第192話 迷える老羊

 ――血濡れの三公。

 十六年前。獅子王国が総力を挙げて臨んだ獅子侵攻は失敗に終わった。

 帰還した貴族たちの中には当主や跡継ぎを失った家も少なくなく、王宮はその補償に追われた。

 王家の蔵という蔵を開け放っての補償で、貴族たちの王家に対する忠誠心はギリギリのところで繋ぎ止められた。

 しかし、たまらないのは民衆――動員された兵士と、その家族である。

 若者から中年までの働き手を失った農村は各地で離散、あるいは滅び、都市部では盗みや殺人が日常茶飯事となるほど治安が悪化した。

 不穏な空気が叛乱の気配となって王国全土に広がるのに、そう時間はかからなかった。

 乱を取り締まるべき貴族の中には民衆に同情的な者もいて、彼らは自らの財を民衆に分け与えた。

 しかし、それらの施しは民衆を困窮から救うにはほど遠く、むしろ乱の拡大を助長させる結果となった。

 そして獅子侵攻から半年後。

 各地で民衆が蜂起した。

 多くの貴族は動揺し、手をこまねいていた。

 だがそんな中、三人の大貴族が逆賊・凶徒に対し苛烈な粛清を行い、乱を治めた。

 それが血濡れの三公である。


 一人目は〝首吊り公〟ことヴラド=アンテュラ。

 乱は王都の反対側――西方から拡大したため、西方公たるヴラドは最も多くの逆賊を討った騎士となった。

 西方城塞都市ハンギングツリーの城壁には、数千に及ぶ反逆者が吊るされたという。


 二人目は〝火炙り公の再来〟ことユセル=ユールモン。

 ユールモンが治める北ランスローは「その麦が王都を生かす」と言われるほどの一大穀倉地帯であった。

 ゆえにエイリス王は直々に「北ランスローにおける逆賊・凶徒は厳に処すべし」との王命をユセルに下した。

 ユセルのとった手法はユールモン家伝来の火炙り刑であった。

 ユセルは初代ユールモンの異名から〝火炙り公の再来〟、または単純に〝火炙り公〟とも呼ばれている。


 三人目は〝皮剥ぎ公〟こと先王弟ドロス=シェファ=ユーネリオン。

 先王弟はエイリス王の父――つまりは先代の獅子王の弟にあたる。

 獅子王家の歴史は、血腥ちなまぐさい玉座争いの歴史でもある。

 エイリス王の兄弟は玉座争いの果てに全員が死亡。

 先代獅子王の四人の兄弟も同様で、先王弟の他に存命の者はいない。

 先代獅子王、エイリス王と二代続けての玉座争いにおいて、この二者を後押ししたのが他ならぬ先王弟であり、その功績により〝キングメーカー〟とも呼ばれている。

 その人柄は王族でありながら温和にして慎み深く、しかし間違った行いには相手が王であろうと堂々と糾弾する〝王家の模範〟とされてきた。

 そんな先王弟が粛清を行ったことで、反乱者たちに衝撃が走った。

 反乱者たちはエイリス王を打倒した後に、温和な先王弟を玉座に据えようとさえ考えていたからだ。

 事実、先王弟の粛清を境に乱は急速に勢いを失い、三か月後に終息した。



 ――黄金城パレス、玉座の間。


「なぜだ、エイリス!」


 先王弟は激していた。

 エイリス王は眉をひそめ、先王弟を玉座から見下ろしている。

 王の隣に立つコクトーが、これはさすがに、と割って入った。


「先王弟殿下。お気をお鎮めくださいませ」


 すると先王弟の目がギョロリとコクトーを射抜く。


「黙れコクトー! これは儂とエイリスの話だ! 口を挟むな!」

「殿下! 獅子王陛下を呼び捨てになさるのはおやめください! ここは玉座の間ですぞ!」

「よいのだ、コクトー」


 そう言って、エイリス王はゆっくりと立ち上がった。

 そして玉座のある高みから降りて、先王弟と目線を合わせた。


「叔父上。本当はおわかりのはず。私に何を言わせたいのです」

「いいや、わからん! 儂はロザリーを私の騎士団にと、強く求めたはずだ!」

「叔父上……」


 エイリス困り顔で首を横に振った。

 唯一、王の顔で向き合えぬ相手――それが先王弟だった。


「お前もそれに頷いた! そうだな、エイリス!」

「それはまだ、ロザリーが卒業前――大魔導アーチ・ソーサリアであると判明していないときの話でございましょう」

大魔導アーチ・ソーサリアだからなんだというのだ!」

「惚けたことをおっしゃる。大魔導アーチ・ソーサリアを一介の騎士のように扱えるはずがない!」

「……また反故にするのか」


 先王弟は俯き、こぶしを震わせた。


「叔父上……」

「十六年前! 私は意に沿わぬ粛清にも手を貸した! そうすればルイーズを渡すと、お前が約束したからだ!」

「そのことは謝罪したはず」

「謝罪!? 謝れば済むと本気で思っているのか!?」

「いい加減になされよ! ルイーズは私が横から奪ったわけではない! ご存じのはずだ!」

「……ッ」

「正直に申しましょう。私とてルイーズは欲しかった。彼女の血を王家に入れたかった。しかし、現状をご覧ください。後宮にルイーズはおらず、彼女の子もいない。ルイーズは消えたのです」

「……まだロザリーがいる」

「叔父上。あれはルイーズではない」


 先王弟はカッと目を見開いた。


「わかっておるわ!! ロザリーはルイーズの生まれ変わ――」

 そして急にかすれるような声になって呟いた。

「ルイーズの……忘れ形見だ」



 ――先王弟が玉座の間から退席し、しばらくしてコクトーが口を開いた。


「困ったものですな」

「ああ。まったくだ」


 エイリス王の声は重く沈んでいた。

 玉座に戻ってからは肘をついた手で目元を覆い、その姿勢のまま動けずにいる。


「……なぜあれほどルイーズに固執するのでしょう」


 コクトーが疑問を口にすると、エイリス王の口の両端が吊り上がった。


「クク……単純だ。惚れたからよ」


 珍しく、コクトーが目を見開く。


「まことにそれが理由なのですか!? 私の中で、先王弟殿下はあらゆる欲や感情を押さえ、それによって生き残った方なのですが……」

「その評価は間違っていない。老いらくの恋、といったところか。ククッ……」


 コクトーは納得いかない様子で問いかける。


大魔導アーチ・ソーサリアを味方に引き入れ、玉座を狙う可能性は万が一にもありませぬか?」

「ない。叔父上はお前の評価通りの男よ。玉座争いの火に身を焼く度胸など持ち合わせていない」

「……殿下とルイーズはどんな経緯でそのような関係に?」

「関係はない。ひと目惚れの片思いだ。しつこく『くれ』と言うから、そのうち、そのうちとはぐらかしていたら、『身重のままでいいからくれ』と抜かしおった。あの時すでに齢六十だぞ? 老人が魅了チャームのまじないに侵されおったかと驚いたものだ」

「しかし、ルイーズをお与えにはならなかった」

「当然であろう。叔父上は玉座を狙わぬ証明のために自らシェファ羊飼いの名を冠した臆病者だが、それでも王家の血を宿す人間だ。大魔導アーチ・ソーサリアを妻にすれば、本人にその気がなくとも周囲が期待する。子供をぜひ次の王に、とな」

「……それはロザリーも同じですな?」


 エイリス王は言うまでもない、というふうに深く頷いた。



 ――王都ミストラル近く。

 大街道を豪華な設えの馬車が走っている。


「エイリスがいる限り、私の望みが叶うことはない!」


 そう吐き捨てるように言って、先王弟は馬車の窓をこぶしで叩いた。


「……それほどお気に召しましたか」


 そう応対したのは、先王弟の対面に座る北ランスロー公子、アーサーだった。


「王の意向など無視して手に入れてしまっては? キングメーカーが本気で望んで手に入らぬことなどありましょうや?」

「……不遜な物言いをするな、アーサー。儂もそなたも獅子王の家臣であるぞ」

「ハッ、御無礼を……」

「……いや。卿は儂の怒りを代弁してくれたのだな。わるかった、許せ」

「っ! もったいないことでございます! どうか頭をお上げください!」


 先王弟は眉を小山のようにしてアーサーを見、それから窓の外へ目を向けた。


「……思えば私の人生は忍耐の連続だった。血腥い王家に生まれ、しかし兄弟たちほどの才覚はなく。常に父王の顔色を窺い、その父王が身罷ったら次は兄弟たちの顔色だ。辛抱強く待ち、勝ち馬を見定め、ここぞで張る。その賭け事を二度ほどやっただけ。これがキングメーカーの正体だ」

「そうであったとしても。誰にでもできることではありません」

「それはそうかもしれん。私は弁えている。望まない。それが王家生まれで長生きできた理由であろう。しかし――私にも欲望があった。それに気づいてしまった。すべては獅子侵攻だ」


 先王弟の目が窓の外の風景を越え、遠い過去を見つめる。

 彼は遠い目のまま、昔語りを始めた。


「あのとき私は、王都へと敗走する軍列の中にいた。あるとき兵卒共の会話が聞こえてきた。皇国の大魔導を捕らえたらしい。噂に名高い〝白薔薇〟だと。私は見に行くことにした。特別そうしたかったわけではない、ただの気晴らしだ」


「ルイーズは魔導鉱ソーサライトの檻に囚われ、特製の牢馬車で運ばれていた。身籠っていたせいもあろう、檻など必要ないほど彼女は弱っていた。――しかし。それでも彼女は息を飲むほど美しかった」


「儂は興味に勝てず、馬を寄せて、すぐ近くから檻の中のルイーズを見下ろした。するとふと、彼女と目が合った。ひと目見つめ合っただけで私たちは通じ合った。確信した、彼女こそが私の運命だと」


「欲しい。何が何でも。何度もエイリスにせがんだが、あやつは首を縦に振らなかった。そして、内乱が起きたときだ。ついにエイリスは私と約束した。民心を集める儂が粛清を行えば乱は鎮まる。乱を鎮めたらルイーズを渡すと。……なのに、ッ!」


 アーサーがぽつりと言った。


「それほど似ていますか」


 すると先王弟は目を細めた。


「髪色が違う。瞳の色も。しかしもし、ルイーズが十五のときをこの目で見られたとするならば――ベルムで見たロザリーは生き写しであったろう」

「なるほど……ならば仕方ありませんな」

「仕方ない?」

「いえ……腹を括ったということです」

「わかりやすく申せ、アーサー」


 アーサーは姿勢を正し、まっすぐに先王弟を見つめた。


「このアーサー。大恩ある殿下のため、力を尽くしまする。どうか、玉座をお取りなさいませ!」

「なっ! ……馬鹿を申すな、アーサー」

「なぜです! 先ほどおっしゃったではありませんか。エイリス王がおられる限り、殿下のお望みが叶うことはないと!」

「言ったが……エイリスは強い上にまだ若く、その長子ニドはエイリスをも上回る。仮に玉座を狙っても、手に入る前に儂の命運が先に尽きよう」

「そうでしょうか? 〝皮剥ぎ公〟の粛清によって領地を守られた貴族家は多く、その中にはドーフィナ家も含まれます。六大貴族である我がユールモンとドーフィナが組めば――」

「――よせ! この手で救った卿らを、同じ手で戦火に送り込めというのか? そなたは儂を見誤っておる!」

「……申し訳ありません。ですが」

「くどい! まだ言うか!」

「であれば、何も殿下が王にならずともよいのではありませぬか?」

「……む?」

「エイリス王が玉座から降りさえすればよい。次の王はニド殿下かウィニィ殿下か……いずれにせよ若い。王家の重鎮たる先王弟殿下の強い要望を拒否できるとは思えませぬ」

「ふむ……」

「次の獅子王はニド殿下であるとほとんどの王国貴族が思っております。しかし、肝心の陛下は乗り気ではないご様子……」

「レオニードの門に置いて、十六年もそのままだからな。初めはミルザに負けた罰かと思うたが……明らかに王都から遠ざけておる」

「そこで三度みたびのキングメーカー登場と相成るわけです。いかがでしょう?」

「ニドを後押しし、立ててやった対価にロザリーをもらう、か」

「その通りです!」


 先王弟は窓の外に目をやってしばし考え、それからアーサーに目を戻した。


「……アーサー。今の話、漏らすでないぞ?」

「ハッ!」

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