第2話 死者が見る夢

 翌朝。

 ロザリーは渡り廊下を歩いていた。

 庭師に元気よく声をかける。


「おはよう、ハンスさん!」

「やあ。おはよう、ロザリー」


 警備の騎士が目を丸くした。


「おお、今日は早いじゃないか、ロザリー」

「リアムさんもおはよう!」


 食堂へ入り、キッチンの中年女性にも声をかける。


「おはよう、サラおばさん!」

「おやまあ、ロザリー。時間通りに来るなんて、雨でも降るんじゃないかい?」

「きょうは晴れ! 雲一つないよ!」

「そうかい。じゃあ洗濯しとかないとねえ」

「うん! それがいいと思う!」


 ロザリーは、何も見ていないことにした。

 そして少しでもいい子・・・であろうとした。

 本能的にそう決めた。

 また、捨てられないために。


 ◇


 窓のない部屋。

 決められた時間より早く、ロザリーは室内にいた。

 演じることにためらいはなかったが、このときばかりは手が汗ばんだ。

 ベアトリスが来る。

 昨晩、覗いたことがバレていやしないか。

 演じていることを勘づかれやしないか。

 ロザリーは気が気ではなかった。

 やがて、扉が開いた。

 ベアトリスはすぐにロザリーを見つけ、いつものように優しく微笑んだ。

 それを見て、ロザリーはホッと胸を撫で下ろしたのだった。

 彼女がいつも通りであることもそうだが、また大好きな笑顔を見れたことに心から安堵した。

 そんなロザリーの頬を手の甲で撫で、ベアトリスが言う。


「今日は拗ねないのね?」

「……うん。最近うまくいってないから、きょうはがんばってみる」

「やる気があって嬉しいわ。でも、無理はしないでいいのよ?」

「だいじょうぶ」


 扉が再び開き、人骨が運ばれてきた。


「今日はひとつだけ?」


 運ばれてきたのは一体だけ。

 それも原形をはっきり残した人骨だった。

 両方の手首から先だけが失われている。


「なんだかいつものより……新しい?」

「そう! よく気づいたわ!」


 ベアトリスは嬉しそうに両手を合わせた。


は〝旧時代〟を生きた人ではない。もっと、ずっと新しい遺体なの。と言っても、五百年は前の人なんだけど」

――男の人なんだね」

「私もロザリーと同じで、最近うまくいかないなぁ、って悩んでいたの。だからね、ちょっとアプローチを変えてみることにした。このくらい新しければ、ロザリーも対話できるでしょう?」

「うん。だけど……話してどうするの? 古代人じゃないんでしょ?」

「確かに。でもね、も遺跡から出てきた遺体なの」

「そうなの?」

「私、思うの。は私たちと同じ〝旧時代〟の研究者だったんじゃないかしら? そして、何らかの理由で遺跡で果てたのでは、ってね」

「なんで死んじゃったの?」

「両手首から先が欠損しているから、他殺ね。賊に囚われ、殺されたのかも。でも、そこは重要ではないの。大事なのは、が研究者であったのかどうか。もし研究者だったなら、私たちの知らない〝旧時代〟の真実を知っているかも!」


 興奮気味にそう話すベアトリス。


「わかった、やってみる」

「お願い、ロザリー」


 ロザリーは頷き、人骨に意識を集中した。

 特に言葉をかけたりはしない。

 いつも向こうが気づき、話しかけてくる。

 死者は語るだけで、幽霊になって出てきたり、死体が動き出したりするわけではない。

 まるで会話にならないことも珍しくないが、それはあちら側の問題。

 だからロザリーはいつも通り、聞き耳を立て、注意深く見つめていたのだが。


 ロザリーがふと、気づく。


 がこちらを見ている。

 人骨は動いていないはず。

 だが、いつの間にかこちらを見ている。

 の眼球のない暗い眼窩と、目が合っている。


 次第に奇妙な感覚がロザリーを支配した。

 底の見えない深い淵を覗いているような。

 月も星もない夜空を見上げているような。


 いつしかロザリーの意識は、の眼窩へ吸い込まれていった。

 まるで、魅入られるように――


 ◇


「ここは――」


 ロザリーは高原に立っていた。

 夜空が近い。

 高原は四方を険しい峰々に囲まれ、まるで神々の創った箱庭のようだった。

 足元には白く儚げな花が咲き乱れ、夜風が芳香を空へ運ぶ。

 浮世離れした光景に、ロザリーが呟く。


「――天国?」


 答える者はいない。

 ただ、夜風が彼女の黒髪を梳いていく。


「私、死んじゃったのかな?」


 未練はあるが、不思議と悲しくはない。

 ロザリーは口笛を吹いた。

 鷹の鳴き声ような音色が高原を渡り、峰々へと消えていく。


「ここはエリュシオンの野」


 ふいに、背後から声がした。

 驚いて振り返ると、そこに男が立っていた。

 痩せた男で、騎士の風貌をしている。

 リアムではない。

 彼より若く、背が高い。

 意匠を凝らした剣を腰に差していて、光沢を帯びた黒革のコートを夜風に靡かせている。

 初めて会うのに、ロザリーはこの男に親近感を持った。

 それは彼もまた黒髪で肌が白く、紫色の瞳をしていたから。


「エリュシオンとは、この白い花の名さ」


 男は白い花を一輪摘み、そっと宙に投げた。

 夜風が花を攫う。

花弁を散らせながら、山の頂へと運んでいく。


「伝承では、冥府と現世の境界にのみ、群生する花だという」


 ロザリーが問いかける。


「あなたは――だれ?」


 男が答える。


「わかるはずだよ、君ならね」

「……あの、骨の男性ひと?」


 根拠はなかった。

 だが、ロザリーはそう直感した。


「ご明察」


 男は笑った。


「僕はヒューゴ。君が起こした死人さ」

「ごめん、起こしちゃったんだ」

「謝らなくていい。僕は君を待っていたから」

「私を?」

「ああ。長い間――死んでからずっとね」

「ええと……ヒューゴ、さん?」

「ヒューゴでいいよ」

「じゃあ、ヒューゴ。私、死んじゃったのかな?」

「生きているよ。その、すぐ近くにいるけれど」

「じゃあ、もうすぐ死ぬの?」

「いいや」

「そっか、よかった」


 ロザリーが辺りを見回す。


「ヒューゴ。私、帰りたいんだけど」

「帰れないね」

「ええっ!?」

「帰る前に、夢を見てもらわねば」

「夢? これが夢でしょ?」

「これは夢の始まりにすぎない」


 ヒューゴが手をかざすと、そこに窓が現れた。

 何の支えもなく、窓枠だけが宙に浮かんでいる。


「警戒しないでくれ。夢見る君の身に危険はない。……少しだけ、怖い思いをするかもしれないがね」

「……もう、じゅうぶん怖いんだけど」


 ヒューゴは「あれ、そう?」と笑った。


「では、始めるとしよう」


 ヒューゴが窓を開けると、そこに風景が浮かんだ。

 街が燃えている。

 荒ぶる炎は空を焦がし、街のすべてを蹂躙している。


「これから、ある憐れな男の末路を見てもらう」


 離れた高台に男がいた。

 闇に紛れ、戦火の街を見つめている。

 フードを目深にかぶり、表情は見えない。


「うん? この人……」


 ロザリーは、窓から目を離せなくなっていた。

 意識のすべてが窓に映る男へ向かう。

 ヒューゴの声が、ロザリーの意識を窓の中へいざなう。


「この男は何者で、いかに死ぬのか」

「君は彼の最期から何を感じ、何を得るのか」

「ハジマリ、ハジマリ……」


 ロザリーの意識は、窓の中へ飛び込んでいった。

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