズ」
「何だ、先輩っすか」
入ってきたのはいつもの先輩職員だった。
「何だはないだろう。誰を待っているんだ?」
「室長っす」
「ああ。……そういや遅いな、いつもならもう来てる時間なのに」
「ですよねぇ」
「まあ、そのうち来るだろ。あ、そうそう。室長から禁書庫の符丁を預かってるぞ。今日中だそうだ」
「ええ、またっすか」
「お前以外、まともに探せないからなあ。無理っぽいなら途中でも帰ってこい。俺が代わる」
「っす。……じゃあ片付けてきます」
オズは先輩職員から符丁を受け取り、室長のデスクに向かった。
そして持っていた転属願いを拝み、「お願いします!」と言ってデスクに置き、禁書庫へと向かった。
オズは最近、禁書庫の仕事が増えていた。
先輩職員は心配していたが、オズはこの仕事が嫌ではなかった。
禁書庫はたしかに不吉な気配のする場所で、見張り番も不気味な男だが、ここにいれば職場で兄と顔を合わせることはない。
禁書庫帰りにはオズのデスクに兄の仕事の書類が積み上がってはいたが、家で殴られるよりは悪くない。
ただ、少しの平穏が訪れると考えてしまうことがある。
母のことだ。
母の病状はよくならず、むしろ悪化している。
楽観的なオズですら母の最期を想像してしまうほどに。
もし母が良くならないならば、せめて残りわずかな時を心穏やかに過ごせないものか。
そんなささやかな望みも、無理だ不可能だと諦めていた。
どんな行動に出るかわからない、継父と兄が怖かった。
「今までは、な!」
探していた本を見つけ、思わず心の声が漏れた。
自分は変わる。
そう言い聞かせるようにして、すぐに次の本へと取りかかる。
禁書庫の急な起伏を這い上がって、本の名前が導く場所へ。
しかし、そこでふと足を止める。
それは、いつも気になる場所だった。
書架ではなく幅一メートルほどの壁だけがぽつんとあり、カーテンの掛かった出窓らしきものがある。
壁の裏側を覗いても何もない。
奇妙ではあるが、ただそれだけ。
禁書庫には奇妙な場所はいくらでもある。
いくらでもあるのだが――気になっていつも見てしまう、そんな場所だった。
「……開いてみるか」
変わると決めたから、オズはカーテンを開いてみることにした。
勢いをよくカーテンをめくる。
「っ! ……そうか、裏に何もないんだから窓じゃあ、ないよな」
カーテンを開いて現れたのは、小窓サイズの観音開きの戸棚だった。
そっと扉を開いてみる。
「……祭壇?」
観音開きの扉を開くと、中には段があり、両サイドには小さな燭台が立っている。
これが祭壇であるならば信仰の対象があるべき場所には、古ぼけた黒い本が置かれていた。
「〝ユーギヴの鍵〟?」
本の表紙も背表紙も真っ黒で文字はひとつもない。
しかし口をついてその本の名前が出てきた。
そして、その名に違いないと確信している自分がいた。
オズは空恐ろしくなり、扉をバタンと閉めた。
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