第128話 剣技会―準決勝

 闘技場では、唯一の準決勝が始まろうとしていた。

 ウィニィとジュノーの敗退により、もう一方の準決勝はロザリーが不戦勝で勝ち上がることが決定している。

 つまりこの試合の勝者が、決勝でロザリーと戦うことになる。

 この試合の審判に抜擢された新人教官の男性が、対戦する二人を呼び込む。


「東! 三年! ラナ=アローズ!」


 ラナは不敵な笑顔でグレンを見つめ、歓声に応える。


「西! 三年! グレン=タイニィウィング!」


 グレンはいつも通り表情を崩さず、相手に向かって一礼するだけ。


「抜剣!」


 二人は揃って前傾に構えた。

 継がれた矢のように、今にも飛び出さんばかりだ。


「はぁじめぇぇ!」


 新人教官の声が裏返った。

 一瞬の沈黙のあと、観客席が笑い声に包まれる。

 思わぬ出来事に意表を突かれたラナとグレンは、互いにその場で固まった。

 ラナがちらりと審判に目をやると、かわいそうに彼は耳まで真っ赤に染まっている。

 ラナはこれ見よがしに大きく伸びをした。

 隙だらけだが、グレンは仕掛けない。

 ラナは構わず、ストレッチを続ける。


「足の具合はどうだ?」


 グレンに問われ、ラナが笑顔を返す。


「心配してくれるの? ありがとう、優しいんだね」


 そう言って怪我したほうの足のつま先を地面に立てて、足首をぐるぐると回す。


「大丈夫。聖文術ホーリーワードで治してもらったから」

「そうか。じゃあ行くぞ」

「!」


 グレンがのっそりと、突然、仕掛けた。

 誘っていたはずのラナは虚を突かれ、ただ受けるだけになる。

 ガキンッ!!

 重い金属音とともに、ラナとグレンの視線がすぐそばでぶつかる。

 グレンが剣を絞ると、ラナは圧されながらも笑った。


「ふふっ、ムキになっちゃって。そんなにロザリーとヤリたい?」


 からかうような言い草に、グレンは短く答えた。


「当然だ」

「ほんとグレンの頭の中ってロザリーばっかよね」

「かもしれない」

「テレサ戦、見なかったの?」

「見た」

「じゃあわかるでしょ。私らに勝ち目ないよ、あれ。もう剣が巧みとかそういうレベルじゃないもん」

「そうか。……ふんッ!」


 グレンが力任せに剣を振り切った。

 飛ばされたラナは、両脚と剣を持たぬ左手で、猫のように着地する。

 グレンは追撃をかけず、ただラナを見下ろした。


「じゃあこの試合、勝つのは俺だな」

「は? 何言ってんの?」

「俺はロザリーに勝つつもりだ」

「!」


 グレンの剣先がゆっくりと動き、ラナの顔を指して止まる。


「でもお前は諦めたんだよな?」

「……くっ!」

「行くぞ、ラナ!」




 ――その頃。

 黄金城パレス、〝止まり木の間〟。

 部屋の主であるコクトーは、用を終えた書類の処理に追われていた。

 王の右腕たるコクトーの元には、日々大量の書類が集まる。

 その量は魔導院の一部署が扱うものに匹敵するほどだ。

 コクトーには誰にも劣らぬ記憶力がある。

 ゆえに一度目にすれば忘れないのだが、それでも見落としはある。

 それを見つけるために書類に目を走らせ、確認が済むと焼却場と化した暖炉へ放り込む。

 今朝、掃除したばかりの暖炉は、もう灰でいっぱいになってきた。

 仕方なく自分の手で灰を片づけ、また書類を燃やす。

 そうして書類の廃棄が終わり、手元に残った重要な数枚を本棚の隙間にねじ込み、コクトーはやっと椅子に座る。

 ため息をつき、首を回し、天井を見上げた。


「……上にも書架があればな。技師連にやらせてみるか? いや、それよりも暖炉の拡張が先か」


 彼には珍しい何もしない時間も、長くは続かなかった。

 扉がノックされ、居住まいを正す。


「入れ」


 扉が静かに、一定の速度で開く。

 扉の開け方ひとつでその人物の品がわかるものだ、とコクトーが感心していると。


「宮中伯」


 現れた長身痩躯の男は、コクトーにとって意外な人物だった。


「ニルトラン子爵」


 コクトーは立ち上がり、来客を出迎えた。


「珍しいな。貴殿がここに顔を見せるとは」

「珍しいも何も。私が宮中伯を訪ねるのはこれが初めてです」

「そうだったか。さ、入りたまえ」


 応接用のソファへ案内し、二人は対面に座った。

 ニルトランは直属ではないにせよ、コクトーの部下に当たる。

 噂通りの俊英で、家格や魔導頼みの者たちとは大違い。

 命令の意図をよく理解し、細やかな仕事ぶりの彼を、コクトーは数少ない〝使える部下〟と高く評価していた。


「今日は休みと聞いていたが」


 ニルトランは柔らかい笑顔を浮かべた。


「恐れ入ります。まさか私などの予定まで把握されておられるとは」

「たしか、ご子息の活躍を観に行くとか」

「ええ、剣技会へ。お恥ずかしながら、活躍とは程遠い結果でありましたが」

「恥じ入ることなどないだろう、無事に実習を終え、剣技会に出場した。実に順調だ、ご子息は騎士への階段を着実に上っている」

「そう、着実に・・・


 コクトーは、その返しにトゲを感じた。

 ニルトランは笑顔のままだが、その目は笑っていない。


「……何か私に言いたいことがあるようだな?」

「宮中伯、あなたは黄金城パレスで最も多忙な身。貴族的な回りくどい物言いはやめましょう」

「それは助かる」


 コクトーは一つ頷き、ニルトランの顔を覗いた。


「聞こう」

「私は闘技場を後にしましたが、剣技会はまだ終了しておりません。今頃は準決勝が行われている頃かと」


 コクトーが身を乗り出す。


「まさか、ご子息の試合の裁定に対する不満を私に言うつもりではあるまいな?」

「まさかまさか。そんなことを宮中伯に頼みはしません。レントンが負けたのは実力通り。納得しております」


 コクトーが不愉快そうに眉をひそめる。


「回りくどい物言いはやめたのだろう? では何が不満なのだ?」

「納得できない者が準決勝に残っておることです」


 その言葉は、コクトーに対する敵意さえ含んでいた。

 コクトーは宙を見上げ、それから一人の名を口にした。


「……ラナ=アローズか」

「さすがは宮中伯。ご明察です」

「他におるまい。あえて言うならスノウオウルだが――貴殿は魔導院派閥とは距離がある。彼女を敵に回す理由がない」

「おっしゃる通り。ロザリー=スノウオウルについて口出すつもりはありません。今のうちによしみを通じておきたいほど」

「だがアローズは違うと」

「……アローズの実習を世話したのは宮中伯だと聞き及びました」

「ふむ。それに何の不都合が?」

「無色です」

「私など魔導もないが」


 ニルトランは笑った。


「お戯れを。それを信じているのは脳筋貴族だけです」

「フン。それでは黄金城パレスは脳筋ばかりになってしまうが」

「事実そうなのでしょう。だから行動に移さない」


 ニルトランから笑顔が消える。


「たかが無色。学内に残ったところで騎士にはなれぬ。……皆がそう高を括っていたのでしょうな。だが現実はどうか。筆記試験で上位に入り、魔導量試験は学年六位。戦闘実技試験を兼ねる剣技会も、準決勝に残ったことで四位以内が確定。アローズは着実に・・・騎士への階段を上っている。そもそも、あなたが実習を世話しなければ起こり得なかったことだ」


 コクトーが鼻で笑う。


「好成績は実力の証明。私の行為は正しかったとも言えまいか?」

「愚かなことをおっしゃる!」


 ニルトランは激高し、立ち上がった。


「護られるべき民でもなく、護り手たる騎士でもなく! 無色は家畜に類すべき存在であろう!」

「始祖レオニードの言だな。術が使えず魔導も少ない色無しは、魔導を持たぬ民草より少し力があるだけの牛馬に等しいと」

「いかに剣や魔導に優れていようと、それは未熟な学生の内でのこと! 術の使えぬ無色に何ができようか! 騎士にしたところで役立たずで名ばかりの騎士にしかならないことは明白!」

「それはわからぬだろう。アローズのような無色の生徒は前例がない。試してみてはどうか?」


 今度はニルトランが鼻で笑った。


「あなたは無色が実際にはどれほどいるかご存じか? その数は王国騎士の総数を軽く上回り、一説には三倍以上もの無色がいるのだ! アローズを騎士と認めれば、我も我もと続くだろう! やがて穢れた血が貴族に多く混じり、血は薄まる! 王国に強き騎士は生まれなくなるだろうよ!」

「ふむ。たしかに、名家の子であっても無色であれば家名と貴族位を捨てるのが通例だ」

「そうだ。冷徹なまでに血を守り、力ある血統を保護する。それが建国以来、我が国に秩序をもたらしてきたのだ。王国生まれではないあなたにはわからないだろうが」

「いや、よくわかった」


 コクトーは膝を叩き、ニルトランを見上げた。


「無色を騎士にするということが、日頃言動に細心の注意を払う貴殿に、ここまで無礼な物言いをさせるほど許せぬことであることは、な」


 コクトーの射るような視線に晒され、ニルトランの顔が青ざめた。

 静かにソファに座り、俯いて、絞り出すように言う。


「……言動については謝罪いたします」

「スノウオウルを繋ぎ止めるためだ」

「は?」


 ニルトランが顔を上げ、コクトーを見つめる。


「私がアローズの実習に手を回した理由だ。私はスノウオウルを大魔導アーチ・ソーサリアだと見ている」

大魔導アーチ・ソーサリア!?」


 ニルトランが目を見開く。


大魔導アーチ・ソーサリア次ぐ・・、というお話ではなかったのですか?」

「表向きはそう話している。どこから国外へ漏れ伝わるかわからぬからな」

「……たしかに、そうすべきです。魔導院の計算した我が国の戦力値のおよそ七割は、王国所属の大魔導アーチ・ソーサリア三人によるもの。それがもう一人増えるとなれば、諸外国は黙っていない。皇国などはすぐにあれやこれやと手を打ってくるでしょうから」


 ニルトランは頷きながらそう言い、それから言葉を次いだ。


「……しかし、彼女は本当に? 大魔導アーチ・ソーサリアとそれ以下の騎士の間には大きな壁があります。次ぐ・・・騎士が百名いても、大魔導アーチ・ソーサリアの代わりにはならない」

「事実そうであるかは、騎士章を授与されるまでわからない。大魔導アーチ・ソーサリアの力は大魔導アーチ・ソーサリアにしか正しく測れないからな。だが、私は確信している」

「宮中伯が断言なさるのであればそうなのでしょう。しかし、にわかには……」

「それはいずれわかること。とにかく、私は貴殿の求めには応えらえない。スノウオウルは鳥の名だ、つまらぬことで母国へ飛び立つ動機を与えたくはないのだ」


 ニルトランはこぶしで口を覆い、しばし考えを巡らせた。


「……では、宮中伯はアローズに価値を見出しているわけではない?」

「アローズ自身にはいささかも興味はない」

「アローズが騎士になれずとも、宮中伯はお怒りにはならない。そうですね?」


 コクトーが目を細める。


「アローズを消すつもりなら、私は承服できぬぞ」

「まさかまさか! そのような乱暴なやり方では、スノウオウルに離反する動機を与えてしまいます。それでは宮中伯のご苦労が水の泡になってしまう」

「では、どうする?」

「アローズは卒業試験に落第する。それだけです」


 コクトーは言葉なく、ただ静かに頷いた。




 ――闘技場では準決勝が続いていた。

 一方的に攻めているのはラナだ。

 虚実織り交ぜ、惑わすように、鋭く剣を繰り出す。

 しかしグレンに間合いを制され、一撃も加えることができない。

 回避に専念しながら、グレンは興奮を隠せずにいた。


(絶好調だ)

(こんなに相手の動きが見えたことはない)

(ラナは強い。魔導はオズほどではないが)

(剣を深いところで理解してる、そんな感じだ)

(その剣が見える――いや、わかる)

(今の俺は誰にも負けない)

(ロザリーにだって!)


 グレンが不意に回避をやめて、逆に踏み込んだ。

 それは、ラナの技と技のつなぎ目だった。

 ラナの脳裏にアイシャ戦の終盤が浮かぶ。


(詰められ――膝ッ!)


 瞬時に技を膝蹴りに切り替える。が――


「あ」


 グレンは踏み込んだ一歩目で急停止していた。距離を詰めるべく起こした勢いは、踏み込んだ右足をバネのようにして伸びあがる力へと転化される。


「~っ!」


 ラナが見上げた時には、高々と掲げられたグレンの剣が空気を切り裂いて落ちてくるところだった。

 ラナは急いで剣を眼前に構えるが。


「あゔっ!」


 ラナの剣は真っ二つに圧し折れ、肩口を痛打した彼女は地面に崩れ落ちた。


「……ぐっ。ゔ~っ!」


 それでもラナは、震える手足で四つん這いになって立ち上がろうと試みる。

 そんな彼女の頬をかすめて、グレンの剣が降ってきた。

 剣は地面に突き刺さり、ラナの青い髪が舞う。

 ラナが小刻みに震えながらその剣身を見ると、痛みと恐怖で引き攣った自分の顔が映っていた。


「……参っ、た」


 掠れる声を聞き、審判を務める新人教官は右手を真上に掲げた。


「勝負ありっ! 勝者、グレン=タイニィウィング!」


 勝ち名乗りを受けたグレンが右手を掲げると、闘技場は拍手に包まれた。

 勝者を称える歓声があふれる中。

 グレンを冷めた目で見つめる生徒がいた。


「よかったな、レントン。ラナが負けてよ」


 友人からそう言われても、冷めた目の生徒――レントンは、にこりともしない。


「良いわけあるか。無色がベスト4だぞ? クソが」


 友人は困り顔で笑い、肩をすくめた。


「それに……俺はグレンだって好きじゃねえ」

「まあ、雛鳥だしな。でもロザリーには負けるさ、雛鳥の連覇はない。……ん? そういやロザリーも実は鳥籠出身だって聞いたような」

「チッ!」


 レントンは席を蹴って立ち上がり、忌々しげに吐き捨てた。


「面白くねえ!」

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