第102話 消えた色付き、残った色無し

 実習が終わってしばらくすると、三年生の間で広まる情報がある。

 それは〝誰が消えたか〟。

 実習を修了できず、ソーサリエに戻ってこなかった同級生のことだ。

 実習先や個人の都合によって、戻る時期が遅れることはある。

 だが、授業再開からひと月過ぎても戻らないのは、脱落したということに他ならない。

 誰もが「やはり」と思う生徒から、「まさか」と驚く生徒まで。

 幾人かの名前が、三年生の間を駆け巡っていた。

 脱落した生徒は、少なくとも今年は卒業することができない。

 生徒の大半は気位の高い貴族出身であるので、留年を良しとせずそのまま退学する生徒も少なくない。

 脱落者の名は同情を寄せる対象として、あるいは嘲笑の的として、この時期の三年生の話題の中心となっていた。

 だが例年通りのこの話題に、今年は一つ変化があった。

 それは「まさか」どころか「ありえない」生徒が戻ってきたこと。

 実習をクリアした「ありえない」生徒の名は、学内のいたるところで囁かれていた。



 夕刻。

 調査票を抱えたロロが、プリプリ怒りながら廊下を歩いている。


「まったく。なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないんですか。持ってこいと言われて持っていったら、すぐに立ち去れとか。感情の起伏が激しすぎます。だいたい、ちょっと抗弁しようとしたらすぐ、呪う呪うって。教育者としてどうなんですかねえ。……んっ?」


 談話室ラウンジの前に差し掛かり、ロロはサッと柱の陰に隠れた。

 談話室ラウンジで交わされる会話に、物々しい雰囲気を感じ取ったからだ。

 会話しているのは三人。

 いずれも三年生だ。

 脱落者について話している。


「じゃあ青は三人か」


 日焼けした黄のクラス生がそう問うと、恰幅のいい青のクラス生が首を振った。


「二人だ。ジーナは三日前に戻ったよ」

「へえ、よかったじゃないか。ギリだったな」

「なんでも、指導騎士が行方不明になってたらしい」

「それって……ジーナの家って大貴族だよな? まさか修了を認めない指導騎士を……」

「シッ。口は災いの元だぞ」

「だな。……うちのクラスも二人で決定だ」

「誰と誰だっけ?」

「バーニィとノーマン」

「マジか。バーニィダメだったのか? 優秀だったのに」

「黒獅子騎士団を引いた時点でなあ」

「ああ、そういうことか」

「ま、あいつは根性あるから。留年してでも騎士になるさ」

「二年連続で黒獅子引かなきゃな」

「ありそうで怖いな。闇払いの聖文術ホーリーワードを唱えてやるか」

「ククッ、それがいい」


 すると、一人俯いて腕組みしていた緑のクラス生が口を開いた。


「お前ら。仲間が戻ってこねえのに、よくそんなヘラヘラしてられるな?」


 問われた二人は顔を見合わせた。


「突っかかるなよ。ただの雑談だろ?」

「俺たちがしょぼくれたって、脱落した奴らが戻るわけじゃない」


 緑のクラス生が目を細める。


「知ってるか、ラナ=アローズ」

「ああ、戻ったらしいな」「俺、食堂で見たぜ。戻ってきてる」

「奴は無色だぞ? なんで実習をクリアできる?」


 二人は再び顔を見合わせ、「さあ?」と首を捻る。


「無色ってのは、術も使えねえ、魔導も成長しねえ役立たずだ。魔導があるぶん民草よりは働けるが、ただそれだけ。こんなの牛馬と同じだろうが」


 二人が笑う。


「ふ、確かにな」「うまいこと言う」

「なのに、だ。ココが戻ってこれないのに、牛馬が戻れる道理があるか? ふざけんじゃねえよ」

「そういやお前、ココと仲良かったな。ココはなんで戻らなかった?」


 青のクラス生がそう尋ねると、黄のクラス生が耳打ちした。


王都守護騎士団ミストラルオーダー。あそこも厳しいからな。潰れたらしい」

「あちゃー。そうか」


 緑のクラス生が声を荒らげる。


「合わなかっただけだ! 来年でも! 再来年でも! ココは必ず戻ってくる!」

「レントン、落ち着け。落ち着けって」「悪かった。きっと戻ってくるさ」


 ふーっ、ふーっと息を荒げ、緑のクラス生――レントンが二人の顔を覗きこむ。


「……潰そうぜ」

「何を?」「まさかラナを、か?」

「どんな手を使ったか知らねえが、このままじゃ奴は卒業しちまう。するとどうなる? 騎士になるんだぞ!? 色無し騎士なんて、認めていいのか!」


 二人が三度みたび、顔を見合わせる。


「……たしかにな」「でも、この時期に問題は起こしたくない」

「問題になんてなるもんか! 奴がのうのうとソーサリエに残れたのは、どうせ卒業できないと教官連中も高を括っていたからだ! 無色の騎士なんてソーサリエの恥だ! だから教官たちに代わって、恥を潰してやるんだよ!」


 息巻くレントン。

 残りの二人が、ひそひそと相談を始めた。


「こいつの言うことにも一理あるぜ」「同期が無色の騎士ってのは、たしかによくないな」

「ラナの実家は?」「地方だが領主だ」

「それはマズいぜ」「でもたしか……養い子なんだよな」

「そうなのか?」「色無し判明までは仲の良かった女子が言いふらしてた」

「養い子……なら、いけそうだな」「どっちにしろ、無色じゃ領主は継げないしな」


 相談が終わるタイミングを見計らって、レントンが言った。


「やるか?」

「やっちまおうぜ」「やろう」

「ようし! 決まりだ!」


 柱の陰から聞き耳を立てていたロロが、ゆっくりと後ずさる。

 談話室ラウンジから離れると、別の道から自室に急いだ。


「急いでロザリーさんの耳に入れないと……!」




 翌日、ランチタイム。

 ロザリーはカフェテリア〝若獅子〟を訪れた。


「あー……お腹減ったなぁ……」


 しみじみとそう漏らすロザリー。

 このロザリーは正真正銘、ロザリー本人である。

取り替え子チェンジリング】が解けたのは一夜明けた、つい今しがたのこと。

 その間はずっとヴィルマの部屋にいて、お茶菓子程度しか口に入れていない。

 空腹を堪えて自室に戻ると、迎えたのはロロ。


「朝帰りなんて、いいご身分ですねえ」


 などとジト目で古女房のようなことを言い、それからラナについての話を聞かされた。

 ラナのことは心配だが、まずは腹ごしらえだ。

 それにラナだってこの時間なら食堂にいるかもしれない。

 ロザリーは昼食のメニューを選び、配膳に並びながら食堂を見渡す。


「っ! っとっと……」


 軽く躓き、慌ててトレーを支える。


「……うー。まだ重心が変な感じ」


 少しぎこちない歩き方で、トレーに皿を載せていく。

 料理が揃い、再び食堂に目を配る。


「……見ぃ~つけた」


 ラナは広い食堂の端の方。大きな柱の陰になるテーブルに座っていた。

 テーブルには一人で、左手で本を読みながら右手で料理を口に運んでいる。

 ロザリーはふらふらとした足取りで、そのテーブルへ向かった。


「いい?」


 ラナに問うと、彼女はチラリと見ただけで肯定も否定もしなかった。

 ロザリーはトレーをテーブルに置き、椅子を引いて腰かける。

 ラナが読んでいたのは〝騎士用兵論〟。

 卒業試験に向けた勉強のようだ。

 ラナが参考書に目を向けたまま、言った。


「……らしくないメニューね」

「そう?」

「そんな女子っぽいメニュー、食べないじゃない」

「うーん、言われてみれば。ヴィルマ教官の好みかな?」

「……どういう意味?」

「いや、何でもない」


 ロザリーはパンケーキをフォークとナイフで切り分け、口に運んだ。

 咀嚼しながら、話の切り出し方を考える。

 ごくんと飲み込み、ロザリーが口を開く。


「あのね、ラナ」


 ラナは視線も上げずに答える。


「なに?」

「なにか困ったこと、ない?」


 ラナの動きが止まる。

 そして次の瞬間、彼女はプッと吹き出した。


「なによそれ。牧師でも目指すことにしたの?」

「いや、そうじゃない。そうじゃないけどさ」


 ロザリーはフルーツティーを一口すすり、それから言った。


「ラナの身にこれから困ったことが起きるかもしれない」


 すると間髪入れずにラナが答えた。


「知ってる」


 ロザリーが目を瞬かせる。


「知ってる?」

「私に対する三年生の雰囲気が変わったわ。前は馬鹿にして、笑い者にする感じだった。けど今は、痛めつけて追い出そうとしてる」

「知ってるならなおさらよ。私が助けになるから」

「そういうの、いらない」

「なんで」

「余計なことしないで」

「余計? 私の助けは余計?」

「ロザリーには関係ない話よ」

「一緒に旅した仲じゃない。関係ないわけない」

「しつこい」

「意地張らないでよ、ラナ」

「ロザリー!」


 ラナが初めて顔を上げた。

 眉間に皺を刻み、歯を剥きながら言う。


「余計なお世話だって言ってるの。わかんない?」


 しかしロザリーはラナの厳しい言葉よりも、彼女の顔の一部分に目を奪われていた。


「ラナ、そのアザ……」


 彼女の口元には青アザがあった。

 ラナは「しまった!」とでもいうふうに、口元を手で隠した。


「……誰にやられたの?」

「転んだの」

「嘘。殴られたあとよ」


 ラナは椅子に背をもたれ、諦めのため息をついた。


「……三年生よ」

「名前を言って」

「言ったらどうするの?」

「やり返したりはしないわ。脅し入れて釘を刺すだけ」

「頼んでない。何もしないで」

「ラナってさ、やられたらやり返す性質たちよね? なんで諦めてるの。なんで仕返ししようとしないの? 見返してやろうとも思わない?」


 するとラナは、きっぱりと言い切った。


「ロザリー。私は諦めてなんかいないわ」


 そう言うラナの目に、嘘はなかった。


「助けはなくても大丈夫だって言ってるの。彼らだって卒業間近だから、問題は起こしたくない。それでも私を痛めつけようとするなら、人気のない場所を選ぶ。つまり、私がそういう場所を避ければやられないってわけ」

「でも、現にやられてるじゃない」


 ラナがアザを擦る。


「これはね、あなたのクラスの女子にやられたの。女子寮の中では避けようがないから。でも、寮だって人目はある。立てなくなるほどやられたりしないわ」

「だから、それは誰」

「五人いたけど、どいつもたいしたことなかったわ。ロザリー、私ね? わざと殴られたの。なんでかわかる?」

「わざと? うーん……」


 ロザリーの目が宙を泳ぐ。


「……ラナこそ問題を起こしたくないから」

「正解」


 ラナが笑った。


「私の場合、やり返してしまったらそこで終わり。一発アウトよ。おそらく退学処分ね。正当防衛だとか言っても通らない。なぜなら私は三年生で唯一ソーサリエに残った無色の生徒で、きっと教官たちや保護者たちにしても目障りな存在だから」


 ロザリーは、渋い顔でラナを見つめることしかできなかった。

 そんな彼女に、ラナが優しく語りかける。


「実習ではロザリーに助けられた。あなたがいなければ私はここにいない。でもね、私は一人なの。騎士になっても、私が無色の魔導性であることは変わらない。なのにずっとロザリーに頼るわけにはいかないでしょ?」

「ラナ……」

「私は騎士を諦めないわ。そのためなら殴られることくらい、どうってことない。今までを思えば、たいした障害じゃないの」


 ラナの瞳は決意に満ちていた。

 それでもロザリーは、このまま放っておく気にはなれなかった。


(殴られるくらいってラナは言うけど、次もアザで済む保証がどこにあるの?)

(でも……こうなったらラナは聞かないだろうな)

(結局、殴られた相手も言わないし)

(助けるというから拒否されるんだ。こっちからお願いしてみる?)


 ロザリーが再び切り出した。


「ね、ラナ」

「しつこい。話は終わり」


 そう言って、ラナは邪険に手で払う仕草をした。

 ロザリーはとぼけた表情で、首を横に振る。


「ううん、別の話」

「なに?」

最終試練ベルムのこと。誰に付く?」

「別に予定ないけど。ってか、私を仲間に入れる派閥なんてあるわけないじゃん」

「私、狙うことにしたんだ」

「あ、そうなんだ。……ふふ。他の団長、かわいそうね」

「でも人数集まらなくてさ」

「あー。人望なさそうだもんね」

「うるさい。で、相談なんだけど――」


 ロザリーはテーブルの上に顔を突き出した。


「――ねえ、ラナ。私に付かない?」

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