第103話 作戦本部
昼食を終えたロザリーは、ラナと連れ立って食堂を出た。
「どこいくの?」
ラナに聞かれ、ロザリーは真上を指差す。
「上」
「学生課?」
ロザリーは食堂のある棟を出てすぐ、その棟の外付け階段を上り始めた。
食堂の上のフロアには、ソーサリエの事務を一手に引き受ける学生課がある。
「学生課に何の用があるの?」
ロザリーに続いて階段を上りながら、ラナが彼女の背中に問う。
「ロロがね、食べ終わったら来いって。
「ふ~ん」
「あ、ロロはわかる?」
「眼鏡かけた――」
「そう」
「赤のクラスの代表だった――」
「そうそう」
「頼りない感じのおばさんよね?」
「そうそ……頷きづらいけど、まあその人」
「あの人もロザリーに付くんだ」
「うん」
「他に何人いるの?」
「ロロともう一人。私とラナ入れて四人ね」
「少なっ! あんた、ほんとに人望ないねえ」
「それはもう聞いたよー」
二階に着いたロザリーが、ガラス越しに中の様子を窺う。
たくさんの職員がいて、それと同じくらいの生徒がいる。
ラナもロザリーに倣って、中を覗く。
「ん~。いなくない?」
「いないね」
「ほんとにここなの?」
「ここだよ。食事のついでに、って話の流れだったから」
「じゃあここか……あっ! あれじゃない?」
ラナが指差したのは、学生課の反対側。
食堂と学生課がある棟の真向いにちょっとした広場があって、樹木や花々が植えられている。
その花壇の縁に生徒二人が並んで腰かけ、揃ってぼんやりと空を眺めている。
「ロロとオズだ」
ロザリーとラナは階段を下り、彼らの元へ向かう。
たどり着く前に、オズがこちらに気づいた。
「よう、ロザリー」
ロロもこちらに顔を向ける。
「おや、ラナさんも」
ラナは軽く手を挙げて、それに応えた。
ロロたちの前に来て、ロザリーが言う。
「ラナ=アローズ。私に付くことになったから、よろしくね」
ラナは固い表情で、二人に会釈した。
「おお、そっか」「一人増えましたねえ」
二人の反応は、どことなく元気がない。
特にオズは年がら年中やかましいのに、消え入るような声だ。
ロザリーは顔色を伺うように、二人に尋ねた。
「もしかして……。勝手に決めちゃまずかった?」
「いえ? 人が増えるのは大歓迎ですよ」
「ああ。できればもっと早く増やしてほしかったがな」
「オズ君、一人増えたくらいでは変わりませんよ」
「まあな」
ロザリーが首を捻る。
「なんの話?」
するとロロが説明を始めた。
「ロザリーさんを学生課に呼んだのは、作戦本部の設置を願い出るためです」
「作戦本部?」
「
「へー。楽しそう」
「一番広い講堂は、すでにジュノー派が押さえています。でも、大教室にはまだ空きがあるはず。なので、今のうちに我々も押さえておこうと」
「うん。で、元気がないってことは……借りられなかった?」
「いえ、貸してはくれたのですが――」
「――酷えんだよ!」
オズが悔しそうに地面を踏みつけた。
「部屋に空きはあるんだよ! 大教室も余ってる! なのに俺たちには貸せない、貸せるのは狭い倉庫だけだって!」
「倉庫……」
「ジュノー派は講堂以外にも複数押さえてるんだぜ? 不公平だろ!」
オズはよっぽど腹に据えかねたのか、地面を何度も踏みしめている。
ロザリーはロロに尋ねた。
「不公平だって訴えなかったの?」
「言いました。オズ君がずいぶん食い下がったのですが……『おたくら何人?』『たった三人で大教室借りて、鬼ごっこでもするのか?』と。オズ君、ぐうの音も出なくて」
「ああ……人数の問題なのね」
「実際のところはわかりません。名簿出したりして人数を確認するわけでもないですし。団長が貴族ではないから扱いが悪いだけかも」
「でも、一応貸してくれるんでしょ? とにかくその倉庫に行ってみようよ」
「今、見てきたところです。それでオズ君と落胆していたわけで」
「あ、そうなんだ……」
「ロザリーさんも行ってみます?」
旧校舎、西棟一階。
壁も床も石造りで、外よりも空気が冷たい。
「げほっ。埃っぽい」
ロザリーが眉間に皺を寄せる。
「長らく使用されていませんから。ここです、備品倉庫」
ロロは小さな扉の前で立ち止まり、鍵を差し込んで扉を開けた。
「おぉ、これはなかなか……酷いね」
ロザリーがゆっくり中へ入る。
備品倉庫の広さは、一坪と半分ほど。
ヴィルマの【隠し棚】バスルームより狭い。
窓もない。
いたるところに老朽化した備品が置いてあるせいで、さらに狭く感じる。
続いて入ってきたラナが、袖で口を押さえながら言う。
「けほっ。掃除しないと。息もできないよ」
「だね。まず、このガラクタどもを片づけて――」
ロザリーが近くに転がっていた木製の楯に手を伸ばすと、ラナに続いて入ってきたロロが止めた。
「――あ、ダメです。備品には触れるなと」
「ええっ? それじゃ掃除もできなくない?」
ロロは目だけで頷いた。
ラナが、部屋の一番奥にあった鎧を指差した。
「これも? すっごい場所とってるけど」
頭から足先まで全身を覆う
「ですね。備品ですから」
「趣味悪い備品ねー」
「とにかく、だ」
入り口に立つオズが言った。
「ここは作戦本部としては使えない。代わりの部屋を考えよう」
腕組みしてロロが言う。
「私とロザリーさんの部屋という手もありますが、それだとオズ君が入れないんですよねぇ」
ロザリーがオズを指差した。
「逆に、オズの部屋は?」
「ルームメイトいるしな。つーか男子寮に女子が立ち入るのは黙認されてるけどよ、長時間居座るのは普通に指導くるぞ。保護者会も黙ってねーだろうし」
「あー、そうかあ」
するとラナが、パンッと手を打った。
「じゃあさ、表はどう?」
「表、ですか?」
「表ってか、旧校舎裏。外だけど人も来ないし、結構広いし。ロザリーとはあそこで初めて話したんだよね?」
話を振られたロザリーが首を捻る。
「人、来るんだよね。主にグレンが」
「そうなの?」
「元々、グレンが自主練で使う場所なの。私もあいつから知ったから」
「そっかあ……」
「ま、屋外は密談には向かないでしょう。雨が降ったら集まれませんし」
そこまで言って、ロロが入り口のほうを振り返る。
「オズ君の考えは?」
オズは自信満々に答えた。
「勝手に空き部屋を使う」
「ええ……」
「空きはあるんだ、使えばいいだろ?」
「使ってるのを見つかったら?」
「逃げる。で、別の空き部屋を使う」
「まるで逃亡犯。気が休まりそうにないですねぇ……ロザリーさんの意見は?」
ロザリーは部屋を見回して、答えた。
「備品にさえ、触れなきゃいいのかな?」
「と、思いますが」
「壁を拭いたりしても」
「それは構わないでしょう」
「その壁に落書きしても」
「……落書き?」
ロロが怪訝そうな顔でラナを見るが、彼女は首を捻るだけ。
しかしオズが、何かを察して倉庫に入ってきた。
「なんか、まじない使う気だな?」
ロザリーは小さく頷いた。
「昨日、ヴィルマ教官に教わったんだ」
「なんてまじないだ?」
「【隠し棚】。任意の場所に、秘密の部屋への入り口を作るまじないなの」
「秘密の部屋……? なんて
オズがロザリーにまとわりつくが、それをロザリーは邪険に払う。
「待って。私だって初めてやるんだから。黙って見てて」
「早く! 早く!」
「オズ、待て!」
犬にするようにオズに命令してから、ロザリーは再度ロロに尋ねた。
「……で、ロロ。落書きしてもいいものかな?」
「あとで消せるなら問題ないのでは。水拭きで消えるインクを使うとか?」
「消えやすいのはちょっと困るんだよね」
「困る?」
「私の名前で扉を形作ると、そこが秘密の部屋に続く扉の絵になるの。でも扉の絵を消されちゃうと、部屋は失われる。だから消えにくいほうがいい」
「なるほど。……だとすれば、他の人には見つからないほうがいいですねえ。消えないインクで書いたとしても、壁ごと削ることもできますし」
「ああ、そうだね。ヴィルマ教官は、壁に描いてタペストリーで隠してた」
ラナが部屋の奥を指差す。
「じゃあ、悪魔鎧の裏は?」
「ああ、それなら見えないかもしれません」
ロロが鎧の背後に回る。
「この部屋の扉と同じ大きさだとして……このくらいですかね?」
ロロが手を広げて、扉の大きさを表現する。
「……んー、鎧の隙間から見えるな」
「じゃあじゃあ、悪魔鎧にマントかけよう!」
ラナは備品にかかっていた布をめくり、鎧にマントのように着せた。
「どう?」
「おっ。見えない見えない!」
「よし。じゃあここの壁ですね」
ロロは鎧をそっと前に動かし、背後の石の壁の埃を払った。
「準備完了だな!?」
そう叫んで、オズが壁の横に陣取った。
先ほどまでの覇気の無さはどこへやら、目をキラキラと輝かせている。
「あと、書くものがいる」
「あります、インクとペン」
「さすがロロ!」
「でも――石の壁にペンでは書きづらいですね」
「指で描くよ」
ロザリーはロロからインク瓶だけを受け取り、指にインクをつけて壁に書き始めた。
「名前を書くと言ってましたが。これは……?」
「
「えーっ! 俺、
「オズ。勉強しなさい」
「えー……」
会話しながらも、ロザリーは一字一字ゆっくりと名前を書いていく。
ラナも興味があるようで、ロザリーの手元を覗きこんでいる。
「そんなに丁寧に書かなきゃいけないの?」
「丁寧っていうか、魔導を込めてるの。それが部屋の広さに影響するらしいから」
「へ~。広い部屋にしてね?」
「わかってる」
ロザリーはゆっくりゆっくり名前を書いていき、ついに扉の形ができあがった。
みるみるうちに扉は色づき、精巧な扉の絵へと変化する。
「「「おお~」」」
ロロたち三人が、感嘆の声を合わせて漏らす。
「出来た、よかった。中もちゃんとできてるか、なっ?」
ロザリーが扉の絵を押すと、本物の扉のようにゆっくりと開いた。
「「「おお~!!」」」
輪をかけて大きな、感嘆の声が上がる。
中は広いだけでなく、豪華絢爛な部屋だった。
革張りのソファに、磨き抜かれた大理石のテーブル。
床は毛の長い絨毯で覆われ、高い天井からは煌びやかなシャンデリアが吊り下がっている。
この部屋だけでも十分に広いが、奥に別の部屋も見える。
「すごいすごいすごーい!」
ラナが部屋に駆けこみ、両手を広げて絨毯の上でくるくる回る。
「すっげえ!」
続いてオズも部屋に駆けこみ、そのまま別の部屋へと消えた。
「なんてこと……」
ロロは調度品を見回しながら部屋に入り、ソファにどすんと腰を下ろした。
ソファの沈み具合を確かめるように身体を弾ませながら、ロザリーに言う。
「秘密の部屋って、家具付き物件なんですねえ」
ロザリーも部屋に入り、ロロに対面するソファに腰を下ろした。
「ヴィルマ教官のはバスルームだったの。でも、あとからバスタブ持ち込んだようには見えなくて、きっと術の効果で具現化してるんだって思って。だったらこういうこともできるのかなって。で、この部屋をイメージしてみたんだ。上手くいってよかった」
くるくる回っていたラナが、絨毯の上に背中から倒れこんだ。
仰向けに倒れたまま、ロザリーに言う。
「……ロザリーって想像力あるんだね。こんな部屋を一から作り出せるなんて」
「ううん、行ったことある部屋をそのままイメージしたんだ。だいたいこんな感じだった」
「こんな豪華な部屋に行ったことがあるの?」
「
するとラナは身体を回転させてうつ伏せになり、心配そうに言った。
「あんたさ。軟禁されたり、賞金首になったり、日頃の行いが悪いんじゃない?」
「うるさい」
ロザリーは短くそう言って、ソファの上で大きく伸びをした。
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