第199話 禁書庫
――
王国一の規模を誇るこの図書館は、古今東西あらゆる書物が集う、獅子王国の知の中核である。
書庫管理室の仕事はそれら書物の管理・修繕・複製など多岐に渡るが、この部署の管理の外にある書物も存在する。
それらは〝禁書〟と称され、魔導院でもごく一部の者だけがそれらを研究することが許されていて、獅子王ですら自由に閲覧を許されていない。
「……ここだ」
オズが先輩職員に連れてこられたのは、
「ここ……っすか?」
オズは辺りを見回す。
メインの書架の列から少し離れた場所で、壁が近く、傍らにはベンチがある。
それだけで、とりわけ特別な点は見当たらない。
先輩職員は答える代わりに、緊張した面持ちで壁に向かって歩き出した。
オズも慌ててついていく。
そして壁まであと少し、というところで視界がぐわんと揺れた。
「うっ!?」
オズは思わずたたらを踏んだ。
平衡感覚を取り戻し、ハッと前を見ると、周囲の景色が変わっていた。
そこは暗闇に浮かぶ回廊であった。
回廊は蛇のように波打ちながら長く続いていて、その終わりに大きな扉が見える。
「オズ。落ちるなよ?」
オズは答える代わりに回廊の端から下を覗き込んだ。
真っ暗で地面も何も見えない。
下から吹き上げてきた風がオズ前髪を揺らし、オズは恐怖を感じて顔を引っ込めた。
「……落ちたらどうなるんすか?」
「わからん」
先輩職員が一歩一歩踏みしめるように歩いていく。
オズもおっかなびっくりといった様子で後に続く。
時おり強い風が吹き上げると回廊は揺れた。
オズはまるで吊り橋のようだと思いながら歩いていった。
やがて大きな門に辿り着いた。
門は高さ五メートルほどもあって、太い鎖が幾重にも巻き付いている。
門の前には見張り番がいた。
変わった形の魔女帽子を目深に被っていて、胡坐をかいて宙に浮かんでいる。
男で、杖か槍のような長い得物を膝の上に乗せている。
先輩職員は見張り番の前で止まった。
特に会話もなく、見つめ合っている。
「あの……」
オズが窺うように先輩職員に尋ねると、彼は言った。
「符丁を彼に見せるんだ」
「あ、了解っす」
オズが懐から符丁の羊皮紙を取り出し、見張り番に見せる。
見張り番の瞳が、魔女帽子のつばの真下でギョロリと動く。
続いて、見張り番は長得物で門を二度ほど叩いた。
ガァン、ガァンと音が鳴ると、門に巻き付いた鎖が蛇のように動いて
そして門は地響きを立て、ひとりでに開いた。
「オズ、行ってこい」
「え? 先輩は来てくれないんすか?」
「今回、俺の名前は符丁に無い。入ろうとすれば見張り番に殺される」
「ええ!?」
オズが驚いて見張り番のほうを見ると、彼の口元が不気味に笑った。
「ここで待っててやるから。怖がらずに行ってこい」
「……ういっす」
オズは緊張しながら見張り番の真横を通り抜けた。
見張り番は、オズのほうをちらりとも見なかった。
禁書庫の中は異様だった。
書架という書架が曲がりくねり、あるいは捻じれている。
書庫なのに起伏があり、天井はなく、床に黒い沼らしきものまであり、その沼に半ばまで沈む書架もある。
しばし呆気に取られていたオズだったが、ハッと気を取り直して、ポケットからリストを取り出した。
「リストにあるのは五冊。これを探せばいいんだよな?」
オズはリストから目を上げて、眼球を左右にキョロッ、キョロッと動かした。
「で。どこを探せっていうんだよ」
禁書庫は広く、名前順に並んでいるわけでもないようだ。
闇雲に探したところで一日で見つかるはずもない。
しかし。
「……あっちな気がする」
オズは何かに導かれるように歩き出した。
しばらく行くと、書架が山のように積み上がっている場所を見つけた。
「……上のほうか」
オズは書架の棚を梯子のようにして、山登りを始めた。
登って、乗り越えて、また登って。
「うひ~、高え」
その高さに怯えながら、オズが目的の場所へ書架を渡っていく。
そしてやっとのことで辿り着くと。
「……あった。サラー=アッカム著、死神の挿絵集」
なぜ見つけられたのか、オズにもわからない。
しかし彼は同じように導かれるようにして、他の四冊も迷うことなく見つけ出したのだった。
――二時間後。
「あ、先輩。お待たせっす」
オズが禁書庫から出てくると、先輩職員は見張り番と同じように胡坐をかいて座っていた。
見張り番と違い、浮いてはいなかったが。
「オズ。体調は悪くないか?」
「はい、特には」
「よかった。賢い選択だ。見つけられなくても一時間、二時間で出てこないと、先輩方みたく病んで辞めることになってしまうからな」
「あ、そうなんすね」
「今日は引き上げよう。見つからなかったことは一緒に室長に謝ってやるから」
「いや? 全部見つけましたけど」
そう言って、オズは五冊の本を先輩職員に見せた。
先輩職員は目を剥くようにしてそれを凝視している。
「おま……どうやって……?」
「なんかわからないっすけど。偶然?」
「いや……いやいや! 偶然で五冊とも見つかるわけないじゃないか!」
「そうなんすかね? う~ん……」
「オズ……お前、もしかしたらすごい奴なのかもしれないな」
オズは首を捻って、ふと見張り番のほうに目をやった。
彼は魔女帽子のつばを押し上げ、好奇の目でオズを見ていた。
「――母さん。今日は先輩に褒められたんだ」
オズは禁書庫での役目を終え、その足で帰宅していた。
禁書庫から
五冊の本を渡すと、彼もまた目を丸くしていた。
そして室長直々に、今日はもう帰っていいと言い渡されたのだった。
「室長も褒めてくれたよ。そんな特別なことした覚えはないんだけどな」
母は言葉を返さない。
口を開くのも辛く、相槌すら打てないのだ。
前にも母がこんな状態の日はあった。
しかし、次第に増えてきているのがオズは心配だった。
会話にはならないが母が聞いているのはわかるので、こんな日はできるだけベッドの横で一人語りをした。
母との時間が残り少ないのならば。
これがオズの今できる精一杯のことだった。
そうして一時間ほど過ぎた頃。
玄関の扉がけたたましい音を立てて開き、ドスドスと激しい足音が二階へと近づいてきた。
「ッ!」
オズが部屋を出る間もなく、母の部屋の扉が開け放たれた。
「オズ! てめえ!」
兄のテオは激高していた。
大股で近づいてきて、オズに殴りかかってきた。
オズは避けなかった。
避ければそれがまた彼を怒らせると知っているからだ。
「うぐっ」
殴られた拍子に母の上に倒れ込む。
兄はさらに追い打ちしようとしたが、オズはベッドからずり落ちて、手を合わせて懇願した。
「兄さん! 母さんの前では……外に! 外で殴られますから!」
「……チッ!」
兄はオズの髪をむんずと掴み、部屋の外へと引きずっていった。
直後、階段を転がり落ちる音がして、テオの怒声が家に響き渡る。
「何を先に帰ってんだよ、てめえはよ! 俺の仕事は誰がやるんだよ!」
「すいませんっ、すいません!」
人を殴る、鈍い音が繰り返し聞こえる。
母は窓の外を見つめ、震える手でブランケットをぎゅっと握り締めていた。
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