第135話 秘密の儀式―ロザリー
ロザリーが濃紺の淵を泳ぐ。
同級生たちと離れると森はいっそう密やかで、自分が立てる水音だけがこだまして聞こえる。
水は冷たいが凍えるほどではない。
緩やかに水面を渡り、やがて小島に辿り着いた。
ほとりの岩によじ登ると、すぐそこに小さな神殿が見えた。
濡れたローブの裾を搾り、髪を振って水気を落としながら、神殿を見渡す。
神殿は酷い有り様だった。
屋根は完全に落ちて、壁も柱も残ってる場所のほうが少ない。
廃墟と言って差し支えない建物だった。
ロザリーは濡れて透けた身体を腕でかばいながら中へと入った。
床の中央部は完全に水没していた。
今、ロザリーが立っている場所と、ちょうど反対側――男子生徒が来るであろう場所だけが沈まずに残っている。
見上げると、満天の星。
暗い森の中にいるせいか、星の輝きがいっそう賑やかに鳴っている。
ふと、わずかに水音が聞こえた。
少し遅れて、対岸に人影が。
小柄で、金髪が波打っている。
「ウィニィ?」
相手もこちらに気づき、驚いた顔した。
ウィニィは神殿の手前で立ち止まり、無言でロザリーを――彼女の身体をまじまじと見つめた。
「ウィニィ」
「ああ、うん?」
「見過ぎ」
「あっ!? す、すまん! あんまり綺麗で!」
「あのねぇ、ウィニィ」
「儀式で嘘がつけないから!」
「たぶん、まだ儀式始まってないと思うけど」
「えっ? そうなのか?」
「……いいから入ったら?」
「あ、ああ」
ウィニィが華奢な身体を曲げて、ゆっくり神殿に入ってくる。
その姿にロザリーは違和感を感じた。
(……今日のウィニィ、何か変)
と、そのときだった。
「えっ!?」「うっ!」
天上に瞬く星々が、二人の間の水に鏡のように映る。
水面の星々は鮮明に輝き、もはや星空そのもの。
天地が逆転したような不思議な感覚に二人は陥り、目が眩んで思わずその場に座り込んだ。
「くっ……ロザリー、平気か!? とにかく落ち着くんだ!」
「……大丈夫よ、ウィニィ。あなたこそ落ち着いて」
「僕たち……術に囚われた?」
「そのようね」
(
周囲の光景がグルグルと回っているように感じる。
が、不思議と気分は悪くない。
(でも、立てない)
たしかに見えるのは、座り込んだお互いの姿だけ。
二人だけの世界にあって、ロザリーは先ほどの違和感の正体に気づいた。
星の光に照らされて、ウィニィの身体がはっきりと見える。
「ウィニィ、あの、それって……」
ウィニィはハッとして、背を丸めて身体を隠した。
そのまま目を伏せて黙りこむ。
「これってもしかしたら術のせいかも……でも、術に囚われる前からそう感じたし……」
ロザリーは意を決して疑問を口にした。
「ウィニィって……女の子、なの?」
痩せ型なせいもあり、女性らしい曲線は控えめだ。
だが胸の白く柔らかなふくらみは、明らかに女性特有のもの。
ウィニィはゆっくりと視線を上げた。
「それがロザリーの質問か?」
ロザリーはしばし考え、それからコクコクと頷いた。
相手は王子であるウィニィだから、考えて質問すればすごい秘密を聞きだせるかもしれない。
しかし今、これ以上に聞きたい質問などなかった。
ウィニィは凛とした声で答えた。
「そうだ。僕は女だ」
ロザリーは目を丸くした。
「で、でも! そんなの、寮生活でどうしてバレない……あ、王族専用個人寮!」
「そういうこと」
「あ、でも。ジュノーは? 許嫁でしょう?」
「ソーサリエでジュノーだけは知ってる。……いや、ロザリーで二人目か」
「ジュノーは相手がお姫様だと知ってて婚約したってこと?」
「そうだ」
「なぜ? なんのために?」
「そりゃあ王家と繋がれるんだ、おかしい事じゃない」
「そうじゃなくて。なんで女のフリなんかしてるの?」
瞬間、ウィニィの顔が苦渋に満ちたものになる。
「ウィニィ、大丈夫?」
「っ、ああ……でも……ほんとに答えなきゃいけないんだな……」
儀式の強制力が、ウィニィの口を動かす。
「僕の〈
「
「
「ウィニィはそれを持ってるのね?」
ウィニィは金色の瞳を見開いた。
「僕の目は真贋を見極める」
「本物か偽物か、見ればわかるってこと? 例えば金貨を見て、それが粗悪な偽物だとすぐわかるみたいな……」
「そう。人もな」
ロザリーが眉を寄せる。
「……人?」
「僕はロザリーを初めて見たときから、君の持つ力に気づいていた。一目見ればわかるんだ、いくら隠していても」
「!」
「父王が言うには、この
「……絶対に選択を間違えなくなる、ってこと?」
「そのようだ。だから僕は王家に居続けなくてはならない」
「あ! そっか、そういうこと。ユーネリオン王家は男子継承で、王女は家に残らないから」
「女の僕はいつか降嫁することになる。でも父王は僕を――僕の
「じゃあジュノーとの婚約は偽装? 女だとバレないための」
「偽装……というのかな、この場合。実際僕は男として、ジュノーを妻として生きていくことになるのだろうから」
「……そっか」
それっきり、ロザリーは言葉が出なくなってしまった。
王家に生まれ何不自由なく暮らしていると思っていた同級生は、そう生まれたために縛られて生きていて、これからも縛られて生きていくという。
いま何か話し出せば、同情や憐れみとなりそうだった。
すると、ウィニィが口を開いた。
「僕の番でいいか?」
「ん? 何が?」
「質問だよ」
ロザリーはハッとして、姿勢を正した。
「どうぞ」
ウィニィはスーッと大きく息を吸い込み、話し出した。
「僕はロザリーが好きだ」
ロザリーはキョトンとして固まった。
「……それ、質問?」
「焦るなよ。これは前置きだ」
「はあ」
「顔が好きだ。輝くような黒い髪も、紫水晶の瞳も。特に、冷たそうな生白い肌が好きだ」
「……うん」
「横顔も好きだ。紫の瞳にかかる長いまつげがよく見えるから」
ロザリーは恥ずかしくなって、両手で顔を覆った。
しかしウィニィは止まらない。
「声も好きだ。細くて長い指も、背中から腰にかけてのラインも――」
「――ちょっ、ちょっと待って!」
「なんだよ」
ロザリーは耳を紅くして口を尖らせた。
「そんなの聞かされて、私どうすればいいの!?」
「仕方ないだろう、嘘をつけないんだから」
「ウィニィは言ってて恥ずかしくないわけ?」
「もう今さらだよ、一番隠しておきたかったこともバレちゃったし。それとも、女同士でこんな気持ち、おかしいと思うか?」
「おかしくは、ない。でも、もういいよ、うん。気持ちは十分わかったしさ」
「そうか? まだまだ好きなところはあるんだが」
「十分だってば」
「……でも、一番好きなのは」
「えーっ、続くの?」
「恐ろしく強いところだ」
意外な答えに、ロザリーは目を瞬かせた。
「……そうなの?」
「ロザリーに恋したのは初めて見たとき。一般的には一目惚れってやつだな。でも――僕の場合は少し違う」
ロザリーがその意味に気づく。
「そのとき、ウィニィには私の魔導が見えていた……?」
ウィニィが頷く。
「父エイリスは獅子王の名に恥じぬ魔導者。兄ニドは王国最強の騎士。幼い頃から理解してた、僕は二人には遠く及ばないことを。父王は言った、神はその代わりに僕に眼を与えたのだと。でも、わかるからこそ父が怖かった。見えるからこそ兄が怖かった。僕にとって王家は牢獄だ。抗いようのない二頭の巨獣と同じ牢獄に、虫けらの僕は繋がれているんだ。それはずっと変わらないと思っていた。……でも、君を見てしまった」
ウィニィの眼に涙が浮かぶ。
「きっと僕は、本能的に君に救いを見出してしまったんだ。君なら暗い牢獄から僕を連れ出してくれる。そんな哀れで無力なお姫様の願望が、この恋の幻想を創り出してしまったんだろう」
「ウィニィ……」
「待たせてすまない。これからが僕の質問だ」
ウィニィは涙を拭い、緊張した面持ちで質問した。
「僕は君が好きだ。でも僕の愛は不純だ。こんな好意、嫌だよな? 迷惑だよな?」
ロザリーはしばし宙を見上げて、それから首を横に振った。
「ううん、嬉しいけど」
答えを聞いたウィニィはぽかんと口を開けて、意外そうに重ねて聞いた。
「ほ、ほんとか?」
「嘘はつけないから」
「好きでいてもいいのか?」
「好意を寄せられるのは嬉しいよ。ウィニィのことは好きだし――あっ、これはウィニィが言うような意味の
「わかってる。十分わかってるし、それで十分だ」
ウィニィは泣き笑いになって、何度も頷いた。
「決めた。僕はこの恋が本物だと証明する」
ロザリーが首を傾げる。
「それってどういう意味?」
「ロザリーと戦うってことさ」
「へっ? ますます意味わかんない」
「いいんだよ、これは僕の決心だから」
すると、そのときだった。
一陣の風が吹き、水面を揺らした。
映っていた星々が滲み、視界の混乱が治まる。
二人は立ち上がり、すぐに互いの異変に気づく。
「ロザリー。ローブが黒くなってるぞ」
「ウィニィも。儀式を終えた証明、かな」
ウィニィはほっと安堵した表情を浮かべた。
「助かったよ。どうやって帰ろうか本気で悩んでた」
「そうだよ! 白のままじゃ女の子だってみんなにバレちゃう。儀式のこと、ウィニィも知らなかったんだね」
「何も聞いてない。父上のことだから手を回してるだろうと思ってたけど……黒くなるの知ってたから黙ってたんだろうな」
「そうね。王族も例外なく受けるってヴィルマ教官も言ってたし」
ウィニィはふと、夜空を見上げて呟いた。
「……なんか、僕ばかり喋ってたな」
ロザリーがおどけて見せる。
「ほんとそう。私、もっと秘密を話したかったなー」
「えっ。じゃあ今からでも聞くけど」
「だーめ。……すっきりした?」
「何が?」
「そんな顔してる」
「そうか? ならそうなのかも」
「最後に、もう一つ聞いてもいい?」
ウィニィが眉を寄せる。
「もう秘密はないぞ」
「本当の名前は? 女の子として生まれたなら、女性としての名もあるんじゃない?」
するとウィニィはしばらく押し黙り、それから答えた。
「……ウィノーラ」
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