第136話 秘密の儀式―グレン
神殿のある小島からロザリーが戻ってきた。
水から上がった彼女の姿――黒く染まったローブを見て、女子生徒たちはそれが儀式を終えた証なのだと理解した。
ヴィルマがロザリーに声をかける。
「お疲れ様。悪いけど、みんなが終わるまで端のほうで待っててね」
ロザリーは頷き、言われた通り端の方へ移動して、地面に座った。
道を照らすカンテラが近くにあって、灯りが泉に滲んでいる。
儀式の前は不気味に感じた泉が、今はまったく違う印象を抱かせる。
ロザリーは膝を抱え、顔の下半分を膝の間に埋めた。
(暗い森にいて……)
(キラキラ綺麗で……)
(思い出すな、あのときのこと)
(ちっちゃい頃、グレンと山から見下ろした〝金の小枝通り〟)
(……グレン、誰とペアになるのかな)
――男子生徒が集う対岸。
こちらは女子生徒たちとは違い、常にざわざわとしている。
例年のことで慣れているのか、教官のウルスもそれを注意する気配はない。
そんな騒々しい中で、グレンは腕組みして目を閉じていた。
彼の近くの、二人組の生徒が話している。
「おい、聞いたか。ウィニィ殿下の相手、ロザリーだったらしい」
「うわぁ、マジか」
「何がうわぁ、なんだ?」
「大当たりだろう? 俺もロザリーの裸が見たかったぁ」
目を閉じたグレンの顔が険しくなる。
しかし生徒たちはそれに気づくはずもなく、会話は続く。
「え。お前、ロザリーのファンかよ」
「しーっ。隠れファンだから」
「隠す気ねーだろ。つーか、だったらロザリー派行けよ」
「はぁ……。何もわかっちゃいないな、お前」
「何がだよ」
「仲間になったって、彼女と
「……そりゃそうだろうけど。敵になるよりは可能性あるだろう?」
「どっちもノーチャンスだ。でも、敵になれば――」
「――なれば?」
「踏みつけにされて、見下ろしてもらえるかもしれない」
「ええ……? お前ってそういう……」
「罵声も吐かれるかも……ああ……」
隠れファンの生徒は恍惚とした表情を浮かべ、もう一人は呆れたように視線を逸らした。
すると逸らした先に、恐ろしい形相で睨みつけるグレンがいた。
遅れて隠れファンのほうも気づく。
二人は顔を強張らせ、逃げるように離れていった。
グレンは大きく息をつき、また目を閉じた。
(はあ。ったく……)
(こういうみんなでワイワイってのはどうも好きになれないな)
(気に食わない会話を聞く羽目にもなるし)
グレンは薄く目を開け、クラスメイトたちの姿を覗き見た。
(これって
(俺は一人がいい。一人が好きだ)
(……あいつだけは隣にいてもいいが)
そのとき、ウルスが名前の書かれた札を高々と掲げた。
「グレン! グレン=タイニィウィング! 島に向かえ!」
グレンは注意深く、ゆっくりと泉を渡った。
島の岸辺に辿り着き、勢いよく陸に上がる。
(神殿……というより遺跡だな)
濡れた白いローブが身体に張りついて気持ち悪い。
バサバサと揺らしてみるが、すぐに身体にくっついてしまう。
グレンは諦め、神殿へ向かった。
すでにペアとなる女子生徒が中にいた。
「遅いわ、グレン」
「すまない、ジュノー」
グレンの相手はジュノーだった。
紺青色の髪は水気を帯びていっそう輝きを増し、濡れたローブは背の高い彼女の身体のラインを露にしていた。
グレンは居心地悪そうに鼻を掻き、神殿の中に踏み入った。
そしてジュノーの対面まで進むと、天地が逆転した。
「ぐっ」「は、うっ」
二人は同時に立ちくらみ、その場に座り込んだ。
「これが……儀式の力?」
「そのようだ」
目が回る心地だが、互いのことだけはよく見える。
気がつくと、グレンはジュノーの身体を食い入るように見つめていた。
先ほどまでの居心地の悪さなどどこへやら。
女性が肌を晒していたら目を逸らすのがマナーだとか、そんな事はどうでもよくなっていた。
仕方ない、そういう儀式なのだから。
そうして曲線をなぞるように見つめていると、大声で名を呼ばれた。
「グレン!」
ハッと顔を上げると、ジュノーの怒った顔があった。
「なんだ、ジュノー」
「質問しないのかって聞いているの。ないなら私から聞くけど」
「そうか、そうだったな」
グレンは一瞬だけ考え、すぐに質問した。
「ウィニィとは
ジュノーは仰け反り、ますます怒り顔になった。
「っ。なんて品のない問いなの!」
「すまない。お前の身体を見てたら、口をついて出た」
「最低」
「すまない」
しかし儀式の強制力はそれで終わることを許さず、ジュノーの舌を動かした。
「……寝てないわ。私はそうしたいのだけど」
「ウィニィにその気がないのか?」
「ええ。きっと私に魅力がないのね」
「そんな事はない。お前は魅力的だ」
その答えにジュノーが怪訝そうな顔になる。
グレンはまた本能に忠実に答えてしまった自分に気づき、別の答えを探る。
「ウィニィはお前を大事にしてるんじゃないのか?」
グレンにしては上出来な答えだった。
だがジュノーは鼻で笑った。
「あなたに色恋のことで励まされるなんて。悪い精霊に騙されてる気分だわ」
「……だよな、忘れてくれ」
「そうするわ。じゃ、次は私の番ね」
ジュノーは質問を考えていなかった。
誰が相手でも、雛型の質問である「お前のひた隠す秘密は何か?」と問う気だった。
しかし、グレンにそんな秘密があるのだろうか。
あったとしてもジュノーにとってはつまらない、価値のない秘密である気がする。
それは許せない。自分は私生活に土足で踏みこまれたのに。
そう考えたジュノーはこう質問した。
「あなたはロザリーを愛しているの?」
きっと彼はそうだ。ロザリーを愛している。
ジュノーはそう確信していた。
答えをわかっているのに聞いたのは、グレンがそれを口に出せるタイプではないことも確信していたから。
儀式の強制力は自分で経験済みだ。グレンは答えねばならない。
さぞや答える際に苦しむだろう。
この問いは、そんなささやかな意趣返しだった。
しかし。
「ああ。愛している」
即答だった。
彼の顔には、いささかの苦痛も恥も浮かんでいない。
すがすがしそうにすら見える。
ジュノーは目を丸め、ただ「そう」と頷くしかなかった。
次の瞬間、互いのローブが黒く染まる。
「……儀式は終わりね」
思い通りにならなかった苛立ちを隠すように、ジュノーが背を向けて立ち上がる。
するとグレンが思わぬことを口にした。
「ジュノー。もう一つ聞いてもいいか?」
ジュノーが眉をひそめて振り返る。
「儀式は終わりよ」
「わかってる。それでも聞きたい」
「答える義理がある?」
「ない。気が乗らない質問なら、答えずに帰ってくれて構わない。儀式が終わっているなら強制力は働かないはずだ」
グレンの眼は真剣そのもの。儀式の最中よりも必死さを感じる。
グレンが食い下がってまで何かを尋ねようとしている。
その内容に興味を持ったジュノーは、もう一度その場に座り込んだ。
「答えないかもしれないわよ?」
「それでいい」
「そう。じゃあどうぞ」
グレンは少し言い淀み、それから問いを口にした。
「……ジュノーは人とつるむのは好きか?」
ジュノーは困惑した。
「それが私を引き留めてまで聞きたかったこと?」
「そうだ。答えたくないならいいんだ」
「いえ、答えるけれど」
ジュノーは宙に目を泳がせ、それから続けた。
「嫌いではないけど、特別好きというわけでもないわね」
「どっちなんだ?」
「どっちでもないってこと。なぜこんなこと聞くの?」
グレンは言葉に詰まり、顎に手を乗せ考え始めた。
酷く悩ましそうで、強く目を閉じたり、首を横に振ったりしている。
思わずジュノーが助け舟を出した。
「あなたは嫌い、なのよね?」
「そこがわからないんだ。嫌いだと思ってたんだが、もしかしたら苦手なだけかもしれない」
「そうね、あなたたち
グレンがジュノーを指差す。
「そう! そうなんだ、俺は
「ん? 違うの?」
「最近、楽しそうなんだ」
「誰が?」
「うちのクラスのみんなだよ。今までは俺と同じような連中ばかりだと思っていたのに、最近急にグループ作って動いたり、話しこんだりしてる」
「ああ、それは……もう最後だからじゃない?」
「最後? どういう意味だ?」
「卒業が近いでしょう? 甘く楽しい学生時代は二度と戻らない。あとで後悔したくないから楽しみ尽くそうとしてる。あるいは一足早いノスタルジーに酔って、同級生がすごく大切な友人たちに思えているのかも」
「ふう、む……」
グレンは腕組みしたまま、お辞儀するように前のめりになって固まった。
考え込むグレンに、ジュノーが吹き出す。
「フフッ。そうね、あなたは人と一緒が嫌いなんじゃないわ。単に馴染めないのね」
グレンがガバッと顔を上げる。
「そうなんだろうか」
「だって、嫌いならこんな質問して悩んだりしないわ。なに急に仲良しごっこしてるんだよ、って不機嫌になるだけ」
「……そうか。そうだよな」
「お役に立てて?」
「ああ。おかげで決心がついた」
「決心?」
「心底嫌いなら無理なのかもと思っていたんだが、苦手ってだけならそれはプライドが邪魔してるんだ」
「わからないわ、グレン。何の話をしているの?」
「
グレンの瞳は爛々と輝きだしていた。
ジュノーは
「俺も人を集めて戦うぞ、ジュノー」
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