骨姫ロザリー ~死者の最期を追体験し、力を引き継ぐ~

朧丸

序章 死者と語る少女

第1話 紫の瞳の少女

 はるか遠く、西の果て。

 険しい山の奥深くに場違いな館があった。

 立派な館で、敷地は広く中庭まである。

 その中庭に面した渡り廊下を、少女が駆けていく。

 濡れ羽色の長い髪に、白い肌。

 紫の瞳。

 寝癖のついた頭で渡り廊下を走っている。

 少女を見つけた庭師が、花壇の陰から声をかけた。


「やあ、ロザリー。おはよう」

「おはよう、ハンスさん!」


 少女は立ち止まりもせずに、そう答える。   

 それを見咎めた警備の騎士が、少女を叱り飛ばした。


「ロザリー! 挨拶はきちんとしろ! それから廊下を走るんじゃない!」

「ごめん、リアムさん! 走らないと朝ごはん片づけられちゃうから!」

「早起きしないからだ!」

「明日からはそうする!」


 少女は後ろ向きに手を振りながら、居館に入った。

 廊下でもスピードを緩めることなく、居館の奥にある食堂へ飛び込む。

 そしてキッチンに立つ、中年の女性に叫んだ。


「おはよう、サラおばさん! 私の朝ごはん、まだある!?」

「およう、ロザリー。今、片づけるとこだったよ」


 息を切らせてそう訴える少女に、中年の女性が無表情にトレーを突き出した。

 トレーの上にはパンにミルク、目玉焼きと腸詰めの皿が乗っている。


「さすがサラおねえさん!」

「お姉さんときたかい。仕方ないね」


 中年の女性は腸詰めを一本、皿に足した。


「やったっ!」


 少女は満面の笑みでトレーを受け取った。


 ◇


 少女の名はロザリーといった。

 年は九つ。

 この館で唯一の子供だ。

 彼女には不思議な力があった。

 死者と対話する力だ。

 ロザリーが物心ついた頃には、その能力は備わっていた。

 葬列について歩きながら、亡くなった本人を慰めたり。

 どこの誰ともわからぬ死体の素性を、ピタリと言い当てたり。

 墓の前で、見えない誰かと何時間も話し込むこともあった。

 ロザリーにとって、それは当たり前のことだった。

 だが周囲の者は、そんな彼女をとても気味悪がった。


 そして五才の誕生日。

 母はロザリーを捨てた。

 幼いロザリーは、自分が捨てられたとわからなかった。

 だから、ひたすら母の帰りを待ち続けた。

 腹を空かし、雨に凍え、数日が過ぎ。

 幼心にも、母は自分がいらなくなったのだと理解した頃。

 突如、救いの手が差し伸べられた。


「かわいそうに」


 その若い女性はベアトリスといった。

 ベアトリスはロザリーを優しく抱き上げ、母のように囁いた。


「一緒に来る?」


 その日から、ロザリーはベアトリスの家族となった。


 ◇


 窓のない部屋。


「ベアトリス。今日もなの?」


 ロザリーが拗ねるように言った。

 呼ばれた女性が振り返る。


「ごめんね、ロザリー。今日もなの」


 そう言って、ベアトリスはとびきり華やかに笑った。

 ロザリーはこの笑顔を向けられると、嫌でも頷くしかなかった。

 二人がいる窓のない部屋に、男たちが入ってきた。

 男たちは二人一組で担架を抱えていて、担架は全部で三つ。

 担架が床に下ろされ、乗っていた物がロザリーの前に並べられる。


 骨。人骨だ。


 かなり古く、原形を留めるものはない。

 ベアトリスが後ろからロザリーに囁く。


「さあ。彼らの声を聞かせて?」


 はるか昔〝旧時代〟と呼ばれる古代文明が存在した。

 ベアトリスはその研究組織の若きリーダーで、この館は遺跡群のまっただ中に建てられた研究拠点。

 発掘された遺体と話し、情報を引き出すのがロザリーの役目だった。


 ロザリーは目の前の人骨を見下ろした。


「っ、やっぱりやだ」


 ロザリーは人骨から目を背けた。

 ベアトリスがそっと彼女の頬を撫でる。


「ロザリー……」

「だってこの人たちはもう、自分がだれかもおぼえてない。怖いの!」


 死にたて・・・・と違い、発掘された遺体は対話が成り立たないことが多かった。

 あまりに古すぎるのだ。

 ベアトリスはロザリーの首元に、そっとキスした。

 そして、囁く。


「お願い、ロザリー。これはあなたにしかできないことなの」


 いつもの台詞を聞かされ、ロザリーはもう一度人骨を見下ろす。

 そして意識を集中した。


 ロザリーはこの仕事が嫌いだった。

 幼い頃にはなかった死者に対する恐れが、彼女の心を苦しめた。

 それでも拾われてから四年間、ロザリーは役目を果たし続けてきた。

 それはベアトリスが求めるからで、うまくいったときには彼女が思い切り抱きしめてくれるから。

 館の住人はみんな優しいけれど、愛しているのはベアトリスだけ。

 幼いロザリーにとって、母親代わりのベアトリスが世界のすべてだった。


 ◇


 ある夜。

 ロザリーは寝つけなかった。

 最近まるで手がかりを得られないからだろうか、言い知れぬ不安が彼女を眠りから遠ざけていた。

 ロザリーはベアトリスを求め、彼女の部屋を訪れた。

 扉の隙間から灯りが漏れている。


「ベアトリス……?」


 彼女の名を薄く呼び、扉をわずかに開ける。

 男がいた。

 半裸でベッドに腰かけ、紫煙を燻らせている。

 ロザリーが館の住人で最も苦手とする、〝館主様〟と呼ばれるやぶにらみ・・・・・の男だ。

 その奥にベアトリスが見えた。

 彼女は一糸まとわぬ姿でベッドに横たわっている。

 ベアトリスの指が、男の脇腹を這う。

 見てはいけない。

 そうわかるのに、ロザリーは目を離すことができなかった。

 ベアトリスが呟くように言う。


「もう、終わりにするわ」

「この関係を、か?」


 ベアトリスが鼻で笑う。


「研究のことよ」

「ふむ」


〝館主様〟が続ける。


「成果が十分でないだろう。性急ではないか?」

「遺物はあらかた回収し終わった。ロザリーが情報を引き出せる損傷の少ない遺体も、もうない。これ以上の成果は出ないわ」

「あのお方がどう思うか」

「あのお方は無駄を嫌う。お叱りは受けないわ」

「だといいが」


 ベアトリスが体を起こした。

 露わになった乳房が揺れる。


「四年よ? 四年費やして成果はたったこれだけ! こんなはずじゃなかった。私はこんな場所で老いさらばえるつもりはないわ!」

「落ち着け、ベアトリス」


 ベアトリスがベッドへ背中から倒れ込む。


「いっそ、館ごと燃やしてやりたい」

「怖いな。……彼女はどうする?」

「彼女って?」

「ロザリーだよ。母親代わりだろう? 引き取るのか?」

「冗談はやめて」


 ベアトリスは顔を歪めた。


「必要だから拾っただけ。ここが終われば家族ごっこ・・・・・も終わりよ。死体と話す子供なんて……ああ、気味が悪い!」

「怖い女だ」

「あなたほどではないわ、イゴール」


 そう言って、ベアトリスは〝館主様〟に口づけた。

 ロザリーは気づかれぬよう、そっと扉を閉めた。

 両手で口を押さえて嗚咽を隠し、暗い廊下を走り去っていった。

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