第163話 巻き貝の音色
ベルム西部、森林地帯。
薄く霧がかる森の中を、ザスパールが一人で歩いている。
急がず、注意深く。
視線を右へ左へ動かしながら、足元の枯れた小枝を避け、静かに歩を進める。
「あれか」
森の中に一際大きな針葉樹を見つけた。
大人が十人いても囲めないほどの幹の太さがある。
「ジュノー」
ザスパールは微かな声で主人の名を呼んだ。
すると周囲の茂みや岩陰から、数人の仲間が姿を現した。
「ザスパール。よかった、無事だったのね」
主人の姿もあり、ザスパールはホッと息をついた。
その後、仲間の顔ぶれを確認する。
「何だ、俺が最後か」
現れたのはジュノーの他に二人。
この二人とザスパールが、ジュノー派の最高幹部だ。
「アラン、この森は?」
ザスパールが尋ねると、ボサボサ髪の背の低い男子生徒が親指を立てた。
「支配下にあるよ。敵はいない、だいじょーぶ」
彼は緑のクラス担任アラミドの甥で、森に親しむ
ジュノーが尋ねる。
「ザスパール。現状はどんな感じ? 使い魔を出して偵察しているのでしょう?」
「それなんだが……」
ザスパールが頭を掻く。
「俺の鳥たちがうまく働いてくれないんだ」
「どういうこと?」
ザスパールはジュノーと同じく、海育ちの
海そのものと親しむジュノーと違い、彼は海近くに住む生物たちと親しむ。
特に彼が得意とするのが海鳥の使役だ。
そこが海でなくとも一定数の海鳥の使い魔を呼び出すことができ、彼らの感じたことをザスパールはそのまま感じ取ることができる。
斥候にもってこいの能力だった。
「ベルムってやたらカラスがいるんだ。俺の鳥を攻撃してきやがって」
「そうなの……それで合流が遅くなったのね?」
「面目ない。能力に頼りすぎるのもよくないな」
ジュノーが考え込む。
「ザスパールの使い魔が使えないとなると……斥候役を出す必要があるわね」
「できる奴、いるか?」
「あれはどうかしら。前にベルが提案した後方支援部隊、覚えてる?」
「ん? ああ、あったな……そうか! 俺の鳥みたいに使えるな!」
「ベルは危険だって嫌がるだろうけど」
「まあそこは割り切ってもらおう。……で、旗揚げはどうする?」
「手筈通りに。まずは派閥のみんなに呼びかけてくれる?」
「了解!」
ザスパールはポケットから手のひらサイズの美しい巻き貝の殻を取り出した。
彼はその巻き貝を口元に当て、歌うような声で囁く。
「西の――森の中――大きな針葉樹――集え――仲間たちよ――」
ザスパールが口元から離しても、巻き貝の中で彼の歌声がリピートしている。
「これで伝わるはずだ」
「うん。……夜が明けるわね」
森の木々の間から、光の筋がいくつも射してきた。
霧が晴れて、緑が鮮やかに輝いていく。
「いよいよだな。さあ、旗揚げだ!」
「ええ!」
一方、その頃。
ベル騎士団は酷いぬかるみの中にいた。
泥にはまる右足を引き抜いて一歩踏み出すと、次は左足がはまっている――そんな深いぬかるみだ。
「あー! もうっ! あー! もうっ!」
団長のベルは文句を言いながら大股で歩いている。
そのあとに少し距離を置いて男三人が続く。
「……なあ、オズ」
「何だよ、ギリアム」
「俺さ、ベルってもっと大人な奴だと思ってた」
「奇遇だな、俺もだよ。気は強いにせよ、物静かっていうか、論理的っていうか」
「そう! 今じゃヒス起こしたうちのオカンそっくりだよ」
「お前、母親をオカンっていうのか」
「悪いかよ! うちの地域はみんなそうだよ!」
「別に悪いとか言ってねぇよ。レントンは母親をなんて呼んでんだ?」
するとレントンがちらりとオズを見て、言った。
「母上、だ」
「「おぉ……」」
「何だよ、二人してその反応!」
「いや、バカにしてるとかじゃないんだよ」
「そうそう。何か家格の差を思い知ってったいうか」
「――あなたたち。楽しそうね?」
見れば、ベルが立ち止まり、腰に手を当てこちらを睨んでいた。
「遊んでたら日が暮れるから。急いでくれる?」
オズが笑う。
「気が
「もたもたしていい理由にはならないわ」
「焦りすぎだっつってんの」
「そんなこと――」
そのとき。
「んっ?」「何だ?」「ヒィ!」
オズを除く三人が、同時に短い声を上げた。
「お、おい。どうしたんだ?」
一人事情が分からないオズが三人に問うが、三人とも自分の身体や鞄をしきりに気にしている。
「あった」
ベルが鞄の奥から取り出したのは、爪先ほどの小さな巻き貝の殻だった。
遅れてレントンが、最後にギリアムが同じものを取り出す。
「それって」
オズが三人のてのひらを覗き込む。
小さな貝殻は小刻みに振動しているようだ。
「何か聞こえる……」
ベルが貝殻を耳元へ運ぶ。
「西の――森の中――大きな針葉樹?」
レントンが手を叩く。
「集合場所か!? 直前に配られた
ベルも嬉しそうに頷き、慣れた動きで地図を取り出した。
「今、私たちはベルム中心に広がる湿地帯に入ったところ。南東から入ったから、集合場所は西の森で、湿地帯のほぼ反対側。このまま湿地帯を踏破するのもひとつの手段だけど――」
レントンが首を横に振る。
「場所がわかったんだから湿地帯にこだわる必要はないんじゃないか? 湿地帯を出て、南に迂回して向かったほうが早い。なんせこのぬかるみだからな」
「そうね、私もそう思う」
「しかしこれ、便利な術だな」
「術なの? 魔導具かと」
「ザスパールの術だろう。気に喰わない奴だが、気の利いた術をいくつも持ってる」
「へえ」
ギリアムが明け方の空を見上げ、ぽつりと漏らす。
「あいつら、元気にしてるかな……」
「いつものお供のこと? 集合場所に行けばわかることよ、ギリアム!」
「っ、ああ! そうだな! ようし!」
そうして意気揚々と出発しようとした三人だったが、残り一人の異変に気がついた。
オズがぬかるみの中で膝を抱えてうずくまっている。
「ど、どうしたの、オズ?」
ベルが恐る恐る尋ねると、オズは遠い目で呟いた。
「俺、もらってない……貝殻……」
「あっ! えと、そうなんだ……」
「一応、ジュノー派なのに……」
「わ、忘れてたのよ、うん」
レントンがオズの肩を叩く。
「そうだぜ、オズ。そんなにへこむなって」
「だって……ギリアムすらもらってる……」
「ああ……それはへこむな」
「レントン! ちゃんと励まして!」
するとギリアムが親指と人差し指の間に貝殻を挟んで、オズに見せびらかした。
「えっ。オズ君、これ持ってないの? ガチで? ヒャー! かわいそー!」
「やめなさい、ギリアムっ!」
「オズ……不憫なやつ」
「レントンも!」
「ベルおれもうむり……」
「ほらぁ~! オズ、お願いだから立ち上がって。ね?」
オズはふるふると首を横に振った。
「もういいんだ……ずっとここにいる……」
「ああ、もう……」
ベル団長の苦難は、まだまだ終わりそうになかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます