第189話 舞踏会―2
日が沈み、卒業生たちもダンスホールへと戻り始めた。
ロザリーもその流れに乗って屋内へと戻ったのだが。
「ロザリー卿!」
「わっ! はい、なんでしょう」
戻った途端、見も知らぬ貴族から声をかけられた。
小太りな中年男性で、愛想笑いを浮かべて手揉みしている。
「私、ダレン領の領主をやっている者でして」
「ダレン……すいません、存じ上げないかも。どの辺りでしょうか」
「いえいえ、当然でございます! 西の外れの小さい小さい領地ですから! なんせ魔導院の販売する地図にも名前が載っていないほどで。『なんで載ってないんだ!』とクレームを入れたら『小さすぎるから』と返ってきたほどですよ! ハハハ!」
「アハハ……」
「私には子が四人おりまして、そのうち息子は三人です。一番上は結婚しておりますが、下の二人は未婚です。二番目は二十歳。末っ子は今年ソーサリエに入学です」
「まあ、それはおめでとうございます」
「ありがとうございます! いやあ、〝骨姫〟様に祝福を頂けるなんて、息子は果報者でございますな!」
「そんな、大袈裟な」
「何が大袈裟なものですか! 時にロザリー卿、決まったお相手が?」
「お相手? ええと……」
ロザリーは話を終わらせようと口数少なく返しているのだが、相手はぐいぐい迫ってくる。
「親の私が言うのもなんですが、どちもなかなか整った顔をしております。いやあ、私に似ないでよかったですよ!」
「ハハ……」
「どちらでも結構ですぞ? なんなら二人まとめてでも私は喜んで差し出します!」
「……あの、これは一体なんのお話なのでしょうか」
「何ってそりゃあもちろん――」
「――失礼、ハンス卿」
二人の間に東方系の顔立ちの男性が割って入ってきた。
「あ、コクトー様」
ロザリーがホッとしてコクトーを見ると、彼は不愉快そうにこちらを見た。
「ロザリー卿。ウィニィ殿下がお呼びだ。ついて参られよ」
「あ、わかりました」
コクトーは周囲をぐるっと見回して言った。
「他の方々も。ロザリー卿は挨拶はお受けしたので、今日のところはご勘弁願いたい」
ロザリーは気づかなかったが、小太りな中年貴族の後ろには順番待ちする同じような貴族が列をなしていた。
貴族たちは不服そうだったが、コクトーは構わずロザリーの手を引いて足早に歩き始めた。
「……コクトー様。歩くの早いです」
「仕方なかろう。緩めればまた捕まる」
「あの、さっきのって」
「婚姻の申し出だ」
「ああ、やっぱり……」
「受けたら最後、必ず返事をせねばならなくなるぞ? 観念するか、恨まれるか。卿がどちらを選ぶのかは見ものだが」
「意地悪はやめてください。……これって、私が金獅子だから?」
「それ以外あるまい。
「そうでしょうけど、それ以外ないは失礼です……」
「
「助けてくれたから許しますが……こちらとかもう一方って何の話です?」
「ん、まあ追々な」
やがて二人はウィニィの近くまでやってきた。
どうやら大貴族や高位貴族ばかりいるエリアのようで、大まかにだが位で居場所が決まっているようだ。
ウィニィは婚約者であるジュノーと並んで席が設けられていて、そこに貴族が大挙して挨拶に来ていた。
コクトーはその席の後ろに回り、小声で声をかけた。
「殿下……」
「んっ? どうした、コクトー。宴席に出る姿なんて初めて見たぞ?」
「ロザリー卿をお側においていただけませんか」
「お、ロザリーもいるのか。……ははぁ、なるほどな」
ウィニィはすぐに事情を察したようで、隣のジュノーに目配せした。
ジュノーも話を聞いていたようですぐに頷き、ウィニィは従者に何事か命令した。
するとほどなく、ウィニィたちの席から少し離れたところに、新たに席が設けられた。
「殿下。ご配慮、痛み入ります」
コクトーは深々とお辞儀してから、ロザリーに向き直った。
「ここなら先ほどのハンス卿程度の位の者は自由に振る舞えない。今夜はここで過ごしたまえ」
「ありがとうございます。あの、コクトー様は?」
「私はこの手の場は苦手なのだ」
そう言うが早いか、コクトーは足早にダンスホールから去っていった。
舞踏会が始まった。
よく知った顔ぶれが、初々しい動きでダンスに興じている。
離れたところからそれを眺めるロザリーはどこか寂しい気持ちでそれを眺めていた。
そうして一時間ほど経ったころ。
「失礼。ご挨拶をよろしいか?」
「はい」
ロザリーの席に現れたのは、二十代前半から中頃の若い貴族だった。
ロザリーは少しげんなりしながら彼を見上げた。
(また婚姻の申し出かな、やだなぁ……)
(でもこのエリアにいるってことは大貴族か高位貴族よね。態度に気をつけないと)
相手は作り笑顔を張りつかせている。
ロザリーも努めて柔和に笑い、彼の差し出す手のひらの上に自分の手を置いた。
彼が笑顔のままで話し出す。
「
「
「おっと名乗っていなかったか。アーサー=ユールモンです」
「アーサー卿。ユールモン……六大貴族家の。領地はたしか……えっ?」
アーサーが目を歪に曲げて笑う。
「そう。ランスロー領主家のユールモンだよ、ロザリー卿」
「ッ!」
ロザリーは座ったまま、反射的に手を引こうとした。
しかし強い力で手を握られて、振り解けない。
(なんて力……こんな場所で、正気なの?)
北ランスロー領主ユールモン。
かつてロザリーが実習で南ランスローを訪れた際、賊の一団を屠ったことがあった。
賊の正体は北ランスローの騎士団だった。
報復がなかったのは南ランスローにそれをできる力がなく、ロザリーも一人の学生としか思われてなかったからだ。
しかし今、ロザリーが
(
(そもそもランスロー領主?
アーサーの敵意は明らかだが、ロザリーはロザリーでこの者に対する敵意が込み上げてきた。
「お返しなんて結構ですわ、アーサー卿」
「つれないなァ、〝骨姫〟」
「だって、今さらお返しなんてされたら、またこちらも返さなきゃいけなくなっちゃう」
「ハッハ。義理堅いな」
「あなたからなにか頂くなんてできません」
「そうか……残念だ、私のドレスも選んでもらえなかったしなァ……」
「まあ、あれはアーサー卿が? 見せしめの血の色というわけですか?」
「ハハッ! 私としては復讐の炎のつもりだったが? まあいい、踊るぞ〝骨姫〟」
「いいえ、結構」
「わかった、ちゃんと誘ってやるさ。レディ、踊っていただけますかな?」
そのとき、上座のほうから鋭い声が飛んできた。
「アーサー卿」
声の主はウィニィだった。どうやら事の推移を見ていたようだ。
ジュノーも眉を寄せてこちらを見ている。
「ロザリー卿は嫌がっている。騎士らしく引かれよ」
「ん~、聞こえませんな」
「ッ! アーサー卿!」
王子たるウィニィが声を荒らげたことで、一瞬にして空気が張り詰める。
しかしアーサーは居並ぶ高位貴族の非難の目を物ともせず、ロザリーの手を離さない。
「ロザリー卿。あなたが踊れば済むことだ。無論、踊りでなくともよいが?」
(こいつ……!)
荒々しい、燃え盛る炎のような魔導が手を通して伝わる。
周囲の目がある。
自制しなければならない。
アーサーの挑発も、それを見越してのものかもしれない。
しかし彼の魔導に触れてから、ロザリーの心の臓から魔導がとめどなく溢れ出てくる。
本能が敵を「殺せ」「殺せ」とせっついているのだ。
アーサーと睨み合ううちに、いつしかロザリーは彼の殺し方を考え始めていた。
(相手は帯剣してる。こっちはない。でもそれは大した差ではない)
(魔導では私が勝る)
(人が多いから一瞬で終わらせなければ)
(影を少し広げれば、四方から同時攻撃できる)
(手を掴んだまま、黒犬を殺った方法がベスト?)
(ううん。背後からヒューゴに掴ませて沈めるのが早いか)
と、そのとき。
「ウィニィ。これは何の騒ぎか?」
声の主はダンスホールの入り口から供を連れてやってきた。
アーサーはハッと顔を強張らせ、あっけなくロザリーの手を離した。
ウィニィが席を立ち、急ぎ足で声の主に駆け寄る。
「大叔父上。お出ましとは知らず、失礼しました」
声の主は先王弟だった。
エイリス王の叔父で、禿げ上がった頭頂部ともくもくと生えた黒髭が特徴的な老人だ。
そのがっしりとした体躯は、今でも現役の騎士であろうことを思わせた。
「なんの、気まぐれだ。謝罪など必要ない」
そうウィニィに笑いかけ、それからアーサーとロザリーの元へ歩いてきた。
いつの間にかアーサーは膝をつき、顔を伏せていた。
震えているようにも見える。
「アーサー卿」
先王弟がアーサーの肩に手を置いた。
彼の肩がピクンと跳ねる。
「私の言うことも聞けぬか?」
「滅相も……先王弟殿下は我がランスローの大恩人であられます」
「卿は領主代理としてここにいる。お父上とランスローの名誉を汚すことのなきように」
「は……」
アーサーは頭を下げたまま後ろ向きに下がり、大貴族のいるエリアから去っていった。
「ロザリー卿」
先王弟はロザリーの近くまできて、すぐ目の前で膝をついた。
「なっ、大叔父上! 何をなさっているのです!」
ウィニィが思わず声を荒らげるが、先王弟は気にもしない。
「舞踏会でレディに膝をつくのに王族も何もない。そうであろう? ウィニィ」
「ん、まあそれはそうですが」
「ならば気にするな。小事だ」
先王弟はロザリーの手を取り、両手で握った。
「どうか気を悪くせんでくれ、ロザリー卿。あやつの傲慢さには皆、ほとほと手を焼いておってな。儂の言うことは聞くのだが、逆に儂以外の者の言うことは頑として聞かぬ。本当に困ったものだ」
「そうでしたか。アーサー卿のお目付け役なのですね」
「お目付け役か。確かにそうかもしれぬ。あやつはあれで苦労人でな。患っている父に代わり、若い頃から務めを果たしておる。儂は子供の時分から知っておるでな、どうしても気にかけてしまうのだ」
ロザリーは跪いた先王弟の瞳を覗いた。
アーサーとは対極で、敵意を微塵も感じない。
それどころか初めて会うはずのロザリーに対し愛情のようなものまで感じる。
(悪い人ではない、のかな?)
そう感じたロザリーは、心から笑って先王弟の手の上に空いた自分の手を置いた。
「お気になさらず、先王弟殿下」
「おお……慈悲深い。エイリスも困ったものだ、こんなにも優しいロザリー卿に〝骨姫〟なぞと二つ名を付けるとは。儂なら〝紫薔薇〟と付けるのに」
「……紫、薔薇?」
ロザリーが自分のドレスに視線を落とす。
それからもう一度、先王弟のほうに目を戻すと、彼は笑顔を湛え、微かに頷いた。
「そのドレス。お気に召していただけたかな?」
「はい。とても気に入っております」
「そうだろう、そうだろう。君のお母上も薔薇を愛してらしたからね」
「っ、なぜそれを?」
「もちろん、お会いしたことがあるからだよ。短い間だったが、彼女には強い感銘を受けた。それだけに残念だったが……」
「先王弟殿下!」
ロザリーは椅子から滑るように下り、先王弟と同じく床に膝をついた。
「母の――ルイーズの行方をご存じなのですか!?」
先王弟は目を見開いて驚いていたが、すぐに視線を落とした。
「知らぬ。まぎらわしい言い方をした。許しておくれ」
「そう、ですか……母は、死んだと?」
「……あれほどの魔導者だ、生きておればどこにおっても必ず聞こえてこよう。身を隠しておれば別だが……あのお方が一人娘を、こんなにもかわいい愛娘を捨ててそうするだろうか? 儂にはとてもそうとは思えんのだ」
「~~っ。う……ううっ」
ロザリーの紫眸から涙が溢れた。
それは心のどこかでそう思っていても、信じないようにして生きてきたから。
母ルイーズに捨てられたと思うことも辛かったが、それでも生きていてほしいと願っていたからだった。
「おお、泣かないでおくれ。すまなかった、儂が悪い。嫌な話をしてしまった」
先王弟がロザリーを抱きしめる。
彼の大きな胸板に包まれても、ロザリーの涙は溢れて止まらなかった。
「儂はルイーズを敬っておった。大事だった。だからその娘も大事だ。嘘をついて誤魔化すこともできたが、下手に希望を抱かせることはできなかった。わかっておくれ」
ロザリーはひとしきり泣いて、先王弟の胸から身を引いた。
「~~っく。ぐすっ。申し訳ありません……殿下」
「何を謝ることがあるか」
そう言って、先王弟はロザリーの頬を大きな両手で包んだ。
「ロザリー卿。困ったことがあれば私を頼りなさい」
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