第127話 剣技会―準々決勝3

 準々決勝第三試合直後の観客席。

 ロロが、合わせた手を唇に当てて、熱っぽく語る。


「ロザリーさんっ、すごかったですねぇ!」


 ルークは無言で、まるで種を齧るリスのごとくコクコクコクコクと何度も小刻みに頷く。

 ウィリアスは退場していくロザリーの背を見つめ、しみじみと言った。


「本当に、ロザリーに付いてよかったよ」

「で?」


 ルークがウィリアスに問うが、ウィリアスは何のことかわからない。


「何がだ、ルーク」

「そろそろ教えてくれないかな」

「だから何を――」


 ロロが割って入る。


「――決勝トーナメントの組み合わせのことですよ。思惑たっぷりだって言ってたじゃないですか」

「ああ、そのことか」

「ええ」


 ウィリアスはふいっと闘技場へ目を向けた。


「見てればわかる」

「ええ? 教えてくれないのですかぁ?」

「なんだよそれー」


 不満げな二人に、ウィリアスは顔をしかめて言った。


「とにかく、四の五の言わず見てろ。すぐに終わるから」

「……すぐに?」「……終わる?」


 準々決勝、第四試合。

 お目当てのウィニィが入場すると、観客席が沸き立った。

 審判は黄クラス担当教官のリーンホースに代わった。


「東! 三年! ウィニィ=ユーネリオン!」


 ウィニィは歓声に応えなかった。

 集中しているのか、目を伏せている。


「西! 三年! ジュノー=ドーフィナ!」


 ジュノーも歓声に応える様子はなく、ただウィニィを見つめている


「抜剣!」


 二人が同時に模擬剣を抜く。


「始め!」


 いっそう大きな歓声が起こり、自然に手拍子が始まった。

 王子騎士がどんな戦いを見せるのか。

 観客が期待に胸をふくらませて、戦いの行方を見守る。

 そのときだった。

 ジュノーが剣を逆手に持ち替えた。

 そしてゆっくりと片膝をつき、剣を地面に突き立てた。

 それを見て、観客席のロロが驚きの声を上げる。


「まま、まさか! ジュノーさんが降参!?」


 これにはルークも驚いたが、すぐに納得した。


「考えてみれば、別に不思議じゃないよね。将来王家に嫁ぐ身なんだから、ウィニィに剣を向けないのは当然かも。――ウィリアスは、こうなると予想してたんだねー?」


 しかし、ウィリアスは小さく首を横に振った。


「いや、違う」

「違う?」

「ルークさん! 見てください、ウィニィさんが!」

「えっ?」


 ジュノーから遅れること、十数秒。

 今度はウィニィが片膝をつき、地面に剣を突き立てたのだ。

 ロロは唖然として、呟いた。


「……は? 両方が降参?」


 ジュノーとウィニィは互いに視線を合わせると、片膝の姿勢のまま頭を垂れた。

 審判のリーンホースが高々と宣言する。


「勝負なし! 引き分け!」


 闘技場がどよめいた。

 どういうことか、これで終わりなのか。

 そんな戸惑いの声があちこちで聞こえる。

 注目度の高い試合だっただけに、ざわめきは収まる気配がない。


 ジュノーとウィニィが退場すると、さらに騒ぎは広がった。

 ブーイングや言い争うような声も聞こえるようになってきた。

 とても次の試合を始められる雰囲気ではない。

 すると、誰もいなくなった試合エリアに、ソーサリエ職員が慌てた様子で入ってきた。

 手に持った魔導拡声器ラウドヘイラーを『ガ、ピー』と鳴らし、それから話し出す。


『ご観覧の皆様に、ただ今の試合についてご説明いたします』


 ざわめきが次第に静まっていく。


『準々決勝第四試合において、対戦する両者が同時に降参する〝互譲納剣〟が発生いたしました。これは決闘における正式な作法で、結果は引き分けとなります』


 それでも不満げな声が、四方からソーサリエ職員へ投げられる。

 そんな観客を諭すように、職員は滔々と語り出した。


『本来、決闘とは名誉と生命をかけて行われるもの。そのため、引き分けとなるのは相討ちのときくらいです。しかし、それでは困るケースがあります。腕前を見せるための決闘――この剣技会のような試合のケースです』


『こういった試合では、理由なく対戦者が決まります。望まない相手と戦うことがあるのです。それは親兄弟であったり、恋人であったり。または直接の主従関係であったり。逆に、仲が良くないからこそ、遺恨を避けたいといった場合もあります』


『そして第四試合の二人は――婚約関係にあります』


 再び観客席がどよめいた。

 ウィニィの婚約は市民にも知られていたが、この対戦者が婚約者だとはほとんどの者が知らなかった。


『剣技会は競い合い、高め合う理念の元に行われます。が、婚約関係にある二人は互いの名誉、そして何より相手に剣を向けたくない、傷つけたくないという思いこそが〝互譲納剣〟という形になったのです』


 観客席に感嘆の声が広がっていく。

 その雰囲気を感じ取り、ソーサリエ職員がとどめの一言を放った。


『皆様、どうか罵声ではなく拍手を! 若き二人の未来を祝福しようではありませんか!』


 わあっ、と闘技場が揺れ、万雷の拍手が巻き起こった。


 拍手しながらルークが言った。


「それっぽい説明だけど、これ本当の理由じゃないよねー? 剣技会は模擬剣だし、治療のために聖騎士が控えているから、重傷者なんてまず出ないもん。でも、こうなることウィリアスはわかってたんだねー?」


 ウィリアスもまた、拍手しながら答えを返す。


「彼女の目線に立てば簡単さ」

「彼女……ジュノーさんの目線、ですか?」


 ロロが小さく拍手しながら問うと、ウィリアスは頷いた。


「剣技会は三年にとって最終試練ベルムの前哨戦みたいなものだ。派閥のリーダーは無様な姿を見せられない。成績如何では、本当にこいつに付いていっていいのか? と疑念が生まれるからな。弱いリーダーには誰もついていきたがらない」

「なるほど……ジュノーさんは最大派閥のリーダーですから、最も影響が大きい。優勝するのが一番望ましいわけですけど――」


 ルークが笑って首を振る。


「――それは無理な話だよねー。ロザリーがいるもん」

「となると、重要なのは負け方……?」


 ウィリアスが「その通り」と大きく頷く。


「ジュノーにとって、決勝トーナメントに残った時点でノルマ達成なんだろう。じゅうぶん好成績だしな。あとは、いかに穏便に負けるかだが……」


 ウィリアスは少し思案し、それから続けた。


「ロザリーは絶対にダメだ。手も足も出ずにボコられる可能性がある。そうなれば面目丸つぶれ。最悪、派閥崩壊なんてこともありうる」

「グレンにも負けたくないよねー。ボコられることはなくても、別派閥のリーダーだしさー」

「私なら、オズ君にだけは負けたくないです。だって、オズ君ですよ? 負けたらすっごくへこむと思います」

「だってさ、オズに負けたウィリアスさん。実際のところはどうなの? へこんでるの?」

「うるさいぞ、ルーク。……ラナやアイシャ、テレサには勝つ自信があるのだろうが、それも絶対じゃない。となると相手はウィニィ一択だ。王子たる彼の前で膝をつくことは恥ではないし、面目を保ちつつトーナメントから降りることができる。だがここで、剣技会運営の思惑が出てくる」


「「運営の思惑?」」


「剣技会運営は王子騎士ウィニィに大いに活躍してもらい、観客を喜ばせてほしい――そういう思惑だと俺たちは想像してた」

「ええ」

「違うの?」

「違うな。運営の思惑は、王子騎士ウィニィに恥をかかせることなくご退場いただくこと、だ」

「ええ!? それじゃジュノーさんとまるで同じじゃないですか……!」

「そうか……でもそりゃそうなるよ、ロロ。だって王子様だもん。派閥どころか王家の話になるんだもん。悲惨な負け方なんてした日には運営の人たちどうなるか……」


 ここでウィリアスが指を立て、ロロとルークに質問した。


「もしジュノーだけが降参するなら当然ウィニィは勝ち進むわけだが……その場合、準決勝の相手は? 単純に魔導量から予測するなら、怪物ロザリーか、加減を知らないグレンか、トラブルメイカーのオズの誰かだ。俺が運営なら震えるね」


「なるほど……互いの思惑が合致しての〝互譲納剣〟であると……」

「めでたしめでたしってわけねー」


「思いつけば、これしかないと言える妙案だ。剣技会で〝互譲納剣〟がどう扱われるかも、おそらくジュノーは知っていたのだろう」


 ルークがきょとんとしてウィリアスを見つめる。


「どうって、引き分けでしょ?」

「そう、引き分けだ。負けではないので、勝ちの半分の点がつく」

「えっ! そうなの!?」

「これでジュノーとウィニィは同率四位が確定。戦わずしてオズやアイシャより成績は上になったわけだ」

「ジュノー、抜け目ないなー」

「でも……」


 そう言って口を噤んだロロに、ウィリアスが尋ねる。


「なんだ、ロロ?」


 ロロは眉を寄せて言った。


「ウィニィさんは納得しているのでしょうか? これってジュノーさんと運営の思惑で、彼の思いは何も……降参するまで時間かかってましたし……」


 ウィリアスは答えに詰まり、絞り出すように言った。


「どう、だろうな……」




 準々決勝を終え、通路を歩くウィニィの顔は暗く沈んでいた。

 彼は意外にも、ロザリーとの戦いを待ち望んでいた。

 やっと戦える。

 きっと――いや、必ず負けるけれど。

 それでも。

 彼女の本質に、じかに触れることができる気がする。

 ウィニィはそう思っていた。

 だからこそ待ち望んでいた。

 なのに、その望みは絶たれてしまった。


 ――それは八強の紹介が終わった直後。

 機嫌よく通路を歩くウィニィに、ジュノーが後ろから駆け寄ってきた。


「ウィニィ様」

「ジュノー!」


 追いついたジュノーが、深く頭を下げる。


「やはり、ジュノーも残ったな」

「はい」

「もしジュノーと当たっても加減しないぞ。もちろんジュノーもするんじゃないぞ?」


 ウィニィが冗談めかしてそう言うと、ジュノーはバツが悪そうに目を伏せた。

 ウィニィが彼女の顔を覗き込む。


「ジュノー。どうした?」

「……ウィニィ様」


 ジュノーは顔を上げ、周囲に人影がないのを確かめてから、神妙な顔で話し出した。


「ジュノーは、一回戦でウィニィ様と対戦します」

「……なぜ知ってる? 組み合わせが決まるのはこれからだろう?」


 ジュノーはそれに答えず、話を次いだ。


「そこで我々は〝互譲納剣〟を行います」


 明るい表情だったウィニィの顔が、みるみるうちに不快感に歪む。


「なんだそれは!」

「ご存じありませんか? 〝互譲納剣〟とは決闘において互いに降伏して――」


 ウィニィがジュノーの胸ぐらを掴む。


「作法は知っている! 僕のいないところで、なぜ僕のことを勝手に決めるのかと聞いている!?」


 ウィニィは激昂していた。

 胸ぐらを掴んだ手を忌々しげに突き離し、その手で通路の壁を叩く。

 ジュノーにしても、ここまで怒ったウィニィを見たことがなく、かける言葉が見つからなかった。

 怒りに震えるウィニィは、踵を返して通路を戻り始めた。

 ジュノーが後を追う。


「ウィニィ様、どちらへ!」

「父上のところだ! 直談判する!」

「陛下のご意思ではありません!」

「嘘をつけ!」

「私です!」


 ウィニィの足が止まる。


「……なぜ、そんなことをする」

「私はウィニィ様以外には負けられないのです」

最終試練ベルムのためか」

「はい」


 ウィニィがゆっくりと振り向く。


「なら、僕に降ればいい。〝互譲納剣〟する必要はない」

「……そんなに戦いたいのですか?」

「ああ! そうだ!」

「散々に負けるとしても?」

「負けるのは嫌だ! だが勝ちを譲られるよりはずっといい!」

「!」


 そう言ったきり、ウィニィは唇を噛んで黙りこんだ。

 ジュノーが静かに語りかける。


「予選で誰も、ウィニィ様に剣を向けなかったのですね」

「……」

「決勝に残った者なら、戦いに応じてくれると?」

「……そうだろう。みんな誇り高い騎士だ」

「私は応じられません」


 ウィニィが苦笑する。


「そのようだな」

「テレサも降参します」

「なに!?」

「彼女の母親は王家を守る近衛騎士団キングズガードの長。王子たるあなたに剣は向けられない。当然のことです」

「それは、そうかもしれないが!」

「アイシャの兄君も王宮勤めですし、オズの家庭だって王宮に縁のある……」

「ちょっと待て! そんなこと言い出したら僕は誰とも――」


 そこまで言って、ウィニィは打ちのめされた。


『僕は誰とも本気で競えない』


 口に出さずに飲み込んだそのセリフが内臓に落ちて、全身から力が抜けていく。

 肩を落とす彼に、ジュノーが身体を寄せる。


「血筋を武器に勝ち上がることを良しとしない。ウィニィ様のそのお心を、私はとても好ましく思います。……しかし、変えられないのです。あなたは獅子王に連なるお方。その血筋に相手がひれ伏すのは道理なのです。ご自分に降参する姿をもう見たくないとお思いなら、やはり私とともにトーナメントから降りるべきです」

「……」


 ウィニィはただ、唇を噛むしかなかった。

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