第185話 お礼参り

 打ち上げから数日後。


「ふわぁ……」


 ロザリーは目を覚ました。

 寝ぐせの立った頭を掻き、隣で寝ているロロに目をやる。


「ロロ、朝だよ?」

「ぐおおおお……」


 轟音を響かせて寝ている彼女に起きる気配はない。


「昨日も夜遅くまで何かコソコソやってたもんね。ルヴィちゃんに引き継ぎがどうとか……何を引き継ぐんだろう?」


 ロザリーはベッドから這い出し、身支度を整え始めた。

 まずは部屋の外にある洗面台へ向かい、顔を洗って寝癖を直す。

 一緒になった後輩たちといくらか言葉を交わし、強固な寝癖がやっと直ったら部屋へ戻る。

 まだ寝ているロロをチラリと見てから、寝巻きをパパッと脱いで制服に袖を通す。

 この制服を着るのも、あと少しだ。


「ロロ」


 ロザリーはロロの身体を揺らした。


「ぐおお……がっ! ……ふむゅ」


 わずかに意識が戻ったのを見て、ロザリーが彼女に耳打ちする。


「私、教官に卒業のお礼に行ってくるから。ロロは起きて寮を出る荷造りね? さすがに今日やらなきゃヤバいからね?」

「ふみゅぅ」


 ロロが寝ながら頷いたのを見て、ロザリーは部屋を出た。



 ――校長室。


「何の何の。礼には及ばんぞい」


 シモンヴラン校長はそう言ったが、ロザリーがお礼に来たことがとても嬉しそうだった。


「あと、謝罪もしなければなりません。ラナが不可評価になったとき、大変失礼な態度を取りまして……」

「おお! あれは肝が冷えたぞ? ああ、儂ってここで死ぬのかのう。この歳まで生きても心残りはあるものじゃのう……などと考えておったわ」

「そんな、そこまで大それたことはしません」

「あの件では何の助力もできんかったしのう……己の無力を嘆くばかりじゃ」

「それは嘘です、校長先生。私を助けるために手を打ってくださったでしょう?」

「む? 何のことじゃ?」

「ラナを主席にする抜け道を匂わせたこともそうですし、ウルス教官に精霊を付けて監視してらっしゃいました」

「ほう」

「そしてウルス教官のご子息を取り戻したとき、精霊を私に移しましたね? 私が一線を越えないように監視するために。越えようとしたら止めるために」

「ほっほ。何を言っておるのかわからんな」

「校長先生」


 じいっ、と見つめられて、シモンヴラン校長は観念したように目を逸らした。


「うまくやったつもりじゃったがのう。お主の目は誤魔化せぬか。……ロザリー、儂の最後の助言を聞いてくれるか?」

「はい、もちろんです」

「お主はひと握りの強者じゃ。それは卒業して騎士の世界に出ても変わらぬ。だからこそ、忘れてはならん」


 シモンヴラン校長はずいっとデスクに身を乗り出して、話を続けた。


「大それたことはしない、と申したな? じゃがお主がやることは凡庸な者からすれば全て、大それたことよ。思いつきで、ほんの出来心でやることが、多くの者に大きな影響をもたらす。……わかるかの?」

「はい、たぶん。……わかります」


 ロザリーは迷いながらそう答えた。

 するとシモンヴラン校長は身体を戻し、満足げに笑った。


「そうか。わかればよいのじゃ。うむ、うむ」



 ――ルナールの教官室。


「失礼します」

「む。スノウオウルか」

「すいません、扉が開いていたので。お礼参りに伺いました」

「おれ……何っ!?」

「あ、そういう意味ではなく。純粋にお礼を言おうと思って」

「……そうか。入りなさい」


 ロザリーは教官室に入ってすぐ、異変に気づいた。

 いくつもある書架はがらんどう・・・・・になっていて、床に紐で縛られた書籍の束が多く置かれている。


「ルナール教官、これって……」

「ああ、うむ。本が多くて持っていけないのでな。本当に必要なもの以外はソーサリエに寄贈しようと分類しているところだ」

「ソーサリエをお辞めになるのですか!?」


 ロザリーが思わず大きな声でそう問うと、ルナールは静かに頷いた。


「地方の学校に移る。ソーサリエ入学前の十二歳未満の子を教える学校だ。王都の教育水準とかけ離れているから、ぜひ力になってくれと旧友に請われてな」

「そう、なんですね……」

「お前のせいだぞ、スノウオウル」

「えっ!」


 おどろくロザリーとは対照的に、ルナールは淡々と語った。


「お前の魔導にじかに触れた私は、思い上がっていた自分を恥じた。恥の次は無力感だ。私には価値がないのか。自分にできることはないか。そう考えているうちにこうなってしまった。給料など五分の一だぞ? まったくこの歳で何をやっているんだか……」

「でも」


 ロザリーはルナールをまっすぐに見つめた。


「今のルナール教官、とっても素敵だなって思います」

「……フ。お前にだけは言われたくないな」


 ルナールは少し照れくさそうに眼を背け、それから思い直したようにロザリーのほうを向いて近寄った。

 そしてロザリーの両肩に手を置き、優しく語りかけた。


「まあ、あれだ。お前とはいろいろあったが……良い騎士になるのだぞ? お前なら必ずなれる。私が保証しよう」

「……ッ。ッ!」


 ロザリーは声にならない声を発し、俯いた。

 その肩はピクン、ピクンと揺れている。


「ん? どうしたスノウオウル?」

「うわぁ~ん! ルナール教かぁん!」

「のっ!? 抱きつくなスノウオウル!」

「どの口でそんなこと言うんですかぁ! あんなに嫌な奴だったのにぃぃ!」

「泣くな! 離れろ……ッ、なんて力だ、全然離れん!」

「ぐすっ。ぐすっ」

「そうだ、扉を開けっ放しにしたままだ――見るな、お前たちっ! 見世物でなないぞっ!!」

「うわあああ! 怒らないでくださいぃぃ」

「お前を叱っているわけではないっ!」


 ――ヴィルマの教官室。

 目を赤くしたロザリーが部屋に入ると、ヴィルマはすでに号泣していた。


「えっと、ヴィルマ教官。なんで泣いて――」

「いいから! 早くこっち来なさい、ロザリー!」


 ヴィルマは大きく腕を広げてロザリーを待っている。

 ロザリーが恐る恐る近づくと、ヴィルマはロザリーをぎゅうっと抱きしめた。

 豊かな胸に押し潰されながら、ロザリーがヴィルマを見上げる。


「あの、びるま教官……」

「なんっっでルナールが先なのよう! こんなの裏切りだわ!」

「あ、さっきの聞いて」

「だって扉開いてて丸聞こえだもの! 何か良い話してるし! あのロザリーが泣いてるし! もう私、悔しくって悔しくって!!」


 ヴィルマの号泣はどうやら悔し泣きであるようで、ロザリーは目を白黒させながら、彼女が落ち着くのを待った。


「……ヴィルマ教官?」

「ん。もう大丈夫」


 ヴィルマはロザリーを胸元から離し、両肩に手を置いた。


「卒業しちゃうのね」

「はい。寂しいですけど」

「~~っ、そんなの私のほうがぁ!」

「ああ、もう泣かないで、ヴィルマ教官」


 今度はロザリーのほうがヴィルマを抱きしめた。

 そのときロザリーはヴィルマの肌質と身体の震えを通して、初めて実感がわいた。

 魔女の知識が豊富で、いつも毅然としていて。

 常に色香を漂わせながらも、どこかミステリアスで。

 ロザリーに様々なことを授けてくれた女性教官は、ロザリーとそう歳の変わらぬ一人の若い女性でもあったのだ。


「でも、なんか……もしかして……」


 ロザリーはヴィルマを抱きしめながら首を捻った。


「もしかしてヴィルマ教官。私にもらい泣きさせようとしてませんか?」

「ギクッ」


 その瞬間、ヴィルマの身体の震えが止まった。


「……だって。だってルナールで泣いたのに私で泣かないなんてありえないじゃない! なんで泣かないのよ、ロザリー!」

「えー、無理ですよう、計算見えちゃったし」

「何でよぉぉ!」


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来週2話更新で学園編終了です。

みんなの就職先を考えないと……

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