第190話 宴が終わり遠雷轟く

 先王弟はロザリーに会うことが目的だったようで、彼女と離れるとウィニィと少し話しただけで、お供を連れてダンスホールから退出していった。


 ロザリーは一部始終を見られた大貴族席には居づらくなり、卒業生が多くいるエリアへと足を運んだ。


「ロー、ザリっ!」

「あ、ラナ!」


 後ろから肩を叩かれて、ロザリーがラナを振り返る。

 彼女はこういう場には珍しい、黒のドレスだった。


「すごい、ラナ。そのドレス目立ってる!」

「あはは。一番目立ってやるつもりで選んだんだけど、ロザリーには負けるねぇ」

「そうかな?」

「私ですら良さがわかるよ。ちょっと、そこで回ってみてよ」

「こう?」


 ロザリーがその場でくるっと回って見せると、ラナが手を叩いて笑った。


「アハハッ。回った、回った!」

「もう!」


 ロザリーがラナをはたこうとすると、その手首を掴んでラナが身を寄せてきた。

 そして小声でロザリーに問いかける。


「……さっきのアレ、何だったの? こっちからよく見えなかったけど、すごい雰囲気だったよね?」


 ロザリーはラナの耳に唇を寄せ、もっと小さな声で答えた。


「アーサー=ユールモンから徴発を受けたの」

「アーサ……誰?」

「北ランスローの公子らしい」

「北ランス……え゛っ゛。まじで!?」

「しーっ!」


 ロザリーが眉をひそめて窘めるが、ラナは興奮した様子で続ける。


「それって、あの件がバレたってことなの!?」

「バレたっていうか、辻褄が合っちゃったっていうか」

「そっか、賊に扮した北ランスロー騎士団を倒す戦力がないから疑われなかったんだもんね。ロザリーが金獅子なら……あちゃー」

「どうしよう。アデルとアルマに報せに行ったほうがいいかな?」

「それは【手紙鳥】でよくない? そのアーサーとやらの件がなくても、また北からのちょっかい始まったみたいだし」

「あ、連絡とってるの?」

「ロブロイ経由でね」

「でも……だったらなおさら一度行って伝えておこうかなぁ」

「大丈夫だって。私がちゃんと伝えとくからさ」

「え? イェルに行くの?」

「実家に帰るついでに寄る予定なの。アイシャもあっち方面だから旅行がてら、ね」

「ええ! いいなぁ!」

「あんたは王都でしょ。王都組はたくさんいるんだから――ほら、王都組代表が見てるよ?」


 ラナに促されてそちらを見ると、王都守護騎士団ミストラルオーダーに入団が決まっているグレンが、こちらをチラチラと見ていた。


「はい、行ってらっしゃい!」


 ラナに背中を強く押され、ロザリーは少しよろけながら歩き始めた。

 グレンはそれに気づき、緊張した面持ちでロザリーを待っている。

 ロザリーはドレスを気遣いながら、ゆっくりと歩を進めた。


(……グレン、騎士様みたい)


 グレンの服は貸し衣装なので一級品とはいかないが、それでも彼の体格と自信がそう見せるのか、まるで一人前の騎士さながらである。


(でも、そっか。もう騎士様なのよね。私もだけど)


 そうしてグレンの元まであと少しというところで、二人の間に青いドレスの女性が割って入ってきた。

 ジュノーだ。

 彼女はロザリーに「失礼、ロザリー卿」と微笑み、それからすぐに背を向けた。


「グレン。踊っていただけますか?」


 グレンは愕然としながら、見開いた目でジュノーとロザリーを交互に見ていた。

 しかしジュノーから差し出された手に気づき、仕方なくその手を取った。

 舞踏会で女性からの誘いを断ることは恥をかかせることである。

 そのくらいの常識はグレンでも持ち合わせていた。


(ジュノー! 意地悪っ!)


 ロザリーが心の中でそう叫ぶと、彼女はそれに応えるようにロザリーにウィンクして踊り始めた。

 踊りながら離れていく二人を見て、ロザリーがため息をつく。

 すると、同時にため息をついた人物がすぐ近くにいて、その人物と目が合った。

 ザスパールである。

 彼はジュノーと踊りたい、これから正真正銘の主従関係となる以上、これが最後の機会かもしれないと考えていた。

 だがジュノーは婚約者であるウィニィと共に大貴族席にあり、ダンスホールの中央には降りてこなかった。

 それでも彼らしくジッと待ち、やっと降りてきたところを捕まえようとした矢先に、ジュノーはグレンと踊り始めてしまった。

 なんともやるせない気持ちがつい、ため息として漏れてしまったのだ。

 同じようにため息をついたロザリーを見ていると、彼女が悪戯っぽく微笑んだ。

 そして微笑んだまま手を差し出す。


「おいおい……本気かよ、ロザリー……」

「いいじゃない、フラれた者同士。ね?」

「ハァ。……だな」

「じゃ……踊っていただけますか、ザスパール?」

「ああ、喜んで」


 ロザリーはザスパールと手を重ねて、踊り始めた。

 彼はさすがに扱いが巧く、洗練されていた。

 ロザリーは安心して体重を彼に預けた。

 そうして心地よく踊っていると、いつの間にか踊っているグレンとジュノーに近づいていた。

 ザスパールが意図してそうしているようだ。


「は? ~~っ!」


 ある瞬間、ジュノーがロザリーとザスパールに気づき、わかりやすく顔色が変わった。

 ジュノーとザスパールがすれ違いに言葉を交わす。


「これは裏切りよ、ザスパール」

「さて、何のことだか」


 ザスパールはわざとらしく惚けてみせて、それからロザリーと笑い合った。

 ロザリーはザスパールと踊った後も、相手を変えながら何人かと踊った。

 ウィリアスにルーク。シリウスになぜかパメラ。

 パメラと踊ったあとには、じゃあ私もとラナ、ロロ、アイシャ。

 ギムンと踊ったときは見上げすぎて首が痛くなった。

 そして最後に恐ろしく自分本位なダンスをするオズと踊って、熱を冷まそうと中庭に出た。


 日はとっぷりと暮れていた。

 風が吹いていて、少し寒い。

 中庭のわずかな灯りも消えていて、ダンスホールから漏れる光だけが頼りの暗さである。

 人影もわずか。


「グレン」


 暗い中でもひと目でわかった。

 彼は待っていたのだ。

 ロザリーの前まで来て、手を差し出す。


「ロザリー。踊っていただけますか?」

「ここで? 音楽も聞こえないけど」

「邪魔が入らない」

「それはそうかも」

「このまま帰ったら俺は後悔する。嫌か?」

「……ううん、嫌じゃない」


 グレンの手を取り、それからゆっくりと手を重ねる。


「でも。グレンって踊れるの?」

「さっき見ただろ」

「見た。ジュノーにリードされてたよね?」

「言うな」


 暗い中庭で二人は踊り始めた。

 甘い学生生活を終えるために。

 いつか、そんなこともあったねと語り合うために。



 ――城下。ユールモン邸。

 冬はとうに過ぎたというのに、暖炉で薪が燃えている。

 アーサーはその炎を食い入るように見つめている。


「……ドルクか?」

「はい、アーサー様。調べがつきました」


 アーサーは無言で手招きし、続きを話すよう促す。


「グレン=タイニィウィング。ロザリーと同じ卒業生で、最も親交の深い友人であるようです」

「タイニィウィング……まさか雛鳥か?」

「はい」

「なんとまあ、お似合いであることよ。ならばグレンを庇護する貴族家はないな?」

「おそらく。しかしグレンは王都守護騎士団ミストラルオーダーに入団が決まっています」

「それは……手を出しにくいな。だが長続きはすまい? あそこは家格がなければ上には行けんだろう」

「おっしゃる通りかと。王都守護騎士団ミストラルオーダーに所属するユールモン家の縁者に、グレンが退団するよう仕向けることも可能ですが」

「焦らなくていい。じっくり、じっくりでいい」

「は。それでは……」


 家来は首を垂れ、静かに部屋を出ていった。

 一人になったアーサーが、ソファの背もたれに仰け反って天井を見つめる。


「ロザリー……あの生っ白い肌……焼くとどんな声で鳴く……?」


 そう呟いた瞬間、窓の外で轟音が鳴った。

 稲光が走り、アーサーが窓を見る。

 その雷光に照らされて、窓辺に椅子に座った黒い人影が見えた。


「ッ! 父上!」


 アーサーはソファから飛び上がり、父の元へ走り、跪いた。


「いらっしゃったのですか、父上。お声かけ下されば……」

「……ならん、ならんぞ、アーサー」

「はっ」

「……先王弟殿下はユールモンの恩人。ロザリーに手を出してはならん」

「理解しております。ゆえに周りの者で我慢しようと……」

「……アーサー! 暗い欲望に身を任せてはならん!」

「わかっております! お身体に障ります、どうか、どうかお怒りをお鎮めください……」

「……火炙り公ユールモンは獅子王国の建国より、始祖レオニードの重臣としての責務を……」

「はい、存じております」

「……我ら栄光ある獅子の吠える声として――」

「はい、父上――」



 ――城下、〝金の小枝通り〟。


「チッ。降ってきたか」


 グレンはマントの襟を上げ、身を小さくして歩く速度を上げた。

 いつも心のどこかで飢えている彼には珍しく、この日は心が踊っていた。

 思い通りにいかないこともあったが、そんなものは日常茶飯事。

 暗い中庭で彼女を待ったのは、会心の選択だった。

 今宵は良い夜だ。


「これで雨さえ降らなければ完璧な夜だったのにな」


 そう不平を口にしつつも、気持ちは華やいでいる。

 頭の上を稲光が走った。

 雨はまだ止みそうにない。

 風も出てきた。

 グレンは横雨を避けるため、路地へ入った。

 狭い路地内で靴音が反響する。

 しばらく歩いて、やっとグレンは気づいた。

 背後に靴音がもうひとつ。

 つけられている・・・・・・・


 グレンは最悪の気分になった。

 浮ついていたさっきまでの自分を叱り飛ばしてやりたい。

 しかし、すぐに冷静さを取り戻し、もうひとつの事実に気づく。

 背後の靴音の主は、わざと音を立てている。

 グレンは路地の中ほどで足を止めた。

 そしてゆっくりと振り返る。

 相手は、四十代くらいの男性。

 年季の入った魔導騎士外套ソーサリアンコートを着ている、どこにでもいるような騎士だった。

 彼は言った。


「卒業おめでとう。グレン=フェザンテール」

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