第107話 一大事
数日後、朝。
ロザリーが一人、廊下を歩いていると。
「あっ。ロザリー」
向こうからウィニィが歩いてきた。
珍しく取り巻きを連れていない。
「ウィニィ、おはよっ」
すぐ近くまで来て、互いに足を止める。
「ロザリーも
「ん~、成り行きで。ウィニィも狙うよね?」
「えっ、あー、うん」
「お互い頑張ろうね。それじゃ!」
「あ、ロザリー」
「ごめん! 作戦会議に遅刻しそうなんだ!」
「そっか。……またな、ロザリー!」
「うん、また!」
ウィニィと別れ、ロザリーは旧校舎の作戦本部へと向かった。
廊下を抜け、校舎を出て、また別の校舎に入り。
そして旧校舎へと続く渡り廊下にさしかかったとき。
六人の男子生徒が渡り廊下でたむろしていた。
みな三年生で、クラスはバラバラ。
彼らはロザリーに気づくと、ニヤニヤと笑みを浮かべた。
(え、なに……?)
ロザリーが脇をすり抜けようとすると、一人が彼女の前を塞いだ。
方向を変えて、またすり抜けようとして、再び前を塞がれる。
「何のつもり?」
ロザリーが問うと、彼らはそれを無視して口々に話し始めた。
「なんか臭くね?」
「臭え、臭え」
「腐ってやがる」
「酷え臭いだ」
「なんの臭いだ?」
「死体だ。腐った死体の臭いだぜ」
鼻をつまんで笑い合う、男子生徒たち。
彼らを見て、ロザリーはようやく自分が揶揄われていることに気づいた。
だが、ロザリーはこうなるまで気づかなかった。
それはアトルシャン事件によって
絡まれない理由もわかっていた。
それは
異質な存在だが、勝てない相手だから近づかない。
利に聡い貴族たちはそう判断したのだ。
だからこそ、ロザリーは不思議でならなかった。
(なんでこいつら、今さら私に絡んでくるの?)
考えたところで、性根の腐った奴らの心中なんてわかるはずもない。
ロザリーはそう切り替えて、一歩踏み出した。
「通りまーす」
また、一人が前を塞ぐ。
「ここは通行止めだ」
ロザリーは鼻を鳴らし、構わず歩を進めた。
「おい! うっ!?」
ロザリーと胸をつき合わせる形となった生徒が、力負けして後ろへよろめく。
「止まれ! うっ、ぐうぅ……!」
足を踏ん張り、両手をロザリーの肩に突いて押しやろうとする。
だが、その姿勢のままずるずる後退していくだけ。
終いには残りの五人も加勢したが、それでもロザリーは難なく渡り廊下を渡り切ってしまった。
「ご苦労様。じゃあね~」
肩で息する六人を置き去りにして、ロザリーは立ち去ろうとした。
すると、一人が言った。
「ロザリー! お前、ラナを仲間に入れたんだってな! 色無し能無しと死体愛好家! まったくお似合いだぜ!」
それを聞いたロザリーは、ピタリと足を止めた。
半身で振り向き、その一人を指差す。
ギョッとして固まるそいつをよそに、ロザリーはその指を宙で遊ばせた。
不規則に指を動かし続け、最後に呪文を唱える。
「縫い付け完了」
その瞬間、指差された男子生徒の口が、塗り固めたように消えてしまった。
「っ? ……ン~ッ! ン~ッ!」
口のあった場所に爪を立て、必死にもがく男子生徒。
その様を見た他の五人は、凍りついたように動けない。
「私は解いてあげない。教官に頼みなさい」
そう言い残し、ロザリーは立ち去った。
――旧校舎、備品倉庫。
(ヴィルマ教官なら解けるよね?)
合言葉を唱えて倉庫に入り、悪魔鎧の裏の扉へ向かう。
(でも、【縫い針】知ってるかな。あれも古いまじないなんだよね……)
少し心配になりながら、絵の扉を押し開ける。
「ういーっす。……ってラナだけ?」
「ういーっす。私だけ~」
作戦本部は、ソファに寝そべるラナ一人だけだった。
「おかしいな。ロロ、私より早く出たんだけど」
「寄り道してんじゃない?」
「朝は一緒に食べたんだけど。他に寄り道するような用事あるのかな」
「ね、ね。それよりさ」
ソファの上を這いずって、ラナが近づいてきた。
「ここ、バスルームあったんだけど」
「貴賓室をそのままイメージしたからね」
「お湯、出る?」
「どうだろう。軟禁されてたときに風呂は使ってたから、イメージはできてると思うけど。ヴィルマ教官のバスルームもお湯は出てたし」
「確かめていい?」
「もちろん。でも、朝からお風呂?」
「寮で一番危ないのがお風呂なの」
「危ない? ……ああ、絡まれるわけね」
「そそ。じゃ、行ってくる」
ラナは跳ね起きて、バスルームのほうへ向かった。
しばらくすると、水の音が響いてきた。
「出るんだ。次はプールもつけてみようかな」
ロザリーはソファに腰を下ろし、ラナがそうしていたように寝転がった。
そのまま天井をぼんやりと眺めていると。
バーン! と音を立てて、入り口の扉が勢いよく開いた。
何事かとロザリーが身体を起こすと、ロロが血相を変えて部屋に入ってきた。
「ロロ! ビックリさせないでよ! 私より早く出たのにどうして――」
「――大変です、ロザリーさんっ!!」
はぁ、はぁと肩で息をしながら、絨毯に座り込む。
「ずいぶん急いで来たみたいだけど……何があったの?」
「それがですね、大変なんですよロザリーさ――」
「――なに? どうかした!?」
バスルームのほうから、風呂上がりのラナがやってきた。
物音に気づいて慌てて出てきたのか半裸で、髪からは雫が滴っている。
それを見たロロは、絨毯の上で仰け反った。
「わわっ! ラナさん! なんてはしたない恰好なんです!」
「え、そうかな?」
「下を履いてくださいっ!」
「履いてるけど」
ラナはバスタオルで隠れていた部分をめくった。
「あ……短パン……」
ロロは勘違いした恥ずかしさで、絨毯の上で丸く小さくなった。
ラナはさして気にしてない様子で、そのロロに尋ねた。
「で、さっきは何の騒ぎだったの?」
顔を伏せていたロロが、ハッ! と宙を見上げる。
「そうでした! 大変なんです!」
「ロロ。とりあえずソファに座ろう?」
ロザリーに促され、ソファに腰を下ろしてから、ロロはやっと
「私は今朝、ロザリーさんと朝食を食べて自室に戻り、そのあとすぐに部屋を出ました」
「そうそう。私より先に出たよね」
「部屋を出ると、緑のクラス生があちこちの部屋を回っていたんです。手分けして、声かけしているようでした」
「声かけ? 私の部屋には来てないけど」
ロロが目を細め、頷く。
「私たちの部屋には来てません。聞き耳を立ててみると、今から集まれと伝えているようでした」
ラナがふんふんと頷く。
「怪しいわね、それ」
「ええ。私も不審に思い、ついていってみることにしました。大勢だったし、紛れるのは簡単でした。……行き先は食堂でした。なんと、ジュノー派の集会だったんです!」
こぶしを握って熱弁するロロ。
ロザリーとラナは顔を見合わせた。
「……ロロ。それのどこが
「ジュノーたちだって作戦会議くらいするでしょ? 今の私たちみたいにさ」
「大変なのは、その規模です」
ロロが二人に見えるように、ゆっくり二本指を立てる。
「二人? ってことはないよね。……二十人?」
「ロザリー、そんなわけないでしょ。ロロ、二百人ってことよね?」
「えっ」
驚くロザリーに、ロロが目だけで頷く。
「しかも、そこに黄のクラス生はいませんでした。緑のクラス生のほとんどと、あとは赤と青のクラス生。これは大変なことです」
ロザリーが記憶を辿る。
「前に、オズが言ってた。ジュノー派の緑クラスとウィニィ派の黄クラスが合流すれば、三年生の半分――二百人の大勢力になるって」
「それでも見込みが甘かったわけです。現実は、黄クラス抜きで二百人。ウィニィ殿下が合流を決めると――」
「――三百人。三年生の四分の三がジュノー派になる」
「そういうことです。大変、危機的な状況です」
眉に皺を寄せ、口を結ぶロロ。
「でもさ」
拭き終えたタオルを首にかけ、ラナが言った。
「私思ったんだけど。こっちはヒューゴがいるじゃん。彼に攻めるか守るかしてもらえばよくない?」
ロロが首を傾げる。
「ヒューゴ? どちら様ですか?」
「私の使い魔。……そうだ、ロロの持ち物からカードが無くなってなかった?」
「無くしました! あれ? ロザリーさんに言いましたっけ?」
「それヒューゴがくすねたらしいの。ごめんね、今度返すから」
「それは大丈夫ですけど。そのヒューゴさんはお強いんですか?」
するとロザリーより先にラナが答えた。
「強いよ、ロザリーくらい強いよね?」
「ええっ!? なら、もう万事解決じゃないですか!」
期待に満ちたラナとロロの視線がロザリーの顔を覗く。
しかしロザリーは、バツが悪そうに下を向いた。
「ヒューゴは
「ええ~!?」「なぜです?」
「保護者づらするから」
「「はあ?」」
「とにかく、あいつは戦力に数えないで」
「でも、戦力が足りないじゃん。ぜいたく言ってる場合?」
「そんなつもりはないよ。でもヒューゴが言い出したことだから、たぶん私が呼んでも試験中は出てこないと思う」
「そうなの? なら仕方ない、のか? う~ん」
「とにかく、そのヒューゴさんの協力は得られないということですね。なら、ロザリーさん――」
そこまで言って、ロロは絨毯の上でロザリーのほうに向き直った。
「――今すぐ、人を増やすべく行動すべきです。それが戦力増強となり、敵の戦力を削ることにもなります」
「理屈はわかるけどさ」
ロザリーはソファに座ったまま、前屈みになってロロに答えた。
「そもそも、私に付く人なんているかな?」
ラナがニヤッと笑う。
「人望ないしね~」
「ラナ、うるさい。……ジュノーはさ、課外授業の頃から根回ししてたわけでしょ? 彼女とは人気も、準備も違うよ」
ロロが何度も頷く。
「そうですね、その通りです。しかし、ダメ元でもやるべきです」
ラナがポンと手を打つ。
「とりあえず、廊下に立って呼びかけしてみる? 名前書いたタスキ掛けて、通る人に握手してさ」
「それはやりたくないなぁ」
そのとき、部屋の扉が開いた。
「俺も人を増やすのは賛成だ」
オズだった。
ズカズカと部屋に入ってきて、三人の前を通り抜け、一番奥の一人がけのソファにドッカと座る。
ロロがジトッとオズを見た。
「……遅れてきて偉そうですねえ、オズ君」
「悪い、悪い。忙しくてな」
「そういやここ数日、顔見せなかったですね」
「ちょっといろいろ調べ物があってな」
「調べ物……?」
「まずはそっちの話だ。大方、食堂の集会を見て、ヤバいヤバい! って焦って人を増やそうって話だろ?」
「……別にそこまで焦ってはいませんが。大筋はそうです」
オズはソファにふんぞり返り、ポツリと言った。
「ジュノーの奴。ついに
ロロが訝しむ。
「晒し? どういう意味です」
「集まるなら別に食堂でなくてもいいだろ? ジュノー派は講堂や大教室をキープしてるんだから、絶対そっちでやったほうがいい」
「……言われてみればそうです。オープンな食堂では大事な話ができません。話が漏れてしまいますから。わざわざ食堂を選んだのは――」
「――見てほしかったのさ。皆に人数を見せつけることが目的なんだ。晒すのはリスクもある。手の内がバレちまうからな。だがジュノーは、それを差し引いても利益が大きいと判断したわけだ」
ロザリーが頷く。
「私たちでも焦るんだもんね。まだ誰に付くか決めてない人がその集会の人数を見たら」
「外から見てる奴もそうだが――集会に参加した中にもいるのさ。まだ決めてないけど、ちょっくら話を聞いてみるかって奴が」
「あぁ、なるほど。ってことは、二百人を額面通りに受け取らなくてもいい?」
「集会参加者=ジュノー派ではないな。でも、相当流れるだろう。現に、集会終わりにジュノー派加入を申し出る奴もいたようだ」
「そう……」
「で、うちも人を増やす話に戻るわけだが……ここで障害がある。うちの団長、ロザリー=スノウオウルは――」
「「――人望がない」」
オズの声とラナの声がピタリと重なる。
一瞬の間をおいて、ロザリー以外の三人が笑い出した。
ハイタッチするオズとラナ。
「ククッ。気が合うな、ラナ! いぇーい!」
「いぇーい! フフッ、だって事実そうだもん」
「いけませんよ、二人とも。本人の前なんですから、もう少しオブラートに……ぷぷっ」
三人が笑いながらロザリーの顔を覗き見ると、彼女は口をへの字に曲げていた。
三人がそれぞれにフォローする。
「ごめん、ごめん。これはロザリーの人格や見た目のせいじゃあ、ないんだよ」
「そうです、そうです。ロザリーさんはとても美しくて素晴らしい人です」
「前も言った気がするが、お前は
ロザリーが口を尖らせて言う。
「それで? 人望のない私にどうしろって?」
「拗ねるなよ。お前は何もしなくていい」
オズにそう言われ、ロザリーが眉に皺を寄せる。
「じゃあオズが?」
「いやいや。俺だって人望なんてないさ。ロロにだって、ラナにもない」
自覚があるのか、ロロとラナが頷いた。
「じゃあ、どうするの?」
ロザリーが問うと、オズがニッと笑った。
「とりあえず、ウィリアス誘わね?」
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