第106話 大教室の密談

 ソーサリエ、第二大教室。

 扉が乱暴に開かれ、一人の男子生徒が飛び込んできた。


「悪い! 遅れたっ!」


 オズである。

 扉を開けてすぐのところに、紺青色の長い髪の女子生徒――ジュノーが立っていた。

 彼女の周囲には緑のクラス生が数名いて、じとっとした目でオズを見ている。

 ジュノーが口を開く。


「……オズ。遅いわ」

「だから謝ったろ」

「みんな揃ってる。早く座りなさい」


 大教室は学年全員で受ける授業に使用される教室で、一学年――約四百名が一堂に会することができる広さを有している。

 席は階段状になっていて、四百余りの座席には、ポツリポツリと生徒が座っている。


「わーかったよ」


 オズは席の間の階段を上がりながら、目線だけをキョロキョロと動かした。

 室内にいる人物を確かめるためだ。


(……ウィニィは当然だな)


 ウィニィは取り巻きを三人ほど伴って、前列右側に座っている。


(で、グレンに……)


 グレンは一人。

 全座席のほぼ中央で、腕組みして目を閉じている。


(ん? あいつ……)


 後列左側にクラスメイトの顔があった。

 赤のクラス生を三名ほど連れていて、オズと目が合いニヤッと笑った。


(……ギリアム。ジュノーに付いたか)


 階段を上り続けるオズに、ジュノーが大声で言う。


「オズ! どこまで行く気?」


 オズが振り向く。


「あー、悪い。後ろでなきゃ、背中に視線を感じてイラつくんだ」

「最後列に座る気? いいからそこに座って」

「はいはい。そう急くなって」


 オズは中央左側――グレンの横、ギリアムの前に座った。


「……はー、うらやましいぜ、大教室。ジュノー派は他に講堂もキープしてんだろ? いいなあ」


 オズが天井を見上げつつそう言うと、後ろからギリアムが言った。


「聞いたぜ、オズ。お前らの作戦本部、掃除用具入れなんだって?」

「……備品倉庫だ」


 ギリアムと連れの三人が、ドッと笑った。


「ヒャハハ! 何が違うんだよ!」

「そこまで狭くはない」

「見栄張るなよ! そんなとこ作戦本部にするくらいなら、トイレを作戦本部にしたほうがマシじゃねえか?」


 ギリアムがそう言うと、連れの三人も大声で笑う。


「ハハハッ!」「違いねえ!」「ついでに用も足せるしなあ!」


 そしてギリアムが机に身を乗り出し、小声で言った。


「……なあ、オズ。お前もこっち来いよ。そのほうが絶対いいって。な?」


 オズは薄く笑みを浮かべ、無言で頷いた。

 こつん、こつん、と大教室に音が響いた。

 ジュノーが教卓を叩いた音だ。


「魔女は無駄話がお好きなようね」


 オズが手のひらをジュノーに向ける。


「悪い、始めてくれ」


 ジュノーは頷き、教壇を歩きながら話し出した。


「今日、集まってもらったのは他でもない。集めた顔ぶれから察しはつくと思うけれど――」

「――ちょっと待った」


 すぐさま話の腰を折られ、ジュノーが立ち止まる。

 彼女の端正な顔に不快感が浮かぶ。


「何かしら、オズ」

「察しがつかない。これ、何のメンツ?」


 ジュノーは深いため息をついた。


「各クラスの主だった者を集めたつもりよ。それぞれのクラスをまとめられる人物を、ね」

「グレンとウィニィはわかるけど……赤はなんで俺とギリアムなんだ?」

「ギリアムは別件で同席してもらっているだけで、クラスをまとめる力はない。私が呼んだのはオズ、あなたよ」

「そうなのか? 意外だな、お前が俺をそんなふうに評価をしてくれるなんて」

「共に黒獅子騎士団のしごきを耐え抜いた仲だから。……正直、あなたのことは気に食わない。だけどそれは、あなたの実力とはまったく関係がないことよ」

「へへっ。ありがとよ。――だってよ、ギリアム?」


 オズが振り返ってそう言うと、ギリアムは歯噛みして彼を睨みつけていた。

 オズはそれを鼻で笑い、再びジュノーに問う。


「でもよ、普通はウィリアス呼ばねえ?」


 するとジュノーは首を横に振った。


「ウィリアスは狙わない。クラスをまとめるつもりもないそうよ」

「ああ。もう打診済みなわけね」


 ふむふむ、と頷くオズ。

 それを見て、今度はジュノーが問う。


「なぜロザリーを呼ばないのか、とは聞かないのね?」

「そりゃあそうさ」


 オズはにっこりと笑って言った。


「だってこれ、対ロザリー同盟打診の集まりだろ?」


 前を向いていたグレンとウィニィが、ハッとオズのほうを向く。

 ジュノーは苦笑しつつ頷いた。

 そして目を細めて言う。


「……鈍いくせに核心をついてくる。だからあなたは侮れない」

「そりゃどうも」


 オズは満足げに椅子にもたれた。

 ウィニィが口を開く。


「それって、ジュノーの派閥に入れということか?」


 ジュノーが首を横に振る。


「そうではありません。あくまでも対ロザリー同盟です。今年の三年の中で、彼女は頭抜けています。馬鹿正直に競っても勝ち目はありませんから」

「同盟か。具体的には?」

「可能ならロザリー以外の全員で連携して、あるいは罠にハメて彼女を攻略したい。ですが、ロザリーが敗退するまで互いに争わないと約束するだけでも、十分に同盟の価値があると考えます」

「ロザリーを負かしたあとは?」

「戦いましょう。正々堂々と」


 ウィニィは苦笑した。

 謀略を巡らそうとしながら、正々堂々などという言葉が出てくる。

 その厚かましさを嘲りつつも、どこか感心してもいた。


「……でも。それって口約束だよな? ジュノーが裏切る可能性もある。もちろん、僕が裏切ることもね」


 ジュノーが片眉を上げる。


「たしかに。……魔女術ウィッチクラフトで誓約を交わす方法もありますが、それはしたくありません。魔女騎士ウィッチに謀られる可能性を排除できないですし。ただ、私個人として言わせてもらえば――」


 ジュノーの魔導が膨らんだ。

 近くにいた緑のクラス生が、思わず後ずさりする。


「――裏切りは許さない。必ずツケを払わせる」


 ウィニィの顔が曇る。


「……僕を脅すのか?」

「私に王子たるウィニィ様を脅す力はありません。これは覚悟の問題。私自身への戒めでもあるのです」


 ふいに、グレンが立ちあがった。

 そして今日初めて、口を開く。


「俺は降りる」


 それだけ言って、大教室の扉へと歩き出した。

 ジュノーが言う。


「グレン。あなた一人ではロザリーに勝てない」

「ジュノー。俺は馬鹿正直に競いたいんだ」


 そう言うグレンの顔は、ジュノーの想像とは違い涼やかなものだった。

 説得は無意味と悟ったジュノーは、グレンの背中に言った。


「あなたの意思を尊重します。でも、グレン。それはあくまであなた個人の意思で、他の青のクラス生には関係ないこと。状況によっては、彼らをこっちに引き入れることになるかもしれない。構わないわね?」

「好きにしろ」


 そう言い残し、グレンは大教室から出ていった。

 オズが心中で毒づく。


(なーにが「状況によっては」だ。もう粉かけてんだろ? ギリアムみたいによ)


 そうとは知らず、ジュノーは愛想よく尋ねてきた。


「さあ、二人はどうする? 悪い話ではないと思うけれど」


 ウィニィは細い顎に手を置き、逡巡している。


「……ジュノー、時間をくれ」

「構いません。しかし、そう長くも待てません」

「わかってる」

「ではお待ちしております。……オズはどうかしら?」


 オズは腕組みして、質問で返した。


「考えたんだけど。俺の場合、まずロザリーのとこを抜けることになるよな?」

「抜けなくていいわ」

「え、なんで」

「気づかれないようにロザリーの側にいて、本番で私に付いてくれればいい」

「なるほど、スパイってわけか。その場合、クラスのまとめは誰がやる?」

「必ずしもまとめなければならないわけではないの。大事なのは、ロザリーを倒すまでの不戦協定を守らせること。そこだけ徹底するよう、ギリアムや他の赤のクラス生に伝えてもらえばいいわ」

「まあ、それもそうか」

「あくまで目的はロザリーに勝つこと。オズ、あなたなら本番でロザリーの不意を突ける。あなたさえ乗ってくれれば、勝ち筋がハッキリと見えてくる」

「はー……悪知恵が働くねえ」

「彼女に勝つためなら、何と言われても構わないわ」

「よし、わかった!」


 オズが膝を叩いて立ち上がった。


「じゃ、帰ってロザリーに相談してみるわ!」


 ジュノーがギョッとする。


「オズ、何を!?」


 オズが階段を下りながら笑う。


「冗談だよ、ジュノー。俺もちょっと考える」

「……そう」


 階段を下りるオズの背中に、嘲る声が飛んできた。


「狭~い作戦本部にお帰りか。泣けるねえ」

「黙れ、ギリアム」

「座るスペースあるのか? まさか、みんな立ったまま相談するのか?」


 ギリアムに続いて、連れの三人が笑う。


「それじゃマジでトイレのほうがマシだぜ!」

「クク、少なくとも座れるしな」

「今からでもそうしろよ、オズ!」


 オズは手で虫を払うようにして、無言で扉へ向かった。

 そこへウィニィが声をかける。


「オズ。本当に掃除用具入れみたいに狭いのか?」

「真に受けるなって。たしかに狭いけどよ」

「僕が口添えしよう。そんなのフェアじゃない」

「あのな、ウィニィ」


 オズが振り向いてウィニィを見る。


「俺はまだ、ジュノーに付くと決めたわけじゃないぞ?」

「僕だってそうだ。だからこれは貸しだとか思わなくていい」

(こいつ……)


 オズはウィニィの顔をしげしげと眺めた。


(ほんとはジュノーとべったりなくせに、「時間をくれ」だとか臭い演技しやがる、と思ってたが)

(これ、演技じゃなくね?)

(能天気な王子様ならあり得る話か……)


 オズは気を取り直し、笑顔を貼りつかせた。


「ありがとな、ウィニィ。でも大丈夫だ、ロザリーが部屋を作ったからさ」


 ウィニィがキョトンとする。


「部屋を……作った?」

「そういう魔女術ウィッチクラフトがあるんだ」

「へえ! すごいな!」

聖騎士パラディンのウィニィは知らなくて当然さ。赤のクラス生でも知らない奴はいるくらいで――」


 そこまで話し、オズがギリアムのほうを振り向いた。


「あれっ? もしかしてお前らも知らない?」


 ギリアムは知るわけもなく、口ごもっている。

 そんな彼らに、オズは元気よく言った。


「便利だぜ? お前も魔女騎士ウィッチの端くれなら、やり方くらいは知ってたほうがいい! じゃあな!」


 オズは手を挙げて、扉を出た。

 そして、一人廊下を歩きながら呟いた。


「……俺も古代魔導リュロンド語の勉強しよっと」

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