第130話 祭りのあと

 歓声は上がらなかった。

 それどころか、しわぶきひとつ聞こえない。

 長い黒髪の少女がゆっくりと剣を納め、その足元に長身の男子生徒がうつ伏せに倒れている。

 結果は明らかだが、観客の誰も、何が起きたか把握できない。

 その状態に至る経緯――いかにしてロザリーがグレンを倒したか、それがまったく見えなかったからだ。

 二人の間から大きな激突音が聞こえただけ。

 しかしやはり、結果は明らかだった。


『勝負あり! 優勝は……ロザリー=スノウオウルッ!!』


 審判の務めを思い出したヘラルドが、遅れて宣言した。

 その声は静かだった観客席の隅々まで響き渡り、どよめきが波のように広がった。

 ヘラルドがロザリーに近づき、耳打ちする。


(ほら、剣を掲げて!)


 言われるがままに、ロザリーはもう一度剣を抜き、それを高々と掲げた。

 顔を見合わせたり、何が起きたか話していた観客たちがそれに気づく。

 あちこちから拍手が起こり、一人、また一人と立ち上がり、やがて万雷の拍手に包まれた。


 そのとき、闘技場の貴賓室では。

 拍手をしながら、高位貴族たちが噂していた。


「見えたか?」

「いや……貴殿は?」

起こり・・・はわかったが、ううむ」

「あの尋常ならざる魔導――本当に学生ですの?」

「レディ、ご存じない? 彼女はアトルシャンの一件の」

「ああ、あの!」

「我が騎士団に是非とも欲しい逸材ですな」

「卿こそ知らぬのか? 彼女は宮中伯のお気に入りだ」

「ほう、そうなのか……」

「困ったものですわ。あの方は何をするにも手が早い」


 噂に興じていた貴族たちの目が、ある瞬間、一斉に同じ方向を向いた。

 獅子王エイリスは玉座から立ち上がったからだ。


「陛下……」「陛下……」


 貴族たちの間に道が開き、エイリスがその上を歩いていく。

 貴族の一人が歩み寄り、伏し目がちにエイリスに声をかけた。


「陛下」


 エイリスは歩きながら、視線だけを向ける。


「何だ、コルヌ伯爵」

「優勝したスノウオウルへお言葉をかけに?」


 エイリスは笑って首を振った。


「いや。この足で黄金城パレスへ帰るとも」


 するとコルヌは嬉しそうに何度も頷いた。


「ご高見でございます。スノウオウルは鳥の名の学生。ことさらに称えてやることはありませぬ。鳥籠の子供らしく、首輪を付けて便利に使う程度が好ましいのです」


 するとエイリスの足が、はたと止まった。


「……卿の目は節穴か?」


 コルヌの身体がビクンと揺れた。

 貴賓室が静寂に包まれる。

 コルヌは恐る恐る、上目でエイリスを覗き見た。

 言葉は強かったが、圧するような魔導は感じられない。


「出過ぎたことを申しまして……」

「スノウオウルは今、己の力を見せたであろう。あの魔導に匹敵するものがこの部屋におるか?」

「は、それは……」

「あれを正確に測れた者は? 余の他にどれほどおる?」


 コルヌはじわりと汗をかき、返すべき言葉を探している。

 エイリスは、ふ、と笑い、また歩き出した。

 護衛の騎士によって扉が開かれ、部屋を出るときにエイリスが振り返った。


「本物だ」

「は。……はっ?」

「首輪など何の意味があろう。あれは本物。四人目・・・だ」

「四人目? ……っ、まさか! 大魔導アーチ・ソーサリア!?」


 エイリスは答えず、貴賓室を去っていった。


 審判役のヘラルドは、優勝者の勝ち名乗りを上げたあと、すぐに魔導拡声器ラウドヘイラーを手に叫び続けていた。


『なんという鮮烈な幕引き!』

『まさに圧倒的!』

『これほどの強者が現れるのは、黒獅子ニド以来か!』


 彼の台詞を聞いたロロは、得意げにルークを見下ろした。

 当のルークはロザリーの優勝こそ嬉しいが、どこか面白くなさそうである。

 ウィリアスが渋い顔で口を開いた。


「想像以上だ。俺たちはグレンじゃなくロザリーのほうを過小評価していたらしい」

「その通りですっ!」

「ま、嬉しい誤算だねー」


 しかしウィリアスは、渋い顔のまま首を横に振った。


「いや。これはよくない」


 ロロとルークは顔を見合わせた。


「「なんで??」」




 翌日、旧校舎。

 ロザリー派秘密の・・・作戦本部。


「それではロザリーの優勝を祝して……かんぱーい!」

「「かんぱーい!!」」


 ロザリーを含む二十名ほどがリビングで杯を掲げ、入りきらなかった者たちは吹き抜けの手すり越しに杯を掲げた。


「おめでとう、ロザリー!」「よくやった!」「おめでとー!」

「ありがと、アイシャ、ラナ、ルーク」


 ロザリーが祝福に来た三人と杯をぶつけた。

 次にやって来たのはロロ。


「ロザリーさんっ、おめでとうございます! 私、信じてました!」


 ロロは杯の底に左手を添えて、控えめにロザリーの杯にぶつけた。


「ふふ。ありがと、ロロ」


 ロロは照れ臭そうにこめかみを掻き、その場を後にした。

 その後も派閥の面々が次々に祝福に訪れ、それが終わる頃にはロザリーの杯の中身はすっかり冷めていた。

 ロザリーが頭上を見上げて言った。


「祝勝会なんていいのに」


 見上げた先――吹き抜けには、『祝! 剣技会優勝!』の横断幕が渡されている。


「いいじゃんいいじゃん、たまにはさ」


 乾杯の音頭をとったオズが、ロザリーの肩に手を回しながら言った。


「オズの発案?」

「うんにゃ。ロロ」


 ロロを見ると、彼女は優勝した本人より嬉しそうに仲間たちとはしゃいでいる。


「嬉しくないのか?」


 オズに問われ、ロザリーは宙を見上げて考えた。


「ん~、嬉しいかも」

「だろ? ならこれでいいんだ」


 そう言ってから、オズはリビングに響く大声で言った。


「今日は俺の奢りだ! じゃんじゃん飲んでくれ!」


 リビングは一瞬静まり返り、それから不平不満の声が飛び交った。


「奢りって、これ食堂のテイクアウトのコーヒーじゃねーか!」

「ほんと、どういうつもりで言ってるの?」

「せめて自分で豆買って入れるとかさあ」


 オズが不満げに口を歪ませる。


「しょうがねーだろ、学内でグラスにシャンパンとはいかねーよ。ロザリーはそんな事言わねえよな?」


 するとロザリーはお腹を押さえて言った。


「食べ物がない……」


 オズが目を押さえて仰け反る。


「お前まで! 坊ちゃん嬢ちゃん方は用意してもらえる有難みをわかってねえ!」

「だって、魔導使うとお腹減るんだもん」

「ったく!」


 大袈裟に悔しがって見せるオズに、仲間たちが笑う。

 オズはコーヒーを一気に飲み干し、それから仲間の一人に目を止めた。


「お前も不満そうだな、ウィリアス」


 壁にもたれていたウィリアスが目を細める。

 ふーっと息をつき、それからロザリーのほうへ歩いてきた。


「……ロザリー。やりすぎだ」

「ごめん、ウィリアス。そうよね、祝勝会なんて最終試練ベルムの後にすべきよね」

「そうじゃない。わかっているだろう」


 ウィリアスの低い声に、リビングの祝勝ムードが消えた。


「もっと手こずって見せるべきだった。特にグレン戦だ、奴を一撃で倒すことが何を意味するかわかるか?」


 二階の手すりにもたれかかっていたアイシャが言う。


「三年生、他の誰でも一撃で倒せるってこと」

「そうだ」

「でもさ、もう関係なくない? ロザリーがめちゃめちゃ強いことはみんな知ってた。それが思ってたよりもっと強かったからって、何も変わんない」

「俺もそう思うよー?」


 今度はソファに足をのせて座るルークが口を開く。


「ウィリアスはさー、俺ら以外の三年生全員が結託して向かってくることを心配してるんだよねー? ロザリーには勝てない。だったら全員でかかるしかない、ってさ。でもそれって、剣技会の前からそうだよ。うちの人数も、ここにいる四十三人から増える要素はなかった。なら、アイシャの言う通り何も変わんないよー」


 すると、あちらこちらから賛同する声が上がった。


「少数派なのは今さらよね」

「そうそう。知ってて入ったし」

「むしろプレッシャー与えたんじゃね?」

「それはあるぜ。昨日食堂で、ジュノー派がいつも陣取ってるテーブルに先に座ってやったんだ。そしたら連中、文句言うどころか寄ってこなかった」

「マジ? いい気味だな。俺もやろっと」


 ウィリアスは苦虫を噛み潰したような顔で、何度も頭を横に振った。


「違う、そうじゃないんだ」

「ウィリアス?」


 心配になったルークが彼の様子を窺う。

 ウィリアスは厳しい顔でロザリーを見つめた。


「不安なのはソーサリエの外のことだ。保護者を含む大勢の貴族がロザリーの力を目の当たりにしたんだ」


 ロザリーが尋ねる。


「それが?」

「貴族というのは、血統によって特権を与えられた者たちだ」

「あなたのようにね」

「そうだ。じゃあお前は?」

「皇国の血筋で、イレギュラーな死霊騎士ネクロマンサー。貴族にとっては異物よね」

「伝統的に与えられてきた特権を脅かされるかもしれない。貴族は本能的に排除しようとするだろうよ」

「それって、剣技会で力を見せたことと関係ある?」

「弱ければいいんだ。魔導弱き者なら、高位貴族たちは歯牙にもかけない」

「それでも並の貴族に排除されそうだけど?」

「並の貴族なら俺が守ってやれる」


 ロザリーがハッとウィリアスの目を見つめる。


「貴族の戦いは剣技会とは違う。もっと陰湿で、見えないところで起きるものだ。お前がいくら強くても、戦いの場に立つこともなく排除される」


 ロザリーはそのまましばらくウィリアスの目を見つめていた。


「……心配性ね、ウィリアスは」


 そう言って彼に背を向け、部屋の出口へと歩き出した。


「ロザリー、どこへ行く?」


 ロザリーは顔だけ振り返り、手をひらひら振った。


「食堂! 言ったでしょ、お腹空いたの」

「話は終わってないぞ!」

「大丈夫。心配しないで」


 そう言葉を残し、ロザリーは扉に消えた。




 剣技会が終わったその夜、レントンは再び実家であるニルトラン家へ戻っていた。

 以前とは違い、父に呼ばれソーサリエに届けを出してのことだ。

 家の門をくぐるとき、父に殴られてまだ治っていない頬骨がズキリと痛んだ。


「帰ったか、レントン」


 邸に入ってすぐ、そう出迎えたのは父――ニルトラン子爵だった。

 珍しく帰りが早かったようで、本を抱えて二階の書斎へ上がるところだった。


「はい、父上」


 レントンが緊張した面持ちでそう言うと、父は意外にも柔和な笑みを浮かべた。


「許可は取ってある。今夜はゆっくり休みなさい」

「はい」


 ニルトラン子爵は満足げに頷き、階段を上っていく。

 レントンは勇気を出して父に尋ねた。


「あの! ……お話とはなんでしょうか」

「ん? ああ、夕食のときに話そうと思っていたのだが……例の件だよ。けりがつきそうだ。お前には伝えておく」

「例の?」

「私がお前に手を上げたあの日。お前が話したことだ」

「……ラナアローズ!」

「その件だ」

「あいつはいったいどうなるのですか!?」

「彼女は卒業できないだろう」


 今まで怖々としていたレントンの表情が喜色満面に変わる。


「さすがは父上です! これでラナは終わりだ!」


 ニルトラン子爵は口に人差し指を立てた。


「宮中伯の許可は取りつけたが、少々乱暴な手段を使うことになってな。事が終わるまで家の外では口にするな。理由はわかるな?」

「わかります。……でもそれって、父上は大丈夫なのですか?」

「父を見くびるなよ? 私に繋がる証拠は何一つ残さないさ」


 レントンは嬉しそうに頷いた。


「さすがは父上です!」

「ああ、そうとも」

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