騎士編 第一章 重力の軛

第188話 舞踏会―1

 叙任式は関係する多くの者にとって節目の日である。

 叙任式は格式高く厳かに行われるが、そこに親兄弟や友人の臨席は許されていない。

 叙任式のやり方に異論はない、しかしそれではあまりにも。

 もっと華々しく、盛大に、家族とともに――そんな関係者の祝福したい気持ちを汲んで行われるのが叙任記念舞踏会である。


 黄金城パレス、ダンスホール控え室。


「ああ、ロザリー様! いつまでたってもお出ましにならないのでヒヤヒヤしておりました!」


 部屋に入るなりそう捲し立ててきたのは、老齢の女官。

 彼女の部下であろう三人の若い女官が、後ろでうんうんと頷いている。


「えっ。間に合うように来たつもりですが……ねぇ、ロロ?」

「ええ、はい。衣装の貸し出しが始まる時間に合わせて……時間、間に合ってると思いますが」


 エイリス王こそ臨席しないものの大貴族や高位貴族が多数、顔を出す舞踏会である。

 卒業生にはそれ相応の格好が求められる。

 しかし、そうなると困る者が出てくる。

 下位貴族や貴族家出身ではない卒業生である。

 この日の衣装は並の貴族家ですら、この日のために奮発して用意する類のものであり、貧しい者にはそんな大金を用意することなどできない。

 そこで卒業生が恥をかかずにすむように、王宮が衣装を貸し出すのである。

 まず自前の衣装の卒業生が着替え、その後に控え室に貸し衣装が並ぶのでそれに合わせて来るように、とロザリーたちは聞いていた。

 老齢の女官がロザリーの手を取る。


「ロザリー様が貸し衣装なわけがございませんでしょう! ささ、こちらに!」

「わわっ! 待ってください……ロロぉ!」

「はいっ! お供しますよ、ロザリーさん!」


 するとロロは老齢の女官にスパーンと頭をはたかれた。


「あんたはあっち! 貸し衣装!」

「うぅ、はぃ~」

「あぁ、ロロ……」


 ロザリーは老齢の女官に手を引かれ、奥へと連れていかれた。

 控え室は想像より広く、間仕切りによって迷路のように入り組んでいた。

 まだ着替えたばかりの自前衣装組の姿もある。


「……奥へ行くごとにドレスのランクが上がってる気がする」


 すると老齢の女官がニヤッと笑った。


「ええ、その通り。ロザリー様は最奥でございますわ」


 最奥の仕切りはすぐにわかった。

 ここだけ入り口を女騎士が警護していたからだ。

 中は狭く、二人の卒業生がいた。


「ジュノー、ジーナ」

「ごきげんよう、ロザリー」


 挨拶したのはジュノーだけで、ジーナはつまらなそうに椅子に座ってそっぽを向いている。

 二人のドレスは共に青だった。

 二人のドレスを交互に見ていると、ジュノーが困り顔で笑った。


「女子は二百人もいるから色被りなんて珍しくもないのだけれど。大貴族二人で被っちゃうとちょっと、ね。ジーナも気を悪くしちゃって」


 ロザリーの学年の大貴族令嬢はこの二人のみである。

 たしかにジーナは不機嫌で、ドレスの下で脚まで組んでいる。


「私らのことはいいから。自分のドレスを選んだら?」


 ジーナが不機嫌な声でそう言うと、ちょうど老齢の女官がドレスを出して飾り始めた。


「選ぶ?」


 若い女官たちも手伝って、また新しいドレスが出てきた。

 最終的にロザリーの前に飾られたドレスは三着。

 どれもとても上質なものに見える。

 老齢の女官が言った。


「ロザリー様宛にドレスが三着、贈られてきております。ロザリー様はこの中から一つをお選びくださいませ」

「贈られてきた?」


 誰にともなくそう言うと、女官たちが一斉に深く頷いた。


「えぇ……どうしよう、どれも高そうに見えるんだけど」


 するとジュノーがロザリーの背後にぴたりと張りついて囁く。


「ええ。どれもとびっきりよ?」

「だよね? どうしよう……どれがどなたからのプレゼントなんですか?」


 すると若い女官たちとジーナが、顔をしかめて不服の声を上げブーイングした。

 ジーナが代表して言う。


「あのさぁ、ロザリー。これって名前を伏せて贈られるの。で、舞踏会本番でそれを着てくれるかを殿方は楽しみにしてるわけ。事前に誰からかとか探るなんて、はしたない行為なの」

「あ、そうなんだ」


 ロザリーが背後のジュノーを振り返ると、彼女もこくんと頷いた。

 ドレスの色は真っ赤、白一色に金刺繍、鮮やかな紫。

 意匠はどれも非常に凝っている。

 ロザリーは真剣に三着を見つめていたが、やがて泣き顔でジュノーを振り返った。


「うぅ……ジュノー。アドバイスしてよぉ」

「仕方ないわねぇ」


 ジュノーがロザリーに並び、ドレスを品定めする。


「……どれもとても手の込んだ上質なものよ。でも、赤は他の二つに比べると少し落ちるかも」


 するとジーナも頷いた。


「赤は私らのドレスと同ランクって感じ。他二つは違う。抜けてるわ」


 それを聞いたロザリーが目を白黒させる。


「ちょっと待って。赤が大貴族ランクで、他がそれ以上って……もう王家の方くらいしか」

「だから贈り主を探っちゃダメだってば」

「そうは言うけど~!」

「早く決めなさいよ。こういうのは直感よ、あれこれ悩んだ結果よりそれが正しいの」


 ジーナの言うことはもっともだ。

 そう納得したロザリーは、もう三着の一度ドレスを真剣な眼差しで見渡した。


「……決めた! これにする」


 ロザリーが選んだのは紫のドレスだった。


「私の瞳の色だし。目立たないけど、この意匠バラよね? 私、バラ好きだから」

「いいんじゃない?」「似合うと思うわ」


 ジーナとジュノーにお墨付きをもらい、ロザリーは老齢の女官に向かって頷いた。


「かしこまりました、ロザリー様」


 彼女は恭しくお辞儀し、それから若い女官たちに目配せした。

 赤と白のドレスが片付けられていく。


「あの、他の二着はどうなるのですか?」

「後日、贈り主にお返しします。残念でしたねってことで」

「ええ? それは相手に悪いような」

「そういうものですからご心配なさらず。これでお怒りになるような殿方は、不調法者として貴族社会から大顰蹙ひんしゅくを買うことになりますので」


 こともなげにそう言った老齢の女官は、てきぱきと着替えの準備を進めている。

 遠く控え室の入り口辺りから、別の女官の声が響いてきた。


「着替え終わった方は、お早くホールへどうぞ~」


 それをきっかけに、控え室全体に喧騒が広がった。


「私らも行こうよ、ジュノー」

「ええ、そうしましょう」

「待って! 私もすぐに着替えるから――」


 そう言ったロザリーの服の裾を、老齢の女官がむんずと掴む。


「そうは参りません。丁寧に。完璧に。仕上げさせていただきます」

「ええ、そんなぁ……」

「じゃあね、ロザリー」

「お先に失礼させていただくわ」


 ロザリーが口を尖らせて、小さく手を振る。

 彼女が控え室を出るのは、卒業生で最後になった。



 ――ダンスホール。


「おぉ、美しい……」

「彼女は確か」

「そう、噂の〝骨姫〟様だ」


 周囲の視線を一身に集めながら、ドレス姿のロザリーが貴族の群れの中を進んでいく。


(卒業生の舞踏会なのに大人の人ばっかり……)

(早く知ってる人を見つけないと、居心地悪くて病気になりそう!)


 そうしてキョロキョロと見回しながら歩いていると、やっと知り合いを見つけた。


「あ、ウィニィ」


 ウィニィは白の上下に金の飾りがたっぷりと入った、実に王子様らしい格好でそこにいた。


「ウィニィ!」


 彼はすぐにこちらを向いた。が、その顔色が一瞬で曇った。


(あ、そうか)


 ウィニィがこちらに歩いてきて目の前まで来たとき、ロザリーは片足を引いてスカートを軽く持ち上げて頭を下げた。


「失礼しました、ウィニィ殿下」


 するとウィニィが笑う。


「よしてくれ。ウィニィでいいよ」


 ロザリーは頭を下げたまま、上目で彼を見た。


「でも、ムッとした顔してたよ?」

「ああ、それは……僕のドレスを選んでもらえなかったんだな、ってね」

「えっ! ……もしかして、白のドレス?」


 ウィニィは頭を掻きながら、恥ずかしそうに頷いた。

 そんなウィニィにロザリーが耳打ちする。


(言われてみれば、お姫様っぽい趣味かも)


 するとウィニィが囁き返す。


(趣味ってなんだよ、一応ホンモノのお姫様だぞ)


 そして二人が笑い合うと、周囲の目が自分たちに集まっていることに気づいた。

 ロザリーが空気を変えるために尋ねる。


「他のみんなはどこかな? 見当たらないんだけど」

「中庭だ。舞踏会本番は夜になってからだからね。夕方の空の移り変わりを眺めながら軽食をつまんで、夜の舞踏に備えるって寸法さ」

「へぇ。でも、ここ黄金城パレスの上層だよね? 中庭があるの?」

「まあ大きなテラスだよ、行ってみるといい。僕は王子として挨拶回りがあるからエスコートはしてやれないけど」

「わかった、行ってみる」

「うん。楽しんで!」


 ウィニィに手を振り、ロザリーは中庭へ向かった。



 中庭は、たしかに大きなテラスだった。

 三方を黄金城パレスの構造物に囲まれ、残る一方は外側に大きく張り出している。

 意図的に灯りを少なくしているようで、そこにいる人々は遠くからは黒いシルエットにしか見えない。

 薄暗い中庭をロザリーがおずおずと中に入っていくと、突然、後ろから肩を叩かれた。


「ロザリー、さんっ!」

「わっ! あ、ロロ」


 ロロは少し頬を染めながら、ロザリーの立ち姿を眺めた。


「……ドレス。すっごく素敵です」

「もう。ここは暗くてよく見えないでしょ?」

「紫の。薔薇の意匠が素晴らしいです」

「あれ、見えてるね?」

「実は、中にいるのを窓から凝視ガン見してました」

「ふふ。なんだ、そう」

「テラスの先まで行きませんか? 夜の王都を一望できますよ?」


 見れば、テラスの手すりのところには卒業生らしい人影がいくつもあった。


「うん、行こう」


 ロザリーとロロは、影絵の世界のような中庭を、並んで歩いていった。

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